第一幕 第六話「抗う子ら」

 少女が運命と向き合おうと決めたその翌日、少年を出迎えた少女の瞳からは、泪はもう跡形も無く消えていた。

 今までのこと、これからのこと、そして少年のこと。きっとたくさんのことを考えたのだろう。その大きな瞳からはたくましさがあふれ、シャンと立つ背筋には強い想いが乗っていた。

 大輪の華が咲いたような少女である。

「まずはここから逃げるための計画を立てないと」

 開口一番、少女の深奥しんおうを感じ取ったのだろう少年はそう切り出した。

 昨日からずっと考えていた。どうすれば少女が運命のから抜け出せるのか。まではもう一月ひとつきもない。今はとにかく時間が惜しい。

「とりあえずこの結界を何とかしないといけないな……。ねえヒナタ、結界が弱まったりする時って無いの」

 明朗に笑ういつもの少年とはうって変わって違う真剣な眼差しに、少女は思わず呆気に取られて見とれてしまう。

「え、う、うん。そうね、それは無いわ。この前は注連縄しめなわが切れかけていて結界が弱まってたけど、もう宮司ぐうじのアレが結界を張り直してしまったし」

「ねえ、その注連縄を切ったらどうなるの?」

「注連縄さえ無くなれば結界は消えるけれど、あれには太陽の神力しんりきが込められているから、切ってもあなたは死んでしまうでしょうね」

 ここで「ただでは済まないでしょうね」と言わなかったのは、少年のことを万が一にでも傷つけたくなかったからなのであろう。英断である。

 一緒に逃げよう、そう誓ったのだ。少女を残して死ぬなどありえない。少年は昨日のことを思い出す。自分が居なくなってしまったら、きっと少女は生きながらにも死んでしまうような、そんな危うさをはらんでいるのだ。

 そうはいってもよくも淡々たんたんと死ぬなどと言えるものである。それは少女が常に死と向き合っていたことゆえだが、そう簡単に割り切れるものではないだろうに。それほどまでに少年の影響が強まっているのであろうか。

「でも一度だけ、結界がかれる日があるわ」

 目をつむって何かを浮かべながら言うその声は低く、怯えたように少し震えている。

「日継ぎの儀式の日、その日だけ結界は解かれて私は外に出られるの」

 師走しわす朔日ついたちに行われるそれこそが、少女が太陽とる儀式だ。生涯で初めて外に出られる時が最期の儀式の日だとはなんと悪趣味か。しかし、宮司側にとってはそれが一番理に合っていると言うべきなのであろうか。

 自分が死として受け入れた日のことを自ら言ったのだ。それは並大抵の勇気ではない。

 少年はその少女の勇気を受け止め、であれば今すべきことは話を進めることだろうと、少女の心の強さをその身でひしひしと感じながら思う。

「その儀式の順序とかって、わかる?」

 儀式の場所に関しては、少年は神主見習いであるがゆえに大体のあてはついている。本当はひそかにこの場所から逃げ出すことが最も良いのだが、それが叶わないのならば儀式の最中に逃げ出すしかない。

