第11話
篝火は永遠に燃え続ける訳ではない。どの様な火もいずれ須らく燃え尽きる。それはアンオブタニウム・ゴーレムとて例外ではない。
煌星の様に輝きながら死脳喰らいを灼き尽くしていた騎士人形は、魔族がその身に痙攣すら起こさなくなった頃、徐々に輝きを失っていく。やがて熱すら失った後、残ったのは真っ白い灰の塊と化したアンオブタニウム・ゴーレムだ。……数拍の後、自重に耐え切れずゴーレムは形を崩して行き、後には何も残らなかった。
それでようやく死脳喰らいとの戦いが終わった。
「生きてる奴ー、点呼! 一!」
「……二よ」
「三です……」
「うー」
ある物を全て使い、振り絞れる物を全て振り絞って戦った訳であるが、現状この場で元気なのはバルレーン一人だけだった。他は精根尽き果ててるのが一、死にかけたのが一、何か沈んでる奴が一。
「みんな、ほら生きて勝ったんだよ! もっと喜ばないと!」
「吐きそうです……身体も動きません」
現在アスフォデルスはファングインに抱き抱えられながら会話しているが、それ以上の事は出来なかった。首から下はまるで神経が切れた様に指一本動かす事が出来なかった。これはバルレーンが針を打って、それで尚この状態である。
尚、ユーリーフはと言えば自分の革袋を上下逆さまにする程水をがぶ飲みしていた。
「い、一体何が起こったんですか?」
「恐らくだけど、ユーリーフの危機をきっかけに偶然肉体と知識の歯車が合ったんだろうね。心拍と血圧が上がる事を代償に、思考力と計算能力が爆発的に上がったんじゃないかな?」
赤髪の女盗賊はふむと一度前置きをした後、そう自らの考察を話した。肉体を代償にした思考力の極端な増大化、それがバルレーンの見立てである。
「な、なんで身体が動かないんですか……?」
「そりゃ死にかけてる身体で、あんな無茶な事をやったら反動あるに決まってるじゃん」
当たり前の様にバルレーンは何とも軽くそう言った所を、黒髪の女魔術師はようやく水を飲み終える。右手の甲で一度口元を拭った後。
「……それも、バルちゃんが短剣を打ち漏らさなかったら必要が無かった事だけどね」
「やっぱ、怒ってる……ユーリーフ?」
「……当然でしょ」
そのやり取りの中、アスフォデルスが否応なく見てしまうのがユーリーフであった。ユーリーフ――本名をユーファウナ・ルアルフォス・アルンプトラというらしい彼女は、改めて見ても亡き親友の面影があった。少し見続けてしまったらしい、アスフォデルスの視線にユーリーフが気づいた。
「……アスフォデルスさん、その」
「もっと、顔を近くで見せてくれませんか? お願いします」
「……はい」
アスフォデルスに言われるがまま、ユーリーフはしゃがみ込むとアスフォデルスと同じ位置に目線を合わせる。右腕の自由が効いていたら、きっと頬にも手を伸ばしていたかもしれない。
「私は、駄目な女ですね……正直名前を名乗られるまで貴方がアルンプトラの系譜だとは気付きませんでした」
「そんな……」
この時アスフォデルスが抱いたのは深い郷愁と悔恨だった。……初代アルンプトラが亡くなって以降、彼の一族とは疎遠になった。その結果は一年前のゴーレム教団の破滅の際、彼女は何もする事なくただ伝聞でその事実を知っただけに至る。
自分は今ここに至るまで彼女の事を探し出そうともしなかった。親友の系譜は親友ではないと言ってしまえばそれまでであるが、そう思うと心にずしりと重たい物が残る。
ここに来て、アスフォデルスは彼女になんて声をかけたらいいか解らなかった。気まずい空気が一度流れる。
「ねぇ、ごめんすっごくいい話しの所悪いんだけど……どうしてあの風の壁破る事出来たの?」
だから、狙ったのか狙ってないのか怪しいこのバルレーンの質問は正直助かったと思った。本当だったら今言う事か、という一言でも入れるべきなのだろうがそれすら忘れて彼女は逃げる様に説明をする。
