第17話


 影喰い沼に取り込まれる中、アスフォデルスは過去を見る。それは死に瀕した時に見る走馬灯と同じ現象である。

 ――それは遠く過ぎ去ってしまった過去の記憶。

 最初は、口調を変えてみる事にした。

「あ、アルンプトラ」

「ん、どうしたんだいアスフォデルス?」

「う、うん実はね……いや違う、実はなこの前の事で聞きたいことが――」

 師匠の口調を真似てみた。堂々としてて格好良くて、私もそうなりたいと思ったから。……そうして師匠の口調を真似ていく内に、自分の口調がどんどん嫌いになっていった。

「何を作ってるんだい、アスフォデルス? もうこんなに夜遅くなのに」

「ごめんなさい師匠! 出来るまでちょっと内緒です……」

「何を作るにしても、あんまり無理はするなよ……」

 次に姿を真似てみた。師匠みたいになりたかったけど、骨格も肉付きも何もかも違う。なら、根本から作り変えなくてはいけないと思った。

 この身体は痛くて、辛くて汚い事ばかりだった。だから、新しい姿に……師匠の姿に生まれ変わったら人生が楽しくなる筈だ。そうじゃないといけない。

 師匠も凄い凄いと喜んでくれる筈だ!

「……」

 ――そして、師匠が消えた。

 一体どうして消えてしまったのか、それはわからない。血眼になって探したけど、師匠の足取りは一向に掴めなかった。だから、探すのを止めて待つ事にした。

 でも、ただ待つのは暇だったから一人でも研究をし続けた。魔術師は生まれ持った才能に技術の研磨を重ね、常に熟達者でなくてはならない。研磨をせず知識のない技能、知識という根本のない技術に価値はない。これが師匠に教えられた魔術師の基本だからだ。

「……そこにベゾアール石の粉末一ミリに乾燥マンドラゴラを二ミリ投入し撹拌。後に光と熱を伴った錬金術反応が起きれば、これを以てホムンクルス精製時の身体形成促進剤となす……」

 師匠を待つ間に手慰みで始めた研究だったが、アルンプトラが立ち上げたばかりのゴーレム教団を通じ魔術師ギルドを仲介してくれたおかげで世に出す事が出来た。

『これは……凄い、なんて革新的な技術だ』

『素晴らしい、素晴らしすぎる……』

 研究を出せば、出す度に皆褒めてくれた。凄い凄いと言ってくれて、幾つかの技術は多額のお金を産んだ。

 でも、名前を売るのに対して正体を極力不明にしたのは……あのガノンダール一門にいた哀れな子供と今の自分を繋ぎたくなかったからである。

 魔術師アスフォデルスの名前は、時間と共に名誉と称賛に膨れ上がっていった。昔の私がいた痕跡もつぶさに消し、誰も私の正体――その本質を捉えられない様にした。人が見ていいのは綺麗な私だけだ。

 そんな綺麗な私が有名になればなる程どんどん気持ち良くなって、褒められる度心にゾクゾクとした、まるで底冷えする様な青い興奮を覚えた。

 鏡に映る、師匠の姿をした私は……なんて綺麗なんだろう。だけど、アルンプトラはそれを許さなかった。

「……なぁ、アスフォデルス。もう止めにしないか?」

「何をだ? アルンプトラ」

「……君の師匠の真似だよ。こんな事、続けてたらいよいよおかしくなってしまうぞ」

「どうして、そんな事を言うんだアルンプトラ……酷いじゃないか。折角、師匠になったのに」

「現に君はおかしくなってるからだよ! まともじゃないよ、こんなの! 師匠だって君にこんな事望んでいない!」

 そこから口論になった。今でも思うのは、どうしてアルンプトラは私を理解してくれなかったんだろうという事だ。顔の火傷もなくなって、綺麗な師匠の姿になった事の何が気に食わないんだろう。

 口論の度、何度かアルンプトラは堪えきれない物をむりやり飲み込む様に何かを言いかける仕草をした。それが一体何だったのかは今となってはわからない。けれど、最後に私がこう言うと――

「やだ、絶対にやだ。……あんな姿に戻りたくないもん。アルンプトラだって、綺麗で可愛い奥さんを娶ったでしょ? なんで、私だけ駄目なの……?」

 アルンプトラの奥さんは綺麗だった。優しくて、気立てがよくて……顔に火傷のない人だった。パルトニルの港町に本拠地を置いた大宗派の娘で、所謂綺麗な身分の人だった。誰だって結婚相手に選ぶ人だ。

「それとも、アルンプトラは奥さんと私だったら私を選ぶの? 選びっこないでしょ、顔には火傷で胎には切開跡。傷しかない女を選ぶ人なんていないよ」

 アルンプトラは言葉を失っていた。解ってる、誰だって傷なしと傷ありを選べるなら傷なしを選ぶに決まってる。

 凄く、酷い事を言ったと思う。でも、私だって譲れない事があるんだ。

「私は、男の人はいらない。子供だってもう産めなくていい。私すらいらない。私の人生は師匠になれればもういいの、私は師匠になりたかったの」

 師匠は綺麗で、私の憧れで、私の全て。私は師匠になりたかった。アルンプトラにはきっと解らないだろう、だってアルンプトラは師匠の弟子だけど対等で憧れなんて抱いた事はなかっただろうから。

