第7話

 

 迷宮都市ならではの商売と言えば、真っ先に上げられるのは送迎の幌馬車業である。

 イシュバーンで発生する迷宮の大半は人で賑わう中心部から外れた所にあり、装備品を身に纏って徒歩で行くには少々手間だ。故に送迎の幌馬車業は当然の発生と言えよう。

 アスフォデルスの冒険者ギルドの登録は、特に何の問題もなく済んだ。ギルドホールでは見た目から多少変な目で見られたものの、さりとて提出した書類受理された時点で誰もが彼等から興味を失った。

 がくん、と幌馬車は一度揺れ止まる。

 辿り着いたそこは城壁の外側、東の小山の中であった。イシュバーンに住む者達は『迷宮山』とあだ名している、複数の迷宮が固まって発生した場所である。……禿頭の老人が手繰る幌馬車を山の入り口で降りた後、彼女等は目的の『不凋花の迷宮』に向かって進む。

「一時はどうなるかと思ったけど、まさかそんな方法があったとはね」

 坂道を歩きながら、赤髪の女盗賊は何処か安堵した様子でそう言った。

 二日前までは荷物を背負っても亀の様にひっくり返っていたアスフォデルスであるが、今は背負い袋や水筒、革鎧に魔法銃を装備しても平然としている。勿論アスフォデルスの筋力が上がった訳ではない。……荷物の重量自体が軽くなっているのである。

「重そうな荷物全部に重量操作の呪文のかかった魔法具にして解決するとは、流石私」

 アスフォデルスは自慢げにそう嘯くと、右手で自分の髪を一度梳く。

 ウェイト・コントロールという術者の魔力を使い、物体の重量を変える魔術がある。その魔術を使い、彼女の所持品の殆どの重さを消し、道具も鎧も軽石並みの重さにしたのだ。

「軽石並みの松明に、軽石並みの食器、軽石並みの鎧、軽石並みのランタン……魔法銃も軽くしてるんだっけ? どのくらい?」

「もう箒並みの重さしかないですね」

 四、五キロあった魔法銃も現在では一キロ以下にまで重量が減っていた。最初に全て身に着けた時、重たく肩にかかっていた魔法銃も今はまるで箒なみの重さしかない。今彼女の荷物で重さがあるのは魔法銃の弾丸と食料ぐらいの物だ。水筒にも別の魔術をかけ、魔法具にし重さは中身が空の状態と等しい。それもこれも――

「ユーリーフさんの覚えが良く無かったら、きっと詰んでましたね」

「……いえ、そんな。わたしも新しい魔法に触れられて嬉しいです」

 黒髪の女魔術師は、照れくさそうにそう言った。

 アスフォデルスの考えを形にしたのは全てユーリーフであった。荷物の重量を軽くするだけに留まらず、魔法銃の金属部品や弾丸の作成。ナナカマドの木を削って作った持ち手に、発動媒体の呪文をかけた事。その他魔法に関わる全てを担ったのがユーリーフであるしかし、如何に優秀な魔術師と言えども魔法を使うのに必要な魔力は無尽蔵ではない。

 それを可能にしたのは、今ユーリーフが腰に吊り下げている金のランタンの中の賢者の石である。

 そも、賢者の石とは持ち主が生まれ持つ魔力の量に応じ、物質を変換して無尽蔵の魔力を生み出す物である。どういう意味かと言えば魔術を使って魔力を消費すると、周囲の塵を吸い上げて魔力に変換して持ち主の魔力量まで回復する。つまり賢者の石の持ち主は、自分の魔力を全く消費しないで魔術を使えるのだ。

