不死身な冒険




 玄関の扉を開くと、そこは異世界だった。


「……は?」


 獣の尾を生やした冒険者に、車を引く竜、明らかに中世ヨーロッパ風の町並み……




――間違いない、異世界だ。




「何だこれドッキリか?嘘だろ……」


 ドッキリにしては手が込みすぎだ。明らかに、日本とは空気や匂いが異なる。


あれっ?というか俺どっから入ってきて……


「そうだ!ドア!」


 そう思い出して、全力で首を曲げる。


――驚いた顔の猫耳おじさんが立っていた。


「な、何でしょうか……」


「い、いえ何でも、ない…です」


あっ言葉通じる…いやいや、違う違う、そんなことよりも、もっと重要なのは……


――帰れないッ!?


 そこで、自分がやけに身軽なことに気付く。


「……バッグがない!」


 高校からの帰りだったのだ。背中にリュックを背負っていたはず。ついでに言えば、ポケットに入れた鍵もなければ、スマホもなかった。


「ど、どうしよう…」


――どうやら俺は、異世界転移をしてしまったらしい。




※※※※※※※※※※※※※※※




 その後は大変だった。


 いつ帰れるんだろう、と不安に駆られながらも、まあせっかく来たんだしちょっと見て回るかあ!なんて観光気分で町を歩き、迷子を介抱、悪漢に追いかけられ、少しの冒険を楽しんだ。


 しかし、それも日が暮れるまでの話。夕焼けは、人を孤独にするのだ。俺は、いよいよ焦ってきて様々なドアを開閉した――効果なし。道行く人に,地球や日本を訊いて回っても首を振るばかりだった。


 仕方がないので、ブレザーを服屋に持っていき、案の定珍しがったので、少しばかりのお金に換えて貰った。そして、とりあえず宿屋に行こうと思ったのだが、そこでふと考えてしまう。


――これ、いつまで続くんだろうか。


 明日になったら、全部夢でした!なんて最高のジョークはこの際置いておいて、どうやって来たかも定かではないのに、帰る方法なんてもっと分からない。最悪、ずっとこのままの可能性も捨てきれない。さらに、この世界で生きていくなら、行動は早ければ早いほど良い。まだ、心の余裕があるからだ。

 

 そんなわけで、俺は宿屋に住み込みで働くことを申し出た。日本で学んだ最低限の教養と、断られたら死ぬかもしれないという俺の必死さ、なにより主人の優しさによって俺は事なきを得た。このときほど、言語共通を感謝したことはない。そして……




 今、俺は主人が貸してくれた屋根裏部屋にいる。備え付けのベッドに腰掛けながら今日を振り返っている真っ最中だ。


「ふぅー、疲れた……」


 脱力したように寝っ転がる。日本に比べたら粗末な、野宿に比べれば三つ星ホテル級のベッドだ。


 この先どうなるんだろうか――俺は考える。


 とりあえず衣食住は確保した。転移して一日で全てがそろうなど、一生分の幸運を使い果たした気分だ。ここの夫婦には感謝してもしきれない。


「死なないように頑張んねえと」


 まぶたを閉じた。


 疲れていて、夢も見なかった。夢は覚めてくれなかった。




※※※※※※※※※※※※※※※




はあいッ、おはようございますッ!


 あれから、一週間が経ちました。相変わらず、ドアを開けても家には帰れませんっ。


 仕事には少しずつ慣れてきました。宿屋の朝は早いです。まず、清掃。もたもたしていると後の業務に差し支えます。かといって手抜きもダメダメ。迅速かつ丁寧に!が大切です。


 続いて、調理のお手伝いや接客。働き盛りのお客さん達はたくさん食べます。注文と、食事の運搬で中々休めません。食事が落ち着き、片付けや、部屋の掃除・整理が終わってやっと少し休憩。午後の準備を進めつつ、雑多な作業を終わらせます。


 夜は、酒場と化した食事スペースを動き回ります。冒険者さん達から武勇伝を話してもらえました。


最後に、片付けと明日の準備をして終了。


 こうして一日を終えます。仕事は、大変ですがやり甲斐もあります。お客さんの笑顔やお礼の言葉は、何よりのご褒美です。


 さらにさらに!なんとこの世界には魔法があるのです!火の魔法石が埋め込まれた調理器具から、水と火の魔宝石によるシャワー、果てには冷蔵庫やトイレまで!


 この世界では、魔法が生活に深く関わっているんですねっ……



 茶番はこの辺にして、仕事が終わると部屋に帰ってベッドに突っ伏す。部屋には、必要最低限のものだけ置いてある。日本にいた頃は、スマホのない生活など考えられなかったが、慣れればどうってことはない。一日中動きっぱなしで身体はくたくただ。何をする余裕もなく直ぐ眠ってしまう。

ただ……


――ただ、毎晩考えてしまうのだ、あの懐かしい日本の生活を。

 

 父さん、母さん、妹の千尋。それから友達。


 父さん。いつも無口で、たまに


「学校はどうだ?」


って聞いてくるけど、俺の交友関係を言ったことなんてないから、


「普通だよ」


誤魔化してた。もっと話せば良かった。


 母さん。なにかと小言が多かった。でも、それも俺のために言ってくれていたんだよな。ありがとうって伝えたい。


 明日と言えば、千尋の誕生日だ。ちょっとした、プレゼントを用意してたから、渡したい。まあ、図書カードだけど。


 そういえば、明日課題の提出日だ。今日徹夜しようと思ってたから何にも手をつけてない。


ああ……


「――帰りたい」


 俺は、枕を濡らしていることにも気付かず意識を落とした。




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




 明くる朝、目が真っ赤に腫れた俺はおじさんおばさんに心配されながらも、俺はどこかスッキリした気持ちでいた。


 どれくらい時間がかかるのか分からない。そもそも方法があるのかさえ定かではない。それでも、それでも……


絶対に日本へ帰ってやるッ!


