第5話 クレトと魔女と、ただのバカ

「僕と一緒に、世界を救う旅をしてくれる人を募集しまーす!」


 昼間から道端でそんなことを宣伝する、金髪の少年がいた。クソダサい手作りののぼりには、『勇者の仲間募集』とだけ、でかでかとした字で書かれている。

 クレトは最初、間抜けな宗教勧誘かと思った。少年の見目が、あからさまな程それっぽかったせいもある。


「『運命の子』とともに戦いませんかー!」


 ここは大司教の父親たる領主のお膝元であり、声の大きな人間には特別厳しい街である。どうせこの少年も、明日には見なくなるのだろう。

 結局、無視してさっさと通り過ぎた。関わって、一緒にしょっぴかれたら最悪だ。クレトだけでなく、ほかの通行人もみな目を逸らしていた。


 それが教会に選ばれたホンモノの勇者らしい、と街中の噂になる頃には、その金髪の少年の前には、長蛇の列が出来るようになっていた。

 クレトもそれに並んだ。もうめっっっちゃくちゃに時間がかかった。

 列は亀の歩みよりものろかった。遠くから見たら微動だにしてないのでは、と思う程には進まなかった。

 さっすが勇者サマ、一人ひとりにご丁寧な対応をしてらっしゃるんでしょうねえ!

 と、クレトは内心ブチギレていたが、それがだからでなく、ルゥ自身の律儀さ故だと理解するのは、これまたもう少し後のことである。


 クレトが勇者サマの仲間になりたかったのは、単に職が欲しかったからである。

 スラム街生まれ・孤児育ち・住所不定無職。分かりやすく、かつそこそこに権威のある社会的地位が欲しかった。

 器用さと胆力、ついでに逃げ足には自信あり。それに生き抜くため、隙無く腕を磨いてきた。

 しかし、選ばれるとは思っていなかった。なぜなら、『スラム育ち』で、『特技:気配を消すこと、俊敏な動き』――なんて、一瞬で背後にある経歴等が見抜かれてしまうだろうから。

 しかし、ルゥはクレトを仲間に選んだ。面談後すぐ、宿に通知が届いたときは心底驚いた。

 それからは、クレトもルゥの仲間選びに付き合った。普通のオッサン、普通のオッサン、腕白なガキ、普通のオバサン、ヨボヨボのじいちゃん、グレたニイチャン、元気なネエチャン、普通のオッサン、元気のないバーサン――。少人数の腕自慢を除けば、だいたいがそんな奴らだった。違う世界に行きたい、非日常を味わいたい……。必死な奴もいて、それが一番面倒だった。

 ルゥは熱心に彼らを説得した。馬鹿にすることも貶すこともない、彼らを認めつつ、自らの言い分を認めさせた。


「戦えない人が来るのは困るよね。仲間になってもらうわけにはいかないよ」


 終わったあと、ルゥはそうぼやいた。

 お、愚痴か、とクレトは思ったのだが、


「ああいう人達を守るために、僕がいるのに」


 だった。

 クレトは、お人好しバカののん気者、というルゥへの見方を変えた。

 コイツは本物だ。

 本物のお人好しバカののん気者で、そして、かなりの大物だ、と。


 結局、仲間として選ばれたのはクレトだけ。

 正義感満載の腕自慢だっていたのに、彼らは全員却下された。ルゥが判断した結果だったが、クレトに文句はなかった。だってそんな正義感を持ち合わせたやつ、いつ「クレトみたいなやつは仲間から外そう」と言い出すか分からない。クレトは心底安心した。




 勇者の旅、なんて聞くと大層なものに聞こえるが、目的なんて無いに等しかった。


「世界中を旅して、困ってる人を助けるんだ」


 地獄巡りか?

