2ー3
「僕は今『一分間の自己紹介』をって言ったけど。全員が三十秒くらいしか喋ってないし、内容も変わり映えしないから記憶に残らない。明日になったら忘れてるよ、君たちの事。これから数えられない程オーディションの機会があると思うけど一分も喋らせてくれるところは、まずないと思った方がいいよ。いいとこ三十秒。普通は十秒くらい。その中で印象に残る自己紹介しないと…一分も貰えたんなら特技の一つくらいしたっていいわけだしね」
そう言って監督は、次に名指しして今の自己紹介の欠点を指摘した。
「三島さん」
「は、はい!」
「例えば君、鹿児島出身って言ったけど…出身地は正直どうでもいいんだよね。言う必要がない」
「…はい」
「けど、例えば生まれが鹿児島だからそこの方言が喋れるとか、鹿児島の伝統的な踊りができますとかそこの生まれを活かせる何かがあるんだったら話は別よ? あとは鹿児島の焼酎の話とかが出たりしたら人によっては食いつくかもしれないし」
「なるほど…」
国見監督は視線だけを動かす。そして次の林の名前を呼んだ。すると彼は監督に先駆けて意見を述べた。
「あの、今の話を聞いて思ったんですが。僕は手品ができるんですけど、そういうのでもいいんでしょうか?」
「まあ、オーディションとか監督によっては顰蹙を買うかも知れないけど、こういうただの自己紹介だったらやるべきじゃない? やっぱり目に見えてできる特技があるっていうのは強いと思うよ。名前っていうのはね、どうしても一番覚えにくいんだよ。可視化できないものって人間は余程集中しないと覚えようとしないから。例えばお笑い芸人とかそうでしょ。コンビ名とかよりもナニナニをやる人とか、ヤクザっぽいのとオタクのコンビ、みたいにネタとか見た目の特徴で覚えるじゃない、最初は。役者だって一緒だよ。林って名前を覚えられなかったとしても、『初っ端で手品をやった奴』みたいな覚え方はされるでしょう。覚えられないよりよっぽどいいと思わない?」
「いえ。そう思います」
そして最後に国見監督は福松の事を見た。福松は気が気ではなかった。
「で、福松君ね」
「はい。お願いします」
「君も山形出身って言ってたからそっちの方言ができるとかあればいいよね。もしくは今言った手品みたいな特技とかある?」
福松にも日本舞踊という特技はあったが、短時間でぱっと見せられるものではのが難点だ。山形の方言も標準語に直す訓練はしたものの意識的に喋るとなると案外難しい。
「ま、ないんだったらいいけど」
そう言われて福松は焦った。ここで何か言えなかったら一番印象が悪い形で終わってしまう…そして頭に過ぎった言葉を禄に精査もせず、咄嗟に口から出した。
「お、お化けとか妖怪が見えます」
福松が捻り出すようにそういうと後ろに座っていた生徒たちの何人かが吹き出した。それにつられたのか国見監督も咳払いをしながら笑いを誤魔化し、
「いいじゃない。一番ウケたよ」
と言った。
別段、笑わせるつもりのなかった福松は顔がから火が出るほど恥ずかしいという気持ちが湧き出てきて、そんなことを口走った自分を呪った。しかし、事実なのだから仕方がない。
◇
自己紹介はあくまで新入生である福松たち三人のためのものだったので、それからすぐに講義が始まった。場所を広く使うという事で、最前列に座っていた何人かは席を移動させられる。
説明されるまでもなく、今日の授業の内容は試写室に用意された様々な小道具の使い方のレッスンであった。
「じゃあ一人ずつ貝ヶ森の指示に従って。撮影所で使ってる本物の小道具だから、くれぐれも扱いには気をつけるように」
そして監督は中央の席に座り、福松たちの動きや道具の扱い方を観察できるようにした。
最初は経験者からやった方がスムーズだろうという流れになり、新規の三人は後ろに回された。福松たちとしても何の下準備もなしに実践では不安が残るのでありがたいと思った。
助監督の貝ヶ森が名簿に従い順番に指示を出す。最初に呼ばれたのは一葉だった。
「はい。一葉君は…これから行こうか」
そう言って前後に盥のついた棒手振りを手渡した。
「うす」
「じゃあ、これを使うのはどういう役の時ですか?」
貝ヶ森はわざとらしく聞いた。対して一葉は卒なく質問に答える。
「魚屋をやるときです。ぶら下げるのを変えれば塩売りとか水売りとかになります」
