第一幕 第七話「来るべき日」

 時は流れ、やがて霜月しもつき晦日みそかきたるべき儀式の日がやってきた。

 今宵こよいは風も無くやけに穏やかで、雲もゆったりと遊覧している。ふゆの山ということで霜月の割には肌を刺すように寒く、空気も乾いている感じがする。

 夢の跡のように何もない森の切れ目の小屋の中、少女は一人目をつむって座っている。

 朱色の緋袴ひばかまに純白の小袖こそで。長くしたたる黒髪は床まで届いて、小さな絨毯じゅうたんのように広がっている。

 ただ儀式の正装なのだろう、小袖の上に薄手のしらぎぬ千早ちはや羽織はおっている。前は肩から胸元に垂らしてしゅむねひもで緩やかに留められている。少女の影が落ちるその胸紐は、濃く鮮やかなからくれないにも見える。すらと伸びる少女の白く細い指の先から追っていくと、千早の袖の隙間から少女の細い手首がちらと見えている。

 ちょうどこくになろうかという頃、ほんの一瞬、あたりを光が包んだ。

 すると冷たい風が周りの森一体から、少女のいる小屋を中心とするように流れ込んできた。

 それが渦を巻いて上へと昇っていくと、そのまま天に突き刺さったように雲を晴らした。眩しいほどに月の光が遺憾いかんなく地上を照らし出す様子は、まるで天から光の幕がりてきているようだ。

 結界が完全にかれた瞬間である。

 少女が月明かりにいざなわれて目を開いて顔を上げると、五人の神主たちが小屋の外に立っている。

巫女みこよ、こちらへ」

 その五人のうちの一人、白袴に白紋の宮司ぐうじが告げる。

 宮司の両隣のそれぞれ二人は、少女の通る道を作るように左右にはける。彼らはいずれも白紋のついた紫色の袴を穿いている。

 少女はそばにある竹の骨組みに和紙を張った差し掛け傘を持つと、宮司のもとへ歩いていく。その足取りは重く、一歩ずつ大地を踏みしめている。

 その様子に、宮司は幾らかの違和感があった。太陽の巫女であるこの少女は、もうすでに運命として死を受け入れているため、意志無き足取りで儀式へと向かうはずなのである。

 それがどうだろうか、今目の前でゆったりと歩く少女には、儀式に向かうことに対して、意志が感じられるようである。

 ——今になって恐怖が出てきたか。はたまた使命感が芽生えたか。……まあよい、いずれにせよ、神の御前で儀式が執り行われればそれでよい。

 背を向けて先を行く宮司に少女はついていき、その少女を囲うように紫袴の神主たちが左右に一人ずつ、後ろに二人と陣を組む。

 やがて森を抜け、山の通りに出ようかという所で、天まで昇る勢いの大樹を見かける。これが御神木なのだろう、と思うと時を同じくして、解かれて地面に落ちてしまっている注連縄しめなわが目に映る。根元の方に目をやるとしもり始めている。

 かすかに聞こえる虫のと水の流れる音、其れから少女と五人の神主たちの足音だけが夜の山に鳴る。

 円状に雲が晴れた空からは、依然として月明かりの垂れ幕がりている。

 皮肉めいたことではあるが、少女にしてみればこれが初めての外である。本来ならば飛んだり跳ねたりして、未知なる世界を堪能しようかというところなのだが。

 ただ、少女をしばは無くなれど、飛び方を知らない幼き鳥は、宮司たちに連れられて行くのみである。

 連れられて歩いていく中、少女はそっと胸に手をやって何かを確かめる。抑える指の先はかすかに震え、手の甲は骨が少し浮き出ている。

 その胸の内にあるのは形代かたしろである。昨日の晩に少年が和紙で作って渡したもので、なんでも、厄災の身代わりになるのだと言う。

 傍に自分が居られない代わりとでも言うのだろう人の形をしたそれは、少女の肌に触れて人並みの熱を帯びていた。

 人の形を模した形代とはいえ、薄っぺらな紙切れ一枚だ。だがしかし、少女にはそれで充分であった。いつ何時なんどきも少年と共にいるという実感が、少女に確かな勇気を与えていた。

 きっと儀式へと向かう少女の眼差まなざしは、本来であれば何も映さないような、うつろを見つめるだけのものだっただろう。だが今や少女は鎮まった瞳の奥で、勇ましい想いが芽生めばえ始めていた。