 クレトは愕然とした。冒険者とかいう魔物専門の殺し屋みたいな奴らがいるが、あの根無し草どもとほとんど変わらない――いや、それよりひどい。


「ええと、最初に説明したよね?」

「言ってたけど! それだけがそのまま目的だとは思わねぇだろ! そんなことして、何の意味があるんだ?」

「困ってる人たちが助かる」

「そうじゃねえだろ、いや、それもあるけど……『運命の子』だろ? クソみたいな運命とかを捻じ曲げられる、なんか凄い奴なんだろ? もっとなんか無いのかよ!」

「無いねえ」


 ルゥはへらへらと笑った。


「なんなんだよ、それ。お前もしかして教会に嫌われてんのか?」

「うーん。それも少しあると思うけど」

「あるのかよ……」

「教会なんて言っても、上にいるのは貴族ばかり。生まれついての権力者は、ずっと権力者。僕は、そういうものさえ捻じ曲げられる存在、と解釈することもできる。らしい」


 本の一文でも読むかのような説明だった。


「それに、実際のところ、『運命の子』が登場したきっかけは、王権神授説を打ち倒したかった教会側の政治的活動であった。らしいよ?」

「はー、歴史とかは俺にはよく分からんけど……。それならそもそもお前、本当にそんな、運命を捻じ曲げる力なんて持ってるのか?」

「力があるというか、それを神に許されているから、結果そういう力が備わっているように見える――らしい」

「らしいって……確証もないのか?」

「確証はあるよ。僕はこの世界に選ばれた。その実感も当然ある」


 だから教会の人間がルゥを迎えに来たとき、当時まだ五歳だった彼はその手を拒まなかった、とルゥは説明した。幼いながらも、与えられし役割があると理解していた……らしい。

 クレトは、「ふーん」と相槌を打ちながらも、世界に選ばれた実感なんてもの、本当にあるのか疑っていた。それについて確実にわかることは、一生分からないだろうということだけ。

 ただ、ルゥが嘘を吐いていないことだけは分かる。短い付き合いだが、分かる。彼は誠実そのものだ。クレトが呆れるくらいに。


「で、果たすべき役割が、目的なしの世界放浪旅ってなあ……」

「果たすべきじゃなくて、与えられた役割だって。それをどう使うかは僕次第で――」

「はいはい。ところで、その運命捻じ曲げパワーって使ったことあんのか? 使える能力なのか?」

「これかな、っていうのは小さい頃に一回だけあったけど。それくらいかな?」


 あっけらかんと言ってのけるルゥ。クレトは痛くなってきた頭を抱えた。

 生まれて初めての真っ当な就職先。失敗した、と思った。




 しかし実際のところ、ルゥとの旅は悪くなかった。

 教会で大切に育てられた箱入り息子かと思いきや、クレトよりも旅に馴染んでいた。野外での料理もうまいし、野宿も平気で行う。

 人が住む場所では、勇者であるルゥは誰からも熱心にもてなされた。貴族も教会も、「困ってる人を助けるために世界を旅する」――つまり無害かつ善良な存在であるルゥを、使える便利屋か使える人気者程度にしか思っていないようだった。クレトも、栄誉ある勇者の仲間として、丁重に扱われた。

 それにそもそも、ルゥは普通にいい奴だった。それに尽きる。


「危険なことも全然無いし、旅ってけっこー快適なんだなー」


 某領主の屋敷で、雲上人らしいふかふかベッドで寝転がりながら、クレトが思わずそう零すと、ルゥはほっと口角を緩めた。


「そっか、……よかった」

「ん、何がだ?」

「だってクレト、最初はあんまり乗り気じゃないみたいだったからさ。……無理に付き合わせちゃってるかなって、心配してたんだ」

「いや、俺が応募したんだぞ!?」

「それでも、想像とは違うだろうし……嫌なことに、付き合わせたいわけでもないからね」

「(俺がルゥだったら、俺のケツ蹴っ飛ばしてるのに……)」


 何食って育ったらこんな発想になるのか。クレトは愕然とした。とりあえず残飯でないことは確かだ。クレトと同じくルゥにも両親はいないらしいが、教会で大切に育てられたらしいから。

 しかもルゥには、仲の良い幼馴染(女)までいるらしい。グラニアという名前で、とても優しくて賢くて、少し内気で寂しがり屋なんだとか。

 なんだこの格差……。


「ま、とにかく旅が気に入ってくれたのならよかったよ」


 そう言ってルゥがへらへら笑ったので、クレトも釣られて笑ってしまった。


「そうだな。つまんねー街でクソみたいな暮らしするより、ずっと快適だよ」




――いや快適過ぎない?


