第16話


 〈見えざるピンクのユニコーン亭〉の、間借りしたその一室。いつも女同士で眠っているそこで、バルレーンは軽口を叩きながらアスフォデルスに教えられた物を作る。床にはすりこぎや各種材料を入れた平皿、丸い金属の殻、露天で買った安い十字などが有る。バルレーンは床に腰を降ろしながら、渡されたメモを片手に手を忙しなく走らせていた。

「どうしよっかなー」

「……どうしたの、バルちゃん?」

 訊ねたユーリーフと言えば、今は同じく床に腰を降ろしながら賢者の石を扱う練習として魔力の糸を通して十体の手の平に乗る程のゴーレムを繰っている。小さなゴーレムはいずれも小さな人形をしており、手にはきちんと五指が揃っていた。小さなゴーレム達は今二体が取っ組み合いの喧嘩をしており、残りはそれを取り囲み野次を飛ばすフリをしている。

「魔術師ファルトールを見つけたんだ、ただ彼女の望む形では無かったよ」

「……そう」

 バルレーンが伝手を頼ると魔術師ファルトールの足跡はあっさりと見つかった。南方にあるスランという名の片田舎で、二百年前に一人の魔術師がしばらくの間逗留し亡くなった後、遺言に従って無名墓地に埋葬された。

 その噂を確かめにこの一週間南に足を伸ばしていた訳であるが、バルレーンの見立てではそれが魔術師ファルトールと見て間違いなかった。

 問題はこれをどうアスフォデルスに伝えるかである。

「なんて言おうかな」

「……真実って、どうしても傷つくものよ。無傷でいられるなんてあり得ない」

「確かに、そうかもしれないね」

 直後、彼女達二人に心臓を鷲掴みされる様な痛みが走る。バルレーンはすりこぎを取り落とし、ユーリーフは賢者の石の魔力操作を誤り魔力を注ぎ込み過ぎて人形を全て爆ぜさせ倒れ込んだ。それは誓約の履行を促す痛みだった。これが走る事はつまり――

「あの女、しくじったな……」

 バルレーンは胸を押さえながらそう言い、ユーリーフは痛みに悶えて死にかけの虫の様に蹲っている。……だが一瞬、ユーリーフの頭上に赤い二重円の光が浮かび上がると乱れた呼吸が整い始めた。

 次いで物音が一つ。屋根に四、階段に五。全員が軽装の盗賊――というよりは暗殺者と言っていいだろう。

 都市には何でもある。どうしても後ろ暗い需要を満たすに足る仕事も都市には存在する。それが、暗殺者という者達だ。

 ……得物は全員短剣であり、数人は毒を刃に滴らせている。僅かな屋根の軋み、階段を昇る際に殺しきれなかった音で装備と体格と体重。僅かに漏れる匂いで感情や魔力の励起をバルレーンは数瞬で測った。

「さて、誰かが来たみたいだね。心当たりはあるかな、ユーリーフ?」

「……バル、ちゃんは?」

 ようやく息を整えたユーリーフが、振り絞る様にそう言った。

 押し殺した呼吸と足音を僅かに響かせ、ユーリーフとバルレーンのいる部屋を何人かが取り囲む。

 ――それと同時。

 彼女が突然消え去った『眩暈通り』を西から東に駆け抜けながら探すファングインを八人で等間隔で包囲した。

 魔術師ガノンダールに高額で依頼された暗殺者ギルドの暗殺者達はその長い腕を回し、着実に彼女等に忍び寄っていった。選ばれたのは全て高額であるが腕の確かな者達であった。魔族のいる迷宮から脱出したという事実を彼は重く受け止め、本来暗殺者ギルドに依頼される倍の額を出し、腕の利く用心深い者達を雇い入れたのだった。

 そして、すみやかに手は下される――


 ×    ×    ×

 

