第5話 3、メレック号の試験飛行
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宇宙スクーターという乗り物はスクーターの車輪部分に水平な重力遮断板が付いており、地上を浮き上がって進むことができる乗り物だ。
その日、ニューマンとシークレットは研究所の庭で宇宙スクーターの運転を練習し、宇宙スクーターをメレック号の格納庫に入れた。
シークレットは乙女号に乗り、メレック号の電脳ピースに後を着いてくるように命じ、二人は無事に衛星内の我が家に戻ることができた。
もちろんニューマンは宇宙スクーターに乗ってリニア車両に乗り込んだ。
ニューマンは宇宙スクーターを運転することでリニア車両が地球方向(下側)で停まっていたことを初めて知った。
衛星内は自由落下の無重力状態ではあったが、地球の引力は十分に強く、宇宙スクーターはその引力を利用して動くからだ。
翌日からニューマンはメレック号の操縦練習をした。
母、シークレットが同伴した。
それはメレック号の電脳ピースに「経験」を積ますためでもあった。
シークレットは最初に大量の冷凍食品を自宅からメレック号の生存室の冷凍庫に運び込み、非常用の空気と水をチェックした。
事故対策だった。
操縦はシークレットが行(おこな)った。
月軌道の外側に出てからサイクロトロンエンジンを始動した。
「ニューマン、サイクロトロンエンジンを動かすわよ。しっかりシートベルトを締めなさい。どうなるか分からないんだから。」
「了解。ワクワクするね、母さん。」
シークレットが加速レバーをゼロから最低の1ノッチにするとメレック号は1Gの加速度を得た。
2ノッチに上げると2Gの加速になり、3ノッチでは3Gになった。
「イスマイル様は加速レバーの目盛りをGに対応させてくださったのね。分かりやすいわ。」
「母さん、結構な加速だね。」
ニューマンは3Gの加速度で頬(ほほ)や目尻の肉が後ろに寄せられたいつもと違う顔で言った。
「ふふふっ。まだ序の口よ。今は3Gだからジェット戦闘機の離陸の加速度くらいかな。次の4Gは戦闘機の空中戦の加速度。タイヤが大きなF1車の急ブレーキもこの程度ね。」
「かっ、母さんは大丈夫なの。」
「びくともしないわ。ニューマンの限界はおそらく6Gくらいね。景色が白黒になるの。7Gではブラックアウトと言って目が見えなくなるそうよ。8Gでは呼吸ができなくなって9Gでは内出血が起こるわ。最高出力の10Gでは時間が長ければ死ぬかもしれないらしいわね。イスマイル様はそれが分かっておられたから最高加速度を10Gになされたのね。」
「かっ、母さんは何Gまで耐えられるの。」
「分からないわ。私たちは大抵の爆発には耐えれるから・・・そうね・・・30Gくらいかしら。爆発の衝撃波は音速に近いから1秒で300m近く進むわけでしょ。1Gは1秒で10m(9.8m)進む加速度ね。仮に衝撃波に乗って1秒でゼロから300mまで加速したとしたら30Gになるでしょ。」
「すっ、すごいね。」
「50㎝で秒速1㎞になる鉄砲の弾さんには負けるわ。・・・ピース、現在の燃料消費量はどれくらいなの。」
「燃料は水素分子で消費量は毎秒1x10^-20モルでございます、シークレット様。」
「毎秒6000個の水素分子が噴射されているわけね。すごいわ、ニューマン。一生かかってもたった2g(グラム)の水素ガスを使いきれない。信じられないわ。」
「かっ、母さん、それより加速度を1Gにしてから会話しないかい。」
「あっ、ごめん。1Gにするわ。それと加速度が下になるよう噴射方向を下に変えるわね。えーと、噴射方向は加速ノッチの近くにあって可変の物だからこれね。・・・ピース、この前後二つのボールがイオンの噴射方向を変える操縦球ね。」
「左様にございます。球体の突起が噴出方向です。通常、突起は手前の窪みに嵌(はま)っておりますから後方エンジンのみから後方にイオンが噴出されております。両方の球体の突起を下の窪みに嵌めれば前後のエンジンからイオンが下方に噴出されます。その位置が加速度を床方向に掛ける位置でございます。前後エンジンの加速レバーは通常は独立しております。」
「了解。」
シークレットが加速ノッチを0.5にし、ボールを回して突起を下の窪みに入れると加速は床方向の1Gに変わり地上と同じになった。
「ニューマン、これでいいわね。今メレック号は真上に進んでいるの。素晴らしい操縦ボールだわ。窪みがあるのも便利そうね。でも空中戦をするには応答が遅すぎるわね。」
「ありがとう。とにかくほっとした。・・・それでっと、ピースさん。サイクロトロンはどれくらいのエネルギーで水素分子イオンと電子を発射してるの。」
「はい、ニューマン様。20MeV(めがえれくとろんぼると)で発射しております。このエネルギーは一定です。加速の大小は水素分子の量で決まります。」
「20MeVか。えーと、1eVは1.6x10^-19ジュールだから20MeV では3.2x10^-12ジュールだね。おもちゃのエアソフトガンの1ジュールよりだいぶ小さい。そのエネルギーだと陽子と電子はどれくらいの速度で発射されるの。」
