3ー2

 福松たちは外に出た。すると八山が隣にあった小屋から棒や笊を引っ張り出して、即席の棒手振りを作った。それをひょいと担ぐといよいよ特別授業が始まる。


「いいかい。まず棒手振りは肩に乗せることはそうなんだが、気持ちとしては背中に乗せるように担ぐんだ。右手は棒の先端に添えて物をぶら下げてる縄を触る。左手は縄を全部ギュッと握ってな、揺れないように押さえちまえばいい」

「ああ、そっか」


 考えてみれば当然の事。ぶら下げている盥や笊が動くなら手で押さえれば済む話だ。必死過ぎてそんな事に頭が回らなかった。


「で、担ぐと自然にカニ歩きになるんだが頭と臍は進む方向を見るんだ。この時に注意するのは左足で進もうとしない事。右足で進む、左足は右足に追いつくくらいでいい。これを繰り返すから進めるって寸法だ。やってみな」


 福松は八山から棒を受け取ると今言われた注意点を参考にしてやってみた。確かに試写室で動いた時よりは安定しているし、揺れも少ない。けれども八山の棒手振りに比べるとまだまだ騒がしい。


 その時、真砂子が横から口を挟んできた。


「福松は腰が高いんだよ。だから上下にがくんがくんと揺れちまうんだ」

「そうだな。もっと膝を折って腰を入れるんだ。でもって重心の高さをなるべく一緒にするようにして歩いてみな」

「はい!」


 言われて福松は腰を入れて重心を落とすと、日本舞踊の基本と一緒だと直感的に感じた。これならばお手のものだ。


 改めて棒手振りを担いでオープンセットを歩き出す。まだ歩くのと同じような速さだったが、笊はほとんど動かず安定感が今までの比じゃないと全身に伝わってきていた。


「お、中々どうして、ちったぁ様になったな」

「そうだね。もうしばらく稽古すりゃ現場でも使えるんじゃないかい?」

「本当ですか!?」

「実際はもっと重いものを乗っけて走るからね。何か笊に重しでも……何もないか。仕方ない」


 仕方ない、と言った真砂子は笊の上に手をかざした。すると掌からサラサラと白砂が零れ落ちてくる。あっという間に前後の笊は山盛りの砂でいっぱいになってしまった。それを見ると、大して妖怪に詳しくない福松でも真砂子の正体には大よその見当が付いた。


「あの…真砂子さんの正体って『砂かけ婆』とかですか?」

「ふんっ。まあね、けど面と向かって婆と呼ばれるのは腹が立つから儂のことは真砂子さんと呼びな」

「あ、はい」


 その会話を聞いて八山はケラケラと笑った。


「いいじゃねえか。実際、婆なんだから。オイラは御覧の通り爺だからキチンと『子泣き爺』と呼ばれたって何とも思わねえや」

「え? 八山さんて『子泣き爺』なんですか?」

「おうともよ」


 という事は今、子泣き爺と砂かけ婆に挟まれているという事かと福松は思った。下駄とちゃんちゃんこが恋しくなった。


 福松がそんな事を思っていると、真砂子が面白くなさそうに鼻から息を出して言った。


「爺には繊細な乙女心がわからないんだよっ」


 ◇


 棒手振りの練習が終わった後、福松は化生部屋で着替えをさせてもらうと真砂子に勧められるままお菓子をご馳走になっていた。


 ふと壁掛け時計を見ると間もなく16時になろうかと言う時刻である。


 他愛のない話に盛り上がっていると、化生部屋の引き戸ががらっと開いた。するとぐったりとした様子のドリさんが入ってくるところだった。ドリさんが框から上がらず、座敷に腰を下ろすと彼の肩からいつぞやと同じようにわんさかと妖怪たちが飛び出してきた。全員が思い思いに着替えたり、メイクを落としたりし始めている。しかしこの間よりも数が少ない。


