第6話


 アスフォデルスが迷宮に行くのに必要な準備は二つ。冒険者ギルドへの登録と、装備品の調達である。

 この内冒険者ギルドへの登録は、実年齢を書き幾つかの誓約を守る事に同意して血判を押すだけでよい。問題は装備品の調達である。

 彼女場合必要なのは背負い袋、ランタンと油と火口箱と松明、ナイフ、手ぬぐい、毛布、着替えと水筒と保存食、藁紙とトイレの痕跡を消す為のスライム、身を守る為の革鎧。更には身を守る為の武器であった。

 つまり、冒険者に必要な全てを調達しなければならなかった訳である。

 ここで問題となったのは、無一文の彼女にはその資金を調達出来ないという点であった。徒党の資金から出すにしても、バルレーン達は元々階級の低い冒険者徒党。それ程金を持っている訳では無い。早速暗礁に乗り上げかけた訳である。だが、それは――

「このドレスに編み込まれたアダマンタイトとミスリルを売れば金になりますか?」

「両方とも末端価格だけで、装備品は余裕で集められるけど……いいの?」

「手放さなければ何も手に入らないなら、私は手放す。それだけです」

 アスフォデルスのドレスに編み込まれていたミスリルとアダマンタイトを売る事で資金を調達し解決した。不思議な事に彼女が売りに出したミスリルとアダマンタイトは希少金属である筈なのに、途端全て買い占める者がいたらしい。それで装備品と武器――の製作に必要な素材を手に入れた訳である。

 ただ、武器に使う為の霊薬の材料を買おうとした時アスフォデルスの青い目がある物を見つけた。それは、透明なガラス瓶に入った人間の胎児程の大きさのホムンクルスだった。

 目にした瞬間、背筋に悪寒。……そして下腹部に切開された幻肢痛が走り反射的に目を逸らしてしまう。

「うー?」

「……な、なんでもないです」

 それを偶々目にしていたファングインが訝し気に唸るが、振り払う様にアスフォデルスは無理矢理誤魔化した。

 そんな、着実に迷宮の出発が近づいてくるある日の晩。


 ――それは遠く過ぎた過去の残像。

「■■■■■、そなたを見込んで一つ仕事を与えよう。このホムンクルスを、そなたの胎で育てるのだ」

 忌まわしい名で呼ばれ先生から言われたそれを、彼女は一生忘れられる事は出来ないだろう。

 何でも、ガノンダールが調べている古代魔術の研究で必要らしい。本来なら試験管で育てるべきホムンクルスを、素質ある人間の胎で育てる事により質を高める。そこで白羽の矢が立ったのが彼女であった。

「な、なんで私なんですか? わ、私魔術師の素質はありますけど……そんな何で……」

「そなたの肉体は極めて稀有なのだ。そなたの内にある心臓から始まる臓器、血管、果ては神経に至るまで通常の人間とは全く逆の位置である。……これは我ら魔術師の中では『皇帝の玉体』と言われており、ありとあらゆる魔術に親和性を持つと言われている」

 一息置いて。

「更にそなたを巡る血は、黄金の血とも形容すべき程特別な物だ。これはありとあらゆる者に血を分け与えられる一方で、そなた自身には同じ黄金の血しか受け付けないというこれもまた稀有な性質の血であるのだが、この血を持つ者は膨大な魔力を持つと言われているのだ……発生確率は数十億分の一、今の世を底からさらっても数人いればよい方だろうな」

「そ、そんな嘘ですよ」

「こと、稀血というのは個々によって特徴的な香りを放つ物なのだ。ある者は薔薇、ある者は麝香、そなたのそれは甘やかな極楽百合。血が香る事自体が稀血という証だ」

 自分にまつわる身体の真実に、彼女はこの時憎悪した。血も肉も、不要な程高い稀少性を持っていたばかりに……なにより、他と違って帰る家が無かったばっかりに。

「予定する実験は五ヵ月後を想定している。明後日には素体を育ててもらう事になるだろう」

 ――嫌だ、と彼女は思った。

 どうして、私がこんな事しなくちゃいけないの。でも、断る事は出来なかった。断った所で行くべき場所などどこにも無い。娼館に戻った所で、どうせ顔を理由に客なんて取らせてもらえないだろう。

「はい、解りました……私やります」

 だから、受けるしかなかった。作り笑いを浮かべて、震える声を押し殺して。

「一定の成長が確認された後は開腹し素体を摘出する。……そなたにもよい経験となるだろう」

 ――嫌だ。

 なにが良い経験なの。この吐き気、この痛み、この苦しみ。誰も来ない窓のない部屋の中、三食は保証されてはいる物の、さりとて心を病ませるに足る綺麗なだけの牢獄。

 でも、嫌と声を出す事は終ぞ出来ず。もう二体も育ててしまった。男の人と、手を繋いだ事すら無いのに。……摘出されたホムンクルスが何処に行ったかは知らない、何に使われたのかも。今はただ生活に気を付けて三体目を育ててる。