 気持ちを固める。


と思った矢先、


「失礼、一緒に来て貰っても良いかな?君」


――いかにも高級そうな服飾を身に纏った男がやってきた。



 

 男はグレイスと名乗った。グレイスは、俺が売ったブレザーを発見し、ここまで突き止めたらしい。


  身体中から厄介臭を撒き散らすこの男の誘いなんて当然断ったのだが、有無も言えず男の馬車に乗せられ、行き先も分からず連れて行かれた。




※※※※※※※※※※※※※※※




 連れてこられたのは、この中世に似合わない現代的な研究所だった。真っ白な壁に無機質な照明、ロボットのように感情を表さない研究員。正直、この時点で嫌な予感を感じていた。そして、俺はここで抵抗しなかったことに文字通り死ぬほど後悔することとなる。


「君には、これからここで生活してもらうことになる」


「えっ」


 グレイスに案内されたのは、鉄格子越しにあるベッドとトイレしかない白で統一された部屋だった。要するに、牢屋だ。


 ここに入ったら十中八九ヤバいと、俺は反射的に振り返って逃げようとしたが、振り返った先にはグレイスの護衛と思われる筋骨隆々の男性がいつの間にかおり、腹を殴られた。


「ぐえッ!?」


 男は、しゃがみ込みえずく俺をいとも簡単に持ち上げ牢屋に放り投げた。


「な、なにを…するつもりだ……ッ」


 少しずつ意識が遠のく。かすむ視界に映るのはこちらに背を向き歩いて行くグレイス達だ。


 息が出来ない体で、俺は辛うじて苦し紛れにそう言った。




 目が覚めても、目の前が暗いままだった。


目隠しをされている!


 直ぐ分かった。手足が縛られどこかに寝かされているようだ。


「これより、第一回再生能力実験を行います」


 人の声が聞こえた。


「ムー!ムー!?」


 口が塞がれて話すことが出来なかった。


どうにかして逃げ出さないと……ッ!?


 そう考えた瞬間だった。金属の擦れ合う音がしたかと思えば、腹への強い衝撃とすぐ後から灼かれたような鋭い痛みに襲われた。


「ン゛ン゛nnnnnnンン゛ン゛!?!?!?」


イタイイタイイタイッ!?腹を切られた!?


 全身に力が入る。爪が食い込むほど拳を握り、何度もまな板にのせられた魚のように跳ねる。痛すぎて頭がおかしくなったようだ。


汗が引かないのが分かる。痛みは波のように襲ってくる。激痛の波に何度も押し流された。



――拷問だった。


 毎日、体の隅々まで痛めつけられる。というより、人間の構造や機能を調べるための実験のように感じた。様々な力や方法で、穴を開け、ちぎり、抉る。


 普通、そんなことをされれば人間は死ぬ。しかし、俺の体は違った。


 ひとりでに修復するのだ!


 この世界に来るまでは、そのようなことは起きなかった。


 俺の体に何が起こったのか、奴らは親切にも調べてくれている。


 ただし、こちらの痛みを無視して。


 体はどんな怪我も修復する。燃やされても、凍らされても。たとえ、体の一部が欠損してもだ。

だが、そのスピードは遅い。しかも、痛みは何度でも発生する。怪我が治るまで、俺は次の拷問への恐怖をじっくり味合わされた。


 心がおかしくなるまで、そう時間はかからなかった。







――オレは、何も感じなくなった。苦しみも、恐怖さえも。


 痛覚は、いつしか遮断されていた。


 能力の方は、慣れてきたのか修復スピードが段々速くなってきている。それに伴い、攻撃も激化したのだが。今では、即死させる攻撃が中心となってきている。


 目覚めさせられ、体中に風の通り道を作られ、焦がされ、窒息させられ、感電して気付いたら意識が落ちていて、また起こされる……


 が、このような行為を受けてさえ何も思わない。恨みすら覚えないのだ。ただ、自分を他人事のように見るだけ。


 どのくらい時間が経ったのか……

 



――異変は突然だった。




 ある日、目覚めるとなにやら研究所が騒がしかった。



「1階の実験室で火事が起きたらしいぞ」


「おいっ、コレを早く持って行け!燃えちまうぞっ!」


「ああ、あと少しで、真実にたどり着けたのに……ッ!?」


  慌ただしく走り回りながら、研究員達は資料を持って避難を開始していた。



 扉の外が騒がしい中、オレは何もしなかった。痛覚はシャットダウンされ、苦しいのは全く平気でありそれ以前に鍵のせいでここから出ることもできないからだ。それに、出たいとも思わなかった。もはや気力もない。


 周囲が赤いライトで染まり、いよいよ危険な雰囲気が研究所を包んだその時、


きいっ


という音がして


「……」


 偶然かそれとも故意なのか。そんなことはどうでも良くて、何より重大なのは突然選択肢が発生したということだ。


 扉の外に出るか、このままじっとしているか。


「――」


 半ば無意識で、オレは力の入らない体を引きずるように牢屋を出た。


 所内には火が回り、煙がモクモクと充満する。一酸化炭素中毒のせいで、オレは生死を繰り返しながら進み続けた。そばには、逃げ遅れた研究員の死体が横たわっている。中には、腹にナイフが刺さって死んでいたグレイスとその護衛の姿もあった。


 しかし、何とか這いずりながら出口の光が見えた頃、オレは自我が保てなくなった。


 しばらく意識が戻らないことは、なんとなく感覚としてあるのだ。


 意識が落ちる瞬間、


――またね


 声が聞こえたような気がした。




※※※※※※※※※※※※※※※




 目が覚める。久方ぶりの太陽がオレを照らした。鳥や獣、風の鳴き声が辺りを喧噪で包み込んでいる。


 オレは、周りをぐるっと見回した。


 研究所、いやかつて研究所であったその残骸には、植物がびっしりと絡みつき年月の経過を感じさせる。人の声や気配は感じない。どうやら、この研究所は森の中に設立されていたようだ。


