3ー1
福松、林、三島の三人は講義が終わった後もすぐに立たなかった。それぞれが今日の講義の内容を噛みしめているようだった。しかしすぐにAクラスの授業が始まると言うので、伊佐美に強制的に退室させられた。
試写室を出ると不思議と心のつかえが軽くなった気がした。福松は二人に軽く別れの挨拶をする。
「今日は顔を出すところがあるんで、先に失礼します。また来週もよろしくお願いしますね」
「はい、こちらこそ」
「また今度よろしくお願いします」
そう言って更衣室に走った福松はノックをしてから戸を開けた。既に一葉は着替え終えており今まさに帰るところだった。
「一葉さん、今日はすみません」
「そんなそんな。別に怪我もしてないですし、僕も変なアドリブ入れて転んじゃって逆にすみません」
一葉は冗談交じりに返事をすると足早に帰っていった。何でも来週明けに小テストがあるらしく、これから家で勉強をするそうだ。小走りに帰っていく一葉を見送った福松はすぐに化生部屋に顔を出すために着替えようとして思いとどまった。
(もし、棒手振りの使い方を教えてくれと頼めば誰かが教えてくれないかな)
化生部屋の妖怪たちは時代考証は元より、この撮影所ができた当初からここにいる大ベテランだ。そうでなくともドリさんがいればアドバイスくらいはもらえるかもしれない。もしかして実際に棒手振りを使わせてももらえるとなれば、むしろ着替えない方が都合がいい。
福松は乱暴に荷物を持つと、化生部屋へと急いだ。
◇
「し、失礼します」
福松は恐る恐る声を出して化生部屋の戸を開けた。思えばここに訪れたのは三カ月前、しかもドリさんに案内されての事。ある程度の勝手は知っているとは言え、やはり慣れないコミュニティに顔を出すのは怖いし緊張する。その上ここは妖怪の住処なのだから。
「おや」
そおっと顔を覗かせた福松だったがすぐに中から声を掛けられた。そこには三カ月前にドリさんや民子らと一緒にいた老婆がお茶を飲んで佇んでいた。老婆は「ようやく来たね」と言いながら笑った。不気味だった。尤も福松は思うだけでそれを口にはしなかったが。
催促されるままに福松は履き物を脱いで座敷に上がった。何はさておきまずは挨拶だ。芸能界で礼儀を欠いたら役者生命が終わるというのは日本舞踊の先生に耳にタコができるほど言われてきた。というか、妖怪相手に礼儀を欠いたら比喩でなしに生命が終わるかもしれない。
「おはようございます、真砂子さん。先日はありがとうございました。おかげで時代劇塾にも合格できて、今日初めての授業を終えてきました」
「そうかい。ご苦労様でした」
「えっと…ドリさんや他の妖怪の皆さんは?」
福松はきょろきょろと部屋の中を見回した。またいきなり現れたら悲鳴の一つでも叫ぶかもしれないからだ。
「ああ、ほとんどが今は撮影に出てるよ。今日は所外ロケだから、もうしばらくかかるだろうねぇ」
「そうか、撮影所の中だけってことはありませんものね」
京都は古い町並みや昔ながらの寺社仏閣が多く残っている。景観維持の意識も他県に比べれば高く、時代劇の撮影にそのまま使えるような場所が点在しているのだ。所内だけだとどうしてもロケーションの種類に限界が来てしまう。
「けど、あれだけの面子が出払うって相当大掛かりな現場何ですか?」
「いやそれほどでもないさ。何も全員がカメラに映ってる訳じゃないし」
「え? そうなんですか」
「通行人がそれほど必要な場面ってのも多いわけじゃない。みんなして出たがりなのは認めるけどね」
「じゃあ…何のために出て行ったんですか? 見て勉強するとか?」
真砂子はニタリと笑った。怖い。
「大抵の奴が役者と兼業してスタッフと似たようなことをしてるのさ。今日出番のある奴は半分もいないだろうね」