「ああ、つかれた」


 ドリさんの一言が騒がしい部屋にあって、何故かすんなり福松の耳に届いた。


 きっと…いや、間違いなく「疲れた」と言う意味だろうが福松には「憑かれた」と聞こえたような気がした。


 真砂子と八山が労いの言葉を飛ばすと、皆が一様に返事をした。するとようやく戻ってきた面々が化生部屋にいつもと違う顔がある事に気が付いたのだった。


「お? 福松か。よく来たな」

「はい。その節はお世話になりました」

「引っ越してきた挨拶か?」

「それもありますけど、今日が時代劇塾の初日だったもので」

「ああ、そういう事か」


 すると横から真砂子が口を挟んできた。


「授業で棒手振りがうまくできなかったそうでね。殊勝にもここに習いに来たんだよ」

「ほう。立派なもんだ」


 福松は照れくさそうに頬を指で掻いた。


「ドリさん達も撮影お疲れ様でした」

「はは。今日は中々に疲れたな、出番があった訳じゃないのに…福松はこの後急ぐのか?」

「いえ、特には」

「そうか。もし良けりゃ入所祝いに夕飯でも奢ってやろうかと思ったが、どうだ?」

「え? いいんですか」

「勿論だよ」

「でしたら…是非」

「わかった。ならちょっと俳優部に顔出てして帰り支度をしてくるから待っててくれ」


 ドリさんはそう言って再び化生部屋を出て行った。大分肩が凝っているのか、しきりに首を動かしているのが印象的だ。


 そうしてドリさんが戸を閉めると、あらかたの後始末が終わった化生部屋の妖怪たちが福松のもとに集まってきた。


「ようやく来たんだね、福ちゃん」

「ふ、福ちゃん?」


 そう声を掛けてきたのは黒髪の美人ことむすびだった。結は襦袢姿でうろついているのを真砂子に窘められていたが、まるで適当にあしらって福松の相手を続けた。


「いや、ホントに若い男子がいるってそれだけでいいわぁ。妖怪って爺か婆か物か子供か、もしくは私みたいなうら若い美人しかいないから、うっかりしてると枯れそうになるのよね」

「撮影所には若い男のスタッフも、二枚目の役者だっているじゃねえかよ」

「バカね。どれだけ綺麗になっても見てもらえないんだったら張り合いがないじゃない。あ、真砂子さん。私にもお煎餅ちょうだい、お腹すいちゃった」


 結はそう言って髪を解く。しかし長い長い黒い髪の毛は重力に逆らって、蛇のように動き始める。そして器用に煎餅を二、三枚つまむと前にある口と後頭部にある口の二つに運んだ。三カ月前にも見せてもらったが、やはり時間を置くと少しビビる。


 彼女は『二口女』という妖怪だ。


 すると結を皮切りに他にも化生部屋の妖怪たちがドリさん以来の貴重な霊能者に和気藹々と詰め寄ってくる。


「住まいはどこら辺にしたんだ?」

「あ、はい。梅津にいい物件があったのでそこを借りました」

「あら。じゃあ歩きでも来られるくらいじゃないの」

「そうですね。今日は自転車でしたけど」

「今の時期は桂川の河川敷がいいよねえ。昼寝するのにもってこいだ」


 天狗の犬駆いぬかけ、べとべとさんの宇城うしろ、猫又の鍋島なべしまらがどしどしと話し相手を買って出てくる。撮影中は人間の姿かたちなるのだが、化生部屋では一切の遠慮なく妖怪本来の姿をさらけ出すので未だに恐怖感は拭えない。しかし三カ月前と違って妖怪たちの数が少ないので相対的にはマシだった。


 福松は気になる事を真砂子へ聞いた。


「そう言えば、他の皆さんは?」

「ああ、ここの撮影所の中なら出歩くのは自由だからね、いつもここにいる訳じゃないんだ。あの時は久々に大物が来るっていうから皆で物見に集まったけど」

「なるほど」


 そう言えば民ちゃんは大道具の倉庫を寝床にしていると言っていた。他の妖怪たちも所内にベストプレイスを持っているのだろう。


 しばらく閑談していると、直にドリさんが民子を引き連れて戻ってきた。シャワーでも浴びたのか、えらくサッパリしていて幾分生気を取り戻したように見えた。そこで初めて洋服姿のドリさんを見た福松だったが、和装とはまた一味違うダンディズムな雰囲気に少々見惚れてしまった。


「よっしゃ、行くかい」

「はい」


 福松が返事をすると民子がきょとんとした顔つきで尋ねてきた。


「どこかいくの?」

「ああ。来たばかりだから車折神社でも案内してやって、それから飯でも奢ってやろうと思ってな」

「えー、いいなぁ。民子も車折神社行きたーい」


 すると結がそれに便乗してきた。


「そうだよね。福ちゃんの歓迎会なら私らもやってあげたいし」

「ドリさん、連れてってよ。ねえ」

「うーむ」


 ドリさんは困った様な表情になってしまった。何か理由があるのかと思ったが、すぐに渋った理由を口にする。


「今日はしんどい現場だったからなぁ。オレの体力がそろそろ限界なんだよ、民ちゃん」

「むぅ」


 福松はそうか、と思った。ドリさんは妖怪たちを憑依させて夕方までの撮影に臨んでいたのだから疲労も蓄積して困憊しているだろう。無理をして身体を壊されては一大事になりかねない。


