三章 六角堂、あるいは狐三姉弟

 暗くて少しカビ臭い道を手探りで進む。

 夜目が利くミーナでさえ自分の手すら見えないと言っているような闇の中で、ルディたちは慎重に歩を進めた。

 やがて手に、少し温い壁の感触があった。湿った石の壁を辿って来たので、違いは一目瞭然。どうやらここで行き止まりの様だ。

 その壁をぺたぺたと触って調べると、足元に金属製のつまみがある事に気付いた。それをいじっていると、体を小さく丸めてやっと出られるくらいの小さな扉が、キイという錆びついた音と共に開く。

 開いた先は太陽光が眩しく白く、外に何があるか一瞬わからない程だった。

「おお」と思わず漏れた声と共にルディは体を縮めてその穴を通り、そして落ちた。地面が無い! と思った時には体は真っ逆さま、足から落ちて盛大に尻餅をついてしまった。尻が粉々になるかと思った。

「あ痛ぁ!」

 ルディが立ち上がろうとしたところにミーナが降ってくる。

 出口は地上二メートルくらいの場所にあった。まったく気づかずに進んでしまったのが敗因か。

「いったたた……出口の場所雑過ぎない?」

 ルディたちが通った出口は二条城の米蔵と呼ばれる土蔵の窓だった。

 二条城の順路に沿って本丸を抜けた先にあるその土蔵は、穀物類や武器をしまうための貯蔵庫だ。白く塗り固められた壁面には灰色が曇り空のように混ざっていて、変に立体感のある不思議な外観をしている。

 二条城を見てみたいとは思っていたが、まさかこんなところに出るとは。

 窓を閉める時に中を覗いてみたが、そこには鉄格子に銅の網が張られていて、通る事が出来ない作りになってた。どうやってここを抜けたのか、当の本人であるルディたちにもわからない。中は闇が広がるばかりでもちろん何も見えなかった。

「…………」

 パタリと閉めて、ルディたちは何事も無かったかの様に観光の順路に合流する。

 幸い人は偶然にもいなかったため、ルディ達が米蔵から出てくるところは見られていない。

「しかし本当に繋がってるのねぇ」

 ミーナが振り返って米蔵を眺めながらため息混じりに呟いた。

 このへんてこな出入り口は、知恩院の白い狐が用意してくれた物だ。

 知恩院で大量の根の国の化け物に追われたルディたちだったが、狐の力も借りて何とかすべて捕まえる事が出来たのだ。瓜生石の穴を通して根の国へと何とか押し込んだ時の達成感と疲労感たるや。

 仕上げとして根の国との繋がりを断ち切った狐の男の子が、ついでにその穴を使ってみないかと提案してくれたのだ。

「さっきも言ったように、色々な所と繋げてますからね。お姉ちゃん達が行きたいところ何処へでも行けると思いますよ!」

 そんな貴重な体験もないだろう、とせっかくだから言い伝えにもある二条城まで、瓜生石の穴を通ってきたというわけだ。時間にしてものの一分ほど。普通に歩いたら五十分はかかる道のりにも拘わらず、それこそ一瞬で着いてしまった。

「これは確かに便利だわ」

 上機嫌のミーナは、膝に付いた砂をパンとはたくと順路をどんどん進んで行く。

「とりあえず入場券買わなきゃね、見たところここってお城の中でしょう?」

「そうですね、買う時どうやって言い訳しましょうか」

「なんか歩いてたらお城の中にいた、って言えばいいわ」

 事実だから始末が悪い。

 その通り説明して四、五回聞き直されて疑われまくったが、チケットを買わずに中に入りたいと言っているわけではなく、入ったけれどもう一度チケットを買いたいと言っているのだ。最終的には「お金払ってくれるならまあええわ」と係員がチケットを渡してくれたので、そのままもう一度仕切り直して二条城を楽しんだ。

 ただ、二条城にもある鴬張りの廊下を歩く時、思わず身構えてしまったのは仕方がない事だろう。


        ☆


 二条城を後にして、東へ少し歩くと烏丸御池の交差点に差し掛かかった。

 左に曲がって北へ向かえばマンガミュージアム、反対の南へ向かえば六角堂。ルディはどちらに行こうか悩む。

 ここはミーナの行きたい方にしましょうか。

 ミーナはというといつの間にかルディのガイドブックを眺めてはきょろきょろ通りの名前を確認している¥た。

「次は何処に行くのかしら」

 出来れば変なのがいないところがいいわね、と呟くミーナ。

 ガイドブックをルディの鞄ではなく自分のポシェットに詰め込む時に、何かがぽとりと落ちた。

 確認してみると、ミーナが勤めている居酒屋のチラシ入りティッシュだ。

 ミーナはティッシュを落とした事に気付いていないようだった。

 ルディはそのティッシュを自分のポケットにしまう。気づいていないなら、わざわざ教えてやる必要もない。

「ミーナ、ガイドブック貸してください。どっちに行くか決めましょうよ」

 ミーナのポシェットから突き出たガイドブックを取り出して広げて見せて、今いる所を指差す。

「えーと、ここがマンガミュージアムでここが六角堂ね。……ルディは本当に行きたい所しか見えないのね。京都でしょう? コトキョートでしょう? お寺も神社もまだまだ見なきゃダメじゃない! 六角堂に行きましょ、六角堂」

「いや、確かにそうなんですけど……歴史を感じるって意味ではマンガミュージアムも魅力的なんですよ。色々な作者のマンガやら雑誌やらの第一号からずらりと並べてあったりするんですって。それに、この場所って元々学校だったらしいんですよ。廃校を使って博物館を作るって素敵じゃありません?」