「スタッフと似たようなことですか…?」
「ああ。みんな長い事やってるから若手の役者に所作を教えたり、着物の崩れを現場で直してあげたりとか、ね」
「ああ。なるほど」
「他にもあるよ。なんせ儂らは妖怪だ。風を吹かせたり雨を降らせたり火をつけたり、なんてのは朝飯前だ」
福松は絶句した。そんな舞台効果まで担当しているとは思っていなかったからだ。テレビの枠の外で映りこまないように機械を使ったりCGを足したりしていると、知りもしないのに常識で捉えていた自分の視野の狭さを改めて思い知る。
そして、やはり妖怪と言うのは時代劇を撮るに当たって優秀な存在なのだと思った。
しかし。
「けど、そんなに大々的にやって、外にばれたりしないんですか?」
「ある程度は隠してやってるからね。それに多少ばれたって気にしなくていいだろう。隠す必要もない」
「どうしてですか? 色々とマズいでしょう、妖怪が映画に出てたら」
「お前さん、三カ月前に儂らの事を知って友達や家族に話したかい?」
「いえ。まさか」
「おや? 何で話さなかったんだい?」
「だって秘密だと思ってましたし。そもそも撮影所で妖怪が映画に出てたなんて言ったら…」
…あ。
と、福松は気が付いた。そうか…例え外部の人間に妖怪の存在がばれたとしても、それを信じてもらえる確証がない。いやむしろ冗談だと受け止められるか、バカにされるかのどちらかだろう。現にさっきの時代劇塾の講義でもお化けが見えますという福松の話を誰もがジョークだと思っていたのだから。
「わかったかい? 多少ばれたり、妙なもんが何かの拍子で映りこんだとしてもやれCGだ、編集だのと言って今の人間は誰もお化けを信じやしないさ。おかげで色々と遊べる時代になったから嬉しい限りだけどね」
人類の発展を逆手に取って遊んでいる。アニメとか漫画の影響で、妖怪って近代化や機械化社会を嘆くものだと思ってたが案外たくましいな、と福松はそんな感想を抱いた。
その時、福松は急に疑問が浮かんだ。それはこの撮影所の妖怪たちの性質の事だ。
「あれ?」
「どうかしたかい?」
「この間の説明だと、皆さんってこの撮影所から離れられないんじゃなかったでしたっけ? なんとかって陰陽師のお呪いのせいで」
「そうだね。せいぜい門の外を出て三条通に出るくらいが関の山だ」
「ならどうやってロケに…?」
そう言うと真砂子はニヤッと笑った。慣れない。怖い。
「人間にね…憑りついてやるのさ」
真砂子は何でもないように言ったが、福松の耳にはそれが暴力的に響いた。今、めちゃくちゃに怖いことを言わなかったか? その顔と相まって福松は全身に鳥肌が立ってしまった。
人間に憑りつくって…つまり、人間に憑りつくという事だよな。福松の頭の中に混乱した思考が広がる。
「えと…それって大丈夫なんですか?」
「まあ人によっては体調を崩したり、場合によったら死ぬけど」
「!?」
「けど心配いらないさ。大丈夫な奴に憑りつけばいいんだから」
「いるんですか、そんな人……ってもしかしてドリさん?」
「もしかしなくてもね。だから今日みたいに本人に出番のない日でも駆り出されるのさ。撮影が立て込んだ日にゃ連日連夜だから大変だろう。もう若くはないんだし…けどもう安心だ」
「え? なんでですか?」
「何言ってんだい。アンタが来たからに決まってるじゃないか」
「へ?」
「今度から外に行くときは、みんなしてアンタに憑りつくんだよ。若いんだから一カ月くらい寝なくても平気だろう」
「イヤイヤイヤ」
福松が本気で拒絶すると真砂子は楽しそうにケタケタと笑った。怖い。
「一カ月は冗談にしても憑りつくのは本当さね。けど心配しなくていい、アンタの力は自分で持っているよりもずっと強いんだから」