「あぁ、アレは魔法銃の仕組みと距離が関係してるんですよ……魔法銃っていうのは弾丸に魔術を憑依させ、霊薬と弾殻を燃焼して矢の魔術を撃つんですが、あの距離だと弾丸はまだ完全燃焼してないんです。だから風の壁で憑依させた魔術自体は防げても、その弾自体は残ったまま」
「つまり火矢で例えたら、矢についてる火は防げたけど矢が突き刺さる事自体は防げなかったって事?」
「そういう事です。相性が良かったんです、せめて風じゃなくて土の壁だったら多少は防げたでしょうね」
正直、戦いは終始アスフォデルス達に有利に進んでいた。危機といえば精々バルレーンがユーリーフに向かってくる短剣を撃ち落とし損ねたぐらいである。……そう思うとアスフォデルスの心には徐々に余裕が生まれてくる。だから、ついこんな事を口にしてしまった。
「でも、まぁ終わってみたら魔族の癖に殺しやすい相手で――ぐぇッ!?」
と言った所で、会話の途中でまるで蛙が潰れる様な声が混じったのは、急にアスフォデルスの腹に回ったファングインの両腕が締め上がったからだ。……全員の目が向くと、そこには何時も泰然としている銀髪の大女が今にも泣き出しそうな顔で俯いている。
先程の戦いでは掠り傷一つ負わなかった女がである。痛みに堪える様な、そんな表情を浮かべて。
「どうしたの、ファン? なんか、凄く辛そうだけど?」
バルレーンのその声に対し、ファングインは答える事なくアスフォデルスの頭に顔を埋める。それはまるで自分の声を押し込める様な素振りであった。この場の誰も、何故この大女が急に悲しみに沈んでいるのか心当たりは無かった。
「な、何なんですかファングインさん……その凄く苦しいです」
アスフォデルスがそう言うのも聞かず、ファングインはただただ彼女のその細い身体を抱きしめる。
あるいは、それは悲しい事があった幼子が母親に縋りつく様にも似ていた。
× × ×
――それは、遠く過ぎ去った過去のある日。
トルメニア王国の東部、魔術師ガノンダールから遠く離れた小さな名もなき寒村。そこに古びた深緑色の屋根の一軒家がある。
黒壇の香りが仄かに薫る、深紅の壁の部屋の中。金の髪に淡褐色の瞳がやけに浮いて見えた。群青色のローブに赤い天鵞絨のマントを羽織った女は、時を重ね飴色になった揺り椅子に座っていた。かちゃり、という音がするとその真鍮で出来た義腕が机の上に乗った。
名をファルトールという。この工房の主にして、世に人形師と呼ばれる大魔術師である。……魔術師ファルトールは、首元までかかるまで伸ばした黒髪に薄紫の瞳の少年に対し鷹揚に訊ねた。
「それで、我が弟子アルンプトラよ。あの子の様子はどうだ?」
「二週間前に移植した義眼の調子は良好で、本人は特に何も言ってきません。……高い材料使って作った甲斐がありましたね師匠――お陰で僕達しばらく三食は、食べられる野草です」
少年の名は、アルンプトラと言った。元はトルメニア王国でも名のある貴族の妾の子であるが、母の死と共に捨てられた末、友人であったファルトールに拾われたのだ。
彼は青と白のローブを纏い、腰には二対の真鍮製の器具――傀儡環が吊るされていた。
彼が右手を繰る。五指には全て指輪が嵌められており、そこには薄い極小の魔力の糸が付きそれは腰の傀儡環に通っていた。その指を繰ると、傀儡環の数字が刻まれた輪が回転し、……土塊で出来た小人のゴーレムが彼の右肩の上で野次を飛ばす仕草を見せた。
それに対し、ファルトールはと言えば――
「ふふ、はははは、あーっはははは! ……ごめん、ひょっとして怒ってる?」
「当然でしょう。何の相談もなしに、ガノンダール師から弟子を拐ったんですよ。――直前まで共同研究組んで、大口の仕事が決まって、僕が久々に豪華な食事にありついていた十分後にね!」
何せ魔術は金がかかる。大口のパトロンがいれば、別だが大抵の魔術師というのは貧乏暮らしが基本だ。そもそも何故彼らがこんな名もない辺鄙な寒村に住んでいるかと言えば、地価が安いその一点だけである。
