第12話


 しばらく経ち、気分の沈んだファングインを何とか奮い立たせて一行は再び迷宮の奥へと進んだ。ただ問題は依然として山積みである。

 死脳喰らいを倒したのはいいが、一番はやはりアスフォデルスが自力では立てなくなった事だろう。これに関しては魔法銃等の装備は荷物持ちのゴーレムに預け、身体自体はファングインがそのまま抱き抱える事になった。

 ここで問題となるのは、ファングインの腕が一本塞がるという点である。戦闘力の低下は避けられないだろう。

 更には先程の戦闘で、アスフォデルスの血が大量に漏れたのが思わぬ危機を呼んだ。彼女の血臭に釣られ、他の階層から魔物達が集まり始めたのだ。

「重たい足音が三、独特の風切り音は角持ちの証。って事はミノタウロスだなこれ」

 現在十六階、下の階から階段を上がって本来はこの階のいない筈の魔物がいるのをバルレーンは音だけで判別する。彼女はいつもの調子を崩さずなんでも無い風に言うが、状況はあまりよろしくはない。

 バルレーンの針も無限ではない、なにせ先程の魔族との戦いでかなりの量を消費した。更にはユーリーフは奥の手のゴーレムを失い、今は戦闘力が半減している。

「ユーリーフ、アスフォデルスの具合はどう?」

「……目に見えて衰弱してる、今は何とか回復魔法の治癒力が上回ってるけど……多分このままじゃ迷宮の奥に着く前に」

 現在アスフォデルスの肉体は衰弱していた。両の目を閉じ意識はなく、呼吸はまばらで荒れている。戦闘の代償は時間が経つに連れて大きく響いてきた。そんな彼女に対し、ファングインは左手で守る様に彼女を抱えながら周囲を警戒していた。

 無理矢理ごり押しで押し通っても、戦闘を避けて進んでもこのままではアスフォデルスは死ぬだろう。そもそも絶対的にアスフォデルスの時間が足りない。

「しょうがない、ちょっと本気出すか」

 瞬間、彼女は背後の殺気を辿り右手に針を収めて一閃する――一刹那の中でバルレーンの赤い血が針に纏われ、それはまるで赤い長剣の様になった。

 時も凍える速度で壁を斬りつけると、壁には鋭い切断面が刻まれる。するとそこから、ぼんやりと青白い幻影のローブを羽織った物が現れる。やせ細った上半身に、足はなく宙空をふわふわ浮いてるそれはレイスであった。呪法によって幽霊と化した、古代の魔術師の成れの果てである。

 倒すのは太陽の光を当てるか、僧侶の祈祷で払うか、銀器で殴るしかない。……この内銀の針は使い切り、通常の攻撃はご覧の通りすり抜け壁を斬りつけるだけだ。

「レイスはもっと奥の階にいる筈なんだけどなぁ……」

 苦笑しながらそう言う。いよいよ死霊までアスフォデルスを狙って来たらしい。現れたレイスは彼女達の頭より上の位置から、全員を射程に収めると古代語を唱え始めた。その証拠に死霊の両手の間には緑色の禍々しい光の球体が象られ始める。

「……バルちゃん!」

 血相を変えたユーリーフが叫び声を上げたのも無理からぬ事だった。それに対しバルレーンはにこやかな笑みを浮かべた後、右のつま先で石畳を軽く叩いてから彼女に向かって事もなげに言った。

「安心してよ、ユーリーフ。こいつはもう死んでる」

 刹那、バルレーンの右手が閃いたかと思うと、レイスが胸を中心にして宙空で体勢を崩す仕草を見せた。そして奇妙な事に瞬間、溶ける様に消えていく。

「幽霊は光を使うもんじゃない、光に消えるものさ」

 投擲したのは何でもない普通の針である。今回バルレーンが工夫したのは、それの使い方だ。眼の前にいたレイスが呪文を唱え魔力を具象化した時に針を投げ、相手の魔力を針に載せる事により攻撃を可能にしたのだ。狙ったのは心の臓。幽霊だろうが、ここを突けば死ぬ。

「ユーリーフ、ファン準備して」

「……な、なんの準備?」

「そりゃ勿論――心の準備さ」

 ファングインがこくりと無言で頷き、ユーリーフが意図を掴めず尋ねると、バルレーンは石畳に針を一本投擲する。途端彼女達を中心にして、規則正しく敷かれた石畳に無数の亀裂が入る。