 オレは、立ち上がりまるで生まれたての子鹿のごとく震えた足で、一歩ずつ残骸を一周した。


どれくらい眠っていたのだろうか。


 オレは、茂みを進みやがて少し開けた場所に出ると


――じっと座った。


 食事もしなければ、当然排泄もしない。眠る必要もない。瞬きも、身じろぎもせず。呼吸もしなかったかもしれない。


 ただ、座り続けた。


 特に意味などない。動く理由や、動いた末の目的がなかっただけだ。ただ――それだけ。


 朝と夜の永遠に終わらない追いかけっこを眺め、季節の移ろいを眺め、生態系の壮大な仕組みを眺め続けた。


 植物が、オレの体に巻き付き上り、鳥がオレの頭に巣を作る。


 オレは、自然の一部になった。自然と一体化し、この世をあるがままに受け入れている、そんな気すら起こった。


 しかして、ある春の日オレに一つの疑問が降って湧いた。それは、頭の雛が巣立ったからかもしれないし、絡みついた植物の蕾が開花したかもしれない。


オレは――生物といって良いのだろうか


今のオレを”生きている”といえるのだろうか。


 自信がなかった。年を取らないし、死なない。そんなモノを人間とは呼ばない。


 だが、それでもオレの唯一の感情、たった一つ残された心からの思いがあった。


「……」


――生物でいたい。もっと言えば、人間でありたい。


「……ッ!」


 ただ在るだけのナニカ、そんなのは嫌だった。


「……ァ」


 人として生き、人として死にたい。


「ァァアアアアアア!!!!!」


 巣を除け、植物を払って立ち上がる。


 やることは決まった。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 やることは決まったが、このまま直ぐ行くわけにもいかなかった。


 まず、俺はこの世界についてあまりにも知らない。確実にトラブルに見舞われるだろう。身を守る術が必要だった。


 そのために、俺は魔力の操作が必須だと思った。なぜなら、研究員達は、例の実験の際、炎や氷を魔力を使って発生させていたからだ。この先、魔力を使った戦いは絶対起こるだろう。あいつらは、俺のブレザーからわずか一週間足らずで俺を割り出した。何かしら情報網があるはずだ。どれだけ時間が経っているか分からないが、ああいった組織が相当大きな規模であることは確かだ。


 俺は、魔力を感じるところから始めた。


 だがこれはすぐに出来た。何しろ、俺は何年もの間自然と一体化していたのだ。数秒で地球にはない魔力の鼓動を感じられた。


 後は、魔力を操作するための実験と反復のみだ。体に魔力を巡らせると、人間の能力の限界を超えた力を出せる。さらに、今までは痛覚についてONとOFFの切り替えしか出来なかった。そのため、いつの間にか食われたり怪我をしたりしていたのだが、痛覚の調節を行うことで気づけるほどの痛覚にすることが出来るようになった。この二つのおかげで、リミッターを外した状態で魔力のブーストを加えた身体能力を出すことに成功した。


 この間、本来食事も睡眠もいらないのだが摂ることにした。俺はだ。野草や木の実、獣、魚を獲っては食べた。毒があっても死なないのは、こういうとき便利だ。早く町に行きたいという気持ちと、言ってはいけないというジレンマに悩まされる。


 また、狩ることも魔力や戦い方の練習だ。中には、魔力を操る魔物もいて、何回か殺されることもあった。その代わりと言っては何だが、も出来るようになった。


「行くか」


 季節が二巡した頃、俺は町を目指して歩き出した。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



「……ッ」


 熊の魔物が振り下ろしたその大きな腕をなんとか掻い潜って背後に回る。右手に魔力を巡らせ、さらにリミッターを外した。そのまま、がら空きの背中を狙う。


「グガァァッ!」


 しかし、熊はそれを本能で察知し、振り向きざまに剣より鋭い爪で攻撃してきた。


回避できない……ッ


――空を舞った右腕


 腕を失った肩からは、血が勢いよく噴き出す。


 勝利を確信した熊の魔物は、血のにおいで益々興奮している。


 そのため、目の前の獲物から生気が突然消えたことに気付かない。


 上に放り投げられた右腕は、熊の頭上に落下しながら、その付け根から細胞が猛烈に分裂し始め急速に人を形作った。


 俺は、エネルギーの溜まった右のこぶしを熊の魔物に叩き付けた。


ズドォーーン!!


 地面が震えるほどの衝撃。砂煙が視界を隠す。


 地面は大きく抉られ、熊の頭は粉々になった。右腕を失った俺の体は、風化して消えた。


「今晩は熊肉だな」



 川に沿って、ひたすら歩く。


 あいにく、町のまの字さえ見つからないがもはや死の心配はしていない。それより、目下一番の問題は服装であった。


 俺は、今生まれたままの状態であり、局部さえ隠せていない。もし、誰かと出会ってしまえば変態認定間違いなしだ。一刻も早く、着る物を調達せねばならない。


「ん?何だあれは」


 すると、遠い向こうに何かが見えた。


 近づいてみると、それは馬車だった。商人でも乗っていたのだろうか、多くの物資が積まれており、中には服もある。だが、肝心の人は乗っていなかった。生きている人に限っては、だが。