 魔術師アスフォデルスを自らの邸宅に拵えた地下牢に繋いだ後、ガノンダールが行うのは待つ事であった。雇った暗殺者達が成功すれば、彼等に着けた影の魔族を通じ手紙がやって来る。約束では中に標的の耳や指も入ってる筈だ。それを見せて彼女の顔が更に絶望に染まる事を想像すると、心の片隅から昏い喜びが湧き上がってくる。

「……師父、こんな事もうやめにしましょう」

 ――だから、自らの弟子にこんな事を言われたのには我慢がならなかったのは当然の事と言えた。しかし、それを押し込め短く尋ねる。イシュバーンにあるガノンダールの邸宅兼研究所。水晶の灯に照らされる師父の一室の中。青い瞳の徒弟は一人彼に向かって諭す様に語り掛ける。

「何が不満なのだ?」

「こんな事はやはり間違ってます。確かにアスフォデルスがやった事は許せる事ではありません。しかし、それならもっと凄い研究をして真っ当に見返すべきなのです」

「……業腹だが、奴は儂を凌駕しておる」

「でも今だけです、明日師父が凌駕すればいいだけです! 貴方にはその力がある!」

 その青い瞳を持つ若い徒弟に対し、ガノンダールは正面から向き合い彼の両肩に手を置く。

「ニケフォロス、そなたは儂の元に来て何年になったかのう……」

 ニケフォロス。それが眼の前にいる青年の名であった。ガノンダールはこの場にいる全ての徒弟の名を覚えている。……今年入った十にも満たない童から、今は過ぎ去ってしまった者の名まで。

「今年で十四年になります」

「そうじゃな、この地に桜が芽吹く季節じゃった。御母堂から預かった日の事は覚えておるよ――じゃが、そなたは今日まで儂の事を理解しておらなかったようだな」

 尊敬する師父がそう言って、彼が思わず両目を見開いたのと。師父の影から魔物の触手が伸び、両足を這うに絡め取り、水音を残して影の中に取り込んだのは同時である。悲鳴すら上げる事なく徒弟はその場から消えた。

「そなたの言葉は正しい。しかし、それは手遅れの正しさだ。本当に止める気ならば儂が事を起こす前に言うべきじゃった――せめてもの情けじゃ、アレと違って苦しみは与えん。ただ混沌に飲まれよ」

 ガノンダールはある仕組みを使って魔族と霊的な結びつきをし、感覚を共有している。彼は影の中に取り込んだ徒弟が速やかに息の根を止められたのを感じた一方で、先程取り込んでから届かない苦悶の叫びを上げる彼女の鼓動を感じていた。喩えるならそれは、自らの身体が酸の水槽に付けられじわじわと溶けていくのと、脳という巨大な積み木から一個ずつ知識や記憶が抜けていくのと、性的な快楽を同時に味わっている感覚に近い。

 声も姿も分からないが、絶えず泣き叫んでいるのだけは感覚で直に伝わってくる。もう一時間程になろうか、心が折れるまであと少しである。

 ――その時、外から衝撃が走ったのを彼は確かに感じ取る。

「来たか」

 ――――。

 ――。

「あー、もう! いきなり行かないでよ、ファン!」

 ガノンダールの邸宅の門は高さ七メートル程。その弾け飛んだ分厚い鉄扉から現れた彼等を前に、ガノンダールの徒弟達は警護の為雇い入れた冒険者達と共に固唾を呑んだ。

 濛々と立ち込める土煙の中から現れたのは緑色のローブを羽織った銀髪の剣士、深茶色をした革鎧を身に纏った赤髪の女盗賊、黒いローブを纏った黒髪の女魔術師である。……その中で、ただ一人だけが驚愕の表情を浮かべ呟く。

「あ、あれはバルレーン……!」

 それは真新しい短槍を持った中年の男だった。

 緑色のローブの剣士は血走った眼を走らせながら両手で剣を握り、黒髪の女魔術師は漆黒の馬型のゴーレムに腰掛けながらそこにいる。彼等を取り囲む様に雇い入れた冒険者が即座に数十人やって来る。

