6ー4
「支度と言ってもあまり大袈裟なものはないですが…忘れちゃならないのがこの『中間木刀』ですね」
「なんか、オモチャの刀みたいですね」
福松は思った感想を素直に口にした。すると愛島も笑って同意してきた。
事実、中間木刀という小道具は子供のオモチャのようなこじんまりとしたものだった。100円ショップで売っているプラスチックの刀程度の長さしかなく、木製であることが辛うじて武器らしさを出している。取って付けたような鍔もついているが、護身用以上に効果を発揮することはないだろう。
愛島はそれを手にすると後ろ帯に差した。福松もそれに倣って木刀を差す。木刀とは装備することでピンっと空気が張ったような気がした。次いで履き物の説明をされた。
「絶対にそうだという訳じゃないんですけど、ウチの撮影所だと鼻緒が黒いのが武家関係、白が町人になることが多いですね。ただ、やっぱり絶対にそうだと決まっている訳じゃないんでその日のスタッフさんに確認した方が無難です。今日は黒でオッケーですけどね」
「わかりました」
「これで準備は終わりです。因みに肩当てはもってきました? ないと駕籠を担ぐときに肩が死にます」
「あはは…昨日の時代劇塾で経験済みです。手拭いがあるんでそれを使います」
「ならよかった」
かくして一通りの支度を終えた福松と愛島は他の出演者が来るのを待ちながら話に花を咲かせていた。
やがてぞろぞろとエキストラの役者達が第三スタジオへとやって来る。福松たち中間の他は全員が裃をつけた侍の出で立ちだ。すると、ありがたいことに愛島は顔馴染みを見つけると声をかけて、その都度福松の事を紹介してくれた。
もう何度「初めまして」と「よろしくお願いします」を言ったかもわからなくなった頃、助監督の貝ケ森がやってきた。
「それでは撮影を始めますので、皆さんは現場に移動してください」
◇
いよいよ、だ。
そう思ったとき福松は無意識に深呼吸をした。そして愛島、山田、大野田の三人に従って現場へと移動する。今回の撮影場所は所内の符丁で『大店通り』と呼ばれているらしい。その名の通り商店が立ち並び活気や大通りでのシーンを撮る際に使われるのだという。
すでに粗方の準備は済んでおり、昨日教わった豪華な造りの大名駕籠が大きな存在感を放っている。福松たちエキストラの面々が到着すると簡単な挨拶の後、貝ケ森がシーンの説明をし始めた。
「では並んでもらいます。袋原さん達は前、残りの方たちで駕籠を囲ってもらいます。いいですね、自分の主人が乗ってて襲われるかもしれないっていう緊張感を全員で出してください」
「「はい!」」
「で、中間さん達」
福松の鼻がピクッと動く。同時歯がカチカチ鳴るくらいに緊張感が全身を覆った。
「担ぐ順番を決めましょうか。背の順はどうなってます?」
「前から愛島、山田、大野田、福松って順番ですかね。福松さんは初中間なんでなるたけ後ろにいてもらった方が…」
「確かにですね。その順番で行きましょうか」
「うっす」
と、あれよあれよという間に順序や動きが決まった。福松は辛うじててんやわんになって取り乱さないように自制ができている。もうここは授業の場ではない。正真正銘、映像のプロフェッショナル達が作品を作る場所なのだ。
細部にまで気を配り、撮影が円滑に進むように専念する。時として言葉でなく空気で察する必要だって出てくる。まだまだ新米ではあるが、今まで身に付けた役者のノウハウをフルに活用してことに望むと意気込んだ。
それにキチンと気を使ってもらっていることも福松は理解していた。
駕籠は構造上、後ろの方が比較的担ぎやすいからだ。前の方を担ぐと進行方向や制止、合図などなど気を配る要素が格段に増える。一方で後ろの担ぎ手は前の相棒と息を会わせつつ、安定と推進力に徹すればいい。車でいうならば前はブレーキとハンドル、後ろがアクセルと言った具合だろうか。とにもかくにも昨日の時代劇塾での勉強がこれでもかと役に立つ。
福松達が駕籠の担ぎ順や足の出し方、進行ルートなどを確認している間に貝ケ森は続々と供侍の隊列を作っていく。やがて五分もしないウチに各々の動きが決まると、
「それでは一回テストしまーす!」
という声がオープンセットにコダマしたのだった。
