6ー3

「おおっ…!」


 思わずそんな声が漏れる。しかし福松の興奮も仕方のな事だった。これで準備が完了したと言うことは、あとはいよいよ撮影現場に乗り込むと言うこと。緊張を喜びでコーティングしたような、そわそわとした感覚が全身を走っていく。


 そんな感傷に浸っていると、飛頭が首を伸ばし福松の上から逆さまに顔を覗かせた。


「ひゃあ!」

「今さら驚く奴があるかい」

「す、すみません」

「支度は終わりだ。後は呼ばれるまで控え室にいな。飲んだり食ったりは止めないけど、万が一にでも汚したら…命がないと思いな」

「はいぃ!」


 福松は背筋を伸ばして軍人のような返事をした。


 人間のスタッフが言えば発破をかけるだけの脅し文句に受け取れるが、妖怪に言われると恐怖の桁が段違いだ。福松は刺客に狙われているかの如く、オドオドしながら朝いたプレハブ小屋の控え室を目指したのだった。


 ◇


 しかしその途中、福松は不意に外で呼び止められた。見れば伊佐見がこちらに向かって手招きをしていた。


「わあ! お似合いですよ」

「へへへ。ありがとうございます」

「もし良かったら写真を撮りましょうか?」

「え? いいんですか?」


 てっきり情報漏洩の観点から個人で撮影するのはNGだと思い込んでいたが、どうやらその限りではないらしい。


「はい。SNSなんかにアップするのは流石にまずいですけど、衣装の勉強とか宣材写真として使って貰う分には構いません」

「でしたら、お願いできますか?」

「スマホはあります?」

「あ、すみません。控え室でした…」

「なら私ので撮っておいてあとでお送りしますね」

「ありがとうございます」


 伊佐見は福松の事を白壁の前に立たせると、スマホで数枚の写真を撮った。そしてそれが終わると本題に移った。


「それはそうと、一度事務所まで来てもらってもいいですか?」

「はい。大丈夫ですけど」

「会ってもらいたい人がいるんです」

「はあ」


 言われるがままに事務所に移動する。するといつか面接をした事務所前のソファに誰かが腰を掛けていた。


 年の頃は二十歳前後といったところだろうか。少なくとも見た目の年齢は福松よりも若い。その反面、ガタイが良くそれに伴って落ち着きがあるように見えた。身長は福松と同じくらいか、やや低い。それでも福松よりも恰幅がよく見えるのは太っているからではなく筋肉質だからだろう。


 その男は福松たちに気がつくとすくっと立ち上がって一礼した。


「お疲れさまです」

「紹介しますね。俳優部の若手で時代劇塾のAクラスに通われている愛島さんです。それでこちらが新しくBクラスに入られた福松さんです」

「始めまして愛島和人です。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします。先月からお世話になってる福松友直です」

「いやぁ、先月から入ってもう現場デビューってすごいですね」

「そういうもんですか? まだここのことがよく分かっていないんで…」

「異例も異例ですよ。Bクラスのまま現場に出れる人なんて滅多にいないですもん。ね、伊佐見さん」

「ええ。本当ですよ…あ、それで福松さんをお呼びしたのがですね、愛島さんと会わせたかったからなんです。今日は同じく中間役で出られるのと、初めての現場で右も左も分からないと思うので基本的には一緒に行動して貰って、現場のルールとかを覚えてもらおうと思っています」


 突然の申し出だったが、福松にとって見れば願ったり叶ったりの提案だった。正しく伊佐見が言った通り、今のところ期待以上に不安の方が大きいのだ。寄り添える誰かがいてくれると言うのは何と頼りになることか。


 福松はもう一度深々と頭を下げた。


「よろしくお願いします」

「こちらこそ。んじゃあ、少し早いですけど、早速行きましょうか?」


 などと挨拶と雑談を二言三言交わし、いよいよ現場へ向かうことになった。しかし船頭いてくれたおかげで肩の荷が少しだけ軽くなったような気がした。ここまで気を回してくれた伊佐見さんには感謝の念がいくらでも湧いて出てくる。


 歯が全部浮き出ているような心地よい緊張を胸に福松は愛島にくっついて現場へと向かったのだった。


 図らずも、いつかドリさんに連れられて化生部屋に向かったのと同じルートだった。コンクリートの壁、アスファルトで塗装された道、近代的な建物の数々がある境から突然に江戸時代の風景へと変わる。そんな江戸の町並みの中にTシャツを着たスタッフ達が世話しなく動いているのだから面白い。


 ドリさんは次の角を右に曲がったが、愛島は左へ折れた。つまり福松にとっては未知の領域だ。思わず息を深く吸い込んでしまった。


 角を曲がると学校の運動会で運営が使うようなテントが目に入った。カメラやモニターなど様々な機材の日除けとして使われており、そこを中心にスタッフがあくせく仕事をしていた。そこには国見監督と貝ケ森助監督の姿もあり、挨拶をした方がいいものか悩んでしまった。


