オルゴール

この部屋から出ていくと決めて


わたしは準備を始めた


お気に入りのマグカップに


ないと未だに眠れない小さなぬいぐるみ


色んな風景を写した一眼レフに


読む度に泣いてしまう文庫本


そんなわたしのこれからに必要な物たちを選ぶ作業は


これまで自分を形作ってくれた物たちに別れを告げるようで少し寂しかった


ひっそりとなにも言わずに佇む物たちを


ひとつひとつ手に取って


ありがとうとさようならを呟いた


気付くともう夕方で


少し日の短くなったこの部屋にはもう秋の夕日が差している


部屋の隅


最後に残った小さな机の


ひとつきりの引き出しをあけると


カタリと音が鳴って奥の方から小さなオルゴールが出てきた


小さい箱の横にあるゼンマイを回す


カチカチと手のひらから振動が伝わって


蓋をそっと開くとメロディーが流れはじめた


不意にそれが胸を締め付ける


思い出すのは冬のあの日の光景


雪に反射する透明な光


冷たい空気の匂い


キミの口からこぼれた白い息


まっすぐ見れなかったその横顔


こんなところにわたしは


一体いつの間にあの時間を閉じ込めていたんだろう?


あんなにもくっきりとした輪郭の全てが


もう何処にもないこの喪失を


気付かないままに…


ゆっくりと


静かにメロディーが止まる


わたしはしばらく動けずに


それでも夕日がゆっくりと沈む頃


そっと小さな箱の蓋を閉じた


机の上にコトリと置く


窓から流れてきた少し冷たい藍色の中に溶けてゆくそれはまるで


小さな映画館みたいに何度も何度もあの日の思い出を流しているのが分かった


わたしはちっぽけなカバンをひとつ抱え


振り返らないように部屋を出ると


後ろでバタンと音を立てて閉まったドアが


ひとつの季節の終わりを告げた




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