土くれと黄金とその砥

山船

1. 雲の向こうの星座を指差すこと

 真っ暗だった。何度瞬きしても見えないので、起きぬけの僕はだんだんとパニックに陥りつつあることを自覚しながら、息を吐き出す音が跳ね返ってくるのを耳は捉えた。背後からはすぐに、正面からは少しして、そして左斜め前のあたりからは全然だ。ともかく、いびつな形をした空間の中にいることはわかった。足をはたいてみると反響がいくらでもあって、少なくとも、虚無の中に放り出されたとかそういうわけでは無さそうだ、ということは夢でもないのだろう、ますます焦りが募ってくるのを感じた。まるで自分が卵で、今まさに溶かれてぐちゃぐちゃになっているような、そういう気分だった。

 何か無いかと思って腕を降ると、そこからは金属同士をぶつけるような小気味良い音が響いた。丸太を蹴り飛ばしたようなこの腕の感覚があればこそ、ぶつけたものは腕となにか、まあ壁だろう、そういうところだとわからないわけにはいかない。となれば、僕は甲冑でも着ているのだろうか。その割には体は軽くて、雪の中に埋まりこんだように何がなんだかわからなくなってくる。とうとう発狂しなければなるまい、そういうことも人生にはあるのだろう。それで、と僕は腕をぶつけた推定壁に向かって体をぐるりと回し、小さな光点のあるのを発見した。

 全部思い出した。

「朝っぱらから元気だね。でも、起きたんなら都合がいい、今日はボクの方に付き合っておくれよ。瓦礫をよけるぐらいはできるだろう?」

そして、壁に正対した僕の背側から、黄金色の声が聞こえた。その声の主、彼女こそは僕の命の恩人――僕がエレクトラと呼ぶ存在だった。

「……暗いのばっかりはなんとかならないか、いやそりゃあ僕だってわかるよ、無くても僕と君には支障ないって、でも慣れなくて……」

「それを言うならさ、キミ、ご飯を用意してくれって言う方が先なんじゃないかい? ボクだってお腹は減るんだよ、今までずっと食べてきてたキミなら尚の事堪えるんじゃないかい」

「まあ……それは、そんなに無理を言っても詮無いことだから諦めも付くってものだよ。それに」

僕は右腕を持ち上げた。持ち上げても視界はまったく変わらないので、エレクトラがどれぐらいどの感覚に優れているのかもわからないが、もし僕と同じぐらい視覚をたのんでいるのであれば何の意味も無いことをしたことになる。

「この体なら、むしろ食べないほうが気分が出るよ」

「そうかい。じゃ、もう出発してもいいかな。説明は歩きながらしようか、と言ったって5分も歩くわけじゃないけど」

彼女はそれだけ言って、あとは僕が恐る恐る足を繰り出して道を進もうとしているのを、……見守っていた、ように思う。何歩か進んでから――おそらくその一歩一歩もよほど歩幅の小さいものだっただろう――ついに見かねて、僕の手は彼女に持っていかれた。誘導さえあれば、何倍でも早く歩けるのが面白く思えた。

 1分も歩いていないようなところで、彼女は僕を止めた。ほら、とだけ言って壁に僕の手が押し付けられる。そこにあったのは勝手知ったる質感そのものの、いつも掘っている坑道トンネルの強化壁――いや、少しだけ違う、気がする。ざら、と掌を壁に擦ってみる。それから、指を弾いて音を出そうとしてみたけれど、これは意味が無かった。最後に――

「気づいたかな。そう、これこそがボクが改良したシールド壁さ。強度ならキミのやり方より大分高くなるし、マナも阻害しにくい。ちょっと構造を工夫してね。だから、要所要所で強いものを作りさえすれば、あとは岩盤に近い組成を持たせられるんだよ」

「なるほどね、道理で……」

まだ全然気づいていなかったが、全部解説してもらえたのでしたり顔をした。やはり暗闇の中なので、彼女に果たしてそれが見えたかどうかは定かではない。

「この壁さえあれば、ボクは1人で作業したってキミらが2人がかりで作業してたときの5倍ぐらいの速さが出せる。全周にくまなく張る工程がボトルネックだったからね。で、ボクは昨日の作業でコレの作り方を完璧にマスターしたってわけ」

「……まあ、僕の考えは全部頭に入ってるんだろ、文字通りに。なら、経験は僕と同等なわけだ。悔しくは無いさ」

「悔しがってもいいよ、それで能率が上がるんならね。それで、キミに頼みたいことはもう言ったね。瓦礫をよけてくれ、そうしてくれれば速さは10倍にだってなる。作業が進捗するのはキミにとっても悪い話じゃないだろう?」