 誰か、助けて欲しい。けれど一体誰が自分を助けてくれるのだろうか。家族はもういないというのに。夜毎、父と母が恋しい。今はいなくなった兄弟が恋しい。災害で消えた家族を枕の中で呼び続ける。そんな時、現れたのが――

「いやぁ、タダ酒だからって序盤から飲み過ぎたな。ガノンダールのアホが浮かれやがって――って、お前は誰だ?」

 金色の髪に淡褐色の瞳、美しい……余りにも美しい魔術師。魔術師ファルトール。終生忘れられぬ、今は遠くに離れてしまった師がそこにいる。

 ……そこで夢は醒める。満月が所々雲に遮られる夜だった。〈見えざるピンクのユニコーン亭〉の一室。藁を詰めた白いシーツの上で、掛布団から彼女は身を起す。

 どうやら昼間の雑貨屋で売っていたホムンクルスが呼び水になったらしい、嫌な夢を見てしまった。

 彼女は一度下腹を撫でる。今は何の痕も残っていないが、時折あの様に瓶詰にされた胎児の様なホムンクルスを見ると幻肢痛が走るのだ。生きるしかない為にホムンクルスを胎で培養した忌まわしい記憶が紐解かれる度に。

「師匠」

 先程まで心を蝕んだ夢に対し、アスフォデルスはぽつりと呟いた。……しかしガノンダールの所で地獄の様な日々を送っていた所、偶然部屋を間違え紛れ込んだのが師であった。

 魔術師ファルトール、破天荒を絵に描いた様な女魔術師。あの日あの時、自らを救ってくれた師の姿を彼女は一生忘れない。母の様に、姉の様に可愛がってくれた彼女は今何をしてるのだろうか。ある日突然姿を消した師を思うと、アスフォデルスの胸は締め付けられる。

「師匠……師匠」

 こうなってしまえばもう駄目だ、意地が目から零れ落ちていく。一度鼻を啜ると、掛布団を目に押し付けて涙を拭うが止まらない。

 直後、もぞりと彼女の左隣のベッドで眠っていたファングインが身体を起こした。部屋にはファングインしかいない。ユーリーフとバルレーンは別室で休んでいる。……銀髪の大女は眠たげに左目を擦るも、一瞬の内に眠気が醒め心配そうな表情を浮かべた。

「ご、ごめんなさいファングインさん。何でもないんです、なんでも……」

 そう言ってアスフォデルスは布団で顔を押さえ、また昼の時の様に誤魔化そうとする。対しファングインは一度意を決した顔を浮かべると、ゆっくりと立ち上がり涙を流し続けるアスフォデルスの横に座った。そしてその茶色い髪を軽く両腕で抱く。

 それは、まるで巨大な白い犬が泣いてる子供に寄り添う様に。

「本当に、本当に何でもないんです……大丈夫ですから離してください」

「うー……」

 解ってる、という様に唸るが両腕は深くアスフォデルスに絡む。そしてファングインはその顔を茶色い髪の中に埋めた。言葉も話せず文字も書けない身であるが、彼女の悲しみと痛みを自分なりに理解しようとする様な素振りであった。

 アスフォデルスはどうして彼女がここまでしようとするのか理解出来なかった。バルレーンの様に金が欲しいという様に見えないし、ユーリーフの様に自分の魔術に興味があるという訳でもない。なのに何故ファングインは出会った時といい、今のこの時といい自分の味方になってくれるのだろうか不思議でならない。

 それでもファングインの身体は抗いがたい程温かく、心の弱った彼女はそれについ縋ってしまう。

「う、ぐぅ……。あぁ……」

 もう自分でも記憶に傷んで泣いているのか、それとも師匠がいなくなった事に泣いているのか解らない。

 しかし、ファングインは彼女が泣き止むまでずっと傍にい続けていた。

 それ知る者は、月しかいなかった……。


 ×    ×    ×

 

 冒険に出るなら、装備とは別に武器が必要だ。剣でも魔法でも良い、兎に角身を守る術は持ってしかるべきである。

 しかし、元来アスフォデルスは魔術師である。剣術など習った事はなく、得意の魔術は今は使えない。その中で彼女が自衛の武器として選んだのは――

「一つだけ、得意な武器があります。尤も自分で作る必要がありますが」

「何を作るつもりなの?」

「見てれば解りますよ」

 〈見えざるピンクのユニコーン亭〉、ファングイン達が泊まる一室。窓には晴れ空が広がり、通りは何時もの様に人に溢れている。

 その部品をアスフォデルスは組み立てていく。

 床には麻布を敷き、その上には陽光に照らされて黒銀の部品がきらきらと光沢を放っていた。

 ……発動媒体の魔術をかけた銃床に、銃身や引金を力を使わず、まるでパズルのピースをはめ込む様に組み込む。

 銃身には三つの円筒を嵌める。円筒にはそれぞれ矢の魔術――マジック・ミサイルの呪文が一節ずつ刻まれており、これが下に向けたら落ちない様、ラッパの先の様な部品を銃口に取り付け返しとする。