「お、お前等何者だ!? ここを魔術師ガノンダールの邸宅と知っての事か!? これ以上の狼藉は法に則って大罪になると知れ!」

 衛兵代わりの冒険者達の奥。そう語ったのはこの邸宅の守りを任されているガノンダールの徒弟の一人だった。彼は自分と同じ様に黒いローブを纏った一団を引き連れ、背丈程もある錫杖を狼藉者達に向ける。理由を全く知らされていない彼等には、目の前の者達が突如現れた狼藉者に見えていた。

 そう誰何を投げかけられると、剣士は両手に握った剣を右頬の横に構える。しかし、それは彼女の右肩に手を置いて前に出た赤髪の女盗賊に止められた。

「よしなよ、ファン。人様の家に来たら、まずは自己紹介と来た理由を話さなきゃ」

 そう言うと彼女は両手を上げて話始めた。

「はじめまして、ボクちゃんの名前はバルレーン・キュバラム。緑色のローブがファングイン、黒いのがユーリーフって言うよ。ごめんね、ファンが扉吹っ飛ばして」

「一体何の用だ!」

「んー、すっごく簡単に言っちゃうとね。ボク達の仲間がここにいるガノンダールって人に攫われたからやって来たの。で、ボク等命を賭けた誓約を結んじゃったもんだからさぁ大変。耳と指をやたら狙ってくる荒くれ冒険者を退けて、誓約の履行を促す激痛が安らぐ方向を辿りながら、やっとこさここに来た訳……って、言ったら信じる?」

「仲間って言うのは?」

「魔術師アスフォデルス。今は金髪の十歳ぐらいの女の子の姿になってる」

「そうか、……何故その様な姿になっている?」

「話せば長いけど、色々あってね。ちなみにこれが誓約の証」

 そう言うと、バルレーンは古代語で短く《汝の姿を見せよ》と呟くと彼女の上げた右手の甲から赤色に点滅する、様々な呪文で形作られた五芒星の魔法陣が現れる。その形は確かに誓約の証であり、誓約の印の模様の複雑さは誓約の重さ、点滅は誓約の履行の催促、赤色は誓約主の所在を表していた。

 黒いローブの彼も魔術師であり、その様子が解る。幾許か落ち着きを取り戻した後、抑えた声音で言葉を紡いだ。

「誓約は確認した。しかし、我らもここの守護を預かる身である。お前達を到底通す事は出来ない」

「まぁ、そうだろうね。いやー、こういう時こそ盗賊の仕事なんだけど」

 ……もし今ここで黒いローブの魔術師が放った言葉に従えばアスフォデルスとの誓約に反する。もし誓約を破れば、瞬間三人とも立っていられない程の痛みが走り、即座に無力化され街の守護を預かる警吏に引き渡された後牢に繋がれるだろう。そうならない為普通ならば、バルレーンが忍び込んで侵入経路を確保するのが定石である。バルレーンがそうぼやいた時だった。

「ば、バルレーン! お前!」

「あ、おっちゃん。元気ー?」

 短槍の男が届かぬだろうと思って呟いた瞬間、バルレーンはそれを拾い首を右横に――彼の方に向ける。言葉は街でたまたま知り合いと会った時の様な雰囲気であった。

「悪いね、おっちゃん。折角誘ってもらったのに。……一度引き受けた仕事の依頼は裏切らない主義なの、ボクちゃん」

 ……不意に彼女達二人を覆う程の影が二つ生まれる。土塊で出来たそれは、七メートル程の大きさのゴーレム二体であった。両方とも人の五体を模してはいるが、指は四本。頭は目も口もなく、さながら巨大な泥人形と言った感じだ。

 それぞれの頭の上には青いローブを羽織った中年の男が二人おり、それがゴーレム遣いである。

「《汝は土を祖にした人の似姿。肋の代わりに形代を素、法陣にて胎動せよ――ゴーレム》」

 風に紛れ呟かれた呪文がこれである。身に纏った服や杖等、そこそこ裕福そうな装備品から冒険者魔術師ではなく、恐らく通常だと運搬や建築に携わってるゴーレム遣いと思しかった。肩入れする理由は恩か、それとも金か。

