第12話 前途有望(ぜんとゆうぼう)
海藤印刷社長室――――
澤井「ここが社長室です。志郎さんの城・・・ですかね。」
社長室には応接セットに大きな本棚とPCがあった。床はタイルカーペットが敷き詰められ華やかさを演出していた。
麟「意外に広いんですね、社長室。」
澤井「ええ、20畳だったかな、それくらいはあります。」
麟「祖父も父もここで仕事をしていたのですね。なんだか
澤井「さて、社長、今日はここで従業員挨拶用の動画の撮影を行います。」
麟「動画?動画ですか???」
澤井「今、10時30分です。この後13時30分から従業員を集めて工場入口で挨拶をしていただきます。しかしながら今日が休みという従業員もおりますので、いつでも何度でも見返せるように動画にしようと考えました。また社長自身にも定期的に見返していただき、自身の挨拶と今に矛盾がないかチェックをいただける・・・そう考えております。」
麟「なるほど・・・・・・って突然過ぎません?」
澤井「何か問題がございますか?」
麟「いえ、そういうことではなくてですね・・・」
澤井「どのようなことでしょう?」
麟「えっと、いえ、大丈夫です。」
麟は『映え《ばえ》ってものがあるでしょうよ!メイクとか、ヘアメイクとか、部屋の装飾とか花とか、残すものなら尚更にそういうことに気を遣えー!!!』と言ってやりたいのを必死に我慢した。動画に残すアイデア自体は良いことだと思ったからであった。
澤井「では、撮影のセッティングを行いますので、こちらに掛けてお待ちください。」
澤井はそう言うと内線電話の受話器を持った。
澤井「林君かい?うん、そうそう。今良いかな。ありがとう。ではお願いするよ。」
10分後。
コンコンコン―――
どうぞと返事をすると「失礼します。」と手に三脚を持った林が入ってきた。
麟「あ!林さん、先日はいろいろお世話になりました。」
麟は立ち上がり、林に向けて頭を下げた。
林「急な訃報でさぞ大変だったことと存じます。あれは少しは役に立ちましたか?」
麟「はい。おかげさまで滞りなくいろいろと手続きできました。」
林「それは良かったです。」
林はチラリと澤井を見る。
澤井「社長、すでに面識はお有りだと思いますが、あらためて紹介させてください。ウチの総務課課長の林です。」
林「あらためまして林と申します。よろしくお願いいたします。」
澤井「林君はウチのエースとも言える優秀な男です。経歴もなぜ大手じゃなくウチに来たの?というくらい素晴らしいもので・・・」
林「専務、先に撮影を・・・」
ニコニコしながら話を遮る林。あ、ああと言葉を発する澤井にクスリと笑う麟であった。
林「あの専務、ちょっとよろしいですか?」
澤井「ああ、どうぞ。」
林「アシスタントとしてウチの若手を呼びたいのですが、構いませんか?」
澤井「お、おお。構わないよ。」
林「ありがとうございます。」
林はそう言うと、ちょっと失礼しますと社長室を出た。
5分後。
再びノックの音がし、林が入ってきた。麟と変わらないくらいの年齢の女性を連れて。
若林「わ、わ、若林です!よ、よろしくお願いいたします!!!」
澤井「アシスタントは若林君か。よろしくね。」
麟「海藤麟です。よろしく!」
林から次期社長だよと声をかけられると、
若林「あ、あ、よろしくお願いいたします!」
林「まだ入社したてなもので、可愛がってやってください。」
まだ堅い雰囲気を若林の出現で和やかなものに変えたのは林のファインプレーであった。
さ、撮影始めるよと若林に声をかけると、え!?と若林は驚くような顔をした。
若林「あの、今から、このままで撮影するのですか?社長のメイクとか、ヘアメイクとか、そういうのはこのままですか?あと画角とか、照明とかはどうしますか?」
横で林は笑いそうになるのを必死にこらえながら、
林「専務、だそうです。どういたしますか?」
と声をかけた。
澤井「すまない。こういうのはちょっと想像していなかった。普通に撮れば良いものだと、それしか考えてなかったなぁ。」
林「若林さんは大学で映画研究会に所属していたので、お任せしませんか?」
澤井「社長、若林君に任せても良いですか?」
麟は笑顔で一言。
麟「若林さん!ありがとう!よろしくー!!!」
林のファインプレー2回目である。前日に澤井からカメラあったよね?と声をかけられた林は「何を撮られるのですか?」と尋ね、澤井の考えをあらかた聞いていた。新社長は若い女性で、従業員には初のお披露目となる。記録に残るのなら事前の準備はいろいろと必要そうだと思いながら、どうやら澤井はその辺のことを考えていないらしいことを察した林は一計を案じていたのである。