「むぅ……そう言われると面白そうね……」

 右に折れて南へと向かいかけていた足を下ろし、ミーナは腕を組む。

「でも六角堂も有名なんでしょう? ガイドブックで赤くなっているくらいだもの。……六角堂って何があるの?」

「え~と。六角堂はへそ石が有名ですね。そのへそ石が京都の中心なんだとか」

「京都の中心の石」

 ほぅ……と溜息をしながらミーナは遠い目をする。一体どんな石を想像しているのかルディには想像もつかないが、何やらぐんぐんハードルが上がっているのは感じた。

「どうしようかしらね……」

 ミーナはうんうん唸り、やがて頭を抱えてしまった。贅沢な選択肢に悩むがいいのです、とルディは鼻歌混じりに見守る。

「うごぉ……」

「あんまり女の子が出していい声じゃないですね」

「六角堂! 六角堂にしましょう。だっておへそ見たいもの。京都のおへそ」

 決めた後も何かと未練が残るらしく、ミーナは歩いている途中も一度立ち止まって、逆方向に進もうとして踏みとどまるという落ち着きの無い行動を何度かした。傍目にははしゃいでくるくる回っているように見えるが、本人は至って真剣な奇行だ。そちらの方が始末が悪いという事は言うまでもない。

 烏丸通のビル群を南へ下ると、六角堂の文字が見えて来た。左へと曲がるとすぐに釣鐘と寺の門。東西に伸びるこの通りの名は六角通、そのまんまだ。

「あれ? あの鐘はお寺が鳴らすやつよね? ゴーンて。お寺の外にあっていいの?」

 ミーナが指差す鐘は道の右側に置かれていて、寺の入り口は道を挟んで左側。南北に分断されて完全に鐘が孤立してしまってる。

 ルディはメモを取り出して、六角堂のページを開いた。

「六角堂が北に移動しちゃったもんだから、取り残されたらしいですね」

「は? 北に移動? 六角堂が? 何それ」

「えーと、確かここの道を作る時に六角堂が邪魔だったらしいんですね。だからその当時の偉い人が訪ねて来て『ちょっとすいませんが退いてもらっていいですか』って言ったらしいです。そしたら『あいよ~』って」

「軽! そんな近所のおっさんみたいにお寺が移動しちゃっていいの?」

「器が大きいお寺という事ですかね。で、その時に取り残されたのがこの鐘らしいです」

「一緒に連れて行けばいいのに……」

 そんなことを話しながら六角堂の入り口の方へと振り向くと、ヘルメットを被った女性が赤く光る誘導灯を持って立っていた。

 彼女の後ろにあるカラーコーンとそれを繋ぐ黒と黄で縞々に塗られている棒が、六角堂の入り口を塞いでいる。

「すみません、現在六角堂は立ち入り禁止となっている。改修工事中となります」

「改修工事?」

「はい、老朽化が進んでおりますので。宮大工百人体制で作業を進めています」

 いつまでも同じ姿ではいられない、木造家屋の宿命です。何処のお寺でも神社でも何十年かの周期でやってくる事だが、なんとタイミングの悪い。

 ルディが調べた限りでは六角堂にそんな工事の予定など無かったはずなのだが、見落としてしまったのだろうか。

「それは残念ですね……。工事は本堂ですか? 工事していないところだけでも見てみたいんですけど、開放してないんですか?」

「はい、全面工事ですので……」

「せめてへそ石だけでも……」

「へそ石! ……ダメですダメです! 一番ダメです!」

 誘導灯をぶんぶんと振りながら、首もぶんぶんと振る警備員。そんなに焦ることだろうか。ルディの頭の上に疑問符が浮かぶ。

 彼女の背中越しに見る六角堂は、特に工事をしている様子もない。足場も組まれていなければ、工具が置かれているわけでもなく、何の音も聞こえないのだった。

「今は休憩中ですか?」

「へ?」

「何も音が聞こえて来ませんし、人が動いている様子も無いので……」

「え~……そうです、そうです! みんなご飯を食べに行っていますので」

 随分と遅いお昼休憩である。休憩時間がずれ込むほど大変な作業でもあったのだろうか。

「仕方ないじゃない。工事中なんでしょ? 別の所行きましょ、別の所。ほら、ちょうどいいから漫画ミュージアムがいいわ」

 頭の後ろで手を組みながら、ミーナはタッタカ元来た道を戻っていってしまう。

 ここまで来て中にも入ることが出来ないのは残念だ。きっと面白いと思ってルディは密かに期待のこもった胸の風船をじわじわ膨らませていたというのに。

 ――これだけ入念に準備しても、旅とはうまくいかないものですね。

「しっかし、京都は狐が工事するのね。京都だけじゃなくて日本ではお寺を直すのは狐って相場が決まってるのかしら。あの白狐も知恩院直したって言ってたし」

 伸びをしながらミーナがそう言うのでルディは思わず立ち止まった。

「どうしたのよ?」

「狐が工事、ですか?」

「ん? そうよ。あの警備の子、狐だったでしょ?」

「いえ、ルディは普通に人間だと思ってました」

「そう? さっきの子、あの白狐と匂いが一緒だったわよ?」

 匂いて。犬か何かか。

 ルディは振り返って警備に立っている女性を改めて眺めてみるが、やはり狐だとは思えない。しかし、もし狐だとした場合、何故あのような場所で警備の真似事をしているのだろうか。