 そこでアルンプトラはそれまで見た事のない様な顔をした。痛みに堪える様な。そうして居心地の悪い空気が数拍溜まった後、彼は振り絞る様な声で言った。

「……でもね、アスフォデルス。僕は、それでも君の事を家族だと思っている。君の事を愛してる……永遠に」

 それが、彼と最初で最後の口論の結末だった。そこから長い時の中で、私とアルンプトラの関係は何処か壁のある物になった。その壁の中で彼に子供が生まれ、成長し、孫が生まれ、何人かが彼より先に旅立った。私は研究に研究を重ね、果には賢者の石を精製し、そして今や師匠となった身体を更に拡張していった。

 身体を改造する度、自分が強くなっていく気がした。けれどアルンプトラの薄紫の目だけは真正面からは見れなくて、毎年のお誕生日のプレゼントだけが私と彼の壁を超える唯一の物だった。

 そうして、久しぶりにアルンプトラに会ったのは……永別の時だった。

 使い込まれた黒檀の香りが残る部屋だった。壁紙の色は深い血の色を彷彿とさせる赤、その中に真鍮製のいかにも高価そうな実験器具が幾つも置かれており、どれも丁寧に手入れされた痕跡を見ると部屋の主の性格が自ずと察せられる。……師匠の工房とそっくりだった。

「今日呼んだのは他でもない、形見の生前贈与の為さ。きっと喜ぶと思うよ」

 そういうアルンプトラは髪から何まで真っ白になって、一瞬本当にこれはアルンプトラなのか疑ってしまう程だった。でも声だけで解る、目の前にいるのは間違いなくアルンプトラだ。

 もう余命の長くないアルンプトラが、私に最後の贈り物をする為に呼んだのだ。

「……煩い馬鹿、何で喜べるんだ」

「まぁ、そう言わないでくれ――これは師匠の作品なんだから」

 私が目を擦り、鼻を啜るとアルンプトラは用意していた黒い小箱を手に取る。上蓋を開くと、そこには青と黄と橙が混ざった淡褐色の球体が一つ。それはまるで目玉の様だ。

「これは……?」

「数十年前。師匠が君の元を去った後、独り立ちした直後僕の所に寄ってくれたんだ。その折に渡された物だ――師匠が残した最後の義眼だ」

 その日は、私の誕生日。

 それが彼から渡された、最後の誕生日プレゼントだった。


 ――そうして私に師匠の義眼を移植した数日後、アルンプトラが死んだ。

 アルンプトラが死んだ時、辛かった。

 生きていて欲しかった。いなくならないで欲しかった。

 けれど、彼はもう覚悟を決めていて。私は結局何も出来なかった。

 ――心が、割れる。割れる、割れた。


 いつの頃からか、考えてる事がつい口から出てしまう、言葉を我慢できなくなる癖がついた。

 アルンプトラが死んだ事は頭で理解していた、けれど認めたくなかったのだ。師匠だって生きているのかどうか怪しい、こんなに長い時間を経て死んでるって事を一度も考えなかった訳がない。……だから、私はそういう辛い事を認めたくなくて、昼も夜もずっと一人で話していた。

「“こんな事、続けたらおかしくなってしまうぞ”……私は、おかしくなんてないよアルンプトラ」

 どうしても孤独が我慢出来ない時は、人里に降りて人助けみたいなのをしてみた。私の美しい顔が崩れない程度に変装して、お年寄りにドアを開けたり、いじめられてる子を助けたり、時には暴漢や魔物を追っ払ったりした。

 そうして、名前も知らない誰かから「ありがとう」の言葉を言われる度、心の何処かが安らいだ。研究で得られる名誉とは違う、温かい人との繋がり。いつしか、それが研究以外の唯一の趣味になった。

『お姉ちゃん、助けてくれてありがとう』

 いい趣味、最高の趣味だと思った。

 いい事をすれば人から感謝されるし、悪い奴や酷い奴には――正しい暴力を振るえるんだから。

 あぁ、そうだ。もう一個私は趣味を見つけたんだった。力を振るう事だ。

 勿論、道行く人に暴力を振るったりなんて出来ない。ただ悪い事をしてたり、恨みがある奴がいるなら、そういう道理がある奴なら別だ。私は正しい事をしているんだもの。

 ――孤独に狂わない為に、怒りや憎しみを発露させるのも狂ってるのかもしれない。

『ほら、先生頑張って。遅い仕事なら誰でも出来ますよ? それともいよいよボケちゃったんですか?』

 あぁ、でも。

『威力は弱めておきました。決闘で死ぬより、生き続けて下さい先生。元弟子に逆上し、決闘を挑み、魔法を出せず、慈悲をかけられる……学者として、魔術師としては死んだ方がマシですが』

 あぁ、でも。

 屈辱を、怨念を返すのはただひたすらに楽しい。憎しみを返す事が、たまらなく楽しい。

 何故師匠やアルンプトラがいなくなって、お前だけが生きている。なんでなんでなんでなんで! お前の何もかもが間違っている、お前が教え育ててる人間も含めて何もかもがだ!

 自分が力に溺れ狂ってくのが、心の何処か冷めた部分で解った。別に師匠やアルンプトラがいなくなった事はガノンダールは関係ないのに。けれどそれを止める事は出来なかった。

 私は、また狂っていく。魂は歓喜と快楽の坂を乱高下する。

 ――その記憶を、影喰い沼は喰った。

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