「はい正解。これを使ってもらう時は走ってもらったり、人とぶつかって品物を落としたりと画に動きが欲しい時が多いです。ただ歩くよりもずっと技術がいるので、この機会に扱い方を覚えておいてくださいね」
と言った具合に道具の特徴や、それを使う役回りをかみ砕いて授業が展開される。道具の確認が終わると一人ひとり、実際にそれを持ち試写室を横断する形で往復する稽古が始まる。福松は逐一メモを取って自分の出番に備えていた。
そうしている内に新規の三人の番が回ってきた。
「じゃあここからはいよいよ新人ですね。まずは三島さん」
「はい!」
三島はさっきの自己紹介のショックを引きずっている様子を見せず、溌剌とした返事を返した。トントンと貝ヶ森に歩み寄ると、何を持ちましょうかと尋ねた。
「私は何を持ちましょうか?」
「では…これを。さっきも出たので復習がてらに、これの名前は?」
「えッと…『おかもち』です」
「そう、正解です。いつでもスタッフが傍にいるわけではないので道具の名前は極力憶えてください。急にドレソレを持ってきてくれ、なんて現場で言われることもありますから」
「わかりました」
「それとおかもちを使う役の時は往々にして下駄を履くことが多いので、下駄にも慣れてください。普通に走ってもらう事もあります」
三島はおかもちを携え料理を急いで運ぶという体で試写室を往復する。国見監督はうんうんと頷くだけで特に何を言うでもない。
そして三島の指導が終わると、林の番となる。林が前に出ると、貝ヶ森は悪戯に笑い、今日一度も使ったことのない道具を手渡した。
「じゃあこれやってみますか」
「え? こ、これっすか?」
「はい。ウチでは職人の道具箱って呼んでますね。要するに大工道具が入ってる木箱です。職人も結構派手な動きで絵のにぎやかしの為に登場頻度が多いです。肩に担いで走ってみてください。裾がうっとおしいなら
「す、すみません。尻端折りって何ですか?」
林に指示された尻端折りとは着物の裾を折り曲げて帯の下にしまう事を言う。裾が開けるので足が格段に動かしやすくなる。というかそれをやらなければ着物を着てまともに走る事などできない。
他にも袴を履く時に裾が邪魔になるので尻端折りをするのが常だ。日本舞踊をやり、多少着物の事が分かっていて良かったと福松は思った。
「着物の作法とかも勉強してくださいね」
林は貝ヶ森に手伝ってもらって尻端折りをすると、箱を担いで職人の動きをやってみた。しかしすぐに国見監督からダメ出しが飛ぶ。
「それだと箱に何も入ってないのがバレバレだよ。金槌とか鋸とか入ってんだから、それを芝居で表現して」
「は、はい!」
そうか。撮影では目に見えない所は空だったり、偽物を使う事がほとんどだろうからそれを芝居で補わないといけない訳か。福松はノートの端に気が付いた事を殴り書きに記した。他人のミスやされている指摘からヒントを掴むのは、数多く出席してきたワークショップで経験したことだった。
芸の道を志すなら人よりも恥を掻きなさい。そして恥を掻きたくないと思うから芸人は稽古をするんです。
これは彼の日本舞踊の師の決まり文句だった。
「じゃあ、最後に福松君。行ってみようか」
「はい。お願いします」
福松は自分の中の緊張感を味わう。こんな練習で緊張しているようでは本番の撮影などはできもしないだろう。だから、ここで頑張れ。そう言う風に自分で自分を鼓舞したのだった。
◇
福松が前に出ると貝ヶ森はやはり悪戯に笑った。
「じゃあ福松さんはこれを」
そう言って差し出されたのは、一番初めに一葉が使った魚屋が担ぐ棒手振りだった。これならば使い方も用途も勉強済み。初めて持つこと以外に不安はなかった。しかし当然、それだけでは終わらなかった。
貝ヶ森は唐突に一葉を呼んだ。
「では一葉君に向こうから歩いて来てもらって、福松さんは声でどかして通り抜けてください。『どいた、どいたぁ!』みたいな感じで」
「おぅふ」
福松は急な振りによく分からない息を漏らす。中々にスパルタな無茶ぶりだと思った。
進行方向に人がいるというのは凄いプレッシャーだった。万が一にも荷物を当てたり、相手の歩行の邪魔をしてもいけない。難易度は何段階も上がるが、よくよく考えれば撮影現場ではそれが当たり前になるのだ。そう思うと不安よりもやる気の方がにじみ出てきた。