 そうなってくると工事している様子が無い改修工事も気になってきた。本当に工事しているのだろうか。

 ルディの視線に気づいたのか、警備の子は慌てたようにヘルメットを深く被り直した。あれでは前も見えないだろう。

「ミーナ、宮大工は人間の仕事です。僕も狐が改修工事をするなんて聞いたことありませんよ」

「え、そうなの? じゃああの子何やってるの?」

「……さぁ……」

 ルディが首を傾げているうちに、ミーナは既に行動を起こしていた。考えるよりも動くが早い、実にミーナらしい。

「ちょっとお姉さん、宮大工って狐の仕事じゃないってよ? アルバイト? 雇われてるってこと? それとも何か違う事してるのかしら?」

 急な質問攻めにたじたじになっている警備の女性。

「な、何の事でしょう? うちはれっきとした人間ですよ。人間が宮大工をしてるだけですし、何も不思議なことはないです」

「いや、あんた狐じゃない。ヘルメット取ってみなさいよ」

「ダメですダメです! 工事現場は危険ですから、ヘルメット装着は義務なんです」

「うん、お姉さん工事現場にいないじゃない。ここで誘導してるだけでしょ?」

「違うんです! 規則なので!」

「さっきみんな休憩中って言ってたわよね? 休憩中だからいいんじゃない?」

「ダメったらダメです! もうすぐ休憩も終わりますから!」

 焦ると首と誘導灯を振りまくるのは、この女性の癖らしい。今もぶんぶんと首を振っていて、そしてその拍子にヘルメットが落ちました。

 少し癖のある赤茶毛の頭が中から出てきます。

「……狐ですねぇ」

 ルディは思わず呟いた。立派な狐の耳が彼女の頭から生えている。

「あああ! 違います違います! これは、あの、コスプレです!」

「仕事中にコスプレしちゃダメじゃない……」

 ほとんど泣きそうになりながら両手で必死に耳を隠そうとする警備の子。ヘルメットを拾って被ることも忘れて、必死で頭を押さえてしゃがみ込んでいる。

 そしてそれに追い打ちをかけるように、中から少年が二人出てきた。

「姉ちゃん! やっぱりへそ石捕まんないよ! ……あ」

 やってしまった、という表情をしている、顔がそっくりな少年二人。

 死にそうな顔をしながら固まる、誘導灯を持った狐の女の子。

 時間が止まったかのように動かない三人の心境を映すように、誘導灯が赤く点滅していた。


        ☆


 誰もいない六角堂、目の前には半畳ほどの玉砂利が敷き詰められた地面。その地面を囲っている縄はルディの脛辺りの高さ。

 玉砂利が敷き詰められた真ん中にはぽっかりと六角形の穴が空いているが、知恩院の瓜生石とは違い、すぐ下に地面は見えている。

 狐三姉弟と並んで立ったルディたちは、彼女たちの説明を聞いていた。

「お話しますので、誰にも言わないでくださいね……」

 断ったらそのまま入水自殺でもしてしまいそうな表情で頼まれて、断れるはずもなかった。ルディたちが頷くと、少しだけ彼女の表情が和らぐ。

 彼女の名は真静(ましず)といい、この辺りの地脈のを操作する為、岡山の方からはるばるやってきた狐だという。

 前回までは彼女の父が担当していたらしいが、腰を悪くして隠居したのだとか。

「地脈っていうのは力の流れです。神様が使う力が日本中に張り巡らされているのです」

「それで、その地脈の流れを変えようとした、と」

「はい。明日(あす)からの三日間、伏見に力を集める必要がありまして、ここ以外にも京都中で同じ事が行われている。うちの父が命を受けたのは六角堂の地下の分流点でして、今日までにはすっかり全部地脈の流れを変えろという指示でした」

 曲げるのは何とか頑張ったのですが……と真静が言い淀む。

「姉ちゃん不器用なんだ!」

 双子の少年の一人、八弥(やや)が元気よく喋る。

「結界も使えないし変化も上手くないんだよ!」

 もう一人の少年野乃(のの)も元気よく喋る。

「でも頑張り屋!」

 二人の声が揃う。

 その隣で真静は真っ赤になって俯いていた。

 なるほどですね、とルディは合点がいく。

 結界が使えないから、わざわざあのような警備員の姿になって人払いをしていたわけだ。

 変化が上手くないというのも見ればわかる。何せ真静と違い、双子の少年たちは完璧に人間に化けていて、頭から耳も生えていないのだから。本来ならコスプレする必要は無いのだろう。

「耳を除けば上手いと思うのですが……」

「まぁそこが致命的よね」

「それで、その不器用なお姉さんがどうしたんでしょう」

 ルディが尋ねると、二人は顔を見合わせて少し困っていた。ちらちらと真静の方を見ながら、ひそひそと何事かを相談している。

「えっとね、ほんのちょっと」

 八弥が指をちびっと広げ、それを真似して野乃も指を広げる。

「ちょっと失敗した」

 本当にちょっとだよ! と二人は大きな声で言い張る。

「失敗したの?」

 ミーナが聞くと、真静はゆっくりと頷いた。

「北に流れている力を東に曲げたんです。でもうち、一気に曲げすぎたみたいで、流れていた力の一部が上手く流れずに地上に噴き出してしまいました」

「それでね! へそ石がポーンって飛んだ!」

「花火みたいに飛んだ!」

 真剣な表情で両手を上に上げる二人。それとは対照的に小さくなる真静。

 それで飛んだへそ石が何処かへ行ってしまったので、探していたとの事だった。先輩の狐に頼んで六角堂の関係者を別のお寺で足止めしてもらい、観光客は先ほどの警備員の姿に化けて追い払う。その隙に八弥と野乃でへそ石を探し出す。そんな作戦だったようだ。

「へそ石が飛ぶ……大丈夫なんですかそれ」

 ルディが聞くと、彫像のように黙る三人。大丈夫ではなさそうだ。

「……地脈を流れる力がへそ石がはまっていた場所から漏れ出てしまっているのです。このままでは流れ出た力の分、伏見に溜まる力も無くなってしまうので、最悪の場合儀式が出来ないかもです……そうですね、それに……」

 その時、真静の声を遮るように、メキメキと不穏な音が境内を包んだ。その音は境内に聳えている木々から鳴っており、その音に合わせて幹が揺れている。

「……何でしょう?」

「漏れ出た力を吸って木々が成長しているのです。このままではここ六角堂が森に埋もれてしまうことに……」

 よく見ると、敷地内にある草花がへそ石の台座を中心に放射上に連なって生えていて、太い線をいくつも作っていた。この、他の場所と比べて草花が成長している部分が、漏れた力が流れている道なのだろう。