ほら、と示されたのはたぶんトンネルの先だ。もともとどこもかしこも暗い闇の中なのに、そのトンネルの行く先を見やれば、それが下り坂になっていることも相まって、そこはもしや悪魔の潜む洞穴にでもなっているんじゃないかという気がしてくる。そこに彼女は僕の手を引っ張ってずんずんと進んでいく。それはもう進んでいく。悪魔がいたとてなにか問題になり得るか、とでも言わんばかりに。

 僕は言葉を返さなかった。そもそも、僕に選択肢は無いのだ――いくらかでも気が紛れることを提供してくれている、とさえ思える。彼女だって、そのことをわかっているのだ。僕に選択肢が無いことだけではなく、選択肢がないから嫌々やるのですらなく、むしろほんの少しだけ良い気持ちになることで、しかも効率の良さが伴うから正当化もたやすいことだ。そういった、僕にとって全く否定する余地の無い、あまりにも都合の良いところを正確に突いてくるので、僕は感情的にも、実利からも、あるいはなんとなくといった面からすらも封じ込められてしまった。そんな状況がわかっているからだろう、彼女は僕の応答を待つことなんかしなかったのだ。

 こん、こん、と2人分の足音がトンネルの中を反響し続ける。目には暗々しいこの道は、耳を傾ければ日のそそぐ森がごとき明るさで、触覚を以て見ればやはり壁が簡単にわかるのに、香りは無い。空気に味を見出す人がいれば別だが、味覚も当然無い。五感の過半数では何も感じられないのに、残りの半分足らずを使えば恐ろしいほどに豊かだった。

「着いたよ。ボクが岩を砕いてシールド構築をやるから、その間にキミは砂礫化圧縮をして。やり方は……わかってるか。そろそろ疲れすぎて嫌だな、ってタイミングで休憩は挟むから、その点は安心して。じゃ、やるよ」

トンネルに残る音は、あとは足音の残響と、今の彼女の言葉だけだった。僕の声は、当然加わっていかない。そこに爆轟音が割り行って、すべてをかき消した。

 岩が切り出され、そして砕ける。エレクトラの指先と岩の中のマナ性の鉱物 (おそらく苦鉄重城鉱だ) の間に目に見えない繋がりが一瞬のうちに発生し、そしてそれが岩同士のつながりをまた次の一瞬一瞬が過ぎるごとに完膚なきまでに打ち壊していくのだ。そのやり方自体は、僕だってよく知っている。

 僕が肝を冷やしたのは、その早さだ。まるで砂場の城を蹴飛ばすみたいに、それが崩れ去ったら何か支障が起きうるものかとばかりに、豪奢な馬車めいて大きく感じられる岩の塊がだりだりと岩石に分割されていく。僕だって慌ててそれを彼女に当たらない進路に逸らしているのに、そしてそれがために岩を砕くのに気など欠片も回せないのに、壁の構築は間に合ってしまっているのか、すっかりこのトンネルの先端は蛇が通るような隙間だけ残されてあとは岩塊のマンションになってしまった。そんなになってから、彼女はようやく動きを止めた。

「気持ちはありがたいけど、ボク自身が砕けないように作為はしてあるよ。マナ制御だったらボクに一日の長があるんだ、信頼してほしいね」

「そうは言っても、そんな豪胆に振る舞えるほど心は強くないさ、僕がビビって動けなくなるようだとどのみち進まないだろ」

「我慢してくれ。……と言ってなんとかなるわけでもないか。ほら、岩塊の砕けるのを見るときには、キミだって反射マナ線を使っているんだろう? ボクの2次マナ線をよく追ってみてくれよ。ほら」

「……区別がつかない。どれがどうなってるんだ?」

彼女はまた岩塊を一つ切り出したが、それは僕からすると、単に手刀で空を切ったようなものにしか見えなかった。

「わかんないか。今のだと、ボクから見て左に陰圧が生じるようにしてやったんだ。だから重心だけで言えばボクに直撃してもおかしくないやつが、大きく外れていったってわけ」

わからない。全然わからない。岩の外れたトンネルの壁面からぱらぱらと小石が落ちる。それのどの一つでさえも彼女には到底当たらない軌道を取って、床面に散らばり転がっていった。その小石は僕だ、と思った。

 信じられないならもう一回、とばかりに彼女はまた前面を吹き飛ばし、また粉々になったものたちは彼女を疎んじてでもいるみたいに近寄りもしない。それで、ふとどうして僕にこれがいるのか、そこに疑問符が付いた。真っ暗な穴の中にいることには変わりが無いのに。

