第3話


 アスフォデルスが目を覚ました時、まず目に映ったのは天井だった。次いで自分がベッドで眠っていた事に気付く。身体を動かすと一応は疲労が取れたのが解った。

 起き上がると同時に額に乗せられていたタオルが落ちる。服はボロ同然だったドレスから、袖も裾も余るほどの大きさの淡いピンク色のパジャマに着替えさせられていた。

 辺りを見回すと、そこは宿屋の物と思しき部屋だった。辺りには誰もいないが、飲みかけのお茶が陶器製のコップの上に入っている。ベッドの他には机と椅子、そして簡素な家具類が置いてあり、机の上には小さなフラスコや注射器等の実験器具が置いてあった。ベッド横のくすんだ窓に視線を移すと青空の下街行く人々。そして、一人の魔術師に呪文を唱えられ操られる七メートル程の木のゴーレムが両腕に荷物を抱えながら道を闊歩していた。

「ここは……イシュバーン?」

 街行く人の大半は冒険者と思しき人種が多い。胡乱な頭で人種と石畳に赤茶けた屋根の建築様式を推測して、彼女がいるこの大陸一帯統べるトルメニア王国でも有数の大都市イシュバーンであると彼女は判断する。

 大陸の内陸部に位置し、海に近く森に近く遺跡や迷宮にも近い為、冒険者の中継地点として栄えている。箱庭村からは然程遠くなく、馬車で半日もあれば着く程だ。

 なだらかな平地に築かれ、所々が歪んだ円型の壁の中には七十万人もの人間を収めていた。

 彼女とて人間である、森の工房にこもりっきりという事はなく。たまの息抜きの為に、何度もこの地に足を踏み入れている。胡乱な頭でぼんやりと窓の外を眺めていた時、ドアの開く音がした。

「……あ、おはようございます。身体は……もう大丈夫でしょうか?」

 そこにいたのは昨日と同じ黒髪の女魔術師だった。

 昨日と同じ黒いローブを纏っており、よく見ると分厚い布地のローブには金糸で薔薇の花が所々刺繍されていた。黒いローブの下――その腰には革ベルトが巻かれており、そこに二対の真鍮製の筒の様な物が吊り下げられている。十指には金色の指輪が嵌っており、恐らくそれが杖の役割を果たすのだろう。

 両手にはタオルの浸かった木桶があり、どうやら彼女が看病をしてくれたらしい。彼女は机の上に木桶を置くと、アスフォデルスに近寄り額に手を当て熱を計る。

「うん、もう熱は……ないみたいですね」

 アスフォデルスは咄嗟に何かを言おうとした。が、不思議と言葉は出てこなかった。

 礼を言いたかったのと、この場所の答え合わせがしたかったのと、今は何時なのかと、どうして助けてくれたのか、意識を失う前は小さな子供に語りかける様だった口調が今は何だか目上の者に話すような敬語になってるのは何故か……そうした数々の疑問符がお礼の言葉といっぺんに現れ、まるで船に付く藤壺の様にくっつき、喉を塞いだのだ。

「……申し遅れました、わたしはユーリーフと言います」

「あ、すいません。あ、ありがとうございました……」

 ユーリーフの問いかけから数拍置いて、アスフォデルスの口からようやく出たのはその一言だった。彼女からしても礼の言葉にしては素気なさ過ぎ、何か聞いてもいない。しかし、ユーリーフにはそれで充分だったのだろう。彼女は穏やかな表情のまま口元に手を当てると。

「……元気になっててくれてよかったです。三日も眠り続けてたから、皆も心配してたんです……」

 どうやら三日も眠っていたらしい。自分に起こった事を振り返れば、たった三日で済んだというべきか。

「……ちょっと待ってて下さい、今皆に教えてきますから……」 

 それから約一時間後、アスフォデルスはテーブルに座っていた。服装はピンクのパジャマから、灰色のチュニックと深いこげ茶のズボン。それと柔らかい布で出来た先が丸くなってる黒い靴に変わっていた。

 ……ユーリーフに聞いた所、この宿の女将が家を出た長女のお古を格安で譲ってくれたらしい。階段で下に降りる際、黒髪の女将と鉢合わせすると彼女と共に丁寧にお礼を言った。

 宿屋の下は酒場になっており、昼直前であるが酒場はそれなりの喧噪に包まれている。二十ある卓は半分も埋まっていないが、店側としてはこの時間帯なら上々と言った混み具合だろう。時折ドアに設けられた真鍮のベルが鳴り、途切れ途切れに来客を知らせる。