 すると愛島がすっと近寄って挨拶をしたので、これ幸いと福松も後に続いた。


「お早うございます」

「うーす、デメちゃん。よろしくね…あら? えっと確かお化け君?」


 国見監督はふざけたように言った。この時、福松の脳裏には最初の授業の自己紹介の映像が思い返されていた。あの時の授業以来会えてはいないが、お化けが見えると言って笑いが取れたものだから何とか顔は覚えてもらえていたようだ。


 なるほど、監督やスタッフに顔を覚えてもらえるのは何と大変で、何と安心感のあることだろうかと福松はあの時の国見監督の言葉を深く実感した。


「お早うございます。福松です!」

「そうそう、福松くんだ。え? 何? もう現場入り?」

「はい! よろしくお願いします」

「いいねえ。楽しみにしてるよ」

「それじゃ、愛島さんと福松さんはいつもどおり第三で小道具をお願いします。秋保さんがいると思うんで」

「ういっす」


 軽く会釈をすると、二人は言われた通り第三セットへと出向いたのだった。セットの中はカビと埃の臭いが充満していてお世辞にもいい気分にはならない。その上電気がついておらず、大きく開いた門の外から差し込む光で入り口の辺りが見える程度だった。奥行きはあるが暗すぎて良く見えない。ただ屋内撮影に使う為の作りかけのセットがあるのは分かった。他にも大小様々な小道具の数々がカゴやラックにしまわれていた。


そして愛島は福松に説明をする。


「ここが第三セットです。撮影に使うこともありますけどご覧の通り小道具置き場ですね。ついでにエキストラの待機場所になるのもほとんどがここです。なので所内で撮影となったら、特に指示がない限りここにくれば大丈夫です」

「わかりました」

「あと、言うまでもないことですが関係のないものを触ったりは厳禁です」

「うっす」


 …危なかった。愛島に釘を刺されなかったら興味本意で絶対に触っていたと福松はほっとした。そしてそんなことを考えていると、小道具の山の影からひょっこりと誰かが顔を出したのだ。


 柄シャツにサングラスを掛けて、更に大きな麦わら帽子を被ったその人は風貌通りに陽気な声を出して挨拶をしてきた。


「おはざーす!」

「あ、秋保さん。お早うございます」

「デメちゃん。今日もよろしくね」

「こちらは小道具係の秋保さんです。で、今日から入る新人の福松さんです」

「お早うございます。福松です…え?」


 そう挨拶しようとしたときに気がついた。秋保の麦わら帽子には一つの鈴がぶら下がっている。振っても音が鳴らないので中の玉がないのかもしれない。しかしそれは問題ではなく、その鈴から抜け出るように女の妖怪が現れていたのだ。


 福松はその様を見て魔法のランプの魔人を思い浮かべた。正しく足の方が先細りになり、鈴から出ている。もしかしなくても鈴にまつわる妖怪であることは間違いない。


「あ、君。見える人?」

「…はい。ドリさんにお世話になってます」

「ひょっとしてドリさんが言ってたの君か。そうかそうか」


 福松は女の妖怪の方にも会釈をした。しかし妖怪の方は目こそ合いはしたが、すぐにそっぽを向いてしまう。そしてするすると鈴の中に消えていった。


「こいつは『鈴彦姫』って妖怪でね、名前はスズ。色々と手伝って貰ってるのよ。僕は妖怪は見えないんだけど、スズだけは見えて話もできるから一緒にいてもらってるの」

「へえ。そういうパターンもあるんですね」

「そそ。それはそうとデメちゃん、道具の説明は頼んでいい?」

「大丈夫ですよ」

「ごめんね。今日人数が多いから」


 そう言い残すと秋保は第三セットを後にしてどこかへ消えていった。秋保の姿が見えなくなると同時に愛島が福松に声をかける。


「というか、福松さんだったんですね。ドリさんが張り切ってましたよ」

「そうなんですか? というか、愛島さんも?」

「僕はどういう訳か動物系の妖怪は見えるんですよ。だからスズさんは見たことないです。他の妖怪のもね。モニター越しの姿は分かるんですが」

「なるほど、見える見えないに二極化している訳じゃないんですね」

「ええ。でもほとんどが似たり寄ったりですよ。ドリさんくらいじゃないですか殆ど見えているの」


 そういうものなのか。以前、座敷わらしの民子が見えただけで皆が大層な驚きようだったのを思い出す。福松には撮影所の妖怪達がさも当然のように見えているのだが、やはりそれは稀有なことらしい。


 などと思いを馳せていると愛島が駕籠中間の支度について色々とレクチャーをしてくれたのだった。

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