 そして、その答えは今さっきエレクトラに言われたところだった。僕が指向性を持たせて弱いマナ線を照射してみると、それが跳ね返りまわって辺りをはっきり縁取るのがよく見えた。一度気づいてしまえば、この場に溢れるマナ線が暴風に揺れる木の葉の音の如くうるさくすら思えるのに、何が何だか見えてなどいなかった――まあ、そういうものだろう。

 あとは知ったかぶりをして、体裁を保っておけばいい。

「なるほど、わかった。……念の為、もう一回だけやってもらってもいいか」

「……いいよ。ほら」

今度ははっきりとわかった。彼女が減圧しているのであろう区画とそうでない普通の空間が、水彩絵の具で色分けされたように、境界こそはっきりとはできないものの、その違いは鮮やかに見て取ることができた。思わず感嘆の声を漏らしてしまったが、

「じゃ、そろそろ休憩も終わりにしようか。キミも調子が上がってきたんじゃないかな、これで?」

そうでなくとも彼女は僕の見栄っ張りを看破できていたのだろう……から、気にしないことにする。

 暫くの間、僕はパン粉を作るみたいにしてエレクトラの投げてきた岩々をすり下ろしては固め、そうやって道を確保し続けていると、ふっと夢から覚めたかのような感覚を覚えた。単に夢中になって作業を続けていたところから集中が途切れただけだったが、それでちょっと飛んでくる岩への対応が遅れてしまった。別にだからといって何ということも無いのだけれど、その岩はどしんと地響きを伴って僕の斜め後ろに着地して割れて、砕くべき塊が2つに増えてしまったことが少しばかり面倒に思われた。

 ところで、岩には全く別に気にすべきところがあった。それを僕は振り向いてから初めて気づいて、一回早とちりによって腰を抜かしそうになってしまった。見ると、劈開性があるように見えるほどに、すっきりとした断口をしているのだ。もちろんこんなサイズの岩が単一の鉱石ということは……まあ、あり得ない。日の光が弱まったから空を見上げたら、雲がかかったのではなくて日食が始まっていた、というぐらいのあり得なさだ。無いとは言わないけれど、普通気にしなくて良い。

 そうやってぼやっと思考に耽溺していたせいで、また次の岩が地響きを起こすまで、エレクトラは相変わらず甲斐甲斐しく働いているのだということを忘れていた。

「……エレクトラ! ちょっと一旦ストップしてくれ!」

「なに、緊急事態!? まず身の安全と退避路を確保して! それから――あ、違う? ……じゃあ何? ボクの手を止めるほどの価値のあることじゃなかったら……」

「僕がサボりたかったから、だったら駄目か。今回はそうではないけど、ほらこれ」

そういって僕が指し示したのは、すっかり同じ向きに割れた2つの岩塊――割れているのでもう4つと数えたほうが良いか、だった。

「僕だって何年も鉱夫をやってるんだ、これが自然な割れ方じゃないことぐらいはわかる。で、僕がわかるってことは」

「……ボクもわかる。でも、これがどういう理屈でそうなってるのかは……ああ、なるほど」

エレクトラはこの割れの向いている方に首を向けたかと思うと、あっという間に得意げな顔になって僕の方を向いてきた。僕も倣って割れの向いている方を向く。……向いただけで、何もわからない。

「キミの知識じゃたぶん足りないよ、マナ周りだからね」

「道化みたいじゃないか、僕が」

けらけらと笑われて、そのたびに彼女と僕の金色がゆらめいた。

「ごめんごめん、わかるように説明する。背景にマナ線があるんだ。この割れた方向からまっすぐ、ずっと奥深く、どこからか放射されてるマナ線がある。これだけ岩石の整列に影響を及ぼせるんだから結構な強度のはずなんだけど、反射もしてないマナ線単体を探り当てるのって難しいからね。見えるかい?」

言われても全然見えない。僕は首を横に振って、彼女はそうかい、とだけ答えて話はそのまま進んだ。

「このあたり、ほとんど同じ方向のマナ線がよく見ればけっこうある。たぶん同じマナ源からの放射マナ線だ。と思うと、マナ源はかなり遠いはず――近ければ、このマナ線同士の角度がもっとはっきり分かるはずだからね。……かなり遠いのに、この強度を持つってことは、さ」

「……化け物じみたマナ源がある、ってことだろ」

「そして、それだけマナがあれば、ボクはキミの肉体をまず間違いなく復活させられる。良かったね、このおそろいの金ぴかボディともおさらばできる目処が立ってさ!」

彼女の口角がチェシャ猫になった。たぶん僕もそうだっただろう。相も変わらず闇の中のこの坑道が、その知らせだけで黄金の国になった。

 彼女が自身の胸を叩いて響かせた音は、もしかすると福音の鐘のつもりだったのかもわからない。

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