 地面が崩落した。それまで迷宮を構成した石材は極細の破片となって、直下階の床に降り注ぐ。

 その瞬間、バルレーン・キュバラムは更に針を投擲。更に迷宮を破壊し落下し続けていく。

 先程、レイスが現れた時に床を数度叩いて硬度と厚さは確認した。後は一点、万物に存在する力の通り道を針で突けばこうなるのである。

「……いやぁっぁああああああああああ! 何考えてるの、とうとう狂ったの!?」

「まともにやっても辿り着けないなら、まともじゃない方法で行くしか無いよ!」

 喉が枯れる程絶叫するユーリーフを他所に、バルレーンは針を次々投擲して床を砕く。こうも砕いていけば迷宮が崩落する可能性が生まれるのだが、それを見越してバルレーンは落下する中で針を突き刺す。それは物の力、再生力と保持力を促す為の物だ。急に崩した迷宮の調和をそれで釣り合わせる。

「ファン、ボクはゴーレム。ユーリーフは任せる」

「うー」

 銀髪の大女にそう告げると、ファングインは了承の唸り声を上げる。砕いた床が二十九階層まで達した時、瞬間光が下から溢れた。

 バルレーンは二針を、そしてファングインは腰に吊るした剣を投擲する。次いでファングインは絶叫するユーリーフを左腕で彼女の身体を抱き寄せると、胸元に彼女の顔を押し付ける。ユーリーフの扱い方は解っている、こうすれば彼女は落ち着く。

「……剣士、様」

 ユーリーフが落ち着きを取り戻し、そう言った直後ファングインは先に突き刺さった剣の柄頭の上に。バルレーンと荷物持ちのゴーレムは針の上に着地する。

 辿り着いたそこは、光に満ちていた。良く見ると十階の休憩所の様に天井には光苔に満ちている。

 がらんとした大広間だった。約百二十平米の四角形の部屋には何もない。ア―チ状となってる天井と相まって、まるで荒廃した太古の寺院の様な印象を受けた。

 北側、壁の中央。そこに一つの扉がある。大きさは三メートル程。白い花崗岩で作られた両開きの扉だった。中央には花のレリーフが彫られている。白い六つの花弁が織り成す、その花の名はアスフォデルス。曰く不死の花。……師ファルトールが贈ってくれた魔術師としての名である。

 バルレーンは針の上から降りると、アスフォデルスの方に足を向け声をかける。依然意識は失っており、バルレーンは一度右手に針を出すと浅く彼女の胸を突く。すると今まで閉じられていた彼女の瞳がゆっくりと開いた。

「アスフォデルス、……アスフォデルス。着いたよ」

 ――合言葉を唱え、中に入るとそこにはまず百六十平米程の部屋がある。ランタンの灯が照らすのは整理整頓されたフラスコやビーカーや試験管等の実験器具達と、中が詰められた茶色い黒檀の本棚が十程佇み。シンプルな飾り気のない樫の机と椅子に、部屋の中央にあるのは星の運行を表す丸い巨大な天球盤と、幾つもの管が張り巡らされた全長三メートルはあろうかという巨大な水晶で出来た卵だ。

 言葉にできるのはそれ位なもので、後はこの場にいる誰もの頭にない表現に困る器具が所狭しと並べられている。部屋の奥や左右には幾つかの扉が設けられており、どうやら他の部屋もあるらしい。

「火を入れれば……少しは変わります」

 衰弱したアスフォデルスの声は弱々しい。アスフォデルス達は部屋の実験器具や素材を保存する魔術の状態が全て問題ない事を確認した後、部屋を稼働させる事にした。まず必要となるのは兎にも角にも魔力である。

 アスフォデルス達は部屋に張り巡らされた器具や魔術の状態が全て問題ない事を確認した後、部屋を稼働させる事にした。まず必要となるのは兎にも角にも魔力である。

「で、このずらりと並んだ瓶の置いてある部屋は何なの?」

 別室の一つ。十平米程の部屋の中には一メートル程の黒い瓶が左右にぎっしりと並んでいる。彼女が説明しようとした時、ユーリーフがおずおずと右手を上げる。まるで教師の問いに生徒が答える様に。

