第11話 意気軒昂(いきけんこう)
帝国銀行の成田との約束の日。麟はすでに海藤印刷応接室で成田の到着を待っていた。
澤井と談笑しながら成田を待っていると、内線が鳴る。先日と同様に澤井は電話に出ると通すように伝えた。
コンコンコンとノックの音が聞こえると、帝国銀行の成田さんがお見えです、と声がした。
どうぞ、と澤井が応える。
成田「失礼いたします。おはようございます。今日はお二人ともニコやかですね。良いお話になりそうですか。」
澤井「まぁ、成田さん、どうぞかけてください。」
澤井は成田に座るよう促し、コーヒーで良いかと問いかける。お気遣いありがとうございますと成田が応じ、応接室はまだ和やかな雰囲気であった。
成田「さて、お返事を聞かせていただいてもよろしいでしょうか。」
麟「まず先に結論からお伝えします。海藤印刷は今回の買収には応じません。」
成田「え!?本気ですか?」
麟「本気です。澤井とも相談しましたが、私が次期代表取締役に就任します。」
成田「………。」
成田はふぅと息を吐くと、メガネをクイッと上げた。
成田「あのですね、失礼を承知で申し上げますが、他業種ならともかく印刷業の経験も無い、大学出たてのお嬢さんに何ができるのですか?大手印刷会社の傘下に入れば経営は安定し、従業員の待遇もよくなるかもしれない。あなたが経営をして、大手と同じことができるのですか?ましてあなたには少なくとも20億の大金が入るんですよ!何でもやりたいことができる、働く必要すらない。それが先代の遺してくれた財産だと思いませんか?」
成田の言葉は麟が予想した通りであった。なので腹も立たなかったし、何より『感情を表に出してはいけない』の教えは身体に叩き込んできていた。
麟「成田さんのお申し出はありがたいと思っています。私も正直なところ、一瞬は20億に目がくらみそうでした。ですがお金よりも大切なものが海藤印刷にはあることに気が付きました。なので買収には応じられません。」
成田「何です?お金よりも大切なものというのは。」
麟「思いです。」
成田は再び、ふぅと息を吐く。
成田「あのですね…」
言葉を続けようとした成田を澤井が遮(さえぎ)った。
澤井「成田さん、あなたの言いたいことはよーくわかる。私も同じだったから。言いたいでしょう『甘い!』って。思いだけで世の中渡っていけるなんて思うなよ!って。いや、本当にその通りですよね。ウチの社長は甘いんです。」
澤井はコーヒーを一口飲むと、続けた。
澤井「でもね成田さん、私はその甘さが海藤印刷の良さだと思うのです。世の中に1つや2つくらい甘い会社があっても許されるでしょう。日本という国はそこまで懐の狭いところじゃないでしょうし、思いを優先する会社があっても罰(ばち)は当たらないと私は思います。何も具体的ではないですけどね。」
成田「専務までそのような戯言(ざれごと)を言っててどうするのですか。資金難なのでしょう。安定的な経営をしたいと話していたのではなかったですか?」
澤井「そうでしたね。ただ社の方針を決めるのは社長であり株主である麟さんですから、私があーだこーだ騒いでも仕方ないでしょう。」
成田「いやいや、社長を説得するのは専務の仕事・・・」
澤井は再び成田の話を遮る。
澤井「私はね、ここにいる海藤麟社長についていくと決めたのですよ。だから社長がやりたいことをやれるようにお手伝いすることが私の仕事なんです。社長が売らないと言っているのであれば、どうすれば売らずに済むかを考え実行する。私が説得することなんて無いのですよ。」
成田「融資は?融資の話はどうするのですか!?」
澤井「融資か・・・困ったな。資金に余裕が無いのは事実だし。社長、どうされますか?」
麟は温かいお茶をゆっくりと飲む。
麟「この地域には銀行、信用金庫はどれくらいありますか?」
澤井「帝国銀行、四菱銀行、あと地銀が三行と信用金庫が一行です。」
麟「帝国さんがダメだとおっしゃるなら、他を当たってみましょう。」
澤井「承知しました。ということです、成田さん。」
