ネズミ男

@PrimoFiume

ネズミ男

「大山教授、何してるんですか?」

 スコップ片手に花壇で土いじりをしていたら、突然ゼミの女子生徒から声をかけられて僕は立ち上がり、声の主を見た。

「あ、ああ、ちょっとね。チューリップの球根を植えていたんだ」

「へー、私チューリップ大好きです。何かお手伝いできることあります?」

「いや、僕一人で大丈夫だよ。ありがとう」

「ねぇ、もう行こ」もう一人の女子生徒が彼女の腕を引く。

「それじゃ大山教授、失礼します」

「ああ」去っていく彼女らに私は軽く手をあげて見送る。


「ねぇ、あんた大山教授と親しいの?」

「親しいってほどではないけど、何で?」

「あまり深入りしない方がいいよ。あの人、なんかおかしいみたいだから」

「おかしい?」

「うん、先輩が言ってた。前はそんなことなかったみたいなんだけど、何年か前に付き合ってた人を亡くしたことがきっかけみたい」

「私聞いたことないけど」

「結構有名よ。その頃からネズミをペットにするようになったんだって。なんか気味悪くない?」

「ネズミって、実験用じゃないの?」

「入手経路はそうかもしれない。でも違うの。ピスって名前つけて可愛がっているのよ。私前に見たことがあるんだけど、どう見ても普通じゃなかったよ」

「考えすぎだよ。私は普通に見えるけど」

「あんたが知らないだけよ。みんな陰でネズミ男って呼んでるんだから、絶対関わらない方がいいって」

「わかった、気をつける」

「絶対その気ないでしょ」

「バレた?」

 女子生徒たちはキャンパスを出ていった。


 五年前


「大山君、教授就任おめでとう」春子はディナーの席でワイングラスを掲げて笑みを浮かべる。

「ああ、ありがとう」僕も同じようにグラスを同じ高さに持ち上げた。

「正直、まだ僕には荷が重いよ」

「そんなことないわ、あなたの研究の素晴らしさは私にもわかってる。人類を救う、正に神の領域にあなたは足を踏み入れたの。もっと自信を持って」春子は僕の目をまっすぐに見つめて言う。

「全力を尽くすよ」

 大学での研究は世間の人たちが想像しているよりもずっとシビアだ。研究にはとにかく金がかかる。成果が出せるかどうかもわからないことに資金を出してもらうには生半可なレポートでは認可がおりない。研究資金を得たら、今度は結果を出さなければならない。実際のところ、大学の研究で黒字を出せるなんてことは一握りだ。だが、春子が僕の側にいてくれる。ただそれだけで頑張れる気がする。春子は僕にとって、単に魅惑的な関係ではなく、心から信頼できる大切な存在。人生を共に生きていくのは春子しかいないと心の底から思っていた。


 その知らせを聞いたのは無情にもクリスマスイヴだった。春子が遺伝的な病気で入院したと聞かされた。治る見込みはない。唯一の道は移植手術だけだと聞かされて目の前が真っ暗になった。

 移植手術は拒絶反応との闘いである。それを抑えるためには移植患者レシピエントのHLA型に適合するドナーを見つけないといけない。HLA型は白血球の血液型だが、一般的な血液型とは大きく異なる。一人につきA, B, C, DRの四座を二セットもっているわけだが、各座いくつものサブを持っている。

 HLA型は各座半分ずつ両親から遺伝により受け継ぐ。

 父親の二セットをa, b、母親は、c, dとした場合、その組み合わせはa-c, a-d, b-c, b-dの四通り。つまり兄弟であれば四分の一の確率で適合するわけだが、赤の他人ともなれば、数万分の一となる。春子に兄弟はいない。僕は自分のHLA型を調べてもらったが、やはりそんな都合よく神は微笑まない。それから日を追うごとに春子は衰えていった。病の進行を止めることができず、僕はただ春子の手を握ることしかできない。だが体が衰弱しても春子の瞳から輝きが消えることはなかった。