「確かに何か感じるわね」

 ミーナが台座に手を翳しながらふむふむ頷いている。

「血が中から温められるような感じがする」

 その表現は言い得て妙で、足元の草に手を伸ばしたルディも同じように、得体の知れない何かが指先を温めているように感じた。

 再びミシミシと、枝葉の大きくなる音がする。

 ルディは顔を上げ、この境内が草木に包まれる様子を想像した。豊かな木々に、少しずつ崩れ行く、歴史ある建築物――。

「なかなか悪くないですね」

 思わず漏れ出たルディの言葉を聞いた真静の表情と来たら。白い肌をさらに白くさせ、唇はうっすら紫色になり、ふらりと体が傾ぐ。

「わー! 嘘です嘘です!」

 彼女が倒れるのを受け止めたルディの足を、ミーナと野乃と八弥がガンガンと蹴ってきた。

「アンタなんてこと言うのよ馬鹿! 何が『悪くないですね』よ! カッコつけてサイコパスみたいな事言ってんじゃないわよ!」

「鬼! 悪魔! あんぽんたん!」

 廃墟好きが生きにくい世の中です。世知辛いです。

 針のむしろに包(くる)まれながらルディは何とか真静を起こした。

「すみません、ふと気が遠く……。嗚呼、私はどうしたらいいのでしょう。お借りしているだけのこの辺り一帯の土地を森にした挙句、地脈の力も上手く伏見に流せないなんて、私は神の使い失格です。毛皮になって誰かの首元を温めた方が万倍役に立つでしょう」

 落ち込みようが半端ではない。自分のせいだろうか。なんか違う気もするが、後ろからまだルディのお尻に蹴りが飛んでくる。

「一刻も早くへそ石を元に戻さないといけないのはわかりました。すぐ戻しましょう。すぐに!」

 蹴りを続けているミーナに聞こえるように、選手宣誓のように高らかとルディは声をあげる。真静の未来の為にも、自分のお尻の未来の為にも、へそ石を探してやろうではないか。

 しかし、野乃と八弥は眉間にしわを寄せている。

「俺たちもそう思ってんだけどね! 難しいんだよ!」

 野乃が腰に手を当てて怒ったように言う。

「なんかね、へそ石がすぐ逃げるんだよ!」

「へそ石が逃げる?」

「そう! 捕まえてもピューンて!」

 よく状況が呑み込めない。

「へそ石が逃げるってどういうことですか? 勝手に動くわけではないでしょう?」

「いえ」

 真静がゆっくり首を振った。

「へそ石は六角堂の礎石でしたから、動くのです。それも、かつて六角堂が移動した時に一つだけその場に留まったような頑固者ですから、地脈の力で吹き飛ばしてしまったとあれば、へそを曲げて戻ってきてくれなくても不思議ではありません」

 地脈を曲げすぎて、へそ石にはへそ曲げられて、真静も大変だ。

「え、何よ。じゃあ見つけた後に捕まえないといけないってこと?」

「そうなのです。早く連れ戻さないと、どんどんと……。それにはるばる京都にいらしてくれた観光客の方々もがっかりされる……。明日までに用意する力もきっと不十分のまま……。嗚呼、たくさんの方にご迷惑を……」

 よよよ、と服の袖を目に当てる真静。耳も垂れ下がってしまっている。

「そういうわけですので、へそ石を見に来て頂いているのに申し訳ありません。すぐには捕まらないかもしれませんが、頑張りますので……」

「そうね。じゃあ捕まえましょっか」

 ミーナはパキパキと指の骨を鳴らしながら、適当に歩き始めた。ルディも物陰を片っ端から探しながらミーナに続こうとしたところを、真静に呼び止められた。

「あの、帰るんですか? ミーナさんは何を?」

「ん、何をって、へそ石を捕まえないといけないんですよね?」

「はい、責任を持ってうちが探します」

「でしょう。だから早く捕まえに行きましょうよ。手伝いますよ」

「本当ですか!」

 真静の顔がパッと明るくなった。

「文句を言われても仕方がないと思っていましたのに、よもや手伝ってくださるなんて、嬉しいです」

 ルディの手を取り、ぶんぶんと上下に振る真静。何でもかんでも振るのが好きな狐だ。

 まさかこんなに喜んで貰えるとは思わなかった。汚名返上したうえで喜んでもらえるのならば、捕まえる価値も更にあがるというものだ。

「ミーナにも同じ事やってみてください。たぶん不機嫌そうな顔しますが、はりきりますよ」

 はい! と答えてミーナの元へ駆けていく真静。

 その背中を見送っていると、また自分の手が激しく振られる感覚があった。

 それも両手同時。

 何事かと手元を見てみると、八弥と野乃が楽しそうにルディの手をぶんぶんと振っていた。

 さすが姉弟、笑った顔がよく似てますね。

 ルディも掴まれた腕をブンブン振る。


        ☆


「ねぇ、まだ?」

「どうでしょう。すぐに出てくればいいのですが」

 へそ石が本来あるはずの玉砂利に囲まれた半畳ほどのスペース。その周りには腰の高さまである草木が植えられていて、小さな壁になっている。ルディとミーナはその茂みから顔をそっと覗かせていた。当然地べたにうつ伏せになる恰好になるので、服はその体勢になった分だけ汚れる。更に言うと後ろから見るときっと首が壁から抜けなくなった可哀想な人に見えている。かなりのまぬけを晒している状態と言えよう。

 何故こんな事をしているかと言えば、へそ石を捕まえる為。

 六角堂はぐるりと回るだけならば五分と掛からない、小さな敷地に鎮座している。その周りには浅い堀が、さらにその周りには五メートル程の幅の歩道があり、砂利と石畳で整地されている。入口近くでは柳が涼しく揺れる下に鳩が何羽もぽっぽこと歩いていて、敷地内はのんびりとした空気に包まれていた。

 それ故に手分けすればすぐに見つかると思っていたへそ石。

 けれど、ルディの予想に反してへそ石はなかなか見つからなかった。

「さっきまではそこにいたんだけど」

 八弥が指さすのは西から六角堂を見守るように、ズラリと並ぶお地蔵様たち。その手前でちょろちょろ動いていたとのことだが、今はその影もない。

 しばらく探していたが、このままでは埒が明かないので作戦を変えることにした。

 六角形にくぼんだ本来へそ石がはまっている場所には、六角堂限定の甘味『へそ石餅』が置かれている。それを餌にへそ石をおびき出す作戦だ。

 真静によるとへそ石は甘味に目が無いらしく、それでおびき寄せることも出来るのでは、との事だった。

 今目の前にあるのは剥き出しで置かれたへそ石餅。

 真静があまりに真剣に説明するのでそういうものかとルディは納得してしまったが、へそ石が甘味に目が無いってどういう事だろう、と改めて疑問がふつふつ湧いて来る。

 食べる口も無いでしょうに。

「早く出て来ないかしらね。どうやって出てくるのかしら。やっぱりこそこそ~って出てくるのかしらね。八弥と野乃が追っかけまわしたからきっと見つからないようにしてるんだわ」