 賢者の石を励起させて主人をユーリーフにした後、あらかじめ発動媒体の魔術をかけたランタンに収める。これにより、ランタンは無尽蔵の魔力を持つ炉心となっていた。

「……賢者の石をこう使うとは思っていませんでした」

「本当は私みたいに自分の身体に埋め込むのが一番なんですよね。相応の訓練が必要ですが、こうすれば発動媒体抜きで魔術が使えますし」

 そう言うとアスフォデルスは茶色い革鎧の下の服をずらし、自分の胸に収まった賢者の石を露にする。その様な会話をしながら山道を順調に上がる。

 その時である。地の底から響く様な衝撃が辺りに起こった。

 次いで、めきめきと彼女達の右側から木々がへし折れる音がする。現れたのは七メートル程の巨大な生木の巨人だった。人の様な五体を持っている、それの名はトレントという。

 トレントは彼女達を見るなり、右手の五指を無造作に伸ばし襲い掛かるが――

「こっちだ間抜け」

 それは同じく木々の中から現れた、全身を黒い鎧で纏った双剣の剣士に細切れにされ阻まれる。次いでトレントの足元に十数本の矢が突き刺さり、そこから空かさず同じ意匠の黒鎧を纏った槍の男が左半身を穂先で断つ。最後に地面がせり上がり、鋭く尖った石柱がトレントの心臓部を突き刺した所で生木の巨人はようやく絶命した。

 アスフォデルスが驚き、恐怖を感じたと思った瞬間全ては終わった。

「すまない、迷惑をかけたな……誰も怪我はしてないだろうか?」

 残心の後、双剣を腰の鞘の中に仕舞ってから黒い鎧の剣士は彼女達に向かってそう言った。声音は若い男の物だ。それに対しアスフォデルスはファングインの影で怯えながらぽつりと呟く様に。

「な、何なんです一体……」

「驚かせてすまない。本当はもっと奥の方で魔物の間引きをしていたんだが、手違いでこっちの道まで出てしまったんだ」

「珍しいね、黒鎧隊が駆り出されるなんて」

「この前の大爆発でここいら一帯の生態系が軒並み狂ってね、おかげで仕事には困らないよ」

 彼がそう言うと、空かさずバルレーンが相槌を打つ。先程トレントに対して止めを指した槍の男は自分の得物を左肩に担ぐと、さっさと木々の中に再び入ってしまった。

 気になったのは黒鎧隊という単語であった。アスフォデルスは隣にいたユーリーフに小声で訊ねた。

「すみません、ユーリーフさん……この黒鎧隊って有名なんですか?」

「……この街で一番勢力が大きい冒険者徒党です、実力者もかなり在籍してるんで冒険者なら誰でも知ってますよ」

 彼女達がそんなやり取りをしていると、突如空に白い花火が上がる。まるで膨らませた紙袋が破裂した様な音を立てて爆ぜると、バルレーンと話していた黒鎧隊は一度首を空に向けた後。

「すまない、仲間から呼び出しを食らった。もう行かなきゃ」

「ごめんね、助けてもらった上に無駄話で引き止めちゃって。仕事頑張って」

「あぁ、そっちも。幸運を祈ってるよ」

 そうして彼が去った後、バルレーンは軽く右手を振って見送る。その後、振っていた手の平を軽く見つめてこう呟いた。

「天の理が采配を決めた。……多分ボクが殺すんだろうなぁ、感じのいい人なのに」

 その一言は途端息吹いた風に攫われ、アスフォデルスやユーリーフの耳に届く事は無かった。

 ――迷宮の入り口の見た目とは、一言で言えば土饅頭だ。

 花崗岩を削りだして作られた長方形の石碑には、公用語で『不凋花の迷宮』と刻まれている。

 中に入ると床から盛り上がった土に長方形の石で三メートル程の門が出来上がっており、分厚い赤樫で出来た両開きの扉がその道を閉じていた。門を潜ると同じく石造りの階段が地の底まで続いている。小屋の内部には起爆用の呪符が張られており、もしもの際は小屋を爆破して迷宮を無理矢理塞ぐ仕組みになっていた。

