戦後/日本国自治区編

1-1



 一章 散らされた民草、飄々たる宰相。



 [聖暦]1958年12月。

 世界中に惨禍をもたらしたあの大戦が、一応の決着を見てから約三年。

 昼間にもかかわらず、雲に覆われた寒空の下では、人々の熱気と怒号が渦巻いていた。





「「「「近江おうみ! 退陣!(怒号)」」」」「「「「近江おうみ! やめろ!(怒号)」」」」「「「「近江——(繰り返す怒号)!」」」」



 場所は合聖国USS西海岸の大都市圏サンフランシスコ郊外、サンタクララ郡中心部サンノゼ——すなわち日本国自治区の官庁街。

 国会議事堂前の正面交差点には、数万に達する学生の群れがシュプレヒコールを上げている。



『——ただちに解散しなさい!(拡声器での警告)」


『——繰り返します! 我々は日本国自治区、警視庁機動隊であります! 届出の規模を著しく超えたデモは許可できません! ただちに解散しなさい!(拡声器での警告)』



 それとは逆に。血気盛んな若者たちに対峙するのは治安の番人たる機動隊。ジュラルミンの大楯と警棒を頼みに、抗議の声が燎原の火とならぬように睨みをきかしていた。

 他方で。


「……この景色。学院州で見たな」


 騒ぎの場所からは数キロ離れた高台にある、まるでひと気のない喫茶店のテラス席。丸テーブルに着くのは、スーツ姿の青年と老人の二人組。彼らは見晴らしのいい景色を楽しむわけでもなく、コーヒーを口にしながら騒ぎに沸く官庁街の方角を導石式双眼鏡ビノキュラーでながめている。

 彼らこそが、日本国自治区への架け橋となるべく合聖国西海岸サンフランシスコへと訪れた使者。青年ウィリアム・ホワイトと老年の執事長バトラーであった。


「なんでもホワイト様。日本国サンフランシスコ自治区の平均人口年齢は24歳とのことです」

「いつ聞いても学院州並みの若さだな」

「各国ともに、大戦末期に亡命が進められたのは将来のある生徒学生層から、各省庁の若手中堅エリートや大企業の高度技術者でしたから」

「道理だ。ここが正念場というやつか」


 日本国の芳しくない現況に、青年ホワイトは理解を示す。

 政情不安。戦後の混沌はどこも同じだ。

 行き場のないエネルギーをぶちまけるばかりで、一般市民の不平不満は収まる兆しがない。学生まみれの学院州にせよ亡命国家の自治区にせよ事情は同じ。そしてリーダーは苦悩するハメになる。かつて背中を預けた戦友ユーリア・エイデシュテットがそうであったから、ホワイトはよく理解している。

 国家統治。リーダーの在り方。

 目前のデモ対応がまさに、それらを問うリトマス試験紙なのだ。

 差し迫った危機において、リーダーの示す道とは二者択一でしかない。押し通すか。もしくは譲歩するか。

 強硬に出れば流血は必至で、一般市民からの反感をまねいて統治能力を損なう。弱腰に出れば政府の統治能力を疑われ、対外勢力から足元を見られる。

 よって危機においては、国益を守りつつ事態をいかに軟着陸させるか。リーダーに問われるのは政治的手腕とバランス感覚、信念と器量なのだ。


「ホワイト様、見えますか? 官庁街裏手の交差点付近に三箇所。カルフォルニア州軍の戦車小隊です。治安部隊の後詰めでしょうか」

日本国ニホンも気の毒だな。仮にも同盟国の軍隊から、しっかりやれと背中に刃物だ。機動隊が崩れれば、待ってましたと出撃とかいうシナリオらしい。内乱条項はまだ未成立なのにな」


 案の定と。ホワイトは同情する。

 国力の差が外交関係を規定する。いまの合聖国USS日本国ニホンの現状がそうらしい。


「……既成事実ということでしょう」

連邦政府の腰巾着カルフォルニア州政府も無茶をしやがる。口では法と秩序の支配を謳いながら、そんな姿勢で民主主義国家の盟主ヅラができると」


 ホワイトは不愉快に思った。

 ホワイトは純然たる合聖国人ではなく、帝政圏スラム出身の孤児で、あの大戦で戦場を渡り歩いた〈魔導師〉。表向きは合聖国出生ということにアイリスの小細工でなっているが、それはともかく合聖国USSなる国家体制には一歩引いた目で見ている。