「今も走ってますしね」

 待ち伏せしているルディ達とは対照的に、八弥と野乃はお堂の裏に回ったり、手水場の中を覗いたりとあちこちへ飛び回っている。見つけたらルディたちの方に追い立てるつもりらしい。

 真静は入口近くで、ルディたちの様子を見つめている。

 他の人が来たらまずいので、いつでも通せんぼ出来るように、警備員の服装にヘルメットを被り直してた。

「来た!」

 ミーナが潜めた声でルディの袖を揺すった。

 ミーナの声につられて真静の方へと向けていた視線を戻すと、納経所の裏からへそ石がじりじりとこちらに近づいているのが見えた。

「あんなところにいた!」

 八弥と野乃はちょうどお堂の裏手に回っているようで、姿が見えない。

 ルディとミーナ、どちらともなく息を潜める。

 呼吸音すら気取られる気がするので、最大限に注意を払って静かに静かに呼吸を。

 真静のおかげで他の観光客はおらず、あるのは日差しに温められた空気のみ。へそ石は滑るようにしてルディたちに近づいて来る。細かな砂利が敷き詰められている箇所もあるので通った道筋が残りそうなものさが、不思議とへそ石の移動した後には何も残らなかった。よく目を凝らしてみると、へそ石を避けるように砂利や石畳が道を開けている。へそ石が通るとすぐに元の位置に戻るので、へそ石の周りだけ空間が歪んだように見えた。

 へそ石を避ける石畳と砂利の、ちゃりちゃりごりごりという微かな音が徐々に近づいてくる。文字通りジリジリと近づいてくるので、ルディたちもじりじりと体に力が入る。

 そしてとうとう一メートル程手前、目と鼻の先までへそ石が近づいた。

「おるぁ!」

 声低っ。

 耳を疑いたくなるような掛け声と共に、ルディの隣のミーナが飛び出した。まだお菓子に辿り着いていないのでタイミング的に早い。そもそも掛け声とかいらない。

 ちゃんと引き付けてからとルディは口を酸っぱくして言っていたのに、どうしようもなく堪え性がない吸血鬼だ。

 しかし今回はそれが功を奏した様だった。

「捕まえた! ルディ! 来て来て! ほら!」

 がっちりと両手で六角形の石を掴んだミーナが声を上げている。へそ石はその場から動かず、大人しくしているようだった。

 こんなにあっさり捕まるとは。

「ミーナ、やりますね。これで真静さんも泣かなくて済み――」

 その時、視界の端から八弥と野乃が飛び込んできました。

 ミーナの上に覆いかぶさるようにダイブして、へそ石を二人で掴んでいる。下敷きになったミーナから「ぐえ」と潰れた声が聞こえた。

「まだだよ! お兄ちゃんも早く!」

「え?」

 何が何だかわからない。ルディは言われた通りへそ石に近づこうとしたが、茂みの枝葉が絡みついてなかなか飛び出す事が出来ない。

「な、何よ二人とも。どうしたのよ」

「さっきもここまでは上手くいったんだよ!」

「ここまで? それは」

 どういう事? とミーナが聞くまでは辛うじてルディの耳に届いた。急にミーナの声が小さくなったのは、ミーナとルディの距離が離れたからだ。

 もたついたルディが玉砂利の上に降り立った時には、既にミーナを含めた三人はそこにはおらず、代わりに距離にして十メートルほど離れた、流れる水の上に鎮座する十六羅漢の近くに移動していた。一瞬何が起こったかルディにはわからなかった。

「ルディィィィィィ!」

 うつ伏せに石にしがみついた三人が、そのまま高速でルディの視界から消えて行いった。へそ石が三人に捕まったまま逃げようとしているのだ。

「なるほど、捕まえられないはずです」

 逃げる、動く、それだけで十分不思議なので、それ以上に想像を超える事があるなんてルディは考えもしていなかった。人を三人引きずってあの速さで移動できるパワーがへそ石にはあったのだ。あの小さな石にそんなエネルギーがあるとは誰が予想できるというのだろうか。。

 これまでも捕まった瞬間猛スピードで逃げ出した石は、やがて捕まえた二人を振り切って再び隠れてしまったのだろう。だから八弥と野乃に捕まえられなかっただ。

 ――しかし真剣な顔をして地面を滑る姿は何だか笑えてきますね……。

「何感心してるのよぅ! 手伝いなさい!」

 再びルディの視界に現れたへそ石は右へ左へ縦横無尽に走り回っている。それにぶんぶん振り回されている三人の必死の形相が残像の様に時折ちらついた。申し訳ないと思いつつ、かなり面白い。笑いを堪えて必死でへそ石を追うが、へそ石の機敏な事機敏な事。全力疾走すればギリギリ追い付けるのだが、方向転換が急激すぎてついて行けない。追い付いたと思ったら逆方向へ、また追い付いたと思ったら回転して、しがみついている人間を利用してルディに足払いを掛けてくる。

「大丈夫ですか! ……ぎゃん」

 一部始終を見ていた真静も駆け寄ってきたが、へそ石に撥ねられてすっ転んだ。

 その隙にへそ石はまた何処かへ……。

「これは思ったより大変ですね……」

 ルディが六角堂の裏手で胡坐を掻きながら思わず呟いたのは、五回ほどスッ転ばされた後だった。本気で走っても一向に捕まらないので、疲れがドッと溜まり、汗も滴り落ちてくる。

 境内はそれほど広くないのですぐに捕まえられると甘く考えていたのは遠い昔、手に負えない絶望感が今は逆に清々しい。へそ石のクイックネスはもはやNBAのそれである。

 ルディ目の前をへそ石がF1のようなスピードで通過していき、野乃がとうとう振り切られて無様にうつ伏せに倒れてその場に残された。へそ石は一人脱落した事によりさらに加速した様に見えた。