 それは少女を日継ぎの地へと向かわせるに足るものなのである。


 山を降りていくとだんだんと傾斜がゆるやかになってくる。やがて足下も石畳の敷かれたものに変わり、カツカツと高く刻みのよい足音が乱れ響く。

 しかし素足で歩く少女の湿り気のある足音は、それらにかき消されてしまっている。

 石畳の上をまた少し行くと、今度は石の白い鳥居が見え、近づいていくにつれてその大きさがはっきりとしてくる。少女の背丈の九つ分程はあるだろう。

 柱は石の土台であるかめばらに乗って、内側に少し転びがつくように立てられ、上の方には柱を通るようにぬきが一本。柱の上は水平の島木しまぎがあり、その上のり返った笠木かさぎは宙になだらかな弧を描く。堂々たる巨躯でありながら、曲線的な美しさも持ち合わせている。

 その石の鳥居の左端を通って、これまた参道を少し行くと楼門ろうもんがある。ずい神門しんもんとも言うそうだが、門の左右はからである。

 少女たち一行が通り過ぎる度に石畳の左右につらなる石燈籠とうろうともる。点々としたが、楼閣や廻廊に塗られたしゅうるしをより一層のあかに照らし出し、太陽の神ににえが到着したことを知らせる。

 楼門をくぐると、目の前に拝殿がある少し広がった空間に来る。

 拝殿は社殿の上にさらに社殿が乗る二段建ての形になっていて、その大きさというのは、頂点が闇にまぎれて見えないほどだ。辺りを見渡してみると、楼門の横から伸びる廻廊が拝殿を含め少女たちを囲うような形になっているのがわかる。

 ——ミヅキが地面に描いていた通りだ。

 その廻廊に神主たちが控えているのが分かる。はかまに白紋の無い神主たちである。その内の何人かが出てきて、少女の入ってきた門と拝殿に向かって左右の門を固く閉じる。

 少女の近くにいた紫袴に白紋の神主たちはいつの間にか左右に散り、広い祭場の中央には宮司と少女の二人のみが残る。

 今にも儀式が始まろうとしていた。

 



 月の光も届かない暗闇、膝をついて腰を伸ばすことすらできない狭い空間だ。自然と頭を低くして何かを抱える様な恰好になり、土の湿った香りが少し鬱陶うっとうしい。頭上からは人の行き交う足音が聞こえてくる。だが、音よりもその振動が落ち着かない。

 楼門から伸びる廻廊の床下に、少年は居た。拝殿はちょうど南に位置しているため、少年は西側の廻廊に居るということになる。

 かたわらにはの消えた手燭が転がっている。ふところに手をやると、少女から受け取った髪の確かな温かさを感じる。

 触れて確かめることでしか存在を認識できないほどの闇の中で少年は思考を巡らせる。

 ——きっとそれだと分かる合図。それに門を抜ける方法。合図は、持ってきた毬をヒナタの方に投げよう。松葉色のまりだ、きっと分かる。その後は、やっぱり焼くしかないかなあ。

 門を含めた廻廊を少女の火で焼いて、開いた隙間すきまから逃げる。これが少年の狙いだ。そのために、あらかじめ少女の髪を廻廊の下のあちこちに置いてきているのだ。腹の前では毬を抱えている。

 奥の手だとは思っていたが、実際に祭場に来てみて分かる。廻廊に囲まれたここは、門が閉められてしまえば逃げ場は無い。飛ぶことができれば話は別だが、それは言うまでも無い。

 燃える火の中でも少女はきっと無事に通れるだろう。ただ問題は少年の方なのだが、それには心当たりがあった。

 少女の火に一度触れたことがあるのだが、その時は不思議と熱さを感じることはなく、ただ包まれるような温もりを感じたのみで、言うなれば母の胎内にかえるような気がした。

 熱さを感じないのが少年だけなのか、他もそうなのかは分からない。ともあれ、少女の火は他の物を燃やすことができ、通り抜けられるのは事実である。

 逃げ口さえ作ってしまえば——おりさえ壊してしまえば、あとはどうにでも逃げられるだろうと、少年は思う。


 やがて廻廊の上の足音が止み、あたりが完全な闇に包まれる。まったくの暗闇と静寂に自分の居場所すら見失いそうになるが、少女の髪の温もりがその凍り付いた感覚を溶かしていく。

 幾分かの後、何やら鳥居の向こうから硬い足音が聞こえてくる。

 一人ではない、少なくとも四人か五人くらいの足音だ。ただよく耳を澄ますと、高い音の中にぺたぺたという小さな音も聞こえてくる。

 きっと少女の足音だ、と少年はすぐに気が付く。

 その足音を迎え入れるように、とうろうがともる。袴の色がうっすらと照らし出され、それらが人であると初めてはっきりする。

 先頭は白袴にはくもん、その左右の後ろには紫袴に白紋が見える。その真ん中には鮮やかなしゅ緋袴ひばかまがちらと見え隠れし、少女が宮司たちに連れられているというのが分かる。

 鳥居をくぐり、楼門を通り過ぎて拝殿の手前、廻廊に囲まれたそこに、少女が辿り着く。

 少年は、をじっと待つ。

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