「……あ、あの当てても良いでしょうか?」

「どうぞ」

「……ありがとうございます。答えは、魔力電池ですね」

 黒髪の女魔術師がそう言うと、この部屋に所狭しと並んだ瓶の正体を見事に当てられアスフォデルスは笑った。

「正解です」

 魔力電池。この奇妙な響きの言葉は、詰まるところ魔力を発生させる装置である。

 瓶の中には銅筒が入っており、これに霊薬を満たすと魔力を自ずと錬金術反応を起こして電気を発生させる。発生させた電気をこの部屋の天井に取り付けられた管に通し、管に仕掛けられた魔術処理が電気と魔力を分けて部屋の様々な魔術を稼働させる仕組みとなっていた。

「本来なら、ワインを元にした霊薬で満たすんですが」

「うー」

 部屋の外からファングインの声が響く。それは何処か否定の色を含んでいた。というのも、アスフォデルスはファングインに頼み別の部屋の貯蔵庫を見てもらったのだが、恐らく放置して百年以上経っているので蒸発していると踏んでいた。案の定。声音から察するに、想定は当たっていた様である。

「まぁ、ワインは百年なら持ちますが二百年となれば……代用品で何とかしましょう」

 そう言うと、アスフォデルスはまず水袋の蓋を開けると瓶を水一杯で満たす。次いで自分の人差し指をナイフで少し切ると、それを一滴垂らした。

「この身体に流れる血は黄金の血の影響で、無尽蔵の魔力を生みます。この位希釈すれば魔力電池は動く筈です」

 それで即席の霊薬とし全ての瓶を満たすと、自ずと部屋は稼働し始めた。まずその表しかの様に霊薬が管を通る低い音と、天井に取り付けられた水晶が痙攣の様に光を灯す。それは連鎖し、全ての部屋に光が満ちる。

 星辰を表す大天球盤を始めとする歯車はそれぞれ音を立てて回転し、別の部屋には鞴が動き始め魔力で生まれた火の燃焼を早める。配管はこの地の奥深くに流れる地下水を汲み上げた後、静脈流の様にそれぞれ走らせ、行き着いた先々の装置で霊薬に変換。そしてまた別の配管にそれぞれ走る。

 魔力の火が灯り、シリンダーを熱し始める。それに連動した歯車が高速回転を始めた。

 本棚がぐらりと振動する。十ある本棚全てがその下に取り付けられた金属の柱に持ち上げられ、そこかしこに浮かび上がる。最後に部屋の中央にある水晶の卵の左右の管から赤と青の霊薬が流れて混ざり、紫の霊薬となって中を満たした――大魔術師アスフォデルスの工房の復活である。

「この通り……です」

 その時である。幾重にも重ねられた魔物の雄叫びが響いたのは。

 それを聞いて、バルレーンはぽつりと呟く。

「どうやら、もう一波乱ありそうだね」


 ×    ×    ×


 昏い炎が照らす中。机に蛸を彷彿とさせる黒い影の触手がガノンダールに羊皮紙を一巻き乗せる。それは方々に手を回し、雇った密偵の報告をまとめた物である。

 死脳喰らいがやられたのは彼とあれに繋がった因果線を通し把握していた。魔族を退けるとは、あの女の周囲にいる徒党は生半可な実力を持っていないのだろう。そう判断し、彼は新たに密偵を雇い調べ上げたのだが――しかしそこに彼の望む情報は載ってなかった。

「ふむ……」

 これを弱い徒党の者が偶然勝利を勝ち得たのか、それとも訳ありの強者が常日頃から何かに備え正体を捉えにくくしているのか。恐らくは後者であると判断。ならば、まず行うのは追撃である。

 因果の糸を通じ、死脳喰らいに付いていた分体達にある指令を送る。錫杖を叩き、呪文を唱えると紫色の魔法陣がぼんやりとした光を放ち浮かび上がった。

 それとは別に、来るべき籠城戦の為に伝手を頼りゴーレム遣いを数人呼び寄せ、魔術師ギルドを通し冒険者達を招集、更には腕利きの冒険者徒党である黒鎧隊へ接触する為の手紙をしたためる。

 ここまでは彼は冷静であった。

 しかし、年老いた男の目は確かな狂気を孕んでいる――

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