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 二章 桑港そうこう事変——サンフランシスコ動乱


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 サンフランシスコ都市圏の東南端。

 かつては長閑な農地にすぎなかった郊外一帯には、いまや100万人口規模の大都市が空前絶後の繁栄を遂げていた。

 住人はほぼ全員が日本人。

 ここは日本国ニホン自治区。半径30キロ圏内において主権を有する亡命国家。帝政圏の占領下に生きることを拒み、故郷を棄ててでも合聖国へと逃げ延びた亡命日本人が住まう、かの日本列島を喪った民たちが築き上げたもう一つの日本国である。




「これが新東京ニュートーキョーかいな。けっこう栄えとうな」


 昼下がりの午後二時。

 とある二人が環状線の電車に揺られていた。ひとりはスーツ姿のお堅い日本人青年。もうひとりは女子学生そのものな純白のブラウスに紺のジャンパースカートの少女であった。

 少女。小柄で華奢な東洋系で、黒のボブヘアに深い藍色の瞳。シニカルでアンニュイな横顔。後ろ姿が放つのは底の知れない雰囲気……。


「べつの街ももっとみれんかいな?」

「アイリス様。当鉄道は環状線ですからお好きな場所でご乗降できます。なんなりとお申し付けください」


 スーツ姿の青年からアイリス様と呼ばれた謎の少女の素性。

 建国の父ラザルスの血を引き、あの大戦においては中東地域を統合した評議国同盟インターナショナルを率い、帝政圏と渡りあった天才少女。アイリス・レイであった。

 そんな彼女は根城たる学院州から腰をあげては北聖大陸西海岸ウェスト・コーストまではるばる訪れ、日本国自治区の一帯を「観光」して周っていた。


「領事長も学院州からついてきてもらって助かる。そっちも忙しかろうに」

「いえいえ。こうしてアイリス様のご要望にお応えすることこそ、日本国外交官としての職務でありますので」

 

 日本国の学院州領事長たる青年はへりくだる。外交官としてたしかな地位にいる彼を伴うほどに、アイリスの影響力は隠然として強大なのだ。

 ラザルスの血統。明晰なる頭脳。

 国家を率いた実績。そして隔絶した魔導力。

 合聖国政治を左右できる老獪なる天才たる所以だ。

 普通電車での市内視察もアイリスが希望したものだ。アイリス曰く、市政を理解するには、民草が見ている景色をおなじ視点で見るにかぎると。

 おまけにアイリスが乗っているのは街々を繋ぐ環状線。気の済むまで乗り降りするには都合も良かった。


「電車内も案外とうな。ミチミチに混むと聞いとったけど」

「この時間は乗りやすいですね。しかし通学通勤ラッシュ帯はおっしゃる通りの鮨詰めです。住人150万人が一斉に移動しますから、現状の輸送能力ではやむを得ないのです」

「それで空前の開発ラッシュに至っとうわけやな。人がいくらおっても足りんそうやけど」

「ええ。しかし学院州サイドのアイリス様のお力添えもあり、建設労働力の面で工期は順調に……」


 合聖国行政区分名にしてカルフォルニア州サンタクララ郡サンノゼ市。かつてはありふれた田舎にすぎなかった郊外地域には、大量流入した亡命日本人らによって別世界の大都市が築かれていた。

 本国の実物と寸分違わぬ御影石と大理石づくりの国会議事堂。そびえ立つ赤い電波塔こと新東京タワー。建設ラッシュに沸く高層造りの一流ホテルにオフィスビル。直径約10キロメートルの環状をなす都市鉄道シンヤマノテ・ラインに、その外縁部交通をカバーする高規格バイパス道路カンナナ……。

 かつての華やかな東京都心部がそのまま複製されたような、それでいてさらなる変貌と増殖を続ける不思議な都市であった。


「1964年の新東京五輪に合わせて、完全高架の首都高速道路と地下鉄メトロも建設中です」

「あのミニチュアで見せてもらった、サーキットとか地下基地とかみたいな完成予想図? あと四年そこらでほんとにできるとかいな」

「ええ。アイリス様にも私ども日本人の底力をお見せできるものと」


 領事長は秘めたる自信で言い切った。アイリスもまた「大したもんやな」と、皮肉抜きにふむふむ感心した。


『——次は秋葉原、秋葉原。お出口は、右側です。中央線は、お乗り換えです……』


 車内放送が流れる。領事長は手短に説明する。


「この秋葉原は日本電産技術の最先端をいくテクノロジー特区と位置付けられています。ラジオ、トランジスタ、半導体製品……。国策で立ち上げられた製造工場区から、自然発生した中古小売通りまで。高度人材からジャンク部品まで触れないものはありません」

「ミサイルも作れると?」

「大きな声では言えませんが」


 上野……。巣鴨……。駅名が変わるごとに領事長は案内を続ける。

 都市計画に従った環状交通網を中心に、多数の重点地域ができあがる。池袋文化特区。新宿経済特区。渋谷興業特区。これらの発展をもって都市構想はひとつなぎの円をなして完成を見るとのこと。さらには域外への鉄道連結も視野に入れており、都市開発はさらなるポテンシャルを秘めているらしい。


「ニホン人の力量はよくわかった」


 がたんごとんと、揺れる電車。

 アイリスはある事柄を領事長へと尋ねた。


学院州うちが持っとう『核』。私見でかまわんけど、ニホンにはあれを運用しきいと思う?」


 その問いを最後に。

 二人の話は、密室の場へと持ち越される。

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