ep3

墨名はサーモンに舌鼓を打ちながら寧々に問いかけた。

「俺はこれからどうなるんですか」

「企業内のコンテストで最優秀賞を取るんですよ」

「……」

寧々は大トロを何事もなかったかのように食べ続ける。経費で落ちるからと言って、アーティストより食べるマネージャーがいるだろうか。別に自分には関係ないけれど。

「sunny内でってことですか?」

寧々はそうそう、と頷きながら大トロを口に運ぶ。

「あのね墨名さん、これは勝たなければいけない戦いなんです。勝つために戦うんですよ」

「うーん……」

「心配しないで、さっき聴いた新曲と選考コンセプトはすごくマッチしてますから。あの中の何曲か、うまいことブラッシュアップしていきましょう」

乗り気ではない墨名に笑いかける。

「墨名さん実績ありますけど、企業内の大御所たちが強いじゃないですか。いい仕事も持っていかれちゃうし。聞いた話ですけど、古株もかなりの数参加するみたいですよ。ここでコテンパンにして墨名さんと私の発言権を高めます」 

「それで?」

「有力な情報なんですけど、ルトリの事務所がうちのとことコラボしたがっているらしくて。国外の最大手と繋がっておこうってことね。このコンテストがコラボのファンデーションになるって話です。最優秀賞の墨名さんがやりたいって言ったら、今回はsunnyも断る理由がないんだよね」

「ルトリとコラボできるってこと!?」

「ルトリかどうかは分からないですけど。事務所内で会えるかもしれないよ」

だんだん前のめりになってくる墨名にさらに語りかける。

「新しいファン層の開拓にも繋がるし、私はもっといいキャットフードを買えるようになります。サポートはしっかりさせてもらうから安心してね。頼んだ墨名さん!乾杯!」


 

 べろべろになった寧々をタクシーに預け、帰路を辿る。寝る前に少し作業するだけのつもりだったが熱が入ってしまい、気付けば翌日の昼だった。酒をセーブしたため二日酔いにならなかったことは幸いだが、脂っこいものを久々に食べたため胃もたれがひどかった。


 二ヶ月後のこと。墨名は第二外国語を完全に習得していた。旅行好きが高じて英語には困らなかったが、ルトリのtoneを見ていると細かなニュアンスまで感じ取れたらどんなにいいだろうと感じたのだ。楽曲制作を進める一方でルトリに浸る充実した日々の中で、ルトリのグッズが増えた。墨名はミニマリストではないが、部屋に生活感がない。制作部屋と寝室、シャワーを往復するだけだったのだ。そのためリビングを除く2部屋空きがあった。そのうちの一室をルトリ部屋にし、ソファとスクリーンを導入してtoneを投影できるようにした。アルバムディスプレイも設置した。クッションやぬいぐるみ、部屋着までもがルトリ色に染まっている。幸せな空間は財力で作れるのだと実感した。


 この二ヶ月、楽曲制作はいつも通りにはいかなかった。発表に向けた楽曲と同時並行でコンテスト用の曲を12曲仕上げた。しかしルトリの事務所とのコラボや寧々の猫たちのキャットフードのグレードアップがかかっているため、自分のセンスを安易に信頼してよいのか悩んでいたのだ。自分の曲を好きな人が好きでいてくれれば、そしてそれがある程度の基準を満たす人数であればこの仕事は続けていける。だがコンテストはターゲットが審査員になる。寧々の情報網を駆使して入念なリサーチを続けていた。動機が不純である気がしてならないが、寧々のキャリアもかかっているのだ。


 寧々は学生時代からよく頑張っている。初対面は互いに大学生のときだった。デビューしたての墨名がビル内で迷っているところに声をかけてくれたのが寧々だった。sunnyはバイトやインターンが長続きしないことで有名だが、寧々は2年間のインターンで人脈を作り成果をあげた。面接官ですら寧々の顔見知りだったという。入社してからも成果を上げ続け今は墨名を担当している。ただひたすら曲を作り続け、それが評価され流されるまま契約した墨名がここまで活動することができたのは、頑張っている同年代が近くにいたのが一番の理由かもしれない。他人に踏み込まれたくない領域が広い墨名にとって、仕事関係以上友達未満という距離感はとても心地よいのだ。三年間でそれなりの信頼関係は築けた。ルトリのため、寧々のために必死になった二ヶ月だった。


着信音がなり、スマホを手に取る。

「もしもし?寧々さん」

「おめでとうー!墨名さんの5曲最終選考まで残ってるみたいですよ!」

「よかった……寧々さん本当にありがとう。俺が見えないところでも色々サポートしてくれてたよね。今度の打ち合わせパフェでも食べに行きません?」

「行きましょ!青山にパフェ美味しいところができるみたいで……」


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