 赤樫の扉を開くと、まず目に映ったのは両扉の内側に描かれた赤い双眸の魔物除けだ。

 錬金術で作られた暗闇の中で光る塗料で描かれており、これにより獣並みの知性しかない魔物は扉に近づこうともしなくなっている。

「うー」

 ファングインのランタンがぼんやりと洞の中を照らす。

 天井の高さは五メートル。飾りのない石造りのアーチが闇の先まで続き、遠くからは風に運ばれ魔物の鳴き声が微かに聞こえる。底冷えする冷たさに鳥肌が立つ。

 これが迷宮である。

「んでもって、早速準備する訳ですよー。皆の衆」

 バルレーンは口元に手を当てて軽くそう言うと、まずはユーリーフに指示を飛ばす。やはりというべきか、この徒党のリーダーはバルレーンであった。

「今回はアスフォデルスがいるし、防御固めの構成で行くよー。ユーリーフに作って欲しいのは、盾持ちと荷物持ちの奴ね」

 バルレーンがそう言うと、ユーリーフは黒衣の中からチェスの駒程の彫像を二つ取り出す。一体目は盾とメイスを持った騎士、二体目は空の背負子を背負った人であった。二つを地面に均等に並べると、彼女は右手を差し出し呪文を唱えた。

「《神性顕現――我は在る》」

 彼女がそう言うと、腰に括り付けた金のランタンが一度赤く輝き、地面の彫像を中心にして淡い赤の魔法陣がそれぞれの彫像の下に浮かび上がる。空気の温度が一度下がった気がした。

「《我、神の名においてこれを鋳造する。目覚めよ、汝等の名はアンオブタニウ・ゴーレム。刻まれし銘を杯の騎士、積貨の運び手》」

 彼女がそう言うと、地面がせり上がり彫像を中心にしてそれぞれ形が形成されていく。一瞬の内に盾とメイスを持った騎士、空の背負子を背負ったゴーレムが出来上がった。

 ファングインは背負っていた全員分の荷物を背負子のゴーレムの背に預けた。すると独りでに鎖が下から上に巻き上がり、荷物を零れ落とさない様に固定する。

「で、これでファンが自由になったからファンはアスフォデルスのお守りね」

「うー」

 バルレーンがそう言うと、ファングインはアスフォデルスにぴったりとくっ付く。ついでに彼女の身体を持ち上げ、その茶色い髪に鼻を突っ込んだ。それはまるでぬいぐるみか何かの様に。

「ちょ、ファングインさん。やめて下さい!」

「あー、ファン。守れって、誰もそうやれとは言ってないんだけど……」

 返答の代わりの様に、ファングインはアスフォデルスの頭に顔を突っ込んだまま息を吸い始める。それが一分を超えた所で……。

「せめて吐きなよ!」

 赤髪の女盗賊がそう突っ込んだ所で、呼吸を止めた。

「ま、とりあえず今日の目標は十階までだね。小休憩は五分ずつ取ろっか」

 気を取り直し、バルレーンの案でそういう事になった。隊列はバルレーンと杯の騎士が前、ファングインとアスフォデルスが中、ユーリーフと積貨の運び手が後ろである。

 バルレーンはおやつの木の実つまみながら周囲を警戒。ユーリーフは積貨の運び手と共に後方を詰め。ファングインはアスフォデルスにべったりと引っ付きながら中間を歩いていた。

「すっかり気に入られちゃったね、アスフォデルス」

「なんとかして下さいよ、ファングインさんこの前から凄く距離が近いんです」

「ファンはめんどくさい女だからねー。寂しがり屋で構ってちゃんのくせに、いざ構われると――ほら」

 そう言ってバルレーンは一瞬アスフォデルスの前から掻き消えたかと思うと、いつの間にかファングインの右横にもたれかかり首を彼女の顔に伸ばす。するとファングインは、やめて下さい何ですか急にという様に拒んだ。赤髪の女盗賊はまた再び掻き消えたかと思うと、先程と同じ位置に戻っている。

「ね。この女、人をコマしたのにこの態度だよ? 言う事なんて聞く訳ないよ」

「……全員、いい加減にして下さい! 女がくっついた離れた、ネコだタチだなんて、女だらけの学校でもう沢山!」

「ユーリーフはタチ、それともネコ?」

「……わたしはネコよりのタチよ!」

 堪えきれずユーリーフがそう言うと、バルレーンは悪びれる事なくそう返す。直後、不意にバルレーンが左手で制した。彼女の赤瑪瑙の瞳は数百メートル先の闇に向けられ、ファングインは腰から剣を抜いた。