宣言通り貝ケ森を筆頭に照明、音響、衣装、メイクなどなど様々なスタッフの目が光った。一挙手一投足の全てが見られているような感覚だ。
「じゃあ駕籠を担いで」
「はい。行きますよ…せーのっ」
愛島の合図に合わせて後ろの三人は駕籠を担ぐ。昨日、勉強したことをフル活用して福松は精々格好をつけた。そして貝ケ森の掛け声をきっかけに駕籠中間と供侍の集団が歩き始めた。
オープンセットの壁の向こうに広がる麗らかな春の京都の青空が馬鹿に目に入った。しかし決して気を抜いたからではない。遠くを見つつ視野全体で舞台の状態を把握するという、いつかのワークショップで培った福松なりの演技術だ。これができているといことは場の雰囲気に飲まれていないとということだ。
そんな確信めいた自信が湧くと自然と集中力も増した。
上手くやることは考えなくていい。回りに合わせて足を引っ張らない事に注力するのがこの場合の最適解であることを少なくない舞台経験から直感的に理解している。
『映像作品で活躍している役者が舞台で使えるか分からないけど、舞台で活躍できる役者は映像に行っても使える』
かつて福松がお世話になった監督の言葉だ。今の今まで忘れていたのに、ふとこのタイミングでその言葉が思い起こされていたのだ。
肩にのし掛かる駕籠の重さは昨日よりもいくらか軽い。やはり前の三人の技術が高いからだと思った。それぞれが均等に駕籠の重さを分散させているものだから、きちんと四分の一の負担で事足りている。
やがて距離にして百メートルを歩いたくらいだろうか。貝ケ森がテスト終了を告げた。
すぐに複数の現場スタッフが駆け寄って福松達から奪うように駕籠を預かった。疲れさせないで撮影に集中させるための措置であることは分かっていた新米の新米がスタッフをこき使っているようで少々居心地が悪い。しかしそんな干渉に浸っている暇はなかった。素早く元の位置に戻されると、怒濤の勢いでチェックと修正箇所の説明をされる。そしてそれが終わるとすぐに本番の撮影になった。
「では、本番回します。もっともっと緊張感だして! 主人を狙うって脅迫文が届いてるんですから、もっともっと警戒して。ただしキョロキョロはしない。OK?」
「はい!」
福松はついムキになったような返事をしてしまう。途端にエキストラ全員の視線を集めて気まずくなったが、貝ケ森だけは笑い飛ばしてくれた。
「そうそう。福松さんみたいに気合い入れてくださいよ」
そうして貝ケ森が所定の位置につくと、
「ほんば~ん!!」
という声がオープンセットに響き渡った。
ついで一間置いて国見監督の「用意…スタート!」という声と同時にカチンコが音を立て、行進が始まる。やっていることはさっきと同じなのに、全員の緊張感が段違いだった。貝ケ森の指示通り皆が刺客を警戒し、誰も乗っていないはずの駕籠の中に要人を生み出している。最後尾にいる福松は図らずも皆の芝居をそうやって俯瞰で見ることができていた。
先程より止まった箇所をあっという間に通過する。それでもカットがかかるまでは芝居を続けるのが現場の鉄則だ。
やがてカットの掛け声とそれを追って「OK」という監督の指示が飛んでくる。
「はい皆さん、ありがとうございます。OKなんで今のシーンを反します。すぐに準備してください」
反しという耳慣れない単語を聞いた福松はそそくさと愛島にすり寄って小声で尋ねる。
「愛島さん」
「はい?」
「すみません。反しってなんですか?」
「ああ、反しっていのは同じシーンを反対から撮るって意味ですよ。今は前から撮ったんで、今度は後ろか横からの画を撮るんだと思います」
「なるほど…ひっくり返すみたいな話ですね」
「そうですそうです。なので特に指示がない場合は今のと全く同じことをしてください」
「わかりました!」
羽二重をつけるときも思ったけれど、現場の専門用語も覚えないと辛そうだ。
ゲネ、場当たり、テクリハなどなどの舞台用語は一通り分かっているから多少はついていけるかもしれないが、やはり瞬時に反応できるようにはしておきたい。
そうして反しの撮影もOKが出ると、福松のデビュー戦は一先ず大きな失敗もなく終わりを迎えたのだった。
「お疲れさまでした。駕籠中間の方々は以上で終了です。侍の人たちとダブりがある人以外は上がってください。残る方たちはしばらくお待ちを」
