第5話
その報告がガノンダールに届いたのは昼下がりの事。羊皮紙には事の詳細が纏まっていた。折角手配した冒険者達は、あの爆発により活性化した飛竜に襲われほぼ壊滅したらしい。
そして、当のアスフォデルスは行きずりの――大して格の高くない――冒険者徒党に保護され、どうやら『不凋花の迷宮』に潜る予定である事も。
ならば取るのは次の手段であった。
「先生、どこに行かれるのですか?」
「ふむ、少々地下に籠る。この場は任せたぞ」
青い瞳の青年に、そう付け加えると彼は地下室に向かった。
――ひとときは、まぐわいの最中であった。
吐き気を催す腐臭と粘っこく沈殿した澱の様な闇の中、そこにいる奴等は血が繋がっているのにも関わらず半ば衝動的にまぐわっている。部屋の隅には雌が産んだ卵胞が、こじんまりと固めて置いてあった。
耳に入るかさこそという、複数の音は恐らく卵胞から孵ったこいつ等の分体の足音だろう。どうせ成育不良で数日経てば死ぬのだから、特に気にする必要はない。
もう百年以上慣れた光景に嘆息しながら、彼は錫杖の石突を一度叩いた。これでいい、この音に反応する様に苦労してこの雌雄を調教したのだ。
……雄は一メートルは有ろうかと言う長大なペニス――竿には無数の穴があり、射精の際は棘が出て外れない様に固定する――を体内に格納する。
……雌はペニスが引き抜かれると、そのまま姿を隠した。床にはまるで蛸の足の様な触手が数本伸びている。
この性交が意味する所は愛情や子孫を生むという物ではなく、双方のただ単なる回帰願望の婉曲な発露であるとガノンダールは見ていた。
「喜べ、お前達の願いを叶えてやろう」
アスフォデルスは『不凋花の迷宮』に潜る。……なるほど、お誂え向きの状況だ。どうやらまだ運に見放されてはいない様だ。
そこで彼は数度咳き込む。思わず当てた左の手の平には、数滴の血が付いていた。
「……そなたが迷宮に潜る、よいではないか。ならば少々趣向を凝らしてやろう」
あの女が迷宮に潜るというなら、特性上どのような状況にでも対応できる雄を行かせる事にしよう。そう判断すると彼は錫杖をもう一度叩き、古代語を唱える。すると雄の足元から複雑な紋様に彩られた紫色で淡く光る六芒星の印章が現れた。
瞬間、夥しい数の生白い蛭の様なものが十数匹も雄の身体に纏わりついた。捕食か寄生か、はたまた彼等もまた回帰願望に焼かれたのか。それは当のガノンダールにすら分からない。
一拍後、雄が姿を消す。後に残った雌は、悲哀を感じさせる痛切な呻きを上げた。
× × ×
迷宮。
それは強力な魔力を持つ場所や物を中心に、構成されるモンスターとアイテムとトラップのコロニーである。場所は魔力を吸収し空間を歪める性質を持ち、それによって異界からモンスターや様々なアイテムやトラップを呼び寄せ、現象としてダンジョンを構築する。
その魔力が強い程迷宮はその深度と複雑さと攻略難易度――そして攻略の栄光の輝かしさを上げて行き、毎年何人もの冒険者達がダンジョンに喰われ還らぬ者となる。
――其は栄光の篝火にして、冥府の大口。
トルメニア王国に在るイシュバーンは大陸でも有数の迷宮都市として名高い。かつての神話の時代、イシュバーンは幾度も神々達の戦いの舞台となった土地である。畢竟神世の名残が夥しい程埋蔵されており、数多く迷宮が発生するのだ。
その中で三ヵ月ほど前に見つかった『不凋花の迷宮』と呼ばれる場所が存在する。そしてそこに潜る彼等もまたダンジョンに栄光を求める徒党だった。
薄暗い石造りの迷宮を進む。
全三十層の内、十九階。広大な空間に幾重にも乱立する柱の中、冒険者達は剣戟の音を響かせる。
腰のランプの灯が辺りを灯す中、中年の人間の男がまず先頭で鞘から抜いた剣を振るっていた。それが彼等の頭だ。そんな彼の後ろでハーフエルフの魔術師と狼獣人の魔術師が呪文を唱えていた。
闇の中、何かがいる。
「ここは俺が何とかする! お前等は何とかこいつの本体を撃て!」
闇の中から向かってくる、無数の触手に対してリーダーの男は何十合目かの剣を合わせた。それに対し魔術師達は呪文を必死に唱え続ける。
「《空にいまし、鳥の御霊に希う。風よ、導きとなれ》」