「野乃君、立てますか?」

「……うん」

「よし挟み撃ちで行きましょう」

 このままでは埒が明かない。へそ石はどうやら境内から出るつもりは無いらしいので行動範囲は限られている。更に六角堂の本堂から東へ少し離れた唐崎社へ続く道は、階段があるので恐らくへそ石は上れない。上れたとしてもその時は今しがみついている二人が体を段差に引っ掛ければ止める事が出来るだろう。すなわち、へそ石が怪走するのは六角堂本堂まわりに限られるはずなのだ。

 だからルディが反時計回り、野乃が時計回りにへそ石を追いかければ恐らく追いつめる事が出来る。その時に二人同時に掴めば合計四人。それなら何とかへそ石を止める事が出来るのではないだろうか。というよりもそうであって欲しい。足りなければ真静にも応援を頼むしかない。

「わかった! 俺はこっちから行けばいいんだね!」

 ルディの説明を聞いた野乃は、そう言うが早いがへそ石を追いかけに行く。多少フェイントを掛けられたとしても一方に追い詰めるならまだ勝算もあるというもの。ルディもすぐに逆側に回り、へそ石を迎え撃つ準備を始めた。

 結論から言うとルディの作戦は、今この場で取れる作戦の中で最良の手だった。四人で押さえ込まなければへそ石は止まるはずが無かったし、二人がへそ石にしがみついている所へ追い討ちをかけるにはこの方法しかなかったからだ。

「そのパターンですか……」

 唯一の誤算は、追いかけているうちにもう一人脱落者が出る事を考慮出来ていなかった点です。

「ルディ! 何とかして!」

 お地蔵さんが沢山並ぶ六角堂西の広場でへそ石と対峙した時に、ルディはようやくその誤算に気付いた。ミーナ一人しかへそ石にしがみついていない光景に、身体の力が一瞬抜けた。

 二つの枷が外れたへそ石は見るからに速くなっており、稲妻のように左右に切り返しながらルディに近づいて来る。もはや残像しか見えないレベルだ。それにしがみついているミーナは驚異的に面白いもとい頑張っていると言えたが、いかんせん体重が足りていない。今のへそ石にとって彼女など綿毛同然、ほぼへそ石が記録できる最高スピードを実現させてしまっている。

 ……しかし泣き言を言っていられないのもまた事実。ここまで来ると流石に頑丈なミーナでも怪我が心配になってくるし、何よりルディは挟み撃ち作戦の作戦立案者。意地を張らずしてどうして男と言えようか。

 目で追い切れないが逆に速すぎて単調になったへそ石の軌道は幸い読みやすかった。右、左、と切り返しのリズムを頭に叩き込めば何とか捕まえる事は出来そうだ。

 右、左、右……。一、二、三!。

 目で追いきれない事でリズムに集中出来たのが勝因だった。そしてへそ石の馬力を見誤ったのが敗因だった。

 これ以上ない完璧なタイミングでへそ石に突っ込んだルディの体は綺麗に真上に吹っ飛ばされる。自分の意志とは裏腹に宙を舞う身体に、交通事故ってこんな感じなのだろうか、などという呑気な考えがルディの頭に浮かんだ。

 視界がぐるぐると回って地面に叩きつけられたが、すぐに立ち上がってもう一度へそ石を捕まえようと辺りを見渡す。そしてもう時は既に遅い事を知った。

 グルグルとへそ石が高速で回転し、ミーナがヘリのプロペラの様に振り回されている光景が目に入ったかと思うや否や、すぐに彼女は発射された。

 バドミントンの羽根の様にポーンと空中に投げ飛ばされた彼女は、池にトポンと落ちた。水飛沫が控えめに上がり、水面が揺れる。

 その池は近代になって復活した、聖徳太子が淋浴したと伝えられている由緒正しき池なのだと、後で真静がルディに教えてくれた。


        ☆


「むかつく、むかつく、むかつく!」

 だぼだぼの浴衣に身を包んだミーナが、へそ石餅を食べながら思い出し怒りをしている。浴衣と言っても祭りに行くような煌びやかなものではなく、旅館などでよく見る簡素なタイプのものである。

 ミーナが着ていた服はというと、日向に張られた麻紐に引っ掛けられていた。

 ルディはどうどうとミーナを宥めながら、真静に改めてお礼を言う。

「日差しが強くて助かりましたね。これ、ありがとうございます」

「いえ、うちが着てたやつで申し訳ないですけれど」

 いえいえ、ともう一度頭を下げながら湿り気を帯びたミーナの服を確認する。今日の日差しならばもう十五分もすれば乾くだろう。

「大体なんであんなに逃げるのよ! 捕まえたんだから大人しく台座に戻りなさいよ!」

「久しぶりに台座から出たので、戻りたくないのかもしれません……すみません私が吹き飛ばしてしまったばかりに……」

「戻りたくないって! 散歩好きの犬じゃないんだから!」

「俺も散歩好きだよ!」

「俺も!」

 真静に向かってキャンキャン言っている三人は犬に似ている。

「へそ石に頼んでも戻ってもらえそうにありませんしね。どうしましょうか」

 へそ石はルディら四人を蹴散らした後に再び姿を消していた。先程隠れていた納経所の裏も探したがやはり姿は無く、完全な振り出しに戻ってしまっている。どちらにせよ探し出したところでまた吹き飛ばされるのがオチだろう。何か別の作戦を考えなければ、とルディは唸る。

 ルディ達が腕を組んで考えている中、ミーナだけがへそ石餅をパクパク食べていた。

「A型を使うわよ、ルディ。絶対捕まえてやるんだから」

 ミーナは残ったへそ石餅を一口で全部口の中に押し込んだかと思うと、そのまま手を腰に当てておいっちにぃと体をほぐし始めた。

 A型を使う……それはルディも考えなくは無かったが、リスクが高いのではないか。

「……お寺とか壊したら弁償できませんよ?」

「アンタ私を何だと思ってるのよ!」

 A型はミーナの基本の型だ。

 吸血鬼の身体能力の底上げをする血液型。厳密に言うと、慣性の法則など力学的な物理法則をいくつか部分的に無視する力だ。ミーナの場合だと十ミリリットルで一分の効果が得られる。