「はい、ニューマン様。電子は光速の99%以上、陽子は光速のおよそ20%で発射されます。・・・現在発射しているのは電子と水素分子イオンです。水素分子イオンは光速の10%程度だと思います。」(著者注3-1)
「父さんの概略図を見たらサイクロトロンは2重になっていた。陽子と電子は別のサイクロトロンで発射されるのだね。」
「左様でございます。陽イオンと電子は別のサイクロトロンで加速されます。」
「どちらもこの船の加速に寄与しているのかい。」
「・・・加速の僅(わず)かな周期性からの推測でございますが、どちらも有意な力を本船に与えていると思われます。」
「メレック号の重さはどれくらいだい。」
「1万トンでございます、ニューマン様。」
「1万トンの物体を1G(約10m/sec2)で加速するのにたった6000個の水素分子が使われているのか。物理学者は真っ青だね、母さん。」
「そうね。超遠心加速で時間速度が遅くなった電子はどれくらいの潜在質量を持っていたことになるのかしら、ニューマン。」
「母さんの問題は久しぶりだ。えーと、1x10^7㎏のメレック号が1x10^1m/sec^2で加速されるための力はF=mαだから1x10^8㎏m/ sec^2ニュートン。毎秒6000個の電子と分子イオンが光速で打ち出された時の推力は燃料質量の減少率と速度の積だから・・・6x10^-15㎏m/sec^2(ニュートン)になる。この二つが同じになるためには電子の質量はおよそ1x10^22倍にならなければならない。えーと電子の質量はどれくらいだった、ピースさん。」
「9.1x10^-28グラムでございます、ニューマン様。」
「そうだとすれば9.1x10^-6グラム、およそ9マイクログラムだよ、母さん。」
「OKよ。細かい数値よりオーダー(桁)が重要なの。」(著者注3-2)
ニューマンとシークレットはメリック号を様々に試運転した。
結局、6G以上の加速度は使われなかった。
ニューマンが音(ね)をあげたからだ。
「ニューマン、人間には1Gがいいわね。」
「同感だよ、母さん。」
「後はピースに操縦させましょう。慣れるようにね。それから火星に行ってX線通信機を試してみましょう。」
「了解。」
「ピース、次は貴方が操縦しなさい。安全に快適にね。」
「かしこまりました、シークレット様。できる限りがんばります。」
「できる限りか。・・・火星に行こうと思います。現在の火星までの距離はどれくらいですか。」
「現在はおよそ1億㎞です、シークレット様。」
「1Gで加速し、中間地点から1Gで減速したら何時間かかりますか。」
「およそ55時間半かかります、シークレット様。」
「それでいいわ。中間地点でX線通信機を使いましょう。私たちがシートベルトを締めたら方向を変えて火星に向けて進めなさい。」
「了解しました、シークレット様。」(著者注3-3)
地球から5000万㎞の中間地点でメレック号はX線通信機を使って地球と交信した。
何とも苛立(いらだ)たしい通信だった。
「アクアサンク国の通信オペレーターに告げる。こちら宇宙船メレック号のシークレット。地球と火星の中間地点からX線通信機で発信している。X線通信機のテスト中だ。感あればX線通信機で応答せよ。繰り返す。アクアサンク国の通信オペレーターに告げる。こちら宇宙船メレック号のシークレット。地球と火星の中間地点からX線通信機で発信している。X線通信機のテスト中だ。感あればX線通信機で応答せよ。10分間ほど待つ。」
6分後に応答が入った。
「宇宙船メレック号のシークレット様に告げます。こちらアクアサンク宇宙通信隊。私は通信士の綾乃(あやの)です、シークレット様。通信は明瞭に聞こえます。どのような御用でしょうか。繰り返します。宇宙船メレック号のシークレット様に告げます。こちらアクアサンク宇宙通信隊。私は通信士の綾乃です、シークレット様。通信は明瞭に聞こえます。どのような御用でしょうか。」
シークレットは直ちに発信した。
「アクアサンク宇宙通信隊通信士の綾乃に告げる。発信してからこれを受信した時までの時間を知らせよ。ただいまX線通信機の試験中。」
再び6分後に応答が入った。
「宇宙船メレック号のシークレット様に告げます。こちらアクアサンク宇宙通信隊通信士の綾乃。シークレット様の通信は発信後6分で受信いたしました。」
シークレットは発信した。
「アクアサンク宇宙通信隊通信士の綾乃に告げる。こちらシークレット。情報をありがとう。メレック号は現在地球と火星の中間地点にいる。ニューマンと一緒だ。航行に問題はない。そうイスマイル様にお知らせせよ。通信終わり。」
シークレットはニューマンに言った。
「やはりX線通信機は外宇宙では使えないわね。光はあまりに遅すぎるわ。」
「母さん、宇宙が広すぎるからだよ。」
「ふふふっ、そうでした。」
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