2. 輝く空を見下ろして

 出銑口のすぐ下の穴からスラグをぼろぼろと掻き出した。空気が燃えて、肌からじっと汗の湧くのが感じられた。

 スラグは精錬で出た残渣のこりかすだ。ただ熱いばっかりで、太陽と同じぐらいにしか使い道は無い。そうは言っても辺りを照らすほど熱くも明るくもないので、精々レンガにするぐらいが関の山だ。そんなでも、今の俺よりは熱いだけその存在感を示しているようで、よっぽど羨ましく思えた。

 グラントがいなくなってから4日になる。

 本当は、死んでから4日と言うべきなのだろう。坑道内で爆発があって、それから焼け焦げた誰かの死体を見つけてしまったのが4日前だ。顔はぼろぼろになっていて誰だかわからなかったが、服のあの焼けていない切れっ端はグラントが着ていたものに違いない。それに、もし盗人が坑道まですり抜けて何かやりに行っていた、とかでなければ――何のためにだ?――あの時に山中にいたのもグラントただ1人だったはずだ。

 葬ってやることはできていない。俺がその死体に近づくと、死体と俺との間に透明な壁のようなものが現れて、死体に触れることが叶わなかった。たぶん魔法――単純な球形のバリアのようだったから、爆発で励起された自発魔法現象だろう、と踏んでその日はすごすごと帰ったのだが、次の日に来てみるとどうだろう、その死体はどこかへ消え失せていたのだ。

 死体が消滅してしまったことも、やはり自発魔法によるものだと考えるのが当然だろう――俺は魔法には詳しくないが、それ以外だと思うと無理があるし、何よりアンも同意してくれた。

 そのアンは、俺が寝る前に渡した溶融金属の成分調整を、俺が寝る前と同じ姿勢で、ということはきっと夜を徹してやり続けている。アンがやっている作業は、本来はグラントと2人でやっていたものだ。俺が粗精錬と採掘、グラントが採掘と成分調整、アンは成分調整専門、そういう分担でもう何年もこの仕事を続けてきた。だから俺はいまアンがやっている仕事はからきしで、何も手伝えることが無いのだ。

 もちろん、指を咥えて彼女のことを眺めていたわけでもない。手伝えることは無いか、ともう4度ぐらい声をかけた。今も、彼女が集中を緩めそうなタイミングを見計らって声をかけようとしているところだ。身の回りの世話なんかは、もちろん、言われなくたってする――召使がいるわけでもないのだから、それは昔から同じことだ。時間帯で言えばそろそろ朝食を作らねばならない頃だろうが、アンはどうだろう、眠るよりも彼女に必要なものが果たしてあるだろうか。

 アンの鬼気迫る表情は、まだ崩れそうには見えない。かろうじて融け出さない程度のギリギリの温度 (つまり、指を突っ込んだが最後、手がまるごと燃えることを覚悟しなければならないほどの灼熱) に保持された金属塊を彼女は睨めつけ、たぶん直接の操作が必要なタイミングではないのだろうけれど、ただ機を伺っているように見える。いつ最良のタイミングとなるかもわからないのを待ち続けるのは、間違いなく、沼の中を歩くような苦しさを伴うもののはずだ。

 不意に、視界が一点から白くなった。日の出だ。手で目庇を作って、二呼吸だけ目の慣れを待つ。見える世界はじんわりと精細さを回復して、その中にはもちろんアンもいる――彼女と目が合っていた、という差分に気づくまであと一呼吸だけ必要だったが。

「なるべく俺に手伝わせてくれよ」

「いや、もう大丈夫よ。あとは急冷してから恒温槽に入れれば、そこから1日ぐらい待つだけだから、もう手間はかからないわ。あと一息!」

「そうか。食事は用意できるが」

「別にいいわ。たぶん、食べるより先に寝ちゃうから」

「……目の隈がひどいことになってる。あんまり無理はしないでくれよ、俺は……俺だけじゃ何もできないんだ」

「知ってるわ」

トングで掴まれた金属塊が、急冷とは言っても水に突っ込んだりする必要があるでもなく、ただ風に吹かれていた。その方を向いてしまった彼女の後頭部を見て、ドリルと水筒を拾い上げて俺は坑道の方へ向かった。申し訳無さがただ募る自分が嫌だったから、逃げた。