 馬車のそばに背中に大きな爪痕を残した死体が一つ、車内に恐怖に染まった顔の死体が転がっていた。二つの死体は、それぞれ腕や足が欠損している。


 物資があること、背中の傷や死体の状態から、おそらくさっきの熊の魔物に襲われたのだろう。


 俺は、二人の顔を死に化粧代わりに表情を整えた。


「これは、仇討ち代として頂こう」


 それから、服を一着拝借して火葬した。金品は取らなかった。どこから足が付くか分からないからだ。


 町までもう少しだろう。俺は歩みを続けた。



 掃き掃除とは、いかに効率良く進めるかが大切だ。部屋を区分化し、一つ一つの区画内を丁寧に掃除する。隅っこは溜まりやすく、取りにくいので掃く方向を間違えないように気をつけよう。


「マカ君慣れてるね。記憶なくなる前は、ひょっとして宿屋にいたんじゃない?」


「……かもな」


 何の因果か、俺は再び宿屋で働いていた。




※※※※※※※※※※※※※※※




 少し時は遡る。


 遠い彼方に町が見えた頃、偶然俺は商人の一行と出会った。俺はこの偶然を逃すわけにはいかなかった。もし関所が存在していれば、不審者然とした俺は通してもらえないかもしれないからだ。しかし、ここがどこかも分からない俺には何も言えない。それが逆に功を奏し、着の身着のままでなんとなく悲しげな表情の俺を、親切な彼らは保護してくれた。


 案の定、関所は存在したのだが、商人のリーダーは町の中で信頼を得ているのか簡単に入ることが出来た。リーダーのダランは、いつもにこやかで気さくだ。向かう間もずっと話しかけてくれるのだ、ダランの雰囲気は周りを笑顔にする。


 俺は記憶喪失という振りをした、この世界で生きていれば当然知ってるはずの常識を訊くことが出来るし、俺の状況にぴったりだからだ。ダランによると、ここはセトナ王国のリンゴン町というらしい。


 ダランは、行く当てのない俺を家族で営む宿屋に連れてきてくれ、そこで働かないかと提案してくれた。なんでも男手が足りないとのこと。俺は、ダランのご厚意に甘えた。


 宿には、ダランの他にもう一人働いている。


「紹介するぜ、俺の一人娘のエリーだ」


 明るい金髪の可愛らしい少女だ。


「エリーだよ、よろしくねっ、えーと」


「ああ、こいつは名前も思い出せねえんだ」


 日本での名前は……不自然なので止めた。


「そっか、早く記憶が戻ると良いね……」


「そうだエリー、せっかくだからこいつに名前つけてやってくれよ」


「えっ」


「そうですね、エリーさんになら」


 自分でつけると、おかしな名前になるかもしれない。それに、おっさんにつけてもらうより可愛い子の方が良いに決まっている。


「そ、それじゃあ……摩訶不思議な人だからマカ!どうかな?」


なんて、安直な……


 しかし、不安そうな上目遣いで迫られればYES以外の選択肢はないだろう。


「……ありがとうございます」


 かくして、俺はマカになった。






 掃き掃除が終わると、一階のレストランで給仕の仕事だ。レストランと言っても、お客さんは宿泊している人や、仕事合間に来る人なので定食屋さんに近い。料理はダランが作っていて、おいしいと評判だ。実際に食べてみたが、本当においしかった。特にシチューは絶品だ。


「エリーちゃん、こっちにビール持ってきてくれ!」


「俺はシチューと肉!」


「もうっ、昼間からビールなんてダメですよ!」


「堅いこと言わないでくれよぉ、一杯だけだからさっ、ね?」


「本当に一杯だけですからね!」


 エリーは、ここの看板娘として皆から大人気だ。当然だろう、町で一番二番を争う美少女が、明るく接客をしてくれるのだから。


「おい兄ちゃんっ、こっちにもビール頼む」


「はい」


 お昼時はいつも大忙しだ。


 混み合う正午が過ぎて宿が大分落ち着いた頃、俺は厨房で夕食の下準備のためジャガイモを剥いていた。ダランは買い出しに出かけている。


 ジャガイモを丁寧かつスピーディーに剥く。


 こうして、わずかでも人の役に立つ仕事をしている俺は人として生きているのだろうか


「あ」


 一人、考えながら剥いていると誤って左手を切ってしまった。


 当然痛くもないし、放っておけば直ぐ治るのだが……


 俺は、右手で切った箇所を抑えつつ魔力を流した。治癒魔法のように見せかけるためだ。集団生活を行う以上、どこで誰が見ているか分からない。これは、俺が町に向かう際考えた苦肉の策だ。


 スウッと、切れた部分の傷が塞がっていく。


 その時だった。


「マ、マカ君?……それって」


 後ろから声がしたかと思うと、エリーが酷く驚いた様子で立っていた。


 どちらも声を発さない。沈黙が二人を掴んで離さない中、俺は果たして本当にごまかせるのだろうかと途端に不安感で一杯となった。


何かしら言わなければ……


「……これは」


 口を開くと、


「マカ君治癒魔法が使えるのねっ!?」


 興奮した声でエリーが迫ってきた。どうやら、治癒魔法は出来る人の少ないレアなユニーク魔法らしい。


「……簡単なものなら」


 俺は嘘をついた。





 ある日、エリーと二人で庭に洗濯物を干しているとフリフリドレスを着た少女がトコトコやってきた。


「あっ、ロッテちゃん!こんにちはっ」


 ロッテ、10歳。隣に住む彼女は、噂を聴いたり話したりするのが大好きなおませさんだ。しかも、大げさに伝えるきらいがある。だが10歳だ。


「こんにちは、エリーおねえちゃんにマカ」


「ああ」


 なぜか俺には呼び捨てだ。


「きいてきいて!この間サモおじさんのお店でお肉5キロたべた人がいたらしいよ」


「どんな怪物よそれ」


 エリーとロッテは家の近さもあり、非常に仲が良い。ロッテはしょっちゅう宿屋に来るので、必然的に俺と会う回数も多いのだが、大体このような話だ。







「くぅ~!やっぱりビールは最っ高だな!」


「お父さん、程々にしてよね」


 休日の夕食時は、どんなに忙しくてもダランの実家で食べることになっている。俺とエリーが隣り合い、ダランはエリーの向かいに座っていた。


「それにしても、マカが来てくれてウチは大助かりだなっ」


「そうだね、一人来るだけで全然違うもん!」


 町に来て幾ばくか、こうして人から認められるのが素直に嬉しかった。


「最近は、何かと商人の動きが物騒だからな。近いうちに戦争でも起きるかもしれん」


 ここセトナ王国は、東隣のマドウ帝国と何十年にもわたり戦争を行っているらしい。俺達の住むリンゴン町は、王国の西に位置するため戦場とは程遠い。しかし、戦火が広がればダランや俺も招集される可能性があった。


