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 時間は変わって、夜。

 官庁街にもほど近い「銀座街」なる繁華街。

 亡命日本人一五〇万人によって開発された旧サンノゼ地域中心部は、商業ビルの灯りと巨大なネオン看板によってギラギラと照らされていた。いかに夜の闇とて、活況に沸く国民の経済活動にはまるで敵わない。

 大通りは人々で賑わう。うねる大河川のような人流だ。消費文化の象徴たるデパートはもちろんのこと、呑み屋メシ屋は特にそうであった。

 山みたいなもやしの量と拳骨げんこつ大のチャーシューがウリのラーメン屋に行列を作る学生たち。次はどこに繰り出そうか? などと赤ら顔なサラリーマンたち。そんな客をつかもうと、両側四車線の手狭な大通りには、日本製の黄色い小型タクシーが目ざとく徘徊している。

 そんな喧騒からは離れた路地裏の、静けさに潜む知る人ぞ知る名店。


「……ん、領事長。ここはシャリがちゃんとうまい!」

「アイリス様にご満足いただけて、ご案内した甲斐がありました」


 アイリスがディナーに訪れていたのは、そこに居を構える純和風な建て付けの寿司専門店であった。

 日本人の寿司職人イタマエに握られた逸品に、アイリスは上機嫌に舌鼓を打つ。彼女の胃袋は底なしだ。オーダーはおまかせなのだが、ものの見事な食いっぷりで結局はメニューすべてを頼むのと変わりはしない。無論代金は推して知るべきだが……、店を案内した領事長にすれば些細なことである。

 合聖国政治を左右するアイリスへの「おもてなし」こそが、彼の職責であり日本の国益であるのだから。

 

「寿司もあらかた楽しかったし、そろそろ話でもすればよかろ」


 アイリスは鰻の寿司を口にほおると、本題に入った。ここから先は外交の世界である。

 寿司職人イタマエも心得ているのか、存在を無にする。見ザル聞かザル言わザル。ただ寿司を握るだけだ。

 領事長はハンカチで汗を拭っていた。

 本題とはすなわち、日本国による核武装の可能性。つい先刻に電車内でアイリスが投げかけた問いに領事長は答える必要がある。


「で、結論どうなん?」

「可能です。元よりわが国でも一部研究者による基礎理論は確立されていました。兵器級プルトニウムも黒鉛炉の建造にいたりさえすれば。とはいえ避けては通れない問題が……」

「政治の横槍やな」


 アイリスは領事長の懸念を見透かしていた。聖大陸に仮住まいな身分の日本国にとって、もっとも由々しき事態。もはや公然の事実となって久しい、合聖国連邦政府による内政干渉。


「わが国の独走を合聖国連邦政府ワシントンD.C.はお許しにはならないでしょう」

「心配せんでいい。わたしがゆるす」


 アイリスは湯呑みのお茶をすすった。

 熱い緑茶を胃に入れて、堂々たる彼女は一息つく。さも尊大ともとれる態度で、臆する様子はみじんもない。

 わたしがゆるす。風になびく民草の寄合世帯にすぎん連邦政府や大統領などなにするものぞ? といいたげな、まるで皇帝のごときふるまいであった。


「しかし。なぜアイリス様は『核』を連邦政府には提供されないのですか?」


 領事長の疑問はもっともであった。

 学院州はラジェシュ・クリシュナ・スィン州知事への政権交代以降、開発と増産に成功した新型爆弾——原子爆弾と、その関連技術の開示を拒んでいた。技術者や移動やプライベートすらも厳しく制限していた。

 もちろんこの方針は学院州民生振興の功労者ことスィン州知事によるものではない。裏で糸をひくアイリスの判断が噛んでいるのは明白であった。


「領事長も異なことを。各州の独立性は合聖国憲法において保障されとう。学院州で開発した核をどうしようと学院州の勝手やろ」

「……いえ。アイリス様はご理解の上とは思いますが、それは外交と軍事を除いた権利のはずです」

「それもそう。やけんこそ、原子爆弾の管轄は州土開発委員会やし、核技術の管轄は科学技術委員会になっとう」


 当然詭弁でしかないのだが、アイリスはのらりくらりととぼけた。

 ともあれ合聖国とは、北はアラスカ州から南はパタゴニア州までの大陸国家にして、南北聖大陸にまたがる各州の連合政体。そして州とは、それ自体が独自の州憲法を持つ事実上の一国家なのである。

 ひるがえって戦後現在。

 学院州はいまや、アイリスが思惑のもとで独立独歩の旗幟を鮮明にしていた。

 北聖大陸アメリカに座する合聖国連邦政府ワシントンD.C.にたいして、中南聖大陸ラテン・コロンビアを代表するラザルス学院州という構図。まちがいなく連邦政府との対立すら覚悟の上で。

 アイリスは国際情勢の絵図を描いていた。

 広大な南北聖大陸をまっしろなキャンバスに見立てて、聡明なる彼女は我が道をゆく芸術家のごとく振る舞うのだ。

 帝政圏に国土を追われた亡命国家群が身を寄せ合う南北聖大陸において、それらの盟主たる合聖国連邦政府ワシントンD.C.の頭すらも飛び越えたカタチで。


「核を明け渡しても、どうせろくなことにならん。それにわたしはいまの連邦政府を好かん」

「……〈帝政狩り〉ですか?」


 領事長が持ち出したのは〈帝政狩り〉なる単語。

 アイリスはそれ以上を答えなかった。


「それはそうと。一週間後の観艦式ではみせてくれるやろ? 取引のものは」

「もちろんです。アイリス様御一行には観閲旗艦の特等席をご用意しております」


 アイリスが口にした『取引のもの』。それは学院州が『核』なる最終兵器と引き換えに、日本に求める対価。すなわち、日本が保有する練度装備共に最高水準の大艦隊——泰平洋最強を誇る海軍力シーパワー


「それは楽しみにしとう。きっと、この握り寿司とおなじ逸品やろうから」


 アイリスは一言つぶやいた。

 そして握りたてのいくらの軍艦を口に放ってはもぐもぐと味わった。


 

 かくして話の舞台はサンフランシスコ湾の象徴ことゴールデン・ゲートブリッジ。

 自由諸国の海軍力が威信を示すべく集うセレモニー。国際観艦式へと移る。

 

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自由の国のアイリス ―合聖国戦記― 【2】日本国喪失 ICHINOSE @tokyotype94

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