林「さすが若林さん!社長の許可も下りたし、ここは初仕事といこう!さ、打ち合わせ打ち合わせ。」
林は麟と若林を促し、ソファに座らせると
林「それではお二人で必要な準備の打ち合わせをお願いします。私と専務は午後の会場準備をしていますので、12時にまた参ります。」
若林「え!?えええ!?社長と私だけですか?」
林「二人でええやろ。ここはおっさんはおらんほうがええって。撮影に関しては君のほうがプロや。おっさんが口出すとおもろなくなるやろ?」
麟「林さんは関西出身…なのですか?」
林「あ、これは失礼しました。丁寧にお話しするときは標準語で大丈夫です。」
林はそう言うとニコリと微笑み、澤井と二人で社長室を後にした。
麟「出ていっちゃいましたね。さて、何から決めましょうか。」
若林「あの、社長は華やかにしたいとか、厳(おごそ)かにしたいとか、何か希望はありますか?」
麟「そうですね、ビシッと引き締まった感じにしたいです。」
若林「引き締まった感じですね。スーツは今着用されているものを使うとして、メイクはやり直しましょう。」
麟「メイク、ダメですか?」
若林「いえ、ダメとかそういうのじゃないです。カメラを通すとどうしても立体感が出にくくなるので、メイクでそれを補うんです。レフ板があればいろいろ工夫もできるのですが、ここにはありませんし、お部屋も暗めなのでカメラで見ながら微調整したほうが良いと思います。」
麟「若林さん、すごい!」
若林「大学で勉強せずにずっと撮影してましたから。クセみたいなものです。」
若林ははにかみながらも嬉しそうであった。麟はふと動画に残すこともデジタルプリンティングと言えるのではないかと考えていた。思いを伝える手段は活字だけじゃない。『暮らしを便利に。感情を豊かに。思いをあなたに。』海藤印刷の経営理念にもマッチする。麟はそう思った。
麟「ねぇ、若林さん、海藤印刷の広報を担当してみない?」
若林「え!?私がですか?いえいえ、まだ入社したばかりで何もわかってないのに、そんな大役は…」
麟「もちろん澤井専務や他の方々とも話をしてからだけれど、ウチには広報部門無いでしょ?新しく始めることに社歴なんて関係ないわよ。それにこの広報は海藤印刷の新しい事業になると確信してるの。」
若林「あの、失礼ですけど、社長は私と同年代ですよね?」
麟「若林さんも今年卒業?」
若林「そうです。3月に卒業しました。」
麟「なら同期だね!」
若林「いや、同期というのは…畏れ多いというかなんというか…」
麟「今の海藤印刷には若い感性が必要なの。アナログとデジタルをどう融合させていくか、アナログだけでもダメだし、デジタルだけでもダメ。だからどんどんアイデアを出してほしいの!今みたいに!!!」
若林は目を輝かせながら未来を語る麟に憧れた。大学の映画研究会では裏方として陰に隠れた仕事しかしてこなかった。演者をするには地味だと言われ、撮影技術をコツコツ学んできたことがまさかここで役立つことになるとは思ってもみなかった。そして4年間が無駄じゃなかったという思いと、それを褒めてくれる人に出会えたことが何より嬉しかった。
若林「ありがとうございます!私、やりたいです。」
麟「うん!やろう!絶対成功させようね!」
その後、今回の撮影について打ち合わせた結果、今日の撮影は無理だという結論に達した。
12時。
澤井と林が戻って来ると、麟は二人に伝える。
麟「今日の撮影は明日に延期します。いろいろと準備が必要なので、今日は無理です。」
ええ!と驚く澤井と、やっぱりそうなったかと、うなずく林が対照的であった。
麟「詳細については若林さん、説明をお願い。」
若林「はい。社長と打ち合わせをした結果…」
若林は端的に現時点で足りていないことの説明をした。
澤井「いやはや、撮影はすぐにできるものではないのですね。これは私の失態です。」
麟「澤井さん、そうじゃないのです。私も初めてでしたし、良い勉強になりました。こうやっていろいろ新しいことを経験していくのは楽しいですよね!」
林「そうですよ、専務。今まで動画に残すなんて無かったわけですから、若林さんがいてくれて良かったということですよ。」
澤井「では、私も学ばせてもらうよ。若林君、頼むね。」
若林「はい!頑張ります!」
これが後に海藤印刷の経営を支えることになる広報部門誕生の瞬間である。
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