 バネ仕掛けの撃鉄の先にはねじ式の万力の様な口がある。そこに細かく砕いた自然界にある魔力を含んで結晶化した鉱物である乳白色の魔力結晶を挟み、ねじを回して固定する。 

 銃床に金具を取り付け、革紐を通す。動きのぎこちない所は剣の手入れと同じで、オリーブ油を挿して滑らかにする。

「出来た……これが、私の武器です」

 全長百二十センチ。彼女の肩程の長さのそれの名は、魔法銃という。

 別途で作った弾丸は三十個。中には霊薬と呪文を刻んであり、それが魔法を弾丸に固定する効果を持つ。

 飛距離は約百五十メートル。飛び道具としてはロングボウの半分程の距離で、魔法としてはマジック・ミサイルの飛距離の倍。遥か昔、この国が大陸を統一する前に使われ、今は廃れ忘れ去られた武器である。

「うー」

 それを手際よく組み立てたアスフォデルスに対し、ファングインは一度感嘆の声を上げた。

 そうして、ありとあらゆる装備をまとめアスフォデルスが身に着けた瞬間、ある事が起きる。それは――

「まぁ、さ。そりゃそうなる事も考えられたよね」

 その場にいた誰もが頭を抱え、バルレーンの声が虚しく響く。

「重くて、動けないです……」

 そう言ったアスフォデルスは、まるで亀が甲羅からひっくり返った様になっていた。背負い袋を背にし、仰向けに床に転がる様はまさしく亀である。そんな彼女に、バルレーンは近づくとしゃがみ込み。

「ヘイヘイ、お年を召したお嬢ちゃん。言っとくと水筒にはまだ水入ってないから、荷物はまだ重たくなるよー」

「嘘ぉ……」

「あの、ごめん。本当、もうちょっとどうにかならない?」

 珍しく陽気さを潜め、真顔でバルレーンはそう尋ねる。この場にいる皆とて、アスフォデルスの筋力が高いとは思っていなかった。しかし、これ程か弱いとも思っていなかった。正直に言えば、同年代の少女でももうちょっと力はある方である。

「ちなみにアスフォデルス。何が一番重たいの?」

「全部、です」

 その返答にバルレーンは更に深く頭を抱えた。

「……しかし、困りましたね。迷宮内はわたしのゴーレムである程度の荷物は運ぶとしても……」

 ユーリーフはゴーレム遣いである。彼女達の徒党は、迷宮探索に置いては荷物を運ぶ為のゴーレムを作成し、それに自分達の荷物を運搬させていた。しかしとある理由で彼女のゴーレムは大ぴらには使えない。少なくとも迷宮までは自分が持たなくてもならないのだ。

「まぁ、それじゃ生活用品は置いとこう。武器と装備だけにしてみて」

 バルレーンがそう言うと、アスフォデルスは荷物を置いて装備品だけにしてみたが……

「……」

「……」

「アスフォデルス、その、立ってもらわないと困るんだけど、お腹でも痛くなったのかな?」

「立てません……」

「嘘だと言ってよ、アスフォデルス!」

 魔法銃と弾丸入れと霊薬入れ、更には革鎧さえもまだ彼女には重かった訳である。

 突如起こったこの問題に、三者三様頭を抱え悩み始めた。

 迷宮を含めずとも冒険にとって、装備の重量は大きな問題だ。登山と同じ様に迷宮潜りに『持ってき過ぎ』はご法度である。

 荷物を持ち過ぎれば疲労がたまり、集中力や気力の低下を招く。ましてや魔物との戦闘や、迷宮に仕掛けられた罠への警戒もしなくてはならない。故に、荷物を持ってバテる事はあってはならないのだ。でもだからと言って、必要最低限の装備も持てないのはそもそも論外である。

 一難去ってまた一難。問題が増えた。

「後二日で、アスフォデルスの筋力を上げる?」

「……できるのバルちゃん?」

「無理に決まってるでしょ」

 そりゃ無茶だと言わんばかりの唸りをファングインが上げる。ここに来て、彼女等は最大の危機に直面していた。

「……必要な物を削ったら?」

「これがアスフォデルスの全財産だよ!」

「あの、やめて下さい。私だって傷つくんです……」

 仰向けになったままアスフォデルスはそう返す。ふざけ合いながらも、解決策は何も見えていない。それは当の彼女自身でさえも。どうしたものか、とアスフォデルスが頭を走らせたその時である。

「……せめて、必要な物の重さがなくなってくれればいいんですが」

 ユーリーフが俯き加減で呟いたその言葉に、アスフォデルスは眉根を上げた。

「どうかした、アスフォデルス?」

「……この状況何とかする魔術を思い付きました」

 アスフォデルスがその青い瞳を映すと、そこにはユーリーフが腰に吊るした金色のランタン。その中に収められた賢者の石がある……。

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