「武器商人が増えてるって話だもんね。すぐ終わると良いけど……」


「そうだな」


 しばらく黙って食事をしていると、エリーが口を開いた。


「そういえば、お父さん聞いてよ。マカ君って治癒魔法が使えるのよ!」


「ほう、それはすごいな!なら、教会に行くか?そこ行けば、多分もっと良い暮らしが出来るぞ」


 治癒魔法を扱える者は、大抵が教会で働くらしい。大金で雇ってもらえるからだとか。


「いえ、簡単なものしかできません。それに、邪魔じゃなければここにいさせてくださいーー今とても幸せなんです」


「マカ君……」


「そうか……好きなだけいなさい」


 二人が嬉しそうな顔をしていたので、なんだか照れくさかった。


「そうだっ、この間マカ君ったらね……」


 エリーが俺の話をするのを、ダランはそうかそうかと飲みながら聞いている。ちなみに、俺もチビチビと酒を煽っていた。


 するとダランが突然、


「ところでエリー、ーー彼氏とは最近どうなんだ?」


「え?そんなのいないけど」


 エリーは、突然何を言い出すんだこいつ、とも言いたげな目でダランを見た。


「チッ、騙されなかったか」


 その一言で理解する。カマをかけたのだ。


「はぁ、お父さんったら」


 エリーは呆れたような顔で食事を進めていたが、チラッとマカの方を見たのをダランは見逃さなかった。


(やはりな……最近、エリーのやつ鼻歌ばかり歌うから怪しいと思ったがそういうことか)


 ダランは、マカを盗み見た。


(とぼけた顔で飯食ってやがる、何も気付いてねえなこいつ)


 やれやれである。




※※※※※※※※※※※※※※※




 今にして思えば、俺はあの時明確に否定すべきだったのだ。たとえ、上手い言い訳が思い浮かばなくても。



キャァアア!



 翌朝、その声を聞いて駆けつけると、宿屋の前で人が倒れていた。近くには不自然に曲がった轍と倒れた馬車。叫んだのはエリー。まさかと思いつつ、近づく。


「……ッ!?」


――倒れていたのはダランだった。


 何かを抱えるようにしてうずくまっている。モゾモゾと這い出てきたのは、小さな子供だった。


 理解してしまった。理解させられてしまった。


 ダランは……子供を庇ったのだ。


 ダランは頭から血を流していた。


 今すぐ、助けを呼ばなければ!


 駆け出そうとした次の瞬間、服の端を掴まれた。エリーだ。


「お願いッ、お父さんに治癒魔法をかけてッ!」


ーー俺は自分を呪った。


「……ッ」


 言葉が出ない。


「どうしたの?このままだと、お父さん死んじゃう!」


「……」


 思考が同じところをぐるぐるして、何も出来ない。やがて、頭は真っ白になり、頭がスパークしたことしか考えられない。


「ねえッ、何か言ってよ!」


 腕を掴まれ、強く揺さぶられた。


俺はッ……他人を治すことが出来ない!


自分を治すことしか許されていない!


「でき……ない」


 結果、俺の口から出せたのは、"できない"の四文字だけだった。


「なん、で……ッ!」


「……教会の人呼んでくる」


「ぁ……」


 俺は返事を聞かずに走り出す。エリーの声が頭を木霊した





 地面を強く蹴る。


 魔力を流し、脚の限界を超えて走り抜く。


ダランは俺の恩人だ。絶対に助ける……ッ!


 俺は信じて教会に向かうことしか出来なかった。












 俺が、教会の人を連れて来た時、



――ダランは死んでいた。




※※※※※※※※※※※※※※※




 ダランの死後、宿はしばらく休業した。エリーが生気がなくなったようにぼおっとしていたためだ。ダランは、たくさんの人から愛され、また子供を庇ったという英雄的な死から、多くの人がダランの死を悼みに来たがエリーは上の空だった。中には、エリーの様子を見て懸命に声を掛け続けた人もいたが、それもやがて減り、ついには誰も来なくなった。


「……」


 その間、俺はずっとそばにいたが何をするのでもなく、ただいただけだった。


 治癒魔法が出来ると嘯いておいて、いざ必要となると何もできない。当たり前だ。嘘をついていたのだから。そんなやつがどうして元気を出せなど、人生これからなどと言えるだろうか。かといって、離れる気遣いも行動も取れない。俺は無力で身勝手だ。


――エリーが元気になったら、この町から出よう


 俺は、そんな思いで日々を過ごした。




※※※※※※※※※※※※※※※




 かつては、宿泊客で賑わっていた宿も今は静寂に包まれている。ダランの腕を振るったレストランには、物寂しく客を待つ席やテーブルが置いてあるだけだ。レストランの隅、三人は食事が出来る丸テーブルの一席にエリーは座っていた。俺はエリーから少し離れた後ろ側にじっと立つ。