「じゃあついでに撮影してみようか。スマホでだけど」
すると今度は国見監督がそんな事を言い出した。スマホとは言え現役の映画監督に撮影をしてもらえる機会が早々に訪れてしまった。そのことに福松は少し怖くなった。
そしてあれよあれよと言う間に本番になる。
「合図を出すんでそこから始めて」
「は、はい」
「では行きます。3,2,1、スタート」
その合図と一緒に福松はスタートする。
まず福松は見た目からは想像できないほどの動きにくさに驚いた。
自分の身長以上の長さの棒の両端には紐でぶら下げただけの盥が下がっている。一歩歩くだけで振り子のように勝手気ままに揺れ動き、前後からガンガンと足にぶつかってくる。ゆっくり歩けば制御はできるが、それだと急いで走れない。とどのつまりは数歩歩いただけで何もできなかった。
「はいカット。もう一回行こう。せめて動くのと、セリフを飛ばすのはやって」
「はい! 頑張ります」
と威勢の良い返事はしたものの、そんなにすぐできるようになるはずもない。福松はとりあえず一葉にぶつけないという事だけを唯一の目標にして、自分の足に盥が当たるのも厭わずに走り抜ける事にした。
「もう一回。3,2,1、スタート」
さっきとは打って変わって勢いよく走り出す。やはり盥がガンガンと足に当たるが構わなかった。そして忘れずに声を出して彼をけん制した。
「オラっ! どいた、どいたぁ!」
一葉は驚く芝居をしつつ、大袈裟に尻もちをついた。まさか転ぶとは思っていなかった福松はつい身体を捻ってしまう。すると盥に横に動く力が加わって左右に振れた。それは下にいた一葉の顔面すれすれを掠めるほどの揺れになってしまった。
「カット。危なかった」
「一葉さん、大丈夫ですか?」
「ああ、はい。大丈夫です、当たってないんで」
一葉の言う通り、盥はギリギリで当たっていなかったから大事にはならなかった。しかし危なかったのは事実だ。これが本番であったと思ったら冷や汗が出る思いだった。
怪我の有無が確認できた後、実技指導は終わり反省会の段になる。国見監督は試写室に備え付けられていたテレビにスマホをつなげ、福松の動きを撮っていた映像を流して解説を始めた。
「はい、一端お疲れ様でした」
「「お疲れ様です」」
「ちょっと危ない場面もありましたが、実技は一度終わりまして、福松君の動きを撮ったものを見てみましょう。急に言われて驚いたとは思うけど、新規の人にやってもらったのには理由があります。ダメなものとか間違っているものを見ないと、新人は何が正解かわからないからです。だから今日やってもらってできないのは当然のこと。今日の事をよく覚えておいて研鑽してください。では今の映像を流すので、見終わった後に全員でダメ出しをしてみましょう」
そう言って国見監督は映像を再生した。お世辞も言えないようなひどい映像が流れる。福松は目を逸らしたいのを堪えてダメ出しの意見を考えていた。というか良い点を見つける方が難しい。
30秒にも満たない動画が終わると端から順番にダメ出しが始まった。
カメラを意識しすぎている事、スタートと同時に動き出しているから待っていたのがばれている事、セリフ言うタイミングが遅い事、盥が好き勝手に動くから絵がうるさい事、棒手振りを持っている福松自身も重心が上下に動いている事などなど次々に指摘が飛んでくる。
福松は眉間に皺を寄せながら、その一つ一つをメモしていた。
やがて講義終了の時間が来る。一時間半の講義があっという間にも思えたし、地獄が延々に続くようにも思えていた。
最後に国見監督が講義の総括を行う。
「とまあ、こういうアクシデントはいつか必ず起きますから。その時にきちんと対応できるだけの技術を身に着けてください」
「はい…」
「では今日の講義を終わります。ありがとうございました」
「「ありがとうございました」」
こうして福松の時代劇塾のデビューが終わった。
こんなに恥ずかしくて不甲斐ない思いをしたのは久しぶりだった。穴があったら入りたいし、二度と今日の塾生たちにも講師の監督たちにも会いたくない気持ちで心が満ちていく。それなのにも拘らず、彼は凝りもせず人前に出るだろう。そういう恥知らずな事を平気やる連中を世間では役者と言うのだから。
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