6ー2

 プレハブ小屋を出るとすっかりと明るくなっていて、ガヤガヤと人の気配がする。見ればセットの方では既にスタッフが数名集まって何やら作業をしているのがわかった。特にカメラとその機材が目に入ると心が踊った。数十分後には自分もあのカメラの前に出て芝居ができるのだから興奮しない方がおかしい。


 しかし、同時に緊張感も芽生えていた。ここからは学生演劇とは訳が違う。正真正銘プロの世界なのだ。と福松は心の緒を閉め直した。


 床山に向かうついでに台本を返却すると三人はエレベーターに乗り込み四階に上がった。


 部屋に入るに際して山田と大野田が、


「お早うございます。中間役で入ります、山田です」

「同じく中間で入ります、大野田です」


 と挨拶を飛ばした。


 なるほど、これが床山に入るときのルールかと盗んだ福松は同じように挨拶をした。


「お早うございます。中間役で入ります、福松です」


 そして昨日、クチナシに言われた通り一般の化粧台の間をすり抜けて奥の部屋へと入った。中にはまだ誰も来ておらず、クチナシだけが待機しながらかつらの手入れをしていた。


「来たな」

「うす。お早うございます」


 挨拶もほどほどに一番端にある席を指差したクチナシは相変わらずぶっきらぼうな口調で告げる。


「はい、座る。で、昨日教えた通りの事をできるだけやって」

「わかりました」


 ふぅっ、と一息吐いて気合いを入れた。そして道具を引き出しから揃えたところでクチナシが言う。


「タイムアップ!」

「え?」

「自分でやる時間は終了です。今日は忙しいから俺がやる」

「な、ならそう言ってくださいよ…」

「いや、ひょっとしたら家で練習してきてパパッと付けられるんじゃないかと」

「慣れてても一分じゃ無理っすよ」


 またからかわれてしまった。自分でできないのは残念だが、自信がないのは確かなので正直ありがたいとも思っていた。

 

 全部をクチナシに付けてもらうとしても見て勉強はできる。福松は目を皿にしながら、鏡越しに羽二重の付け方を一つでも多く覚えようとしていた。


 そうして十分足らずの間にツブシまで終えてかつらを頭に乗せられてた。


 昨日も思ったがこめかみを締め付けられる感覚が中々痛い。孫悟空の気持ちが何となくわかった気がした。


 かつらの糊代を化粧用のボンドで張り付けるとクチナシは髷の位置を微妙に調整し、福松の肩をポンと叩いた。


「よし、上がり。もういいよ。初仕事をトチんなよ? トチったら二度と呼ばれないから」

「ぷ、プレッシャーかけないでください…」

「こんなんで緊張しててどうすんだよ。それにミスったら呼ばれないってあながち嘘でもないし」

「や、やっぱりすか?」

「けど、そんなガチガチの顔してる奴も呼ばれないかも」

「勘弁してくださいって」


 イジりにイジられて福松はすくっと立ち上がった。そして改めてクチナシに聞いた。


「この後ってどうすればいいんですか?」

「ここを出ると隣に衣装部屋があるだろ? そっちに行って役と名前を言えば衣装をくれるから。後は時間まで待機」

「わかりました。ありがとうございます」

「んじゃ、後は現場でな。かつらをズラしたら殺すから」

「かつらだけにっすか?」


 そう言うと福松はクチナシに尻を蹴られたのだった。


 言われた通りに床山を出た福松は隣にあった衣装部屋へと向かう。しかし床山と違い勝手が分からず少々まごついてしまう。しかしどうすればいいのか分からないという心配は入り口を通ると解消した。


 衣装部屋の出入口のすぐ正面に一着の着物が掛けられており、その着物の袖から病的に白い二の腕だけが出ていたのだ。その手は『見える方は左に曲がって一番奥の部屋』と書かれた木の板を抱えていたのだ。


 福松はその指示に従って左に曲がると何百という衣装でできたトンネルを通って一番奥のスペースに行った。そこは四畳半ほどの広さがあり、隅に置いてある文机の前に一人の女性が座っているのに気がついた。