 ……三人を引きずり回したうえにルディを吹っ飛ばすあのパワーに対抗するには、それしか方法は無さそうである。

 しかしルディはミーナの大雑把な性格が不安で仕方なかった。普段なら壁に穴の一つや二つ作ってしまったとしても直せばいい話なのだが、ここは文化遺産の宝庫。こんなところでミーナが少しでも出力を間違えたら……。

「本当に大丈夫ですか? 僕がフォロー出来ない事もありますよ」

「大丈夫だってば。ルディが何とか出来ないならこっちも気を付けるもの」

「…………いや、僕が何とか出来る事も気を付けて欲しいんですけど。あれ怒られるのいっつも僕なんですよ」

「さぁて、集中、集中。真静ちゃん、またへそ石餅をお願い」

「わかりました。……何か策があるんですか? A型がどうとか」

 うん、とミーナは自信に満ちた表情で頷いた。

「力尽くってやつですね」

 何でそんなに不安そうなんですか? と聞かれたルディは、お茶を啜って濁しておくことにした。


        ☆


 服が乾いたので着替えた後、ミーナがポシェットから小瓶を取り出した。太陽に照らされて赤く光る血を握って頷く。

 小瓶に入っている血の量はせいぜい五十ミリリットル程度で、五分間しか力は使えない。何本も一度に飲むのはあまり良くないので、へそ石を捕まえる直前に飲んですぐに蹴りを付ける算段だ。

 今回の作戦は極めてシンプルで、ミーナとへそ石のタイマンで勝負を付けるというもの。ルディを含めた三人はミーナが敗勢だったら順次応援に回る。そうでもしないとミーナが出力を間違えた時の巻き添えになってしまうからだ。

 従って先鋒のミーナがへそ石をいかに加速させずに取り押さえるかが作戦成功のカギと言えた。

 ミーナは再び、先ほどの茂みの陰に隠れる。

「さっきの感じだと別に隠れなくてもいいのでは?」

「ダメよ。張り込みってこういうものでしょう?」

 ミーナの中の張り込みがどういう定義なのかルディにはわからないが、ノリノリなので放っておく。

「一番近い所から飛び出す方がいいに決まってるじゃない」

「そーですね」

 それから五、六分程経った頃。またへそ石が姿を現した。

 ついさっき四人に追いかけられたばかりだというのに、性懲りもなくまたへそ石餅に向かってじりじりと近づいて来る。

「ミーナ、そろそろ」

 ミーナは無言で頷き、小瓶の中身を一気に飲み干す。

 ふぅ、と小さく息を吐き、ミーナは小瓶をポシェットにしまう。飲み干した直後から辺りには風が吹き始めた。夏の空気をかき回すような生温い風が地面すれすれを通り抜けて、ミーナへと向かっている。ミーナを台風の目とするように、周りの空気がどんどん集まって来る。茂みがさやさやと音を立てて揺れている。

 そよ風の悪戯程度の強さでしかないが、それがミーナの髪を逆立てる様はなかなかに凄みがある。何だか吸血鬼っぽいこの姿が、ルディは結構好きだったりする。

 真静はミーナの様子を見て何かを察したようで、口を手で覆ってその光景を見つめ続けていた。

 へそ石が餅に触る直前、ミーナが飛んだ。

 その後ろ姿を見ていて、おや、とルディは何か引っ掛かる物を感じる。

 ……何かが足りないような。

 何が足りないのかを答えに辿り着く間もなく、ミーナはそのままへそ石をがっちりと掴んでいた。そしてその瞬間、ルディは何が足りないのか気付いた。

「ミーナ、まだそれ発動してません!」

 A型の力には欠点が二つある。

 一つは力が発動しているかがわかりにくいという点。ミーナ曰く、力が湧いて来る感覚が無く、普段と同じように動くとその出力がめちゃくちゃに上がっているとの事。だから嫌なのだ。ミーナが気を遣わずに普段と同じようにルディを蹴ればビル三階建てくらいなら軽く超えられる程吹っ飛ぶし、ビンタをされたらルディの体はその場でフィギュアスケート真っ青の高速回転を魅せる。同じような事を建物にやったら当然簡単に壊れてしまうし、それが文化遺産だとしたらその歴史もろとも瓦礫の山と化してしまう。

 無自覚に力が発動してしまったミーナは歩くニトログリセリンなのだ。力のコントロールをするまでにかなりの練習が必要だったのを思い出す。

 さらにもう一つ厄介な事に、力の発動には若干のラグがあった。

 飲んでからすぐ力が発動する事もあれば、三分ほど待たなければいけない事もある。毎回発動までの時間がランダムなのも扱いづらさに拍車が掛かっている。一つ目の欠点である『力が湧いて来る感覚が無い』のと相まって、ミーナはいつ自分が力を発動したのかがわからない。

 それを判断する唯一の方法はミーナの背中を見る事だ。

 力の発動と共に彼女の背には黒い羽根が生える。

 余裕がある時はミーナも自分で確認するのだが、彼女は少々鳥頭なので今回の様についつい忘れてしまう事も結構ある。

 そして、今日も忘れた。

「まだ羽根が!」

 ルディの声も虚しく、ミーナは六角堂の裏手にすっ飛んで行った。へそ石の相変わらずの出力に「早く言いなさいよおぉぉ!」というミーナの声に若干のドップラー効果が掛かっている。

「……成功、じゃないですよね」

 おずおずと真静がルディに話しかける。

「もう大失敗です! 追いかけましょう!」

 六角堂の裏手でうつ伏せに倒れているミーナを見つけて、慌てて体を揺すった。背中には羽根が生えていて、今になって力が発動したことを教えてくれている。

「ミーナ! 大丈夫ですか!」

「二回も石に引きずられて、振り回されて……こんなに悔しい事も無いわ……」

「大丈夫そうですね。へそ石は何処に?」

 ミーナは体を起こして正座になりながら指を差した。

 指の先は六角堂西側、一回目の捕獲作戦の時にルディが吹っ飛ばされた位置に向いている。

 へそ石はそこにいた。表情などあるはずも無いのだが、何となくおちょくられている気分になる。

 と、その時、六角堂の陰から真静が飛び出して来た。挟み撃ち作戦の再来、ルディとは逆回りに真静はへそ石に向かっていたのだった。

 もたもたとたどたどしい動きですが、その真剣な表情に気圧されたのか、へそ石は逃げるようにこちらに向かって来る。

「ルディさん行きました!」

 その声につられてルディは反射的に立ち上がりへそ石へ向かって走っていた。ミーナにあの石を追わせるのは危険だ。スピード勝負になったらミーナの爆速が制御できるか怪しい。ここは一旦自分が動きを止めないといけない。へそ石を捕まえようとしたら六角堂が瓦礫の山になっていた、なんて洒落にならない。

 一度目の様には行きません!