霜月しもつき晦日みそかの夜、私はおそらく儀式のために外に出る。その後に神楽を舞うんだけど、それ以上は何も……」

「神楽って一人で舞うの?」

「うん、たぶん」

「よし、じゃあその時だ。そこで抜け出そう!」

 少年は儀式が行われるであろう御社ごしゃ殿でんまわりの神社の構造を地面に指で描く。

 この神社にはまい殿どの神楽かぐら殿でんも無いため、神楽を含めた儀式はおそらく拝殿はいでんの手前、楼門ろうもんを抜けた先を祭場として行われるはずだ。

 少し空間が広がるそこは、日継ぎの儀式としてはうってつけだろう。少女を囲むように伸びる廻廊かいろうは周りから少女の存在を隠してくれる。

 宮司ら神主たちは祭場の左右、もしくは楼門の横に伸びる廻廊に控えているだろう。ただ拝殿の方は手薄のはずだ。誰か居たとしても宮司が一人いるだけだろう。

 少年は今までの知識を総動員して考える。

 ——たとえ神楽の最中に囲まれていてもヒナタが一人なら、一緒に逃げ出す方法はあるはずだ。少なくとも、順序の分からないものを考えるよりは可能性がある、と思いたい。

「ねえ、ヒナタの力を使って何かを燃やすとか——少し手荒なことはできないの?」

 ここまで踏み込んでも良いのだろうか。少女をとし、縛り付けているその力は元凶げんきょうとも言える。

 しかし少年はそれを承知である。それでもと、今の少女を信じて、慎重に言葉をつむいだ。

「そうね、残念だけど、この力はただ私が燃えるだけで、他のものを燃やすことはできないの。だからよほど近くではない限りは、難しいわ」

 少女のことに関してはまだ知らないことばかりだ。

 最悪の場合、近づいてきた宮司などを燃やすことで少女が自己防衛できるならば、ある程度の時間は稼げるだろうという少年の算段は霧散むさんする。

 だが、少女がその身を燃え上がらせれば、たとえ神楽が中断され、宮司たちが寄って来ようとしても、近づくことは容易ではないだろう。

 ただこれを少女にさせるのは、自らが恨む力をまとわせることと同じだ。非常にこくである。できれば使わずに逃げたいと思う少年だが、同時にそれほど都合よくはいかないだろうとも思っている。

 あくまでも最後の手段として、少年は頭の片隅に置いておくつもりである。

 取れる選択肢は多ければ多いほど良い。たとえそれがおのれのろうことになったとしても。

 そういえばと、出会った頃に髪を燃やした火で、手燭てしょくともし直していたのを少年は思い出す。

「そうだなあ、じゃあ切った後の髪とかを遠くから燃やすのはどう?」

「うん、それならできると思う」

 少女は指の先に灯した火で自分の髪の先を少し溶かして切る。その髪の切れ端を手からこぼれ落として宙をただよわせると、それは小さな火種に変わった。

 二人の間に生まれた幼い火は、地面に着くまでには消えてしまったが、どうやら遠隔で燃やすことも可能なようだ。

「ヒナタの髪を少しだけ欲しいんだ」

「いいけど、何に使うの」

 いて抜け落ちた髪を少年に渡す。

「火を使って宮司たちの注意をヒナタから逸らすんだ」

 少年は地面に描いた図面をなぞりながら言う。

「神楽を舞っている時に僕が合図を出すから、それを見たらこの髪をすべて燃やしてほしい。それで神主たちの注意を向けさせている間にどこかに身を隠して、もう一度僕の合図を待ってて。その二度目の合図を一緒に逃げる合図にしよう」

「合図って?」

「何かその場で使えるものを合図にするよ。でもきっとこれが合図だってわかるものにするから大丈夫」

 必死に頭を働かせる少年のひたいには汗の粒が浮かんでいる。座り込んで下に顔を向けていると、あごつたって汗が地面に落ちる。

 少女はそれを見ると、そっと少年の額にそでをあてる。白の小袖に少し汗がにじむ。

 我に返ったように少女の顔を見上げると、頭に溜まっていたものが身体の下の方に降りていって頭が急速に冷えていくのを感じる。そして反対に胸のあたりはじんわり温かく、もっとその下の方も熱く煮えていく。

「なんかいつものミヅキじゃないみたい。不思議な感じ」

 顔をほころばせて柔らかい笑みを見せる。

 少女は少年の手をそっと両手で包む。少年の人差し指の先に付いた土がほろと落ちる。

「私初めて、こんな気持ちになったの。生きたいって心から本当に思えた。ミヅキのおかげだよ」

 目を細めて笑う少女を見て少年は、

「きっと逃げよう、二人で」

 心に一本の槍を据えた。

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