 しかし、歩きながらだとむしろ頭がまわってしまうものだ。例えば、アンは何をそんなに遮二無二冶金し続けているのだろうか、と思ってしまうとか。勿論、製品を作って売らなければ飢えるから、というのは答えのひとつだ。でも、多少の蓄えならある。今日明日をサボって、それで糊口を凌げなくなるほど貧しているわけでもない。第一、本当に飢えそうになってしまったのなら、鉱石をそのまま売ればとりあえずはなんとかなるのだ、アンがあんなに頑張る動機にはならない。

 まあ、俺がアンに無理をさせまいとするのと同じようにアンも俺にそう振る舞っている、というだけのことかもしれないが。

 いや、それだけではやはり説明がつかない。あんなにずっとやり続けるには、いっときの義務感なんかでは到底及ばない。本当にそうしなければならない状況ならいざ知らず、今ならまだ休んだってさしたる悪影響も無いのだ――どころか、休むべきなのに。

 俺にとって、グラントは代え難い親友だった。月並みだが、一緒に馬鹿をやって、一緒に働いて、グラントがうっかりしでかしたミスに指を指して笑ったら俺も同じミスをして大笑いした、そんなこともあった。やたら大きなジオードを見つけて、アンまで一緒になってはしゃいだこともあった。そういう事件のあったときでなくとも、街まで行ったときショーウィンドウに惹かれて小一時間そのことだけ話していたりとか、鍋を囲んで俺が切った人参が食えねえかと脅したりだとか、そういうことだって楽しい思い出だった。

 そんなのが喪われてしまって、動揺を1日や2日で沈められるほど、人間の心は便利にできていない。

 その状況が、どうしてアンにとっては全然問題にならないと思えようか。俺からすれば、グラントがそうであったのと同じぐらいにアンも親友だと思っている。ずっと続けてきた仕事仲間である以上に、一つ屋根の下で寝泊まりし、笑いあい、そして山の困難に一丸となって立ち向かった、そんな仲間だ。

 アンだけが違う、なんてことは考えられない。

 坑道に差し込む光は、もう随分前からほとんど無くなっていた。勝手知ったる坑道だし、何よりどこまでも直線だから (そうでなければ迷って餓死する羽目になる) 、明かりが無くとも歩ける。歩けてしまう。俺は立ち止まって、ヘルメットのライトを点けた。

 どう見ても、よく見知ったいつもの坑道だ。そう、いつものだ。グラントがいないだけで、ほかは何も変わりがない。それがいささか信じがたいように思われて、というかグラントがいないのだから世界の側も何かそれ相応の対応をするのが道理だろう、と、理不尽な思いであることはわかるが、どうしても拭い難い気持ちがあって、それで俺は坑道の壁の方に目を向けた。何か少しでも違いがあれば俺がそれを見つけ出してやる、とかそんなところを思ったはずだ。

 いつものシールド壁だった。俺は目をなるたけ近づけようとしたが、ヘッドランプから出る光がごく狭くなってしまって何も見えなかった。壁に触れた手がところどころガラス質になっているのを感じ取ったが、それは少し盛り上がってつややかになっている、ということ以上の意味を俺には与えない。それすらも、前に俺が初めてそれに気づいたときにグラントとやいのやいの言いあった記憶がある。すべて、すべて、ごくいつも通りの世界だった。

 ふと思い出したことがあった。何日か前、グラントがいなくなってしまったそのちょうど前の日か、さらにその前の日だ。晩に食事の支度をしていたとき、アンが話していたことだった。アンは新しいもの好き――と言えば聞こえは良いが、まあ飽き性なのだ、だいたいいつも何か新奇なものを探しているような印象があって、その日も新しい合金の配分を云々言っていた、はずだ。

 そして、その日からはそういう会話はしていない。あのアンが、何も新しいものに目を向けず、何か一心に打ち込んでいるということがあるとすれば、

「これか」

だろう、きっと。

 とはいえ、やはり専門外だ。目星が付いただけ前には進めているはずだが、俺一人ではどうすることもできない。帰ったら尋ねよう、いや帰るタイミングではまだ寝ている頃合いだろうか。ともあれ、今踵を返しても仕方がない。採鉱のため、俺は坑道の奥へと足を向けた。一言だけ出した声の反響がまだ残っていて、それだけでシールド壁を作れたりしたら楽なんだがな、と思った。足音でそれはあっという間に消えた。