 ルディはグッと歯を食いしばる。あの時は重心が高すぎたので、今度は重心を低く低く保った。こうすればさすがのへそ石も少しくらいは止まるはずだ全然ダメだった。

 気付いた時にはルディの体は宙を舞っていました。

 再び空中を舞うルディの視界に、高速でミーナへと向かって行くへそ石が映る。

 そして次の瞬間、解体用の巨大な鉄球を地面に落としたような、地響きにも似た重い音が響いた。その音と共に、ミーナの周り、半径三メートル内にある小さな砂利が全て真上へと吹き飛びルディの顔に当たる。

 露わになった地面には、カルタを押さえるように片手でへそ石を捕まえるミーナの姿があった。


        ☆


 玉砂利のくぼみへと置かれたへそ石は、すっかり大人しくなっていた。

 血を飲んだミーナの身体能力は凄まじく、あれほど大暴れしていたへそ石を最後には完全に手懐けていたので、それも当然かもしれない。逃げようとするへそ石に一瞬で追い付いては踏みつけ、軒下に潜り込むのを片手で引きずり出し、とうとう元の位置までへそ石に何もさせなかった。

「やっとじっくり見れるわね。おへそでしょ、京都の中心でしょ? 中心なんだからデンと同じところに構えてるのがいいわよね、やっぱり。変なのも漏れてきてないし、これで大丈夫かしら?」

「はい、ありがとうございます。……これで何とか伏見へ送る力も安定します」

 夕方の影のように成長し続けていた木々が、またミシミシと音を立てて縮み始めていた。

「木も元に戻るんですね」

「はい、地脈の力を操れるのは神様だけですから。流れなくなった力は抜けるのみです」

 ふくふくと安心しきった顔で笑う真静。出会ってからずっと不安気な表情をしていただけに、その笑顔を見てルディはホッとした。工事業者の作業着姿はいつの間にか浴衣姿に変わっていて、骨の多い日傘を差している。

 段々と人が増えて来て、へそ石の前に人が来ては去り、来ては去り。

 みんなへそ石やお地蔵様や本殿を見るのに夢中で、日傘を差している女性が狐だと気づいてはいないようである。気づいていても、さして気にしていないだけかもしれない。

「これ? おへそ!?」

 まだ歩き方が危なげなちびっ子が、へそ石に囲われたロープを掴んでぴょんぴょんと飛んでいる。

「そうよ、こんにちはってして」

「……んちわ!」

 へそ石に手を振るとちびっ子はお堂に駆けて行く。慌てたように追う、その子のお母さん。

 すぐに追いつかれて抱きかかえられたその子は、お母さんの肩越しに手をぶんぶんと振って楽しそうに笑っている。

 ミーナが小さく手を振り返していた。

 母娘が去ったへそ石の前には、今度は気難しそうなカンカン帽を被ったおじいさんが、腕を組んで立っている。

 へそ石の説明を読み、へそ石を見つめ、交互に何度かそれを繰り返し、やがて何かに納得したのか重々しく頷いてその場を後にする。

「ふふふ、みんな知らないでしょうね、私たちがいなかったらへそ石を見れずにいたなんてこと」

 悪戯を企む子供の様に笑いながら、ミーナはへそ石の前にしゃがみ込んで写真を撮り始めた。

「まったく、手間取らせてくれるわ。この写真一枚撮るのに一苦労じゃないの」

 文句を言いながら、あらゆる角度からパチパチと写真を撮るミーナ。

「あの……本当にすみませんでした。お旅行を楽しんでいるのに、貴重な時間をうちらの為に使ってしまって……」

 ミーナの独り言を聞いてか、真静がしょぼしょぼと小さくなりながらルディに頭を下げる。

「ごめんなさーい!」

 双子の少年たちも真静の真似をして、ぺこりと頭を下げました。

「いいんですよ。むしろ手伝えてよかったです」

「……それは何故ですか? ミーナさん、あんなに怒っているのに」

「違うんです。あれ、楽しんでるんですよ」

「でも苦労したって……」

「う~ん、なんていうんですかね……。例えばバイトが忙しければ忙しいほど張り切る人というか……あ! あれが似てるかもしれませんね。山登りです。山に登っている最中は苦労しますけど、頂上で景色を見ると疲れが吹っ飛ぶ感覚。今、そんな感じです」

「はぁ……」

 飛び切りいい例えを見つけたとルディは自信たっぷりに言ったのだが、真静にはピンと来ていない様子。勢いで立ててしまった人差し指が妙に恥ずかしい。

「真静、八弥、野乃! 一緒に写真撮るわよ! へそ石捕獲記念!」

 真静とは対照的にご満悦のミーナは、カメラを振りながら手招きをしている。

「……はい」

「あら、どうしたの? まだ何か心配な事でもあるの?」

「いえ、ミーナさんにご苦労お掛けしたな、と」

 なんだ! とミーナはカメラをセットしながら笑っている。

「まだやらなきゃいけないことがあるのかと思ったわ! 本当に無いの?」

「はい、あの、本当にすみませんでした」

「何が?」

「へそ石を捕まえるの手伝ってもらってしまって……」

「ああ、そうね! 本当にこのへそ石ったら自由なんだから!」

 カメラのタイマーが押される。あと十秒。

「またへそ石が逃げたら、私を呼ぶといいわ」

 ミーナがふふん、と鼻を鳴らす。

「また逃げたら一緒に捕まえてやりましょ」

「……は、はい!」

 パチリ、とシャッターの下りる音。

 みんなが笑顔で写る、いい一枚が撮れた。

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