 名前は〈見えざるピンクのユニコーン亭〉というらしい。黒檀の看板には少し色褪せたピンクで後ろ足が消えかかっているユニコーンが描かれている

「知ってるか、一年前のパルトニルの街の件」

「ゴーレム教団が追い詰められた挙句、眠ってた神鉄の巨兵を暴れさせて街ごと壊滅した奴だろ? それがどうかしたのかよ?」

「実は教主アルンプトラの娘の死体だけは見つからなかったんだぜ。残党共は今でも探してるらしい」

 階下に降りると商人や勤め人が酒を片手にし、他愛のない噂話を交わしている。

 ゴーレム教団とは、かつてこの大陸一帯を中心に活動していた研究機関の事である。文字通りゴーレムに関して研究していた組織であった。ただ、諸々の事があって今は存在しない。

 そんな喧噪から少し外した端の卓。

 テーブルを挟んで向かい側には、左に緑ローブのファンと右に全身鎧に身を包んだあの女がいた。アスフォデルスの右隣にはユーリーフが、彼女に寄り添うように座っている。

 ファンと言うらしい巨躯の女は、最初に出会った時と違わず息を呑む程美しい顔であるが、さりとて浮かべる表情は涼し気な面持ちに似合わない程明るい。それは、なんというか大きな犬を彷彿とさせた。

「うー」

「よかったね君、元気になって!」

「……はい、ありがとうございます」

 アスフォデルスは力なく頷き、相槌を打つ。元々人見知りの気がある女で、そうでなくても人と関わり合う事など余り無かったのだ。何もかも剥ぎ取れば、残ったこれが素なのである。

 つまりは、臆病で敬語を使う事で人との距離を常に測るという所が。

「改めて自己紹介するね! ボクの名はバルレーン。バルレーン・キュバラム! で、こっちの緑色のローブを羽織ってるのがファングイン、黒いローブを羽織っているのがユーリーフ!」

 バルレーンが、そうにこやかに彼女に笑いかける。

 改めて見ると、バルレーンはユーリーフより少し大きかった。背丈は恐らく百六十センチと言った所か、凹凸のある身体つきは今のアスフォデルスには眩しかった。腰には皮の鞘に入った二対の短剣が縦に吊り下がり、背中には切っ先の尖った剣鉈が横向きに吊られている。

 切れ長の鋭い目つきに収まる赤瑪瑙の双眸と、唇から覗く鋭く尖った八重歯といい、何処か猫科の動物の様な印象を与える。

 ――少し奇妙だなと思ったのは、その愛嬌の良さと見目の麗しさに対しての周りの反応である。周囲を見渡すと彼等に話しかける者は皆無と言っていいだろう。端々に座る冒険者達は時折こちらに目配せするのみであった。

「その、遅くなってすみません。ありがとうございました……助けてくれて、本当に助かりました」

「お礼なんていいよ! ね、ファン?」

「うー」

 とにかく明るいバルレーンに対し、ファングインは静かに頷く。それは憮然とした態度というより、犬が主人に呼ばれて答える様な態度だった。

「拾える命は出来る限り拾って後味を良くするってのが、ボク達の基本方針だかんね」

 彼女が礼を言うと、バルレーンはあっけらかんとした態度でそう答え、ファングインもそれに頷いた。

「それで、アスフォデルスだったよね。君の名前」

「……はい」

「凄いよね、アスフォデルスなんて。あの大賢者と同じ名前持ってる人、ボク初めて会ったよ!」

 そんな名前名乗ってる女に名前の事を言われたくない、という言葉をぐっと堪え。アスフォデルスはバルレーンの質問におずおずと答えようとする。

 バルレーン・キュバラムとは大陸でも有名な暗殺者を指す。様々な逸話を持ち、一部では実在すら疑われている。

 ……若気の至りで名乗ろうものなら、成長後に身悶えする事必至だ。具体的に言えば周囲の大人から「あの子も若かったからねぇ」と気遣われるに違いない。

「……ほ、本人です」

「え?」

「だから、私はそのアスフォデルス本人です。“不死の花”、“赫奕たる異端”、“背きし者”とかの二つ名で有名な……あ、あと“大歯車遣い”も有名か。その魔術師アスフォデルス本人なんです」