 それに気付いたのは、旅にもすっかり慣れてきた頃だった。


「(いくらなんでも快適過ぎる!)」


 道中の魔物は肩慣らし程度の雑魚しか出てこない。危機的な状況にあるだろう町や村に向かえば、大概が解決してしまっている。或いは何かしらの勘違いであったなど、都合よく事が運んでいってしまっている。

 最初のうちは、まあそんなこともあるだろう、と笑っていたが、こうも繰り返されると明らかにおかしい。

 極めつけは、


「どうしたのクレト? 後ろに何かいる?」

「いや……」


 勘違いみたいだ。

 そう伝えると、ルゥは「そっか」と笑って手元のサンドイッチにかぶりついた。クレトの手元にもあるそれは、濃厚な味わいのハムサンドだ。野宿の足しにしてくれと、前の村で貰ったものである。

 しかし、今は全く味を感じない。クレトは無言でサンドイッチを頬張る。背後から、謎の視線を感じつつ。無視して黙々と頬張った。

 やけに喉が渇いた気がするのは、パンに口内の水分が吸い取られたせいか。塩のきいたハムのせいか。それとも。


「(絶対、なんかいる……!)」

「で、それから……クレト? 聞いてる?」

「えっ、ああ、うん。なんだっけ?」

「明日の予定だよ。ぼーっとするなんて珍しいね。具合でも悪いの?」

「まさか! ただちょっと考え事しててさ。ははー」

「そっか。無理はしないでよ?」

「俺がンなことするかよ」


 べ、とふざけて舌を出して見せると、ルゥはけらけら笑った。



――その夜の番で、うとうとしたのが間違いだった。

 クレトが魔物の気配を感じたのは一瞬、距離を詰められたのは腰のナイフを掴む直前。魔物は猛禽の鳥に似ていた。鋭い嘴、空の眼窩には青い炎が灯っていた。放たれた矢のような勢いで地面すれすれに飛び、焚かれた火も恐れずクレトに襲いかかってきた。

 死ぬ、寝落ちのせい、自業自得――間近に迫る鳥を前に、いくつかの単語が脳裏を駆け巡った。


「死ね」


 あわや嘴に腹を貫かれる直前だった。その時はこの鳥類の魔物が、若い女の声で喋ったのだと思った。――どこからともなく現れた無数の影の針に、その魔物が全身を串刺しにされるまでは。


「え、」


 呆気にとられ、命の危機から開放された安心感から、気付けばクレトは地面にへたり込んでいた。

 そんな彼の眼前にゆらりと降り立ったのは、浮世離れした格好の女だった。

 どろりと濁った沼底のような昏い目で、虚ろにクレトを見下ろしている。見たことのないデザインのスカートから、指先まで覆った長手袋まで黒い。貴族のように長い黒髪は、妙にふわふわと浮いて、広がっていて。


(……人間じゃ、ない?)