 突き当りまでたどり着いた。ここからは左に折れる道があって、その先には件の爆発現場がある。そっちには行きたくない。それ以外には縦坑があって、上に3階層分、さらに坑道がある。下には無い。下から鉱石を持ち上げるのは、場合によっては文字通りに骨が折れるからだ。実を言えば、入口からここまでもゆるい登り坂になっていたりする。

 折れていかないのであれば、登るよりほかに無い。俺は縄梯子に足をかけ、そこで不意に金属音が聞こえて――異音だ!――飛び退いた。

 音源はだいぶ遠いようだった。反響が繰り返されてどこから音が出ているのかもわからないが、少なくとも至近距離ではない――ということは、この縄梯子はひとまず安全だ。支える杭のせいでシールド壁が壊れて落盤するとか、そういう話では無いだろう、たぶん。念の為マナ照射をやっておくか、と手を構えたところで、異音がまたどこからか聞こえてきた。

 きん、ききん、ききん、とリズミカルに音は繰り返されている。明らかに自然の音ではない……と思うが、何なんだろうか。アンが (わけもなく?) 坑道内に進入したのでもなければ、この山の中にいま居る知的生命体とおよそ呼べる存在は、俺一人を数えて以上となるはずだ――グラントが生きていれば、話は別だ。

 無理がある仮定だ。でも、心躍らないわけにはいくまい。もしかすると、あの焼け焦げたものは誰か闖入者の遺体だったのかもしれない。服は偶然グラントのそれと似通ったのだ。そして、偶然水源を見つけて数日間食わずに生き延びることができたのかもしれない。そうなれば、グラントはいま落盤事故かなにかに遭って閉じ込められているのだろうか。それで俺に助けを求めて音を出している。前提条件が恐ろしく都合良いことを除けば、辻褄は合う。

 俺はいても立ってもいられなくなり、さっきまで黄泉比良坂かなにかのように思えていた左に折れる道を一目散に駆け出していた。

 歩いてもそうかからない距離、走れば息切れするよりも先にその場所までたどり着いてしまった。バリアらしきものはとっくに消えていたが、不可解なことに遺体もまた無くなっていた。炭になって塊が残るのならまだわかるが、影も形も無くなってしまっているのは一体どういうことだろうか。いつの間にか音も聞こえなくなってしまった。俺は遺体があったはずの場所を調べようとして、腰をかがめた。ライトで照らされた白いものが丸められた紙だということに突然気がついて、飛び上がりそうになってしまった。拾い上げて、震える手で2回ほど失敗しながらも紙をまとめていた紐を解くと、それは手紙だった。

 曰く、生きている。生きているが、超常的な諸事情によって簡潔な説明によらずその由を示すことは困難だ。だから、ただとりあえず帰還を待ってくれ。帰還できない理由は、これまた超常的な因縁によっているので言うことができないが、ロバート、君なら僕を信じて待ってくれるだろう、と。

 署名は無かったが、明らかにグラントの筆跡だった。

 坑道から飛び出してきたことを自覚したのは、世界が急に明るくなったからだった。日の光が一面視界を奪って、しかし坑道の中にいるときのように目など効かずとも歩ける、と自信過剰になったが最後、木の根に足を引っ掛けて体をしたたかに地面に打ち付けてしまった。

 だが、何も気にすることは無い。グラントは生きていたのだから。俺の痛みなど、明日に残るものは何も無い。体を起こすと目もその役目を果たす席に戻って来るところで、そこにはアンの後ろ姿を認めた。

「アン! グラントが!」

俺はそれだけ叫んで、彼女のもとへ駆け寄った。そうしたら彼女が倒れてきた。

「うわ……ごめんなさい」

「……なんで寝てないんだ。いやでも、それよりな、グラントから手紙があった。ほら」

「……読めないわ、いま。眠すぎて……でも、私の方も、できたわ、ほらあれ」

アンが指差した先を見る。机の上には、ちょっとしたサイズの試験片が乗っていた。それが今までのものと比べてどう異なるのかは……俺にはわからない。少しの間、ぼうっとそれが鏡面になっているのを見て、反射する空を見ていた。雲が映り込んだので我に返った。

 それがどういうものなのかアンに訊こうとしたが、俺が支える体からは寝息が聞こえてきていた。また後で嬉しさは共有できるから、今はまだ楽しみにしておくだけでいいか、と俺は思った。まずは、彼女を天日干しにしないようにしなければ。

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土くれと黄金とその砥 山船 @ikabomb

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