 バルレーンがたった今言われた言葉を読者諸氏の世界観で伝えるとするなら、ボロ雑巾同然に行き倒れた少女を介抱した後に名前を尋ねたら「自分はエジソンだ、お前も電球を使ってるなら知ってるだろ?」と伝えられたと考えてくれて良い。

 当然、聞き耳を立てていた他の卓からは思わず鼻で笑う声や、吹き出し笑いが聞こえてくる。

「……それで、本当の名前は?」

 勿論、バルレーンのその答えも当然の物である。

「本当です、本当にアスフォデルスなんです!」

「うーん、その言葉を信じるような人がいたらさ。それはそれで問題があるとボク思っちゃうな」

「うー」

 そのバルレーンの言葉に、ファングインが批難する様な唸り声を上げる。

「可愛い顔して凄んでも駄目! 最近は他人になりすます感じの詐欺が増えてるの!」

「ほ、本当です! 何だったらセンスライの魔法を使って下さい、それで直わかりますから!」

「冒険者の魔術師の中に、嘘を見抜く魔法使えるヤツがいると思う?」

 世間一般において、冒険者とは不逞の輩と肉体労働者の中間に位置する職業だ。魔術師が増えた昨今、バルレーンが言う様に嘘を判別する魔法が使えるなら、そいつは別の職業に就いている。

「まぁ、流石に本人ならその魔法を自分に使えばいいじゃんとは言わないよ。ちょっと身体の具合が悪いだろうしね」

 この三日間、この三人で彼女を看病したが故にバルレーンはアスフォデルスの身体の事を熟知していた。正体は置いといて、彼女はかつては魔術を使える身であり、そして今はとてもじゃないが魔術を使える身でない事は信じている。

「……何でも、何でも言えます! 私本人だから、自分にまつわる事何でも言えるんです!」

「多分、正体不明の魔術師じゃなかったらその手は有効だったろうね」

 自分の人生を賭けて纏って来た正体不明のベールがこんな所で仇になるとは思わなかった。バルレーンその答えに、アスフォデルスの青い瞳には気付かぬ内にじんわりと涙が浮かび始めて来た。

 それを見て、バルレーンは眉を変えず質問をしてみる。

「もしさ、本当に正体不明のアスフォデルスだったとしたらさ。魔術師ギルドとか頼って身分保証出来ないの?」

 その問いにアスフォデルスは一瞬だけ考えるも。

「駄目……魔術師ギルドは駄目、です。正体は保証してくれますが、あいつ等は私が何か分かった瞬間何をするか知れたものじゃない、……です」

 内心、ちょっと上手い躱し方だなーとバルレーンは思った。しかし、結局何の解決にもなっていない。そこでバルレーンは先程から批難がましい目で睨みながら、自分の太腿を軽く抓りまくるファングインの左手を無言で叩く。……叩かれるとちょっと痛かったのか、ファングインは手を摩りつつそれはそれで恨みがましそうな目でバルレーンを見た。

「それじゃ、どうやって正体を証明するのさ」

「じゃ、じゃあ賢者の石の作り方を今から言います!」

「それを判別出来るのここにはいな――」

 そこでゆっくりとユーリーフがその黒いローブの裾から上向きに手を出す。

「……わたし、元は研究者だったから」

「ユーリーフは元々そうだったね。いいよ」

 渡りに船とはこの事だとアスフォデルスはそう思った。ユーリーフがどれ程の知識を持つのかは分からない、が出来る限り優しく分かりやすい説明をしなくてはならない。

 そう思って、鼻から息を大きく吸っていざユーリーフの薄紫の瞳を見ると……そこに映ったのは醜い自分の姿であった。三白眼に獣の牙の様な鋭い歯、貧乏染みた茶色の短髪。これがアスフォデルスと言って、一体何人が信じるのだろうか。

 自然と、彼女の首は下に落ち始めていく。

「……アスフォデルスさん?」

「紙と、紙とペンを。……口が回らなくて、お願いですから紙に書かせて下さい」

 萎える心を奮い立たせ、言えたのがそれだけだった。

 ユーリーフから羊皮紙と羽根ペンを渡された後、回らない口とは打って変わって、ペンはまるで紙の上を滑る様に彼女の頭の中を代弁する。十分後、紙の上から下まで細かく埋めた物を黒髪の女魔術師に渡した。彼女が書いたのは昔書いた魔術に関する論文の一節だ、内容は初めて書いた物と一言一句同じである。その薄紫色の瞳が細まるのを見て、アスフォデルスは緊張から思わず息を呑む。