 そろそろ今日の仕事も終わりに近づく午後4時頃、宿の外では遊んでいる子供の高い声や、犬の鳴き声が聞こえる。冬が近づいているため長袖でも肌寒い。


 室内には、西日が差し込みエリーを暗くぼやけさせる。


「……どうしてお父さんだったんだろう」


 エリーからポツリこぼれた。


「どうして……あの場にいたのがお父さんじゃなきゃいけなかったの?」


 ああ、全くだ。


 俺なら良かったのに。俺なら蚊に刺されるのと変わらない些末なことなのに。


「うぅ……なんで……ッ、お父さんもお母さんも私を置いて行っちゃうの……っ」


 ぽろぽろと、エリーの涙が木製のテーブルに落ちてはしみこんで消えた。エリーの母も、エリーが幼くして病死したらしい。


「……」


 かける言葉が見つからない。


 こんな時、エリーを元気にさせるそんな言葉をかけられたら……


 何十年も、ともすれば何百年も生きているのに、俺には何が正解なのか全く分からなかった。


 俺は、叱られた子供のように俯いて立っていた。


ガラガラッ


 椅子を引きずる音がして、顔を上げるとエリーが立っていた。そのまま部屋の外に出ようとする。ついて行こうとすると、


「付いてこないで!」


「……」


 エリーの顔と言葉に明確な拒絶の意思を感じて、俺は動けなかった。



 どうして良いか分からない。


 無理矢理ついて行こうか、いや、もっと拒絶されるかもしれない。当然だ、裏切られた相手に付いてきて欲しくても嫌に決まっている。しかし、放っておいたら死んでしまいそうなエリーが心配でたまらない。


 相反する気持ちに、張り裂けそうな気分だ。


 ついて行った方が良い、その一歩が出なかった。


 その時、後ろからポンっと押されたような感触があって、俺は右足を前に出してしまった。


「っ!?」


 振り返る。誰もいない。だが、なぜか窓は開いていて、白いカーテンが風に揺らめき冷気が俺の頬を撫でた。


 はっと我に返り、拳を握りしめた。俺は急いでエリーを追った。





 俺は、そう遠くには行っていないエリーに追いつこうと足を速めた。何故だかエリーのいる方向が分かる気がした。


 エリーは墓場にいた。隣り合う両親の墓の前で膝をつき、手を合わせてじっとしていた。


「……」


 俺は、来てしまったはいいもののなんて声を掛けて良いか分からなかった。


 無意識に伸びた手は、エリーの肩に触れるでもなく宙をさまよう。


 何をするのでもなく、手を下ろしてしまった。


「――付いてこないでって、言ったのに」


「ごめん……」


「謝らないでよ……」


「……」


 エリーからは、言葉とは裏腹にそこまで怒気を感じない。


「これから、どうしよう……」


 具体的なアドバイスなど思いつかないので、俺は過去を内明かすことにした。


「エリー、俺は――記憶を無くしていない」


「えっ」


 一瞬、悲しみを上回る驚きの声がエリーから発せられた。


「ただ、俺を取り巻く奇妙な状況を説明するのに一番適していると思ったからそういう風に言わせてもらった」


「どう、いうこと?」


 俺は、言うまいとしていた自分の過去を話した。こことは違う世界で生きていたこと、家族のこと、ある日気付いたらこの世界にいたこと、それから不死身のこと。


 エリーは黙って聞いていたが、不死身のことを聞くと、


「だから……」


 納得した様子であった。


 俺は、こんなにすんなり受け入れられるとは思っておらず、思わず聞いてしまった。


「言っておいてなんだが、信じてくれるのか?」


 すると、エリーは久方ぶりに口元を緩め


「ふふっ、あなたから言ってきたのに」


と笑った。


「たしかに信じがたい内容だけれど、マカが嘘をついているかいないかぐらい分かるわ」


「えっ」


 今度は、俺が驚く番となった。


「どうして?」


「秘密っ」


 エリーは悪戯下に微笑んだ。




※※※※※※※※※※※※※※※




 エリーは、その日以降元気を取り戻し宿屋の営業も再開した。離れようと考えていた俺も、それを話すとエリーが泣き出したのでこのまま手伝うことにした。


 客入は以前と同じぐらい戻り、ダランのいない悲しみも忙しさで紛れた。


 生活が落ち着き、”日常”という言葉が体に染みつく。ずっとこんな日々が続くのだろう、そう思っていた。




 或る日のこと。そう、なんでもないいつもの日のことだ。


「じゃあ、買い出し行ってくる」


「行ってらっしゃい……あっ、外套着てって。降るらしいから」


「意味は無いのに」


 ふと漏らした言葉に、エリーが顔を顰めた。


「あのねぇ、冷えたからだしてると風邪引くのよ?」


 俺は風邪を引かない。


 だが、彼女が俺を人間扱いしてくれたことが嬉しくて、何も言わなかった。




 町を歩く。この町は、のどかを絵に描いたように皆穏やかだ。すれ違った親子。子供はネギを振り回している。彼の頭の中では、あのネギは伝説の剣なのだろう。


「ふっ」


 少しばかりの郷愁を感じながら歩を進めていると、


「おお、マカじゃないかっ」


 声を掛けられた。


「こんにちは」


 八百屋のおじさんだ。


「今日はネギが安いんだ。買ってってくれよ!」


「ああ、もちろん。あとレマンも3つください」


「はいよっ、じゃあサービスしてもう1つつけてやる!エリーによろしくな」


 レマンとは地球でいうレモンのことだ。爆発はしないが。


 野菜や果物の入った袋を受け取り、帰ろうとすると八百屋のおじさんが「そういえばよぉ」と言った。


「――マカって治癒魔法使えるのか?」


「えっ」




※※※※※※※※※※※※※※※




 雨が降り始めた。


「いやな?ロッテがしきりに言うんだよ。マカは治癒魔法が使えるんだって。でもよ、まあロッテの言うことだからって、皆あんま信じなかったんだわ」


「……」


「そしたらロッテの奴が『エリーお姉ちゃんが言ってたんだから!』って言うんだよ。エリーは嘘をつかない子だから……で、実際のところどうなんだ?」


「すいません、今日のところはこれで」


 俺は急いで駆け出した。


「お、おいっ……行っちまったよ」



 雨はますます強くなる。何故だか嫌な予感がした。


 確かに、エリーに口止めはしなかった。治癒魔法は珍しいから、誰かに言いたくなるかもしれない。自分の認識不足だった。それに、これだけの情報で奴らに居場所が割れるとも思えない。