「ど、どうしたんですか?」

「敵が来る。足音は二十、距離百。この軽さからすると多分スケルトン。ユーリーフ?」

「……うん」

 ユーリーフが黒衣の袖を翻し両手を上げると、指先には極細い魔力の糸が繋がっている。彼女はそれを僅かばかし繰ると、呼応して漆黒の騎士人形の後ろに回る。杯の騎士は薔薇が刻まれたカイトシールドを前に構え、右に握ったメイスを頭の後ろまで持って行った。鎖のマントがじゃらりと重たい音を立てて揺れる。

「ま、まま魔物!?」

「……魔法銃を撃てる様にして下さい。バルちゃんが指示したらお願いします」

 慌てた調子のアスフォデルスにユーリーフがそう答えると、アスフォデルスは直に準備を始める。腰のベルトポーチから取り出した弾丸一個を銃身の後ろにあるスライド式の蓋を開け、そこから覗く穴から入れる。蓋を閉め撃鉄を深く下ろすと、かちりと弾丸が固定される音がした。そして撃鉄の横の薬皿に首から下げた霊薬を流し、銃身の呪文が刻まれた円環を三つ同時に回す。これで後は引鉄を引くだけである。……ユーリーフは呪文を唱え始め、前線に立つ二人を支援しようとする。

 アスフォデルスの心臓が早鐘を打つ。呼吸は早くなり、それと共に血圧が上がったのだろうか頭痛とめまいすら覚えた。そしてとうとう息をする事も忘れた一刹那、沈んでいく感覚に浸りかけた瞬間――

「それじゃファン、速攻で――ってファン!?」 

 バルレーンがそう声をかけるやいなや、ファングインは深緑のローブを翻し彼方の敵に突っ込んで行った。百メートルの距離を、彼女は一気駆け抜ける。途中で四射矢が射かけられるも彼女は疾走する中、次々剣で叩き落とした。

 左手に持った彼女のランタンが、敵が被る闇のベールを剥ぎ取る。バルレーンの予測通り、敵はスケルトンが二十体であった。一体一体は大した事ないが群れて来られるが厄介な類の敵である。

 カタカタと音を立てて歯を鳴らす白骨が突き出した槍の穂先に、剣を合わせたと思った瞬間刃が走り、柄を伝い白骨の頭に命中し砕く。

 一体を撃破すると共に、ファングインは敵陣のど真ん中に潜り込んだ。

 骨片が舞う中、間髪置かず彼女は周囲の剣を構えた白骨達を相手にする。

 右手に握った鋼の刃をひらめかせ、まるでその場で円を描く様に旋舞。目にも留まらぬ速さでぐるりと自分を囲んだ白骨の頭蓋を次々砕く。また巧みに軸足も変え、左右交互に回転する事で白骨の剣を誘い紙一重で避け、敵が外した隙をまた刈り取る。

 そして恐るべき事に彼女はこれだけ派手に動きながらも、今の所息一つ乱していない。

「うー」

 日常と変わらぬ平静な唸りが石造りの迷宮に、剣戟と共に木霊する。

 白骨が最上段に構え、両手で振り下ろした剣に手首を返し、逆手の刃で受けたと思った途端。またたき一つ後には、ファングインが敵の頭を砕いていた。

 左手に盾を構えた白骨がいた。幅の広いカイトシールドでファングインの一突きを防いだと思ったら、一呼吸の間に十度突きを重ね、盾を砕いて刃を頭蓋に届かせる。

 暗闇をランタンの焔が揺らめく事なく照らす中、深緑のローブをはためかせ、ファングインは踊る様に剣を振るう。

 琥珀色の左目が、自分に弓を射かけようとする白骨を見つけた。それに対し彼女は丁度自分に突きを放った白骨の両手剣の刃を上に跳躍し躱し、――そしてあろうことかその刃の上に乗った。