「そ、そうなんですか?」
「ああ。この撮影所の妖怪が全部憑りついてもケロッとしてるだろう、きっと。だからさっさと腕上げて撮影に呼ばれるくらいになっておくれよ」
そう言われて福松は驚いた。というよりも妖怪関係のことを教えられて驚かなかったことがない。しかしそれにしたって撮影所の妖怪全ては言い過ぎだという気がした。
「言い過ぎなもんかい。実際にアンタはドリさんより強い力を持っているよ」
「そうなんですか? でも、どうやってわかるんです?」
「民子が見えるからさ」
「え? 民ちゃんが」
「あの子は本当に力の強い奴でないと見ることができない。まあまあの奴でようやく声が聞こえる。ドリさんだって実を言えば調子のいい日しか民子の事が見えないんだ、いつでも民子の事が見えてるあんたはとてつもないんだ、自覚はないだろうけど」
「…」
知らなかった。妖怪にそこまで言わせる能力が自分に備わっていただなんて。福松はそれが自分の事だとはいまだに信じられない。本やドラマに出てくるような自分でない別の誰かのような気がしてならなかった。
真砂子はそこまで言ってお茶を一口すすった。そしてぼりぼりと小気味よい音を立てながらせんべいを齧るともう一度福松を見て呟いた。
「そういや、アンタは何で浴衣を着てるんだ? 時代劇塾は終わったんだろう?」
「ああ、実はですね」
福松は今日の授業の内容と、あわよくば棒手振りの所作を指導してもらえないだろうかと思っていた目算を真砂子に言って聞かせた。すると真砂子は感心したような声を出す。
「いい心がけじゃないか。こういうのは習うより慣れろ、数を熟して体に覚えさせるしかないからねぇ」
「じゃあ教えてもらえるんですか!?」
「勿論さ。ただ儂じゃなくて、実際にやった事のある奴の方がいいだろう」
真砂子はよっこいしょという掛け声とともに立ち上がると階段の下に進んだ。そして二階に向かって大きな声を出した。
「おーい!
すると二階から「ぬぅぅぅん」と言うような寝ぼけた声が聞こえてきた。どうやら上で誰かが昼寝でもしていたようだった。
しばらくしてギシギシと階段箪笥を鳴らして老人が一人降りてきた。かぼちゃの絵が柄になった浴衣は着崩れてはいるが、それが妙に様になっている。背は低く、頭にはほとんど毛がない。ひどく童顔に見えるのだが顔にびっしりと入った皺や髭が、やはり老齢であることを主張する。そのあいまいさがひどく不気味だ。
八山は寝ぼけ眼をこすりながら福松を見た。やがてそれが誰なのかを理解すると「おぉ!」と嬉しそうな声を出した。そして気さくに福松の肩をポンポンと叩いてきた。
「おぉ! アンタか。よく来たね」
「八山さん。お久しぶりです」
三カ月前に自己紹介をしたっきりで自分でも覚えているかどうか不安だった福松だが、不思議の十数人の妖怪たちの顔と名前は頭に塗りたくられたかのように離れなかった。これも妖怪の不思議な力なのかもしれない。
「で? 今日はどうしたい?」
「時代劇塾の初日だったんですよ。講義が終わったんで顔を見せにきました」
「そうかいそうかい。ゆっくりして行きな」
「ゆっくりする前にね、八山の爺さんに頼みがあるんだと。福松が」
「頼み?」
「はい。実は棒手振りのやり方を教えてもらえないかと…」
福松は再度、今日の出来事を言って聞かせる。八山は終始、好々爺よろしくニコニコと耳を貸してくれていた。
「ははあ。それでオイラを起こしたと」
「そうなんだよ。儂は教えられないからね」
「よし。そうときたら善は急げ。教えてやるから表に出な」
「はい! ありがとうございます」
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