改名
「まあ、君の住んでる辺りはね。終電の時間が」
「七時半」
「うっかりゲーセンにも行けねえよ」
「心配しなくてもそんなものありませんから」
「電車は一日に?」
「4本」
「そんなの始発を逃したら昼まで身動き取れないじゃないですか、時間潰す場所も無いのに」
「だから行きも帰りも寄り道しないんですよ。小学生の頃なんか、学校から帰ったら玄関の前に豚が半分置いてあったりしましたよね」
「しませんよ。自分がそうだからって誰にでもその現象が起こると思わないで」
「そうですか?」
「一応聞きますけど半分って横に?胴体から?」
「縦に。眉間から右と左に」
「縦に?」
「縦に」
「そんなもん見たら気絶する自信があるんですが」
「そんなこと言われても日常の風景なんですよ。豚が何したっつうんだよとは思ってましたけど」
「
「わかってないですね。集団で脱走されると結構怖いんですよ。まあうちに置いてあったのは近所の人からのお裾分けだったらしいですけど」
「もうちょっとこう、あるでしょう?言ってもうちは沿岸部だったから友達が家に遊びに来るときに魚とか持ってきてましたけどね。全然嬉しくないのに」
「ほら、ヨウダイくんだって」
「ヨウタです」
「
「もらい方にもよりますけどね」
「死体が置き去りにされがちなんですよね、田舎あるあるですけど」
「そういえば遠足の通り道にマンボウの死体が落ちてたりもしましたもんね」
「豚の掴みまあまあウケてたよな」
「豚のネタなら幾らでもあるからね。いいかも」
大会は一ヶ月に渡る予定になっている。毎週土曜日に予選があって、5月末に決勝戦が行われる、らしい。やると返事をした時には全ての手続きは既に晴の手によって済まされていた。何もかも事後報告だった。
「おい、しかしビックリしたぞ」
「すまなかった」
晴から連絡があったのは一回戦の二日半前のことだ。ネットでのエントリーは金曜日の昼までで、諸々とギリギリだったようだ。四月の終わりのことだ。特に説明も無かったけれど、「晴の誘いだから面白いんだろう」くらいの感じでよくわからないまま参戦してしまって今に至る。軽薄な行為だという自覚は大いにあった。後悔はしていない。
「急いでたんだよ。すぐ陽大のことが頭に浮かんだから連絡した」
「それは光栄だよ。でももし俺が断ってたら」
「陽大は断らないと思ったから」
なんとか一回戦はクリアしたものの、もう今週末には二回戦があるからネタを作らなければならない。とは言っても優勝を狙っているわけでもない。一人だろうと二人だろうと観てくれた人に笑ってもらえればいい。そこは気が楽だった。
「ただ、もっとかっこいいコンビ名つけたかったな」
ソーラーパワーとかいういかにも正統派なコンビ名は気恥ずかしさがある。どうせ一ヶ月限りの名前ということで慌てて適当に名付けた。晴と、俺が陽大でそうなった。
いや待て、太陽の力って。
いやいやいや。
「俺らそんなに元気いっぱいじゃないのにさ」
「だから本当は“死神”も考えてたんだ」
「極端過ぎんだろ。そこまで
「なんで?かっこいいじゃん。コンビ名は死神」
涼しい顔をしてとんでもないことを言い出すのは昔から変わらない。つまらなそうな口調でどうしようもないことを晴は言う。
かっこいいんだからいいじゃん。
「それか悪の道化師」
「なんで悪なんだよ。完全に厨二病じゃねえか」
文句を言いながらも笑ってしまう自分がいる。
昔晴が言っていた。
「俺が面白い人間なわけじゃないんだよ。会話っていうのは多分相性でさ、相手から引き出されるものだと思うんだ。内輪ウケってあるじゃん。そんなもん他人に見せて何になるんだよ」
「つまり?」
「僕は人前で滑るのが怖いんだ」
その晴が滑るリスクを背負ってまで、しかも急いで笑わせたい相手とは誰なんだろう。きっと晴は、そういうことを
「陽大、コンビ名“道化”に変えても良いかな?」
「何でもいいよ」
「道化師と書いてケフカ」
「やっぱり厨二病じゃねえか!」
俺が声を出して笑うと晴が満足そうに頬を緩ませる。二人とももうとっくに酔っ払って床に寝転んでいた。ハイボールの空き缶が幾つもテーブルに置かれていた。
晴は今日うちに泊まって、明日には豚だらけの田舎に帰る。月曜日からはケースワーカーとして困っている市民の為に働き始める。そんな3週間が始まった。そんなこと一生にあと何度あるだろう。
「ありがとうヨウダイ」
「ヨウタだ」
「ヨウタはどんな仕事してるの?」
「普通の会社員だよ」
大学を卒業してから製薬会社で輸入事務をやっている。英語は好きだったし急ぎの受発注ではないので、自分のペースで仕事をできるところが気に入っていた。急かされるのは嫌いなんだ。それにレートを知れたりするのも面白い。性に合っているのか思いの外3年も続いていることに今話していて初めて気が付いた。就職なんて皆がしているから仕方なくしただけだったのに。
「かっこいい」
「普通だよ」
まるで自分の仕事に誇りを持ってでもいるみたいで、ちょっと照れるじゃないか。働いていれば嫌いな奴だっているし嫌なことなんか幾らでもある。我慢することばっかりだ。これをやれば給料を貰えるとしか思っていない。思わないようにしている。それの何処がかっこいいのか。
ふふふ。と酔っ払いが笑う。晴と最後に会ったのは大学生の頃だった。就職活動が始まると皆で集まることはなくなってしまった。俺は田舎に帰ることも少ないし、晴に限らず当時の友人たちとは連絡もあまり取ってない。そのうち会えるだろうと思って生きているのだ。深く考えたことは無いけれど現にこうして、なんとなく会えた。
「晴はどんな仕事してるんだ?」
「今は介護保険とかやってる」
「猪と戦ったりしないんだな」
「そういうのもやってたよ。バトルはなかったけど、亡骸の処分とか」
猪の撤収作業を繰り返す毎日に疲れたある日、もう嫌気がさした晴は同僚と二人で穴を掘り猪を埋めてしまったことがあるそうだ。業者まで運び込むよりも穴を掘る労力の方が大変だろうに。
「いつかネタになると思ったんだよ」
それを聞いてちょっと吹き出してしまった。晴が起き上がって目をキラキラさせる。色白の顔がほんのり赤い。下を向いた睫毛がキラキラ輝いている。
「二回戦、高校の奴ら呼ばない?」
「すごい勢いで来るだろうな」
自分も晴と出たい!陽大、俺と替われ!なんて言い出す奴も出てくるかもしれない。いや、出てくるに違いない。自分の顔がニヤつくのを止められない。
ネタを作らなければならないのに一週目の夜が数年間の空白を埋めてゆく。
「高校生の頃みたいにワクワクしてるよ」
「俺もだよ」
道化で十分だったんだけどな。眠りに落ちる寸前、
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