「こちらにはゴーレム遣いもいる。ここで引くなら、鉄扉破壊の件は特別に不問とする」

 黒いローブの男がばるレーン達に向け、交渉の落とし所を用意した。……通常の冒険者なら、巨体のゴーレムに対抗する手段など持っている筈がない。普通なら土のゴーレムに矢や刃や魔術は通じず、巨体で踏み潰されるのが関の山だ。

 バルレーンは赤瑪瑙の瞳を左に走らせファングインを見る。口を横一文字で結び、鼻で荒々しく息を吸い、左の目は大きく見開かれていた。まさに爆発寸前と言った様子である。

「惚れた弱みだ、しょうがないよね」

 そして、彼女は一切背後を振り向かぬまま。

「とりあえず、ユーリーフはボクちゃんとこいつらを相手にする。ファンは一発デカいの撃ったら、そのまま屋敷の中に入って探して――で多分アスフォデルスのいる所は結界張ってるから、その時はこれ使って」

 バルレーンはそう言って、後ろのファングインに放り投げたのは腰に付けていた茶色い麻袋だった。形は丸く膨らんでおり、中に何かが入っているらしい。彼女は右手でそれを手に取ると、一度こくりと頷いた。

 また、彼女の左腰から下。緑色のローブの裏には何かが隠れているらしい膨らみが見える。

「それじゃファン、――行って良いよ」

 そこで、返事よりも速く緑ローブの彼女は疾駆する。ファングインは疾駆する中、両手に握った剣を肩に担ぎ――そのまま地面に向かって振り下ろす。

 瞬間、衝撃音と共に八メートルもの大粉塵が生まれた。

「うー」

 土煙を裂いてファングインが現れたのは、その直後であった。たったその一振りで、この場にいる全員の隙を突き緑ローブの剣士は再び跳躍。右手側の壁側面に足を着けると、そのまま壁横を全力疾走する。

「何をしている! 塞げ、入り口塞げ!」

 黒いローブの男がそう叫ぶと、同じく黒いローブを纏った魔術師数人が呪文を手早く唱えると、黒樫の正面玄関の前に二十センチもあろうかという分厚い岩壁が三枚一列に生まれ、扉を塞いだ。上にも下にも滑り込める隙間はない。

 それに対しファングインは、両手に握った剣の切っ先を前に向けると――再びの破裂音と大粉塵である。しかし不思議な事に先程の物とは違い、土砂や岩の破片が飛び散る事はない。そして粉塵が薄れ、やがて晴れきった時に現れたのは――

「なんだ、ありゃあ?」

 そう漏らしたのは、この場に集められた冒険者の一人だった。それは奇妙な光景であった。

 ――正面中央の岩壁が中央から破られ、そして再び塞がれたと思しき光景である。壁の真ん中には一旦爆ぜ砕かれた後、破片は再度元通りに収められた様に嵌っていた。たった一瞬で、である。

 戦鎚を持った戦士がファングインを追う為、岩壁に向けて鎚頭を振り下ろすが、更に奇妙な事に強度は元の通りであった。壁は砕けず、ただ反動だけが柄を伝わるだけだった。

 それどころか、どういう理屈なのか岩壁には中心から圧力が発生して収縮し続けており、甲高い音を立て硬さを増しながら少しずつ小さくなっていく……。

「とりあえず強いのが出たらボクがやるけど、それ以外はユーリーフお願い」

「……任せて、バルちゃん」

「あ、後注文が一つ!」

「……なにかしら?」

「――見敵必殺、こいつ等を生かして帰すな」

 バルレーンのその言葉に、ユーリーフは魔力の糸を手繰ると腰掛けていたゴーレムの馬が、まるで本物の様に一度嘶いた。

 鋼鉄の悍馬の不気味な駆動に、周囲の空気が途端張り詰める。

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