本来なら、アルンプトラが言う様にガノンダールとの共同研究を行う事で、魔術師ギルドを通して国から潤沢な研究予算を融通してもらえる筈だったのだが……それも今となっては儚い夢と終わった。
「本当ごめんね、我慢出来なかった」
「まぁ、しょうがありません。ガノンダール師、あんな事やってたんですから拐った事自体は怒ってないですよ。むしろ立派だと思います。問題は仮にも一番弟子の僕に何の相談もなかった事です」
ガノンダールとの共同研究を打ち切り、その弟子の一人を拐った後のファルトールに何が起きたかと言えば、まず魔術師ギルド内で悪評が立ち、しばらくは消えないだろう事。のみならず、ガノンダール間で交渉した結果弟子を引き渡す代価として多額の示談金を払わねばならなくなった事。更には、引き取った弟子への義眼を始めとする治療費が思った以上に高額となった事。……それらが加わった結果、ファルトール一門の家計は現在火の車である。
それを事後承諾で言われた日には、弟子であるアルンプトラとて納得は行かないのも道理だろう。
「まぁ、待て私にいい考えがある――この人の感情に反応して魔力が通る技術、これが当たればデカい!」
「研究を賭け事みたいに言うんじゃありません!」
事、魔術師ともなれば研究で食えなくても最悪冒険者にでもなれば糊口は凌げる。だが、ファルトールは肺を病んであまり身体の無理は効かない為、長い戦闘に関しては不向きと言っていいだろう。また弟子のアルンプトラに関してもゴーレムを遣う才能はあるが、そもそも成人前である為冒険者になる事は出来なかった。一応、拠点としてる寒村で医者の真似事をしているが……入って来る報酬は雀の涙である。
「すまない、アルンプトラ……迷惑と苦労をかける」
「まぁ、いいです。もう一度言いますが、あの子を救った事自体は素晴らしい事なんで……あれは凄い」
「そうなのか?」
「えぇ、ついこの前から魔術を教えてるんですが、昨日は、魔導書一冊を一日暗記し何も見ないで模写しました。それも文章間違いすら正確に。チェスも教えた途端上達してますし。……あぁ、師匠が出したパズルも全て解かれちゃいましたよ」
アルンプトラの言ったパズルというのは数学で言う所の魔方陣を使った立体の物である。答えを完成すれば、アルンプトラの幻影が現れ褒め称えてくれるという物だ。
「え、アレ全部解いたのか!? 一か月分のつもりで用意したんだぞ!?」
「一個解いて幻影を見たら、もう夢中になっちゃって。……三日で全部解きましたよ」
「なるほどな……」
教えがいから自然と鼻息が強くなるアルンプトラとは対照的に、ファルトールの顔は少し曇っていた。数拍の後にアルンプトラがそれに察し尋ねる。
「どうしたんですか、師匠? 何かあったんですか?」
「……確かに凄い子だよ、あの子は。でもなアルンプトラ、私は正直それを素直に喜べない」
「何でですか?」
「記憶力が優れているというのは、即ち苦しみや辛さも忘れられないという事だからだ。あれだけの事を忘れられないというのは、後々まであの子の心を蝕むだろう……それを思えば、な」
現にファルトールとアルンプトラは彼女の心が病んでいるのを目の当たりにしていた。それは引き取った直後、最後のホムンクルスを摘出した時だった。
――そいつ、そいつ……殺してください。お願いします、お願いします……。
摘出した直後、体力をかなり消耗したのにも関わらず、そう言った彼女の心は間違いなく病んでいた。
「……結局、あのホムンクルスどうしたんですか師匠?」
「遠くにやったさ、もうあの子と二度と会う事のないとこにな……」
ファルトールが顔を曇らせながらそう言った直後である。一度、大きな破裂音が響いた。その音に思わずアルンプトラとファルトールの顔が驚き一色に染まる。
「な、なんだい!?」
「工房の方からです!」