「どうなの、ユーリーフ」

「……率直に言えば、わたしはこの人が魔術師アスフォデルス本人だと思っています」

 目線を紙から外さずそう言ったユーリーフの言葉に、アスフォデルスは一瞬虚を突かれた表情の後笑みを浮かばせた。それを後目にバルレーンは平静に語りかけた。

「根拠は?」

「……この論文だけで言えば内容の信憑性もそうですが、ここに書かれた筆跡に特有の癖が有ります。魔術師アスフォデルスの直筆文章を読んだ事が有るんですが、名前の筆圧や筆順、文字の形態があの時見た時と全く同じです」

 基本的にこの時代に何かを世間に出す時は、写本師という存在を通し元の原稿から読みやすい文章に直してから魔術によって幾つにも複製して出版する。

 畢竟、世に出された本は写本師の文章体で写した物しかなく、直筆の文章を読めるのは限られた人間しかいない筈である。……という疑問点が浮かぶべきなのだが、この時アスフォデルスの心に有ったのは自分の名を信じてくれた事の嬉しさしかなかった。

 それを見て、バルレーンは上手く猫を被ったなと思う。何故なら、彼女ら二人で事前に良い警吏と悪い警吏で行き、彼女の信頼を勝ち取ろうと話したのは目の前にいる黒髪の女魔術師その人であるのだから。

「……それに、わたし」

 と、ユーリーフが続く言葉を口にしたその時である。

「おいおい、待て待てお前ら」

 ファングインの後ろから野太い胴間声が響く。声を掛けて来たのは百八十センチ程の男だった。年の頃は三十代と言った所か、顎髭を生やし粗雑に黒ずんだ皮鎧を纏い、短槍を右肩に当てながら笑う姿はおそらくベテラン冒険者と言った所だろう。

 ひっ、という声を漏らしたのは当のアスフォデルス本人であった。今となっては小娘にとって気性の荒そうな男というだけでも脅威である。

「あ、おっちゃん。何か用?」

 バルレーンがきょとんとした顔で、そう尋ねると男は一度溜息を吐く。

「お前ら、何処まで馬鹿なんだ……えーと、まず何から言おうか」

 男はじろりとアスフォデルスを見た後、彼女を右手で指を射す。

「普通に考えろお前ら。……この小汚いガキの何処見て大魔術師だと思える? 紙に何か書いただけだぞ、誰かが何かを書いた跡なんていちいち覚えていられるか? その女の勘違いだってあり得るんだぞ?」

 男が皮肉気にそう言うと、別の席から『お前は昨日の晩飯すら覚えてないもんなー』と茶化す声が響いた。それに対し、男が『うるせー』と返した後。

「内容だって学者崩れの女の言う事だ。何処まで信じられる」

「やだな、おっちゃん。女四人の会話を盗み聞きって、何か変態みたいだよ」

「酒場でする会話なんて、聞かれて当然だろうが。内緒話をしたいなら、個室を使え」

 粗野な酒場特有の言い分であった。

「ごめん、ここにいる人大抵酒入ってるし入ってなくても馬鹿だからわかんないと思って……つい」

「喧嘩売ってるのかお前!」

 バルレーンのあっけらかんとした軽口に、思わず乗りかけるもそこはそれ大人の男として一度は耐える。短槍の男は気分を変えて後頭部を右手でガリガリと掻く素振りを見せた。

「ならお前等あれか、このガキが大魔術師って言うなら、あそこにいる野良犬は教皇か?」

「ばっかだなぁー、おっちゃん。普通に考えなよ、そんな事ある訳ないじゃん!」

 皮肉を解しての味な返しか、それともただの天然なのか判断の困る物をバルレーンがする。それにファングインも陽気な笑みを浮かべ、ユーリーフは男の機嫌を損ねたと思い狼狽えた。

 それに対し自分より一回りも離れた少女の物言いに、男の怒りが沸点に達しかける。が、その時バルレーンはいつの間にか立ち上がり、男の背中に右腕を回していた。

「まぁまぁ、おっちゃん。ここはボクがお酒奢るから許してよー」

「お前、何時の間に……」

「あ、マスター! ここの皆にお酒振舞ってー!」

 バルレーンがそう言うと、酒場にいる冒険者――特にこの時点で酒が入って上機嫌になってる奴等――が歓声を上げた。冒険者を上機嫌にさせたいなら、タダ酒を奢ればいい。……バルレーンはそのまま男と肩を組んだまま、別の卓に行こうとする。