合聖国USS、か」


 ホワイトは知識を反芻する。おおよそ二世紀前。建国の父ラザルスたちが打ち立てた、夢と理想の実験国家。移民や技術や文化を遍く受け入れ、民主主義を標榜する自由の国。

 欲望に忠実で、実際的で合理的。しかし冷酷で横柄で拝金主義で、違う他者を受け入れるだけ受け入れて、それで違いに絶えられずに摩擦を引き起こしてしまう。

 良くも悪くも「デカくて強い国」だ。


「結局やつアイリスは、ニホンをどう扱うつもりなんだろうか」

「ホワイト様にはお話になられていないのですか」

「例の秘密主義だ。いつものごとく裏でコソコソと。そういう執事長バトラーさんはご存知ないと」

「……いえまったく。この手に長けた者は、私めのほかにお抱えらしく」


 ホワイトの立場は、アイリスに仕える外交官ということになっていた。

 ホワイトの任務は一つ。日本側の「さる人物」とコンタクトを取ること。


「それで執事長バトラーさん。落ち合うのはここで間違いなかったよな?」

「はい。時間もそろそろのはずですが……」


 そうこう言葉を交わしているうちに。

 ひとりの女性客が訪れた。客はホワイトらのほかに誰もいなかったので彼女は尚更目立った。

 東洋系の小さな女だ。少女で成長が止まったような細身でスタイルにくびれがない。チープそうなサングラスに、頭にはベレー帽。服の色調は地味めなアースカラー。薄肌色のワンピースに薄灰色のカーディガン。

 なんの変哲もない客。しかし。

 ホワイトは妙な予感を覚える。そいつの纏う微笑ましさや初々しさの類とも違った。どこか余裕を感じさせる底の知れないふるまい。

 もしやすれば〈魔導師〉か? と。

 ホワイトは思ったそばから。



「へいへいウェイターくん! いつものをだしてくれまえ! 三人分!」



 小さい女はあざとい声で頼んだ。店員は慣れた感じで対応。彼女は喫茶店の常連らしい。ホワイトは気を取られた。何を頼んだかは知らないが三人分とは。見かけによらず大食いなのか。アイリスじゃあるまいし。


執事長バトラーさん。念のため聞いておくが、アイリスの関係者ってことは」

「……いえ」


 外見という注文といい、違和感。得体の知れなさ。ホワイトは訝しんだ。性格の方向性はまるで違うが、謎の女性客にはアイリスと似たものを覚える。

 ともあれホワイトが交渉相手と落ち合う時間はとうに過ぎていた。

 そして遅まきながらではないが、ホワイトと執事長バトラーは「覚えのない来客」を察知した。


「……執事長バトラーさん。どこぞの〈魔導師〉様がおでましだ」

「ええ。西と北と南に、各四名。中隊規模。しかし敵意は感じられません」

 

 ホワイトらは平静を保ちつつ、それとなく構える。

 先方は来ない。預かり知らない〈魔導師〉の気配。嵌められた可能性。

 喫茶店の店員を除けば、ここに居るのはホワイトと執事長バトラーと謎の女性客だけ。

 店員が軽食のサンドウィッチを持ってくる。女性客のテーブルへと。


「……ウェイターくん。もう二つはそちらのお二方に」


 女性客はあらぬことを言った。

 当然ホワイトらも面食らう。そして女性客はホワイトらに向き合って話し始めた。

 

「あなたがたがアイリスさんからの方ですよね? まわりくどい形になってしまって、ほんとにごめんなさい〜!」


 目前の謎人物の、にこやかな笑顔。

 ホワイトはしてやられたと思う。特徴をよく見れば新聞やニュースで目にした人物ではないか。

 ほおがもっちりと四角い童顔。黒縁メガネの奥に光る得意げな瞳。眉の太い垂れ目。150センチほどの小柄な背丈に、キノコにも似た黒髪のワンレングス・ボブ……。

 アイリスの言っていた「さる人物」。

 まさかいきなりそのレベルが来るとは。

 その彼女はチープなサングラスを黒縁メガネに付け替えて、堂々と名乗った。



「わたくしは日本国内閣総理大臣、近江おうみふみといいます! どうか、よろしくお願いします!」

 

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