ep4
墨名は待ち合わせ場所に立っている寧々に手を振った。ハイトーンヘアは遠くからでも分かりやすい。振り返された手の先にはやや長めのネイルが光っている。
先日寧々が提案したカフェに入店し、注文を済ませた。
「ネイル変えました?秋っぽくて可愛いですね」
寧々は嬉しそうに爪を見せてくれる。
「これ可愛いでしょ、さすが墨名さん!前から思ってたけど墨名さんモテるよね?スタイルいいし顔かっこいいしよく見てるし」
墨名はわざとらしく驚いた顔をして「まさか僕を狙ってるんですか?」と冗談を言った。
「違いますよ、分かってるでしょ。猫ちゃん以外にかまってる暇ないんですよ。墨名さんタイプじゃないし」
寧々が吹き出し、つられて墨名も笑った。傍から見れば付き合っている二人に見えるが恋愛感情はない。お互いにそれをとても楽に感じていた。
「寧々さんもモテるじゃないですか。寧々さんのそういう話聞いたことないんですけど」
「うーん」
寧々は少し考えているようだった。
「コンプレックスがあって、自分で消化できないまま人と付き合えないなって思うんです。あと本当に猫以外見えません」
「寧々さんって誠実っていうか真面目っていうか、よく頑張ってますよね」
そうですかね、と苺がこれでもかと盛られたパフェの頂上をつつきながら寧々が笑った。
「あっそうだ、年末の歌番組に出ることになりました!おめでとうございまーす」
「お、本当に!?」
「ほんとほんと。墨名さん今年頑張ってましたからお声がけいただいたんですよ」
嬉しいという気持ちとなぜ先に言わないという気持ちが湧いた。心がふたつある。
「コンテスト結果ももう少しで出そうですし。年末に向けて準備していきましょ」
年越し歌番組に向かう車内で墨名の言葉数が極端に少なくなっていた。
「墨名さん緊張してます?深呼吸してね」
「ムリです、ルトリも出るなんて聞いてない……」
「うちの古株が前ルトリに楽曲提供したから、楽屋挨拶もくるでしょうね」
「……」
「逃げないでくださいね」
寧々がにっこりとこちらに笑みを向けてくる。
「逃げませんよ、仕事は仕事ですから」
ステージに立った時はほとんど緊張しなかった。それ以上にルトリにこれから会うのだという事実に緊張していたからだ。無事にパフォーマンスを終え、楽屋で深呼吸を繰り返す。コンコン、とノックされどうぞーと適当に返事をする。しかし返事をした後で、足音がヒールの音ではないことに気づき寧々以外の来訪を察知した。まずい、胸元を緩めたり髪を下ろしたりといろいろだらしないことになっているというのに……!
「「「「On your mark, こんにちは、Luait litです!」」」」
「……るとり」
「はい、ルットリットです!突然押しかけてしまってすみません。墨名さんの歌を生で聞けて光栄です!」
ルトリの最年長のリーダーが挨拶をしてくれた。リーダーはバイリンガルで日本語も話せるのだ。そして、推したちが、エナが、太陽よりも光り輝いている。後光どころかビッグバンを背負っているのではないかと錯覚するほどだ。エナが自分を見つめて微笑みを浮かべている!とにかく取り乱さないよう、先程まで練習していたセリフを呪文のようにとらえる。
「こちらこそ、パフォーマンスは見れなかったけど、歌声がとてもかっこよかった、です、!」
「わあ、ありがとうございます!またお会いしたいです!今日はありがとうございました、失礼します!」
エナがリーダーに何かを耳打ちし、リーダーが頷いて親指を立てた。その一連の動作の間墨名は自分の視界に入る髪の毛の本数を数えていた。ありがとうございました、と小声で呟いて閉まるドアを見つめる。一気に肩の力が抜け、その場にしゃがみこんでしまった。動悸、息切れ、めまい、発汗が一気に押し寄せる。熱くなった顔を手で覆った。
「……エナ、すげー……」
「ありがとうございます」
は?
恐る恐る顔をあげると、同じくしゃがんだエナの顔が目の前にあった。
「……!」
後ずさろうとするもしゃがみこんでいることに気付き、手を後ろについてその場にへたりこんでしまう。
「え、な、なんで、ほんもの、?」
エナがきょとんとした顔でこちらを見つめる。エ、エナの瞳に自分が映っている。「勝手にすみません、具合が悪そうだったので、これ」
エナはハンカチを取り出すも、墨名がへたりこんでいるため手を使えないことに気付いた。墨名は上気し、汗が数筋流れていた。
「失礼しますね」
エナがぽんぽんとハンカチで墨名の額と首筋の汗を拭きとった。墨名のキャパは限界近くまで達していた。
「あの、墨名さん熱あると思います。お水飲めますか?」
墨名はエナの額や眉、睫毛、瞳、鼻梁、唇、首筋が順番に視界に入るたび気絶しそうになった。そのため強く目を閉じる。瞳がうるんでいたため睫毛に微量の涙が伝った。
それを見たエナは内心焦っていた。とてつもなく体調が悪そうで意志の疎通も難しく、かなりの緊急状態にあるのだと感じていたのだ。
「すみません、失礼します……!」
テーブルにある墨名の水を掴み、右手でペットボトルを、左手で墨名の後頭部を支えながら水を飲ませた。
一方の墨名はほぼ放心状態でされるがままになっていた。とくとくと注がれる水が甘いような気がしてならない。エナに触れられているということもそうだが、一成人として赤ちゃんのように人に水を飲ませてもらうという羞恥からさらに頭がくらくらしてきた。
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