アルンプトラは魔力の糸を通し、左手でゴーレムを繰ると小人程のゴーレムが跳ねてドアノブを下に降ろす。そしてもう一度左手を引くと、そのままドアが開いた。
彼等二人が押っ取り刀で音の出元である工房に駆け付けるとそこには……焦げた鍋の前で面食らい硬直する、茶色い髪に三白眼の少女がいた。顔の左半分には包帯が巻かれている。白煙と共に漂う香りは、仄かに霊薬の物が混じっていた。
「……あ、ご、ごめんなさい」
「怪我は!? 何をやってたの!?」
アルンプトラが驚愕冷めやらず、若干興奮したまま聞く――と同時に両手を繰るとそこに先程と同じ小人のゴーレムが現れ、部屋の跡片付けを始めた。すると彼女は少し口ごもり、おどおどと怯えながら。
「……今日は、お昼まで自由にしていいって言われたから……その……あの……」
その時、ファルトールは淡褐色の瞳を走らせて机の上に置いてある物に目星をつける。傍らの机に置かれている小瓶は、全て人工皮膚を作れる材料。レシピの載ってある魔導書は無い。それでファルトールは全てを察した。
「霊薬の調合は、また来週って言ったじゃないか! 何か作るなら呼んでくれないと!」
「その……だって」
涙ぐみ始める少女に対し、ファルトールは右手でアルンプトラを一度制する。顔はわざと怖そうな物を取ると。
「いい、アルンプトラ。こうまで勉強熱心なら、こっちだって考えがある。今回は私がやろう、――ちょっとこっちに来な」
その時、少女は一瞬ひっと引き攣った声を漏らす。そしてファルトールに少し手を引かれると、途端堰を切ったかの様に謝り始める。
「――ご、ごめんなさい! ごめんなさい! わ、私師匠みたいになりたかったんです! だって、だって……私の顔お化けみたいになっちゃったから!」
その時、アルンプトラとファルトールは一瞬顔を凍らせ、そして曇らせた。年頃の娘がこれを言う等、あってはならない事だ。そしてファルトールは一拍間を置いた後。
「……来るんだ」
有無を言わさず引っ張り出し、連れて来たのは先程の深紅の壁紙の部屋だった。中の内装は本棚とベッド、そして金色で装飾された鏡台だけである。その前に少女を座らせると、彼女の前にある物を並べる。……全てファルトールが普段よく使う化粧道具である。勝手な事をやって怒られると思い、流れていた涙がぴたりと止まり、代わりに戸惑いの声が上がる。
「こ、これは……?」
「今は、まだ義眼の調整が終わってないから教えられないが……終わったら化粧の仕方を教えてやろう」
「お、怒らないんですか?」
瞠目する少女に対し、ファルトールは彼女のその細い肩に両手を置き。
「誰が怒るものか、火傷を消したかったんだものな。……そうだ、紅を引いてみるか? これなら包帯を取らなくて済むしな」
そうして紅の入った金色の丸い缶を開けると、ファルトールは右手の小指で掬い少女の口に左から右へ引く。それが少女が初めて引いた口紅であった。
「これで美人が出来た。……ほら、笑ってみな」
心から笑える事なんて少なかったのだろう。鏡の前の少女は不器用に、ぎこちなく笑みを浮かべる。それがファルトールの目には何とも痛ましく映って見えた。そしてこれからこの少女は何度も忌まわしい記憶に悩み、苦しむのだろう。それでも、今だけはこの少女に笑っていて欲しい……そう思ったのだ。
喩え、一つの命を奪った矛盾を抱えたのだとしても。
「なぁ、実はもう一つ贈り物が有るんだ。お前の身体は特殊だ、ロクでもない奴が付け狙う事もあるかもしれない。……南の方では名を媒介にし、他人を縛る魔術があると聞く。だから、お前に魔術師としての新たな名を与えよう」
「名前、ですか……?」
「あぁ、その血の香りは極楽百合だ。でももう一つ、別の呼び方があるんだ不凋花というな。永遠に色褪せず、萎み枯れる事のない花――アスフォデルスの名をお前に贈ろう」
――それは今は遠く過ぎ去った過去の話である。
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