「後はよろしくね、ユーリーフ。ボクちょっと、寄り道してくから」

 そう言って結んだ赤髪を一房揺らし、バルレーンは盛り上がりつつある卓の中へ消えていった。後を任せられたユーリーフはその言葉に対し、こくりと声なく頷くと、黒髪の女魔術師はファングインの右隣に席を移し。

「……バルちゃんが向こうで他の人達を抑えてくれてるから、多分もうこっち入ってくる人は来ないと思います。だから、もうどんな事をしても大丈夫。誰も聞いていません……」 

 彼女がそう言うと、アスフォデルスは恐る恐るユーリーフに尋ねた。

「あの、さっき言いかけてたそれにって一体……」

「……元々、わたし達はこの街を中心に働いてる冒険者です」

 ユーリーフの口調は若干たどたどしいが、言い淀みはなく聞きやすい。まるで澄んだそよ風の様な印象を受ける話し方だった。

「……それで普段から色んな遺跡や迷宮に潜っているんですが、ある時アスフォデルスに因縁があるという『不凋花の迷宮』と呼ばれる遺跡に潜ったんです。そしたら、これを見つけたんです」

 ユーリーフは胸元から白い包みを取り出し、卓上に置く。

 ――そこで運命の環は一回りを見せた。

 包みを解くと、そこには小指の先程の鮮血をそのまま凝縮した様な石がある。光すら飲み込む程に赤く、磨き上げられた水晶の様に澄んだ結晶体だというのに透明さは微塵もない。その石をアスフォデルスは知っている。彼女の青い瞳が広がるのを見て、ユーリーフは代弁する様に言葉を続けた。

「……この輝き、この色合い。魔術師の端くれのわたしでも解ります、これは最高純度の賢者の石……」

「わかるのですか?」

「……はい。伝承によれば高純度に生成された賢者の石は赤くなるそうです。故に赤きティンクトゥラと呼ばれます。これ程高純度に生成された物はわたし二回しか見た事ありません……」

 黒髪の女魔術師は、卓の賢者の石を指さす。

「一つはこれ。そして、もう一つは……あなたの胸の物……」

 アスフォデルスは自分の胸を撫でた。黒髪の女魔術師の目が昏く光る。アスフォデルスを自分達の味方に引き入れるのは、何もアスフォデルスを哀れんだからではない。黒髪の女魔術師にとっても、『目的』を果たす為に有効だからだ。

「……それに物に込められた魔力は何より雄弁です。わたし魔術師アスフォデルスが姿を消す前に使っていた杖に触った事があるんですが、その魔力とこの石と胸の石に込められた魔力は全く同じ物でした……」

 一息置いて。

「……巷の噂によれば、アスフォデルスは賢者の石を完成させる為、この都市に足を踏み入れたと言います……」

「よく勉強してるな、それ相当古い本じゃないと載っていないぞ」

 アスフォデルスがそう言うと、ユーリーフは謙遜する様に「恐縮です……」と答えた。自分にささる畏敬の念は、美しさを失って傷ついた彼女の自信を少しばかり回復させた。無意識の内に口調は姿を失う前に戻っている。

「……後、もう一つ理由があって。あの着ていた服に……」

「そこにも気づいていたか! いや、お前の慧眼には恐れ入る! あのドレスは私が特によりを掛けて作った物でな! ドワーフから献上されたアダマンタイト、エルフのミスリルをふんだんに使い、尚且つ幾重にも加護を重ね掛けして……」

 喜色を浮かべ、堰を切ったかの様に語り始めたアスフォデルスに、ユーリーフは申し訳なさそうに顔を曇らせ。

「……いえ、その、ドレスに貴方の不死の花が刺繍されてて……不死の花ってこの大陸じゃ不吉の代名詞で、普通の人は敬遠しますし……それに、裏地には名前も」

「………………あ、その何か急にため口聞いて、すみません」

「……い、いえ、年上の方ですのでお気になさらずに」

 気まずい空白が三拍程流れた後、些かのわざとらしさを隠さず再度ユーリーフは言葉を紡いだ。

「……で、でも刺繍された名前の綴りはちゃんと魔術師アスフォデルス特有の癖がありました! 古代の言葉ですよね、アレ……」

「やっぱり見る目ありますね、ユーリーフさん!」

 アスフォデルスの機嫌を取りなした所で、ユーリーフは問いかける。

「……それで、どうして貴方はこんな事になっちゃってるんでしょうか……?」

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