2ー2

「他の人たちはやっぱり事務所に入ってるの?」

「Aクラスの人はほとんど入ってると思いますよ。Bクラスは僕みたいな学生とか務めてる人とかも多いんで四分の一くらいですかね」

「Aクラスって確か…いわゆる芝居のできる人のクラスだっけ?」

「そうっすね」


 合格の通知と共に伊佐美から聞いた時代劇スクールの説明が福松の中に反芻される。


 今日からお世話になるこの時代劇スクールは基本的にAクラスとBクラスの二つに分けられている。その線引きは単純に俳優としての技能、延いては演技力の問題だ。時代劇で活躍できる役者を育成するという目的で多種多様な人材が集まってきてはいるが、その全てが無条件で撮影の現場に顔を出せるわけではない。プロの制作する作品である以上、必要最小限の演技力は求められる。Aクラスとはスクールに集った中で、この撮影所の事業部に撮影現場に出しても問題にはならない程度の能力があると認められている役者たちのことだ。


 なので余程実績のある者以外はBクラスから授業を受けるのが常らしい。所詮は学生レベルでの経験しかない福松は当然このクラスからの受講となる。


 上のクラスに上がるのに特別な試験などはない。この授業の中で講義に当たる講師や監督、もしくは見学している事業部のスタッフが良しとすれば次の授業からAクラスに上がれるらしい。逆に言えばそう言った人たちに認められないとずっとBクラスに居続けることになる。話を聞くと一葉は一昨年、高校入学と共に時代劇スクールの門を叩き二年目を迎えるのだという。そう聞くと道のりは中々に険しそうだと、福松は覚悟を改める。


 そして言うもまでもなく、福松の当面の目標はいち早くAクラスに上がるという事だった。彼にとってはそれが叶ってようやくスタートラインに立つことになるのだから。


 話し込んでいる内に授業の時間が近づいた。それにつれ隣の部屋も何やら騒がしい。どうやら更衣室はこの部屋だけではないらしかった。福松は服を脱ぐとそそくさと着替え始めた。彼は山形に住んでいた頃、祖母がやっていた日本舞踊に興味を持ち高校を卒業するまでの間部活動の代わりにそれの稽古をしていたのだ。大学に進学した後は大分遠ざかってしまったが、それでも基本的な着付は体が覚えてしまっている。ここにきてこの経験が活きることに何となく嬉しさを覚えていた。


 そうして着物と合わせても場違いでない手提げバックにノートや筆記用具を詰める。一葉から一緒に授業の部屋に行こうと誘われたのだが、初日のために伊佐美に呼び出されている旨を理由にそれを断ると一足早く更衣室を出て事務所へと向かった。


 事務所のある一番正面の建物は一階がガラス張りになっており、内部を広々と見渡せる。一階のスペースの半分が事務所となっており、二十人程度のスタッフがパソコンや書類とにらめっこをしていた。恐らくはスタークラスの役者が着た時にいち早く気が付けるために見通しを良くしているのではないかと推測する。事実、福松は外から伊佐美のデスクをッ見つけることが叶った。


 言われた通り授業の前に来たのだがその用事はなんてことはない、ただ今日の授業の場所が分からないだろうと思って案内するつもりだったらしい。つまりは一葉の申し出を断る必要がなかったという事だ。福松は一葉に一抹の申し訳なさを感じつつ、伊佐美に案内されて事務所の隣にある教室に向かった。


 伊佐美は教室と口にしていたが、実際は福松の想像していた教室ではなかった。


 そこの入り口に試写室と表札が掛かっていた。読んで字のごとく試作品の出来栄えを確かめたり、もしくは完成した作品を世に出す前に関係者に向けて上映したりする際に用いられる部屋だ。フルで座れば大体百人近くの席を有しており、天井の高さやスクリーンの大きさも相まって普通の教室を想像していた福松はつい圧倒された。


 どこでも好きなところに座っていいと指示をされた福松は、折角ならばと一番前の席を陣取った。脇に置いてある色々な機材も気にはなったが、一番目を引いたのはスクリーンの下に大量に置かれている時代劇用の小道具の数々だ。


 棒手振り用の天秤棒、大量の和傘の入った籠、色鮮やかな手拭の山、薬売りが担ぐような木箱、段ボール一箱分の大きさもある風呂敷包み、職人が持っている袋や大工道具箱、鋤や鍬などの農工具などなど時代劇で使う道具の見本市のようだった。


 本格的な道具の数々に心を躍らせていると、ぞろぞろと試写室に入ってくる気配に気が付いた。見れば着物や浴衣に身を包んだ老若男女が十五、六人の一団となって試写室に入ってくるところだった。福松と同世代と見受けられる年齢層が主流だが、更に上の世代もちらほらといる。流石に一葉よりも若そうな人はいなかったが。


