幕間 二幕

 老人は伏見稲荷から神宮丸太町まで京阪電車で向かっていた。

 京都大学にいる友人たちに会わなくてはならない。

 あそこの大学は限りなく天才と馬鹿が紙一重どころかくっついて混ざり合った人間離れした人間ばかりなので、老人には成す術が無いこの問題だって何か解決する方法を知っているはずなのだ。

 七条あたりから電車は地下に潜り、車窓には闇ばかりが広がる。窓ガラスに反射するのは車内に一人の老人の顔。その表情は固い。

 老人は自分の顔を睨みつけるように見つめていたが、ふと立ち上がり、向かいの窓ガラスまで駆け寄り手を突いた。

「……」

 老人は食い入るように窓の外の闇に眼を凝らす。

 確かに見た。

 この闇の中を横切る、山吹色の動物。

 車内にはレールの継ぎ目を打ち鳴らす車輪の音が等間隔でリズムを刻む音が響く。その音すら聞こえなくなるほど、老人は集中していた。

「……いた!」

 思わず叫んだ老人はそのまま電車の扉を開けようとしたが当然開かない。やきもきしながら電車が止まるのを待ち、祇園四条で飛び降りて、ホームから身を乗り出す。線路が伸びる地下道にちらちらと山吹色の影が見えた気がした。

「ちょっとお爺さん危ないですよ!」

 駅員に腕を引かれてホームの中央まで戻される老人。そのまま振り切って地下道に飛び出るわけにも行かず、じっと狐の消えた方角を頭に叩き込み、地上へと出た。

 昼が近づきじわじわと観光客が増える祇園四条に降り立った老人は、すぐさま南に進路をとる。狐が目指す場所はわからないが、どうやら川端通を南に下っていた。

 老人は四条大橋の欄干に体を預け、鴨川沿いの遊歩道を南へ辿っていく。地下を走る電車を透かして見ているような鋭い視線。あの狐は今、何処に。

 と、老人の目に、再び山吹色の毛並みを持った動物が映る。

 三匹がパタパタと土手の真ん中を歩いているのだ。近くの人間に見つからない何とも絶妙な位置を保っている。

 思わず待てと叫びそうになりながらも、ぐっと堪えて走り出す老人。

 しかし、その足はすぐに止まる。

 今度は橋の欄干を器用に歩く狐を見つけたからだ。祇園から河原町方面へ、トコトコ小走りしている。その狐は老人の視線に気づくと、すす、と橋の裏側へ消えた。

 何が何だかわからないが、とにかく鴨川に降りてみるのが早そうだった。南に下る狐も橋を渡る狐も、橋の下からよく見える。

 そして老人は川沿いに降り立ち、そこで立ち尽くす。

 橋の裏を、狐が逆さまに歩いていた。

 老人が自分の目を擦っても、狐はさもありなんとでも言うように、素知らぬ顔をして橋の裏をてってけ歩く。そして老人の姿を認めると、すぐに何処かへ手品の様に消えた。

 しばらく北へ行ったり南へ行ったり狐の影を追っていた老人は、ある事に気付く。どうやら狐たちは自分が見られている事に気付くと、するりとそばにある穴に入ってしまうらしい。

 それは橋を支える柱の節にあったり、土手に紛れたりしている。とても老人には通れそうにない大きさである。

 さらに始末の悪い事に、狐達の行先はてんでばらばらだった。

 橋を渡ったり川に沿って南に下ったり、北へ上る狐さえいた。捕まえようにも得体の知れない穴にすぐ隠れてしまう。

 行先もわからなければ、目的もわからない。

 焦る気持ちだけがどんどんと老人を飲み込んでいく。

 やはり、京大の友人に力を借りるしかないのか……。再び京阪電車に乗り込もうと土手にある階段を登りかけた老人は「あっ!」と声を上げた。

 目の前に狐が一匹、あくびをしながら座っていた。

 老人はすぐさま飛び掛かる。周囲にそれらしき穴は空いていない、これならば捕まえられる!

 狐に触る寸前。

 いや正確には狐の毛に指先が触った瞬間。

 老人は片栗粉の詰まった袋で殴られたような衝撃を眉間に受けた。

 何が何だかわからないうちに回る視界。その端で、狐が逃げ出すのが見えた。

 老人は、階段を転げ落ちてその場に仰向けに倒れる。

 しばらくそのまま、青空を流れる雲に向けて歯ぎしりをしていた。

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