貝ケ森がそう言うとぞろぞろと一団が第五セットの方へと移動し始めた。手荷物などをそちらにおいているので休憩の間は、そこで時間を潰す算段なのだろう。福松ら中間役の面々も倣って歩き始める。するとその三人に声をかけられた。
「福松さん」
「あ、愛島さん。お疲れさまでした」
「どうでしたか、初現場は?」
「いやあもう、あっという間としか言えず…色々教えてもらってありがとうございました」
「いえいえ」
「けど初現場にしては大分こなせてましたよね?」
「それな。というか初現場で駕籠中間て中々ないっすよ」
「ドリさんのお墨付きの新人ですからね」
「ははは…」
そんな会話で盛り上がりつつ、四人は第5セットで小道具をバラシ始めた。名残惜しいと言えば勿論そうなのだが、身体中に変な汗をかいており福松はさっさと風呂に入りたいという気持ちも高まっていた。
「中間木刀はこっちで、履き物は洗うと思うんでこっちに分かるように置いておいてください」
「分かりました…この後は?」
「そしたらもう扮装もバラシてカツラと一緒に返して終わりです」
「朝みたいに自分らと一緒に行きましょう」
「そうします」
「じゃ。お疲れさまっした」
俳優部には専用の部屋があるらしく、愛島は一礼してから第五セットを後にした。福松はちょっとした充実感と反省を胸に抱き山田と大野田に続いて支度部屋に帰っていった。
その時の事である。
「おーい、福松」
とドリさんの声が聞こえた。見れば侍姿に扮装したドリさんが第五セットの入り口でてを振っていた。てっきり福松は遅れてきた陣中見舞いか初仕事の労いにでも来てくれたのかと勘ぐった。しかしドリさんの表情は明るくなく、焦りの色が見えていた。
福松は山田と大野田の二人に会釈して別れると彼のところに駆け寄った。するとドリさんはやはり困ったように訪ねてきた。
「おう。お疲れ」
「お疲れさまです」
「これで出番は終わりだよな?」
「はい。お陰さまで」
「この後に予定はあるのか?」
「い、いえ。どのくらいかかるか分からなかったんで、丸一日予定は空けました」
「! 助かる。ちょっと手伝ってもらいたいんだ。化生部屋まで来れるか?」
返事をするとドリさんは福松を連れ、駆け足で化生部屋へと向かった。いざ辿り着いてみると真砂子や八山らがうんうんと唸りながら何かを思案していた。
すると二人の来訪に気がついた結が声を出した。
「あ。ドリさんと福ちゃんが来たよ」
「お疲れさまです」
「福松行けるって?」
「ああ。だから後は頼むぞ。俺は現場にいくから」
「あいよ。任しておきな」
それだけ言い残すとドリさんは大急ぎで来た道を戻っていった。唯一事情を知らぬ福松は二重の意味で置いてけ堀を食らった気分になってしまう。するとこちらから訪ねる前に真砂子が事の子細を教えてくれた。
「実はね。
「偽雲さんの?」
今、名前の上がった偽雲というのは化生部屋の面子の一員で『煙羅煙羅』という妖怪だ。煙羅煙羅は読んで字の如く煙の妖怪であり、竈や風呂の焚き釜などで燃えた薪の煙に顔が浮かび上がり人を驚かすという。撮影所ではエキストラとして出演することはほとんどなく、専ら裏方に精を出していた。特に「スモーク」と呼ばれる霧や靄を演出するシーンなどで活躍しているのだが、煙がルーツであるせいか偽雲は化生部屋の妖怪たちの中でも特に力が弱く繊細な奴だった。
福松は部屋の隅で三角座りをしてうずくまっている偽雲を見た。
皆が言う通り、いつもの儚げな幸薄い顔が更に薄ボケている。父親の葬式が終わった途端に母親の通夜が始まったような沈んだ空気を纏って動こうともしない。
「この後のシーンで朝靄を作りたいってのにこの有り様でね」
「一体何が…あ、元々妖力が弱いんでしたっけ?」
「ま、それもあるんだけどね」
「他にも原因が?」
ちらりと目線を送ると偽雲は声も上げず、ただ一滴の涙の滴を頬に伝わせた。
「どうしたんです?」
「ずっと推してた地下アイドルがTwitterで引退と結婚を報告したんだと」
「は?」
ボソッと囁かれた八山の言葉を素直に飲み込むことができなかった。一瞬、何かの冗談を言って場を和ませようとしているのではないかと勘ぐったが化生部屋の面々の顔を見る限り、どうやら本気らしかった。