 福松は立ち上がるとその一団の下に出向いていって、挨拶を飛ばした。


「お早うございます。今日からご一緒します、福松友直です。よろしくお願いします」


 すると全員が親しげに挨拶や自己紹介をし返してきてくれた。ひとまず悪い人はいなさそうで安心だ。


 福松は雑談もほどほどに席に戻ろうとした。そうしたところで今度は逆の立場に立つことになる。


「僕も今日からなんです。林京助です。よろしくお願いします」

「三島皐月って言います。私も今日からお世話になります。仲良くしてくださいね」


 と、二人の男女に挨拶された。見たところ二人とも自分と同年代くらいだろうか。


 福松は自分以外の新入生がいないと思い込んでいた事に自分のことながら疑問を持った。新年度なのだからこうして新しく入ってくる役者がいて然るべきだろう。やはりあの化生部屋での一件が衝撃的すぎたのだ。


 新入生同士ということで福松と林と三島の三人には不思議な連帯感が生まれた。同時に初めての講義で不安に駆られている三人は学生よろしく肩を並べて座り、講義が始まるのを待っていた。


 すると三島がそう言えば、という前置きをしてから福松に話題を振った。


「そう言えば、さっき来る途中に見たんだけど駐輪場で練習してたのって福松さんですよね?」

「え? 練習?」


 何のことかわからなかった。


「駐輪場のところで一人でセリフの練習してましたよね」

「う」


 福松はそう言われてようやく得心が言った。要するに民子と駐輪場で話していたシーンをばっちり見られていたという事だ。しかし不幸中の幸いにも三島はそれを芝居の一人稽古だと勘違いしてくれている。これに乗っからない手はなかった。


「ああ…はい。つい口ずさんじゃって」

「分かります。僕も料理してる時とかに急に役に入って家族に変な顔されますもん」

「あるあるですよね~」


 何とか誤魔化せたと福松は思った。


 しかし同時に気になる事もできた。


 ドリさんの口ぶりでは妖怪がいることは撮影所が公認しているはず。今日から本格的に梅富士撮影所に関わるこの二人が知らないのは当然としても、スタッフや長年撮影に関わる役者であれば存在を認知しているのはないだろうか。どのあたりまで人に話していいものか後で確認を取らないと。


 そんな事を考えていると、不意に試写室の空気が変わった。少々小太りで顎ひげを蓄えた中年の男性と、福松と同い年位の青年の二人が試写室の扉を開けて入ってきたからだ。


 先輩諸氏が一斉に起立して挨拶をし始めたので福松たちもそれに倣った。


「はい、おはよーございまーす」


 小太りの方の男性が声だけは明るく言う。立った場所を鑑みるに今回の講義の先生だろう。隣の青年はさしずめアシスタントといったところか。するとスクリーンの下に置いてあった小道具の間をすり抜けて、伊佐美が生徒たちの前に立った。


「では新年度で最初の時代劇塾の講義を始めます。よろしくお願いします」

「「お願いします!」」

「それでは国見監督、あとはお願いします」

「はいはい」


 監督、と言うワードに新参者の三人は反応した。監督という事は、つまりは監督という事だからだ。


 国見監督は向かって右手にある教壇から動かずに言った。


「まずは新年度という事で初めての人も多いと思いますから自己紹介を。監督の国見です。この塾では色々な人が様々教えると思いますが、僕はより実践的な事。延いては作り手が役者の皆さんにどういった事を求めているのか、と言うようなことを説明して現場で力を貸してもらえればと思っています。以上。じゃあ次、貝ヶ森」


 そう言って隣にいた青年を見た。貝ヶ森と言われた青年は立っていた場所から一歩踏み出して会釈をする。


「貝ヶ森です。ここでは国見監督の助監督としてやらせてもらってます。勉強中という意味では皆さんと一緒ですので、一緒に頑張っていきましょう。よろしくお願いします」

「はい、ありがと。それで…今日からの人は何人いるの?」

「はい! 自分たちが今日からです」


 林がまずは率先して立った。それにつられて福松と三島も立ち上がって挨拶をする。


 改めてみても自分たちしかいなかったので、残る十数名は去年かそれ以上前からの受講生なのだろう。


「わかりました。じゃあ一人ずつ一分間の自己紹介をしてください。奥の女の子からね」

「は、はい!」


 福松ら三人の間に緊張が走った。思えば当たり前の事だが、こんな形で急に振られるとまとまる考えもまとまらない。


 三島、林、福松の順番で前に立たされると矢継ぎ早に自己紹介が始まった。それぞれが名前、年齢、出身地、趣味、所属している事務所などなど当たり障りのない事を言って熟していった。


 三人の自己紹介が終わると試写室の中に沈黙が流れた。国見監督はメモとにらめっこをするだけで一言もしゃべらない。どんどんと空気が重くなっていくような感覚だった。そしてその空気を変えたのはやはり国見監督だった。


「今の自己紹介ですが…全員アカンね」

「っ」


 ずばりとそう切り捨てられて福松たちは思わず息を呑んだ。いきなりダメ出しから始まるとは思っていなかったのだ。

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