 そう言われた民子は我儘と言う最後の切り札も通用せず、すっかり諦めモードになってしまった。すると福松は先ほど、真砂子から聞いた話を思い出した。


「だったら…僕に憑りついてみる?」


 福松がそういうと化生部屋にいた全員の視線が一気に集中した。


 一瞬、ビクッとした福松だったがそのまま言葉を続ける。


「さっき真砂子さんから聞きましたけど、人間に憑りつかないと撮影所から出られないんですよね? 今はドリさんに憑りついているそうですけど、その内僕にもお鉢が回ってくるなら一回どんなものなのか経験しておきたいなぁ、なんて…」


 すると民子の顔がぱあっと明るくなった。が、その隣にいた真砂子もニタリと笑っていたので結局は恐怖が勝った。そして真砂子も民子と同じくらい嬉々とした声を出してきた。


「そうだね。自分で言っておいて忘れてたよ、いいアイデアじゃないか」

「なら早速、憑りついてみるかい?」


 妖怪たちがこぞって憑りつく準備をし始める。それを見ていたドリさんが慌てた様子で全員に落ち着くように言った。


「いやぁ、けど…大丈夫かい? せっかくの歓迎会でこいつがへばったんじゃ本末転倒だぞ」

「だ、か、ら。大丈夫かどうかを確かめるんじゃないか」


 言うが早いか結は軽くジャンプしたかと思うと、まるで着ぐるみの中に入るかのように福松の背中から彼に憑りついた。そして数間置いて肩から上半身だけを覗かせると、何やら呆けた顔をしている。


「どうだった?」


 結はただただ茫然としている。そして肩口から福松を見下ろす。


「な、何これ? アンタ、どうなってんの?」

「はい? 何がですか?」


 訳の分からない事を聞かれて福松は混乱した。いや、訳が分かっていないのは結以外の全員だったが。


「結、結局どうなんだい? 儂らも入って平気そうかい?」

「とにかく、もうみんな来ちゃえばいいのよ」


 百聞は一見に如かずと判断した結は自分の髪の毛を化生部屋いっぱいに広げると、中にいた妖怪たちを漏れなく全員絡めとって、無理やり福松に憑依させた。それを見ていたドリさんは取り乱してしまう。


「アカンやろ! そんな急に!」


 てっきり急激に妖気に当てられて福松が卒倒するだろうと、ドリさんは思った。何故ならかつて自分が初めて複数体の妖怪を憑依させたときに船酔いと二日酔いを一度に体験したくらいに体調を崩したからだ。


 しかし、待てど暮らせど福松は顔色一つ変えない。当の本人よりもドリさんの方が困惑していた。


「だ、大丈夫なんか?」

「え? ええ。なんともないですけど」

「何んともないは嘘やろ。あんだけ一度に入ったんやから、重いとか気持ち悪いとか…」


 福松は集中して自分の体に違和感のある場所を探したが、本当に何も感じない。だから首を傾げて、


「やっぱりなんもないですね」


 と言った。


 福松がそう言うと彼に憑りついていた妖怪たちが体の至る所から顔だけを出してきた。皆一様に驚いた表情を浮かべているから、余程衝撃的な事があったのだろうと予想するのは難くなかった。


 しかしドリさんはその奇妙な装いの方が気になってしまった。


「百面観音か」


 思わずそんなツッコミを入れてしまう。だが今の妖怪たちにとっては大抵の事は取るに足らない事であった。


「す、すごいよ、ドリさん」

「何が?」

「福松の中がだよ。化け物か、こいつ」

「化け物はお前らやろ。何が凄いんだ」


 何がと聞いても誰もがうまく表現できない様子だ。その内に『しょうけら』の川良が乾いたぞうきんを絞ったような言葉を出す。


「なんていうか、キャパシティーがね。ドリさんの中が1Kの物件だとしたら、福ちゃんの中は…」

「なんや? 3LDKくらいあるんか?」

「いや…イオンモールくらいあるね」

「い、イオンモール!?」

「しかも地方にあるイオン」

「尚更デカイやないかい!」


 例えの突飛さにドリさんも驚きを隠せない。人間に憑りついた妖怪の感覚など知る由もないが、例えの通りだとすれば妖怪たちが驚くのも納得だった。そしてそれが本当ならこれだけの妖怪に憑りつかれてもピンピンとしている福松の様子にも説明がつく。


 改めていい人材がやってきたと皆で実感していた。


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