 なのに、この不安は何なのだろう。俺は逸散に家を目指した。




――だが、全ては遅かった。もう、終わっていたのだ。



「あ……」


 家に着き急いで扉を開いた。思わず、持っていた物を落としてしまう。レマンがコロコロと転がる先に、倒れているエリーがいた。


「エリーッ」


 走り寄って生きているか祈るように確かめる。まだかすかに息をしている。


「今、教会に……ッ!?」


 エリーを抱えようとしたその時、背中に衝撃が走った。フードが取れてしまう。


 下を見ると、血がボタボタと地面に垂れていた。背中を斬られたらしい。


「オイオイオーイッ、ガセかと思いつつ来てみりゃあよォ、黒髪じゃあねえか!」


 悪意が声を発したような嫌な声だった。振り返ろうとすると、ヒヤリとした感触が首筋に伝わる。剣先を突きつけられていた。


「振り返っちゃいけないなァ、このまま聞いてくれェ。俺はァ、サイモンっつうもんだが、ある男を捜してんのさ。そいつは、黒髪黒目で不死身なんだと。うらやましいもんだよな、不老不死なんてよォ」


 男は何がおかしいのかケラケラと笑いながら語った。


「俺はこの町である噂を聞いた。治癒魔法の使える奴がいるってなァ。治癒魔法が使える人間なんてそもそも少ねえし、それにこの町は――あのからそれほど遠くない」


研究所?


 聞き逃せない単語が聞こえた。


「愚かな俺なんかは思っちまうんだよなァ、もしかしたらってよォ。しかもしかもォオ!ここにきて黒髪黒目なんてこの地域じゃああんまり見ねえぜェオイ」


「……」


「……まあいいィ。とりあえず、お前の首取ってこいって言われてんだ、どうせ死なねんだから良いよなァ?」


「……は」


「ンァ?」


「彼女をどうして殺した?」


「んー?……オイオイオーイ!まさか化け物のくせして一丁前に人間のつもりかァ?」


「答えろっ!」


 俺は無理矢理振り返ろうとする。剣が首に食い込み、血が流れた。構わない。


「待った待ったっ、いやいや俺だって殺すつもりじゃなかったんだぜェ?お前の居場所を聞くだけのつもりだったしなァ。しかし、しかしだ。そこの女全然答えようとしねェし、どころか俺に向かってきたからよォ……クックッ、つい、な?」


「……何がおかしい」


「だってよォ、俺は懇切丁寧にお前が化け物だって説明してやってんのに、そんなことないだの、信じてるだのゴタゴタ言うからよォ、哀れに思えちまってさァ」


「やめろ」


「出て行こうとすると、包丁持って叫びながら向かってくんだぜェ」


「もう……いい」


「やっぱりヒくよな、女がヒステリックに突っ込んでくるとさァ」


「――充分だ。終わりにしてやる」


「そーかい」


――首が宙を舞った。


 ゴトッという音と共に、首が地に落ちる。


 サイモンと偽った男は、マカの背中を見た。


「……回復には時間がかかるのか」


 ブツブツ言いながらマカの首をケースに入れるとそのまま立ち去った。





「エリー」


 サイモンが立ち去って直ぐ、首を生やした俺はエリーを抱き起こした。


「マ…カ…」


 エリーは途切れ途切れにそう言った。


「エリー、少し待っててくれ。今から教会の人を呼んでくる」


「もう…いいの…もう無理よ」


「諦めるな!大丈夫だ、絶対助かる、助けてやる!」


「うそ…よ、助からないわ」


「どうしてッ!」


「あな…たの…顔を見れば…分かるわ」


「どう…して…」


「だって…嘘を…言うあなたは…泣きそうな顔…するんだもの」


 エリーが、俺の頬に手を伸ばす。


「マカ……好きよ」


「――ああッ、俺も好きだ」


…ばっかり」


 エリーの手は、触れることなく力を失った。


「……」


 エリーをそっと寝かせて外に出た。


 雨の音がうるさくて、耳に残った。















――半年後、セトナ王国魔術省錬成局生物研究課第一本部は一人の男によって壊滅させられた。




※※※※※※※※※※※※※※※




 率直に言って、少女は真面目で佳良な子供であった。毎日の予習復習を欠かさなかったし、それに生来の優秀さも相まって魔法学校きっての知識を有していた。しかし、ある一つの理由から魔法学校を落第すれすれで卒業した。