ハーフエルフの女魔術師がそう唱えると、迷宮の中を風の精霊は索敵を始める。数瞬の内に旋風が生まれる音がした。それに対し、狼獣人の魔術師は右手で指鉄砲を作るとそこに向け。
「《理を以って手に灯す、雷よ奔れ》」
瞬間、一条の雷光が走った。通常の矢の呪文より威力が高いのが雷の呪文は、直撃した音は響く事なくそのまま闇に吸い込まれる様に消えて行った。
不気味な間が空くのと、消耗した狼獣人の魔術師が膝を突くのはほぼ同時であった。威力が高い分消耗が激しいのである。
「やったか?」
「……すまん、わからない」
この場にいる誰も、あんな化物見た事も聞いた事もなかった。少なくとも普段の『不凋花の迷宮』にいる魔物とは違う。自分達が相手にしているのは一体何なんだ、三人がそう思った一瞬――
「きゃッ!」
闇の奥からそれはリーダーの頬を掠め、丁度ハーフエルフの魔術師の足元に転がった。それは、よく見知った者の一部だった。人差し指に嵌められた指輪は、持ち主が大規模迷宮からドロップして得た戦利品だと自慢していた物である。
彼等のもう一人の仲間、盗賊の右手であった。
……足元のそれを見た瞬間、彼女の悲鳴が上がるのと今度は左右の闇から何本もの触手が再び襲い来る。反応するのが一拍遅れた為、狼獣人の魔術師がそれに絡め取られる。
口を塞がれ、悲鳴すら上げられぬまま闇の中に引きずり込まれた。
リーダーは剣で切り払おうとするが、彼もまた複数の触手に絡めとられる。二人が闇の中に引きずり込まれてからしばらく経った後、闇の中でも灯り続けていたランプが消えた。まるで、死の表しかの如く。ぞくり、ぞくりと悪寒が止まらない。彼女の神経は一瞬にして張り詰めていた。
「や、やだやだやだ! 嘘よ……」
闇の中、彼女の声だけが木霊する。恐怖から足は竦んで彼女はその場に座り込む。その向こうに何がいるのか推測できないし、したくもない。ただ彼女は神に祈るしかなかった。
だが、応えられる事はない。闇の中から触手が数本現れ、今度はハーフエルフの魔術師に絡みつく。困惑、恐怖、そして嫌悪に彼女の狂気は沸点を迎える。
「やだやだ! やめて、来ないで! 離してったら!」
彼女は必死に拒み、腰に吊るした全長四十センチ程の片刃のナイフを抜くと触手に突き刺す。しかし、良く手入れされた鉄の刃は肉に刺さるどころか、鈍い音を立て根元から折れる。
「あ」
唯一の望みが絶たれた直後、彼女の心は一瞬潮が引く様に鎮まった。その一瞬の空白を突き、触手は何本も絡んで行き口すら塞がれる。まるで蜘蛛に捕食される蝶の様に。
……引きずり込まれる中彼女は暗闇の奥に『それ』の姿を見る。
それから数瞬後、声なき絶叫が響くもそれを聞き届ける物は何一つない。吐き出された右手もまた再び触手により闇に引きずり込まれ――そして幾許かの静寂が流れた後。
「あ」
それは男の声だった。
「A」
それは女の声だった。
「あ、AAAAAぁああぁあぁぁぁぁぁあああアアアァァァァァァ……」
混成合唱の様に、男の声と女の声それぞれが響く。まるで彼等が一度行った断末魔の絶叫を再生する様に。その最中で声の音域が、女に固定される。
「いヤ、やMEて」
それは知識を、記憶を、心を、魂すらも喰らう。生きたまま脳髄を引きずり出し、己が内に取り込む。そこからは試運転だ。
「お願イ、食べナイで! イや、いや! YAめテッ!」
闇の中、亡者の声が一頻り響く。それは時系列関係なく、末期の言葉はランダムに再生されていく。そして一度ピタリと止まった後。
「《空にいまし、鳥の御霊に希う。風よ、壁となれ》」
その呪文は、風を操り壁を作る『ウインド・プロテクション』だった。それは持ち主そのままの声で唱えられると、闇の中に底冷えする風が一度息吹く。
まるで子供が新しい玩具で遊ぶ様に次々と、脳に詰まった知識と経験を引きずり出し様々な魔術を試していく。闇の中絶え間なく乱舞する数々の彩りの光は、まるで旅人を底なし沼に誘う鬼火の様であった。
後に遺されたのは魔術師が愛用していた杖だけ。ただそれだけが、ここで何があったかを知る全てである。
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