成田「本当にそれで良いのですか?ウチが支援しないなら他は支援しないと思いますよ。まぁ、良いです。わかりました。私も下手な茶番に付き合うつもりはないので。ただ一つだけ言っておきます。御社は買収に応じたほうが良い。これは間違いない事実です。聞いた話だと従業員もそれを望んでいるようですから。」
澤井の表情が変わる。
澤井「どうして従業員が買収の話を知っているんだ?」
成田「さぁ、私は何も言っていませんよ。ただ風の噂に聞いただけですから。」
澤井「私以外に誰に話した?」
成田「いやいや、誰にも話してなどいないですよ。皆さんが大手の従業員になりたいって願望なんじゃないですか。」
その辺でやめなさいと麟が話を遮った。
麟「大手に行きたい者は行かせてあげます。転職でも何でも好きにすれば良いのです。その人の人生を縛るようなことは海藤印刷はしません。私は従業員から愛される会社を作りたいのであって、出ていきたい従業員を止めたいのではありません。まして従業員が望むからという理由で買収に応じることはあり得ません。買収の話はここまでにしましょう。ところで成田さん。」
成田「はい、何でしょう。」
麟「弊社を買いたいとおっしゃっている企業の名を聞いても教えていただけないでしょうから、その企業との橋渡しをお願いしたい案件があります。」
成田「案件・・・ですか?」
麟「はい。弊社の株式の30%を買っていただきたいのです。」
成田「は?30%ですか?何かメリットでもあるのですか?」
麟「わかりませんか?」
成田「資本提携ということですか?」
麟「ふふふ。ナイショです。」
成田「それだと先方にもお伝えできませんが。」
麟「可能性は無限大なんです。できましたら直接、先方とお話しする機会を設けていただけませんか?成田さんも手ぶらでは帰るに帰れないでしょう。」
成田「・・・。悩みますね。」
麟「帝国銀行さんから融資を受けられないのであれば、資金調達の方法を考えないといけません。今後は確実に利益を出し、高配当の会社にしていくつもりです。ですのでまずは私が保有する株式の一部を海藤印刷と他の企業に売り、海藤印刷には従業員持株会を作ります。割合は・・・どうしましょうか、20%くらいを考えましょうか。もし成田さんのおっしゃるように従業員が買収を望むなら、5割の株式をそちらが保有することもできるかもしれませんよ。まだ検討段階ですけどね。そしてゆくゆくはIPO(新規株式公開)を視野に入れます。」
成田「それは本当ですか?事実なら先方にも伝えます。」
麟「二言はありません。」
成田「わかりました。では今のお話を証明するものをお出しいただきたい。」
麟「そうですね。中期経営計画を作成して、お見せしましょう。」
成田「承知いたしました。経営計画はいつ頃完成しますか?」
麟「一ヶ月いただきます。」
成田「では一ヶ月後にまたうかがいます。」
成田が帰った後、麟と澤井は「してやったり」という表情をしていた。
二人はこの一週間、資金調達の方法を考えていた。配当をほぼ行わなかったために自己資本が膨らみ、自社株評価が高額になっていたことから株式会社の原点に立ち返り株主に利益を還元していく方向性を模索した。そしてどうせ利益を還元するなら従業員のモチベーションにもつながるように持株会を組織することを考えた。会社が利益を出し、その利益が配当という形で持株会に還元されれば、少なくとも今よりも仕事に対するモチベーションアップにはなるはずである。さらにいずれ株式を公開していけば従業員から『億り人』を出すこともできる!麟と澤井はそんな夢を共有したのである。
澤井「さて、買収希望者は一枚噛んでくれますかね?」
麟「どうでしょうね。噛みこんでくれるとありがたいですけど!」
澤井「それでは社長、従業員へ挨拶といきましょうか。」
麟「はい。」
麟と澤井は応接室を出て、社長室へと向かった。
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