――彼女はポンコツだったのだ。


「スピカ・ハインリッヒ……またおまえかぁ」


「す、すいません……」


 卒業目前、担任に呼び出されたスピカは、ウキウキな気分で生徒相談室に向かった。今までは、怒られることの方が多かった。だが、今回は最後の呼び出しだ。


もしかしたら褒められるかもっ


 そんな気持ちで部屋に入った。ところがどっこい、先生の顔色が険しい様子。


あれ?まさか怒られるのかな


 などと察した頃にはもう遅く。どうやら、何かやらかしたらしい。


「スピカ・ハインリッヒ。なぜ呼ばれたか分かるか?」


「すいませんっ……分かりません」


「はぁぁ……おまえな、やってたぞ」


「な、何をでしょうか」


「――名前と学籍番号を間違えている」


「ぇえ!?またぁ?」


「『またぁ?』じゃない!これで何度目だっ!普通数字と文字を間違えんだろう…何のために二種類書かせてると思っている!」


 少女は、ツンツンと頭をつついて一生懸命考えた。


「んー、わっかりませんっ!」


「おまえがいるからだッ!」


「なんとっ」


「……まあいい。スピカ・ハインリッヒ、おまえこのままじゃ――?」


「……」


「成績は良いのに、毎度毎度続く今回のようなポカ……俺達も奔走したんだがなぁ、お手上げだった」


「そう……ですか……」


 スピカは一瞬悩み、


なんとかなるよねっ


――考えるのをやめた。




※※※※※※※※※※※※※※※




 卒業後、スピカは各地を放浪した。持ち前の知識ですぐに働くことは出来たのだが、やはり生粋のポンコツさが災いして追い出されてしまう。

 

 そして……スピカがたどり着いたのが、



”ラビリンス”



 魔女の塔の鎮座する迷宮都市だ。


 ラビリンスを説明するにあたって、魔女の塔を語らないわけにはいかないだろう。魔女の塔は、都市の中心にに堂々と屹立している。表面は、積み上げられた石の灰色、どこまでも続きそうな高さではないものの、自力で上るのは難しい。ラビリンスの象徴であり、都市ができた所以でもある。


 かつて、世界を震撼させた最凶最悪――――魔女。そして、魔女の塔はその名の通り魔女が建てたとされる塔だ。中は、明らかに外観とそぐわない広さで、別世界と唱える研究者もいる。幾多の魔物が跋扈するダンジョンとして知られており、世界中の冒険者は財宝や名誉を求めこぞってそこに訪れる。何のために建てられてのかは謎だが、一つはっきりしていることがある。


曰く――我々は篩にかけられている。


 塔は、死んだ人間や魔物を取り込む。そう、まるで退。そうして、死んだ冒険者の身につけた、あるいはいつの間に紛れ込んだ装飾品、武器に特殊効果を付与し財宝として勝者に与えるのだ。また、塔には数で挑めば良いというものでもない。大勢で挑戦した冒険者には、その数に応じて大量の魔物が襲いかかる。そのため、冒険者は四人から六人のパーティーで挑戦していた。


 そんな勝者には栄誉を、敗者には死を、というハイリスクハイリターンな塔を攻略するため、人が人を呼び、今では塔を中心とした都市が築かれる程となった。




※※※※※※※※※※※※※※※




 迷宮都市ラビリンスの南側、商業区。武具を身につけた冒険者が闊歩する通りの、その一角にある魔道具店。現在、その店内ではある少女がこの都市でも珍しくない「別れ」を告げられていた。


「ス、スピカちゃん……ごめんなさいねぇ」


「いっ、いえっ、私が迷惑をかけちゃったのが悪いんです。今までありがとうございました」


 スピカである。スピカは、懲りもせず魔法道具店をクビになった。原因は明白、高価な道具が入った箱を7回も転んで落としたからだ。それでもスピカは立ち上がった。


 道具店からの帰り道。今後の生活が何も決まっていないのにも関わらず、今日の夕ご飯で頭一杯のスピカはうっかり近道の裏道に入ってしまった。


「ねえ、そこの可愛い子ちゃん」


 その薄暗い小道にいたのは、がたいのいい男と、ひょろ長いつり目の男、軽薄と乱暴を体現したような二人組だった。


「?なんでしょう?」


「こんな時間にこんな場所でふらふらしてちゃダメだろ?」


「はぁ……?」


 男達は、ニヤニヤとじっとりスピカへ近づいてきた。若干の気持ち悪さを感じて、スピカは後ずさる。


「ほらっ、俺達が安全なとこまで送ってってやるよ」


「い、いえ……自分で……行けるので」


 いよいよ身の危険を感じたスピカはしかし、逃げようとするも背後と壁がゼロ距離であった。


 にんまりと欲望にまみれた笑顔でにじり寄る男達。とうとうつま先立ちになるスピカ。


 男の手がスピカに触れようとしたその時、目の前を風が吹いた気がして、


――男達が崩れ落ちた。


「えっ?」


 慌ててスピカはキョロキョロ周りを見回す。すると、裏道の出口、大通りに入ろうとする黒髪の男が一人。


「待っ」


 声を掛けるべきか、いや、雰囲気からして止まってくれそうにない。スピカは走っても追いつかないことを確信し、もう二度と会えない儚さを持った男にお礼を言おうと右足を上げて……


――その場から






「ッ!?」


 気がつくと、服の端を掴まれた。


 陰に視線を落とすと、少女の陰が映っている。


何だ今のは?こいつの能力か?


「……何の真似だ」


 振り向かずに言うと、少女が恐る恐る言ってきた。


「だ、だって……もう、二度と会えない気がして……」


 確かに、この少女と関わるつもりはなかった。しかし、今の能力が気になる。


「それより、今のはおまえの能力か?」


「は、はい、そうですけど……そうじゃなくって、お礼!お礼させてください!」


 少女が俺の正面まで回り込んできた。胸程まで伸びた長い黒髪の可愛らしい少女である。ナンパ(?)されるのも納得できる美少女だ。


「いらない。お礼のつもりで助けたわけじゃない」


「じゃ、じゃあどうして助けてくれたんですかっ」


「特に意味はない。邪魔だったからどけただけだ」


「で、でも……このままじゃ私の気が済みませんっ!」


「……」


知らねぇよ、と思った。


 無視して歩こうとしたのだが、


「――私の能力、知りたくないですか?」


 聞かざるを得ない理由が、残念ながら俺にはあった。



 この出会いが、俺の運命を大きく変えることになるとは思いもよらなかった。

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異世界小説冒頭シリーズ 前田マキタ @tonimo_kakunimo

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