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「今日もお元気そうでなによりですな。近江オーミ総理」


 サンフランシスコ郊外に位置する、日本国臨時政府の官庁街。その中央に居を構える首相官邸の、さらに地下三階。

 その「図面上に存在しない」会議室では、仕立ての良いスーツを着こなした大柄な男が総理を迎えていた。

 彫りの深い顔。茶色の顎髭に丸刈り髪に、蒼い瞳。他ならぬ合聖国人の政府高官。


近江オーミ総理は、先日に35歳を迎えられたとか。それでもまだまだティーンガールのようなお顔で、今日もキュートなのが驚きだ」


 パチパチパチ、と。

 わざとらしい拍手。

 自分だけは部屋の中央でデスクチェアに腰掛けて脚を組み、口寂しいのか手元のコーヒーを啜る。他方で呼びつけられた日本国の閣僚一同は、ドアの前で立ち尽くすままである。

 仮にも主権国家同士の外交であるはずが、対等とはかけ離れた扱い。

 まるで、領主へ許された謁見のような構図。


「それがですね大使。わたしの見た目もなかなか困ったもので、幼く見えるからもっと威厳見せなさい! だなんて、いろんな方からよく言われます〜」


 不遜な大使から上からの目線で誉められた総理は、あくまで笑顔で冗談めいて返した。

 そんな「総理」と呼ばれる地位にある女性。

 名前は近江おうみふみ。

 年齢は35。国家のリーダーとしては異例の若さである。

 しかし彼女の外見はさらに若く……いや、幼く見える。

 ほおがもっちりと四角い童顔。黒縁メガネの奥には得意げな瞳が光る、眉の太い垂れ目。150センチほどの小柄な背丈。キノコにも似た黒髪のワンレングス・ボブ。


「大使。ご用件とはなんです?」


 近江総理はあくまでも、ほんわかとした口調と表情で要件を尋ねる。

 その雰囲気といい、地味なアースカラーのフォーマルスーツもあいまって、どこかの学校に紛れても違和感はない女性であった。


「こちらですよ。近江オーミ総理」

 

 大使の手によって、書類の束が卓上に放り出された。

 近江総理は動かない。脇に控えていた閣僚が取りに行っては読み通す。しかし、さして間を置かずに閣僚は青ざめたのだ。

 

【聖日安全保障条約および聖日地位協定の改定案】


 合聖国軍による日本国国防隊への戦時作戦統制権の拡大。

 合聖国軍による無制約の基地共同利用、および保有装備の共同運用。

 合聖国軍将兵および軍属に対する裁判権の放棄。

 内乱条項の付与。徴兵制導入および予備役制度拡充……。

 

 

「これが我が合聖国連邦政府ワシントンD.C.からの草案ドラフトだ。近江オーミ総理、貴国にはさらなる献身を期待する」 

「(警察庁長官)お言葉ですが大使、サンフランシスコ会議での日聖共同文書において日本国の主権保障は明確に、」



「——シャラップッ!!」



 大使は突然、短く怒鳴った!

 大使は日本側の反論を遮り、会話に割り込んだ閣僚に指を刺して高圧的に制する。



「私はなあ! 近江オーミ総理と話をしているのだが!?」



 そう言ってから、間髪入れずに大使は一方的に続ける。

 我が合聖国と貴国の立ち位置を、まだ君達は理解できないのか?

 君達はここを、どこの国だと思っている?

 いったい誰が、君達の世話をしてやっていると?

 貴国は国土を失った敗戦国で、我が国は庇護国なのだ。わかったのなら大人しく紙束を受け取って、我が合聖国の望む回答を出して見せろ。といった具合で話に区切りがついた。

 大使は日本側の閣僚たちを威圧するように、ぬるくなったコーヒーをふてぶてしく啜る。

 

「……ご多忙な大使におかれましては、心中お察しいたします」


 近江総理はぺこりとお辞儀をする。

 小柄な見た目の幼さも相まってか。まるで説教中の教師にポーズだけでも頭を下げてみせる、抜け目のない生徒のようにみえた。


「民主主義国家での政権与党には、なにより結果が求められます」


 ニコッと笑い、近江総理は続ける。


。ではわたくしたちは官邸うえに帰りますね?」


 近江総理は下手には出ても、気圧されることはなかった。

 間延びした声。にこやかに受け流す。発言は当然皮肉。冷や汗でもかいているような表情の閣僚を引き連れて、会議室を後にする。

 退室は当然、眉間にシワをよせる対日外交の重要ポスト——合聖国駐日大使の指図に関係なく、である。


「……近江オーミ総理。ひとつアドバイスだ。なんでも最近は、官邸の周りにアイリスの臣下どもがうろついているとか」


 苦々しげな大使の声。

 近江総理は立ち止まる。しかし振り向きはしなかった。


「賢明な近江オーミ総理はお分かりだろうが、くれぐれもあの小娘アイリスの妄言に耳を貸さないことだ!」

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