「あなた、」


 女は、人の皮を被った生き物に見えた。感情の無い――人間から程遠い、理解しがたい存在。虫や、植物のような――色どころか音すら飲み込む、黒い、そこにぽっかり空いた、ヒトの形をした虚ろであるかのような――


「死にたいの?」

「…………なぜ、俺を助けた?」


 クレトとルゥを以前から監視していたのは、きっとこの女だ。でなければ、こうも都合の良いタイミングでクレトを助けられたはずもない。そこに何の企みがあるのか、それを今ここで、確かめておかなければ。

 クレトは真面目にそう思ったのだが。


「はあー?」


 女の、死人の顔のような無表情が、

 不快さに思いっっっきり歪んだ。


「だぁーれがっ! お前如きを助けるって!? 図に乗るなよ、自意識過剰のクソ雑魚が! お前程度、助けるも何もない!」


 その変わりようにも驚いたが、初対面の相手にボロクソに貶されたということに、クレトは驚いた。この旅のなかで、そんな言葉をぶつけられる機会なんてなかったためだ。


「……じゃ、じゃあなんで、あの魔物を殺したんだよ!?」

「あなたが死んだら、ルゥが悲しむ。私にとってあなたは、有象無象の命のうちの一つに過ぎないけど。ルゥにとってあなたは、大切な仲間なんだもの。だからルゥのために、あなたは死んではいけないのよ」


 あっけらかんとした女の言葉を、クレトはしっかり噛み締めて。


「……ええと、つまり……俺が死なないように、助けてくれたってことで、合ってるんだよな? その、ルゥのために」


 女は無言のまま頷く。

 助けてないと言ったり、助けたと言ったり、よく分からない奴だが――とにかく、慎重に接する必要があることだけは理解した。


「つまり、ルゥの知り合いか?」

「か弱くて可愛いルゥは私の永遠の光」

「???」

「優しさと誠実さの体現者、この世の至高、私の心の灯火……」

「……なるほど。それで?」


 クレトは流した。


「か弱くて可愛い私のルゥを守るために、私はルゥをずっと守ってきたの」

「お前会話下手くそ過ぎない?」

「つまり、私はルゥの影の護衛……あの子をこのくだらない旅から守るためなら、私はなんでもするわ……」


 うっかりツッコミをいれてしまったが、女は無視した。

 目の前にいるクレトに毛ほども興味が無いことが、その視線や言動からありありと伝わってくる。


「……こうしてあなたの前に姿を現したのはね、あなたがこの私に気付いていたからよ。たまにいるわよね、あなたみたいな、勘のいい生物」

「(生物……、)あいつが鈍いだけじゃねーかな」

「だからルゥは可愛いのよ。危なっかしくて繊細でか弱くて、だから私は彼を守ってるんだから」

「はあ。それで? なんで俺の前に姿を現したんだ? 目的は?」

「黙ってろ」


 女は口元だけに仄かな笑みを浮かべ、声を荒げることもなく。クレトにそれだけを命じた。


「私のことを、ルゥには決して伝えるな。勘付かせるな。破ったら――賢いあなたなら、分かるでしょう?」

「……それだけでいいなら、お安い御用だ。俺だって危ないことなんかしたくない。先回りして片付けてもらえるなら、これほどありがたい話はない」

「理解が早いな。――ああ、よかった! 私、悪いことはしないって決めてるから、そうならなくて本当によかったわ!」

「俺だってね、この安全快適な旅を気に入ってるんだ。まさかお前のお陰だったとは知らなかったが――」

「気にしないで。だって今までのこと全部、いえ、私の全ては、ルゥの為にあるんだもの!」


 まるで歌うように上機嫌になって、女は声を上げて笑う。


(おいルゥ! コイツぜってーおかしいよ!)


 クレトは心の中で叫んだ。

 が、それと同時に、ルゥへの第一印象も同じようなものだったことを思い出した。もしかしたらこの女もよく知れば、実は真っ当な、まともなやつなのかもしれない――と、クレトはこの時そう思ったが、彼から彼女への評価は、その後どれだけ時間が経っても変わらないままである。

 閑話休題。


「とにかく。これからよろしくね、クレト」

「こちらこそよろしく。……そうだ、お前の名前は?」

「私? 私の名前は――」


 そしてこの影の護衛が『グラニア』という名で、ルゥの「とっても優しい、真面目で内気な幼馴染」であることを知り。

 クレトはルゥへの、『お人好しバカののん気者(かつ大物)』という評価を、『ただのバカ』に変えたのだった。

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