「お、おはようございます」

「ん?」


 女は首だけを動かしてこちらを見た。体は一歩も動いていないのに、女の顔は福松の目の前にある。女の顔と体は蛇のように長く延びた首で繋がっているばかりだ。


 …『ろくろ首』か。


 妖怪に疎い福松でもそれくらいは見当がついた。喉まで出かかった悲鳴を飲み込むと、必死に笑顔を作って挨拶をする。


「中間役の福松です。お早うございます」

「ああ、はいはい。ドリさんから聞いているよ。アタシは飛頭ひずって言って、見ての通りのろくろ首。よろしくね」

「こ、こちらこそ」

「そこに用意してあるから…念の為に聞くけど一人で着れる?」

「自信はないっす」

「うん、正直でよろしい。最初は着させてあげる。けど次から同じ役柄の衣装は着せないから今ここで必死に覚えな」

「了解です」


 やっぱりスパルタがデフォルトなんだな、ここの妖怪スタッフは。福松は漫然とそんなことを考えていた。


「じゃ浴衣を脱いで。ステテコは…履いてないか。今回は履かなくていい衣装だけど、これからは念の為に持ってきな。夏場や汗掻くような現場もあるからね」

「うす」

「それと。そのシャツはダメ」

「え?」


 福松は目線を落として自分のシャツを見た。何の変哲もない白のインナーだ。何がダメなのか分からない。


「まず丸首。それじゃちょっと襟元が動いただけで下着がバレる。Vネックのそれも深い奴じゃないと現場には出せないよ」

「あ…」

「同じ理由で白いのもいけない。最近のカメラは性能がいいからくっきり映る。万が一覗いてもいいように黒のシャツを着るように」

「分かりましたけど…どうしましょう、これしか持ってきてないです」

「だろうね。仕方ないから今日はハサミを入れるけどいいかい」

「ハサミ?」

「そう。喉元から裂いて無理からVネックにするんだ」

「ど、どうぞ」


 飛頭はそうして無理矢理に肌着を作ると、いよいよ中間の衣装を説明を交えながら福松に着せ始めた。


「まずはフンドシだね。締めたことあるかい?」

「いえ…」

「ま、そりゃそうだわね」


 ふうっとため息を吐き、飛頭は予備のフンドシを手にとって自分の腰に当てた。


「フンドシの種類や巻き方は色々あるんだけど、今日のは越中フンドシと同じでいい。よく見てなよ、一回しかやらないからね」

「はい!」

「まず布が垂れている方をお尻に当てる。で臍の下辺りで紐を蝶結びにするんだ。緩いと外れるし、キツいと苦しいからそこら辺は自分の匙加減で調節しな。その後は股の下から布を手繰り寄せて紐の下に通す、この時に一度股下辺りの布の形を整える。より具体的に言えば、布で金玉を仕舞う感じだ。これはアタシよりアンタの方がわかるだろ?」

「あ、はい」

「そうして前に持ってきた布を前に垂らして完成だ。この角がピンっと張っていると男らしくて格好いいフンドシ姿になる。ここんところを意識して」

「…こんな感じですかね?」

「うん、まずはそれでいいだろう。しかし女が男にフンドシの締め方を教えるなんてすごい時代になったもんだよ、まったく」

「す、すみません」

「別に文句じゃないさ。個人的な愚痴さ。よし次だ」


 飛頭は福松に隅においてあった衣装を取るように言った。薄い茶色をベースに菱の紋が両胸と両袖についている。襦袢も襟が縞模様になっており、帯も襟と揃えられたデザインだ。福松はいつもとは違う非日常の衣装に密かにテンションが上がっていた。


「最初に両膝に三里当てをつけな」

「さんりあて、ですか?」

「そう。一番上に三角に紐がついたようなのがあるだろ?」


 福松は衣装に目を落とす。すると確かに幽霊が頭に巻く三角の小さいような布切れがあった。


「それで膝を隠すように巻くんだ」

「これは…何のために?」

「アンタ、役者なら『外郎売り』の口上くらいは言えるだろ?」

「え? 『拙者、親方と申すは…』ってやつですか?」

「そう、それだ」


 飛頭が言った『外郎売』とは役者やアナウンサーを志す者の大半が口慣らしの為に行う長台詞の事だ。元は歌舞伎に登場する台詞であるが、ある種の早口言葉のように稽古に用いられる。福松も学生の頃からやっているから空で言えるし、少なくとも現代日本で役者を名乗っている者であれば一度は口ずさんだことがあるはずだろう。


 外郎売りの台詞と三里当てが何の関係があると言うのだろう。福松は飛頭の言葉を待った。


「その口上の中に『走っていけばやいとを擦りむく、三里ばかりか藤沢、平塚…』って件があるだろう?」

「ああ…ありますね」

「やいとってのはお灸のこと。三里ってのは膝にある足のツボの事さ。そこにお灸を据えると足の疲れが取れて三里も走れるようになる。ツボの名前と距離の三里と掛けてるんだ」

「へえ~」


 実にアホ丸出しの声が出た。思えば台詞の暗記だけで言葉の意味などはてんで考えたこともなかったのだ。


「駕籠かきや飛脚は一日の終わりにはそこにお灸を据えていたんだ。けど、どうしたって痕がつくだろう? 町で働くような身分だったらそれでもいいが、中間はお偉いさんに使える身だからね。見苦しくないようにそれで隠すんだ」

「な、なるほど」

「これからは昔の役職と衣装の勉強もしておくんだね。意味や理由が分からなきゃ、演じようったって無理なんだからさ」

「が、頑張ります」

「よし。じゃあ残りの衣装を着ちまいな。基本的には普段の着物と一緒。襦袢の上に着物を着る。役によってわざと着崩れを作ったりするけれど、今回の役はどっちだと思う?」

「…ピシッとしていないとダメだと思います」

「何故?」

「えっと…偉い人の駕籠を担ぐからです」

「正解。撮影中も襟や袷のズレには気を配んなよ?」

「分かりました」


 言われた通り、少し厚手でごわごわしている以外は普段の着物とさして違いはない。福松は慣れた手つきで着てみたが、終わったところで一つの違和感に気がついた。


 裾が短すぎるのだ。つんつるてんなんてものじゃない。膝がようやく隠れるくらいの長さしかなかった。


「えと、この長さでいいですか?」

「合ってるよ」

「でも短いんですけど」

「それを尻端折りしてごらん」

「えっと…こうですか?」

「そうさ。で、さっき言った通りフンドシの角がピンっと張るようにしてやれば…出来上がりだ」


 福松は飛頭に手を引かれ鏡の前に立った。


 羽二重にかつら、そして中間の衣装を身に付いたその姿は正しく時代劇の役者そのものだ。

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