「私信じてるよ。大山君ならいつかピスの研究を成功させる。そうしたら私を助けてくれるんでしょ?」

「PiSじゃなくてiPSだよ。人工多能性幹細胞の英語を略したものだし、それにピスはオシッコって意味だよ」

「知ってる。でもアルファベットの略称よりかわいいでしょ」春子の笑顔に僕は肩をすくめた。

 iPS細胞とは採取した皮膚細胞をもとに眼球や臓器の細胞を作り出す研究だ。慢性的なドナー不足を解消する夢の研究と目されてはいるが、実用化には程遠い。ヒトに移植できる臓器を作ることはまだまだ夢の領域と言わざるを得ない。春子は聡明な女性だ、それを知らないわけはない。でもいつやってくるかもわからない死の恐怖と隣り合わせの中、僕を元気づけようとしている。握った拳の爪が手のひらに食い込んだ。


 僕はこれまで以上に研究に没頭した。春子に会う時以外の時間を全て注ぎ込み、ついに春子の皮膚組織からヒトiPS細胞を作り出し、そこから脳細胞の塊を産み出すことに成功した。とは言え、それは問題の解決にはならない。依然臓器器官を丸ごと作ることもできないし、春子と過ごした日々はその脳組織に刻まれてもいない。それでも僕は春子を励まそうと、研究の成果に希望的観測という名の嘘を織り交ぜて話した。春子は僕の考えなど見透かしているだろうに、屈託のない笑顔で耳を傾けてくれた。その笑顔に応えたいと想う気持ちは空回りして、研究は遅々として進まない。僕は春子の手を握り、いつか必ず救ってみせると力なく囁いた。春子はその声にならない声が聞こえたかのように、信じてると言った後、その手は僕の手から抜け落ちた。


 春子を失い僕は自暴自棄になりかけたが、春子の最期の言葉のおかげで僕は正気を失わずにいられる。僕は研究を進めた。春子の皮膚組織から脳細胞の塊を作り出したあと、それをネズミの赤ちゃんに移植した。もちろんそれで春子が蘇るわけではない、だがそのネズミの中で春子の一部が生きていると思えるだけで僕は発狂せずにいられる。いや、もう僕は狂ってしまったのかもしれないね。僕はピスと名付けたそのネズミに問いかけた。

 ピスは一週間後に死んだ。でもそこに悲しみはない。僕はピスの亡骸を花壇に埋めると、次のオルガノイド(臓器もどき)をネズミの赤ちゃんに移植し、次のピスを産み出した。そんなことを何回か繰り返して、ようやく”春子”は定着した。春子の脳細胞はネズミと共に成長し、ネズミの脳の六割を占めるまでになった。”春子”は、ヒゲからの刺激を感知する領域にいる。僕は脳波を調べる為の器具をネズミにつけて、そのヒゲに息を吹きかけた。すると、”春子”が反応を見せた。分かってはいる、これは”春子”がネズミを支配したのではなく、ネズミが”春子”を取り込んだということを。それでもなお、僕はピスに春子を重ねて可愛がった。その様子を見た人たちから見たら僕は異常者に見えたことだろう。いつしか、ネズミ男と囁かれるようになった。

 ネズミの寿命はせいぜい三年。今回のピスは天寿をまっとうしたといえる。春子の皮膚組織からiPS細胞はいくらでも培養できる。次のピスを産み出せばよいのだが、そろそろ次はネズミ以外の被験体で試したい。僕はいつものように、ピスをチューリップの球根と共に花壇に埋めた。チューリップの花言葉に愛の告白というものがある。春子にはついにちゃんとしたプロポーズができなかった。そんなことをぼんやり考えていたら背後から声をかけられた。


「大山教授、何してるんですか?」

 僕は立ち上がり、声の主を見た。

「あ、ああ、ちょっとね。チューリップの球根を植えていたんだ」

「へー、私チューリップ大好きです。何かお手伝いできることあります?」

「いや、僕一人で大丈夫だよ。ありがとう」

「ねぇ、もう行こ」もう一人の女子生徒が彼女の腕を引く。

「それじゃ大山教授、失礼します」

「ああ」去っていく彼女らに私は軽く手をあげて見送る。


「ピス」僕は彼女の背中を見て呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ネズミ男 @PrimoFiume

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る