福松は開いた口が塞がらないという慣用句のお手本のような状態で突っ立っていることしかできない。
「そんなことで落ち込んでるんですか?」
「そんなこと、だって!?」
「ひいっ!!」
幽霊よろしく手をぶらぶらと揺らし、獲物に襲いかかる猫の速度で寄ってきた偽雲に福松はのけ反って反応した。そのまま偽雲は福松の方を掴み、ぐわんぐわんに揺らしながら鬱憤と自らの悲壮を浴びせかけてくる。
「そりゃお世辞にも日の目を浴びるタイプのアイドルとは言えなかったよ!? けど腐っても地下でもアイドルじゃん。引退宣言ならまだしも結婚よ!? しかもできちゃった婚だよ!? 何でそんな事をツイートするの!? 一身上の都合でって便利な日本語を何で使わないのさ!?」
「そう言われても…」
「うぅ…叶うことなら東京に行きてえよ。一度で良いから生でライヴとか行ってみたかったよう」
そう言って泣きつかれた福松はいよいよ打つ手がなくなってしまった。そもそも何で自分がここに呼ばれたのかもわからない。
福松は助けを求める意味でも他の妖怪たちを見た。
「で、何で俺が呼ばれたんですか?」
「にっちもさっちもいかないからね。本当ならドリさんに憑依させて無理から連れ出すんだけど出るシーンが被っちまってるんだ」
「ドリさん以外にあたいらを入れても大丈夫な人間なんて福ちゃんしかいないだろ?」
「あ、なるほど。けど連れていくだけでいいんですか?」
この調子じゃ本来の仕事ができなそうだけど。そう思ったのも束の間、真砂子がビックリするようなことを口にした。
「もちろん、連れていっただけじゃ使い物にならないよ。だからお前さんがどうにかしてスモークを作るんだ」
「はい?」
「はい? じゃなくて。お前さんが偽雲を操って撮影用の舞台装置を仕上げるんだよ」
「…はい?」
「妖怪が人間に憑依するとその妖怪の術を使えるようになる。だからお前さんが煙を作って良い感じの朝靄を表現するんだ」
「……はい?」
「ささっと支度して現場に戻るよ」
「………はい?」
「おちょくってんのかい!!??」
真砂子は怒声を浴びせかけた。福松はその瞬間に電気ショックを与えられたかのようにビクッと体を強張らせた。
そして真砂子の怒りの矛先は偽雲にも飛び火する。
「あんたもいつまでも泣いてるんじゃない。現場に迷惑かけるんじゃないよ!」
そういうと偽雲の背後から遠慮のない蹴りをかました。煙のお化けである偽雲の体は軽く、ほとんど抵抗なしに吹き飛んで福松の体の中に取り込まれ…もとい憑依した。しかしそれでも福松は頭の整理が追い付いていない。ただでさえ初現場を緊張と共に終えたというのに、さらにスタッフとして現場の演出を手掛けるなんて想像もできない。しかも役者ならいざ知らず裏方としてのノウハウなど素人に毛が生えた程度の知識かないのだ。
考えれば考えるほど福松の顔は蒼白になっていく。当然、その不安と緊張は化生部屋の面々にも伝わった。そして真砂子は打って変わって優しい声音で福松に告げる。
「大丈夫だよ。ワシらも一緒に憑いて行くから」
「つ、着いて来てくれるんですかぁ?」
「いくらなんでも素人同然のお前さんを一人で現場に放り出せるかい」
「それに面白そうだし」
結はそんな他人事な台詞を吐いた。いや、このさいどれだけ不純な動機であろうとも一人きりにならないだけ何よりもマシだ。
そんな人の不幸を高みの見物で眺めたかった不届き者は他にもあったようで、化生部屋にいて手の空いている妖怪たちはほとんど全員が福松の中に入って憑いて来ることになった。
特にこの間の車折神社への参詣にいなかった妖怪たちは福松に憑いて行くこと自体が目的になっているようだった。
スルスルと流し素麺のように数多の妖怪たちが福松の背中からお腹から入っていく。一人よりも二人、二人よりも三人の方が心強いのは当然なので福松は次第に落ち着きを取り戻していった。すると、そんな福松とは正反対に妖怪たちは彼の中でドン引きしていた。これほどまでに妖怪を憑依させられるキャパシティを持った人間がいることに改めて驚愕していたのだ。
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