 そのまま右足で頭を蹴り上げ、砲弾と化した頭蓋が遠く離れた弓手を木端微塵に潰す。

 身体を載せた剣が地面に落ちる時、全ては終わっていた。後に残るのは、砕け散った骨片と錆びた武器だけである。遠くからその様を見て、アスフォデルスは思わず上ずった声でこう漏らした。

「け、剣の上に人って乗れるものなんですか……?」

「……い、いつもはもっと大人しいんですけど。今日ファンちゃん、凄くやる気に溢れてて」

 彼女達がそんなやり取りをしてる中、バルレーンはたった今戦闘を終えたばかりのファングインを叱っていた。

「こら、ファン! なんで指示言う前に行っちゃったの!? 幾ら強いからって、一人で行っちゃうのは駄目! 何、アスフォデルスにカッコいいトコ見せたかったの?」

「う!」

「う! じゃない! そういうので人は簡単に死ぬんだからね! あー、もうとりあえず死体漁りするよ!」

 表情険しくも何処か可愛らしく𠮟りつけるバルレーンに対し、ファングインは何食わぬ顔で受け流しながら倒した敵の死体の持ち物を漁る。彼女等が何事も無かったかの様に敵の金品を次々懐に入れる様を、アスフォデルスはその様を茫然と見ているしか無かった。

 その時、ほんの一瞬の事である。

 まだ僅かに生き残っていたスケルトンの一体が、欠けた自分の腕を奮い立たせて震え骨片を散らしながら弓に矢を番えて放つ。

 矢は棒立ちしていたアスフォデルスの右横を掠めるも、瞬間ファングインの剣の一振りで叩き落とされ、同時にいつの間にか移動していたバルレーンが頭蓋を右足で砕いていた。

「きゃッ!?」

「ごめん、アスフォデルス! 大丈夫!?」

「うー!?」

 アスフォデルスがそう叫びを上げた時には既に倒されていた訳であるが、それでもバルレーンは気にかける声を上げ、ユーリーフとファングインは直様彼女の元に駆け寄った。

「べ、別にたいした事ないです。ちょっと矢が掠めただけですから……」

「……い、今回復をかけますね!」

 傷はアスフォデルス自身が言う通り、本当に僅かなかすり傷であった。正直回復魔法をかけてわざわざ回復するよりかは、傷口を布で縛った方が魔力の節約になる程度の傷である。

 だが、その傷から一滴だけ彼女の血が床に落ちる。

 その、黄金と呼ばれた血液が。


 ×    ×    ×


 懐かしい香りがした。狂おしい程の郷愁と安らぎを誘う極楽百合の香りだった。その香りに惹かれ、それは『不凋花の迷宮』を這いながら、十階にも満たぬ程の低層に姿を表したのだ。

 白骨が床一面に転がる中、それは目的の物を見つけるとアーチ上の天井の上からまるで水滴が落ちるように下へ降りた。

 それは、一滴の血だった。石に吸われ、もう香りしか残っていないその黄金の血の痕をそれは一口幾つもの舌で舐め取る。その味はただただ懐かしく、甘く、狂おしく、優しく、流す目も無いのに涙すら誘った。

 自分が欲しかったのはこれだったのだ。それは純粋にそう思った。つい一週間程前にこの迷宮に訳も解らぬ内に放たれた理由がようやく解った。

 自分はこの血の主に会う為、還る為、辿り着く為、抱き締める為、取って喰らう為にここに連れて来られたのだ。

「あ」

 闇の中に一度、その声が木霊する。

「あっ、あっ、あっ、狂う、あっ、あっ、あっ、殺して、あっ、あっ、あっ、還る、あっ、あっ、あっ、往く――今、そこへ」

 ……取って喰らった数十人の脳を励起させ、無理矢理繋げて一つの言葉にした。胸に抱いた郷愁に駆られ、けして祝福される事のない者が闇を追う。

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