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 京都駅から電車に乗った福松は六番目の駅で下車をした。ホームにある駅名を示す看板には大きく「太秦」と書かれている。それ見て福松は心が躍った。もう芸能活動の大本はほとんどが東京に移り、京都の映画業は衰退の一途を辿っているとはよく耳にしていたがそれでも時代劇好きとなればテンションは上がってしまう。


 しかし心は熱くなったが、福松は吹き付ける風の寒さに思わず身震いをした。冬の京都は東北よりも寒いとは聞いていたが、まさに同じような感想を抱いた。東北だって雪国である以上、ある程度まで寒くはなるが雪や山に囲まれているせいで案外温かみが残っている。それに比べて京都の寒さは無慈悲に思える。


 東北の寒さが素手での喧嘩だとするならば、京都の寒さは刃物での斬り合いのようだ。


 改札を抜けるとスマホの地図機能を駆使して一目散に撮影所へ向かった。三条通へ出た後に西に十数メートル進む。すると目的の場所はすぐに見つかった。福松はひとまず迷わずに辿り着けたことで息を一つ付くことができた。


 事前に貰っていたメールの内容の通り、まずは入り口の脇にある守衛室に顔を出した。そして時代劇スクールの面接に来た旨を警備員に伝えると、すぐに内線で担当者を呼んでくれた。


 守衛に案内されすぐ脇の自販機の前で面接担当者が来るのを待ちながら、そこから見える限りで撮影所の敷地内を観察していた。梅富士撮影所は入ってすぐに四階建ての大きな建物が目に入る。建物は一階がガラス張りになっており、内部を広々と見渡すことができる。一階のスペースの半分が事務所のようで二十人程度のスタッフがパソコンや書類とにらめっこをしていた。恐らくはスタークラスの役者が着た時にいち早く気が付けるために見通しを良くしているのではないかと推測する。


 するとその時、福松は不意に後ろから声を掛けられた。


「お早うございます」


 見ると赤い着物に黄色い帯をつけた十歳にはなっていないくらいの女の子がいた。見た目は子供だが落ち着いたその雰囲気は大人顔負けだ。多分、撮影のためにきた子役だろうと福松は思った。目上目下に関わらず挨拶は芸能界の基本だ。この子だってひょっとしたら芸歴は福松よりもずっと上だという事だって十分あり得る。


 福松は笑顔で挨拶を返す。するとほんの一瞬だけ女の子は驚いたような顔をした気がした。しかし女の子はすぐにそっぽを向いて事務所の裏手の方に走って行ってしまったので、その真意を確かめることはできなかった。


 しかし女の子が走って行ってくれたおかげで、入れ替わるようにこちらに向かってくる一人の女性に気が付くことができた。


「えと、福松友直さんですか?」

「はい。福松です」

「メールでやり取りしてた伊佐美です。よろしくお願いします」


 伊佐美と名乗った女性は丁寧に頭を下げた。丸い縁のメガネが印象的な人で、福松は始めこの人も撮影所に来ていた女優なのかと思うほどに顔立ちが整っていた。


「こちらこそ、よろしくお願いします」

「宮城からお越しなんですよね? 昨日はホテルかどこかに?」

「いえ、高速バスを使って寝ながら来ました。朝についたばかりです」

「えぇ!? それは大変!」


 などと世間話を交えつつ、二人はすぐに事務所内にある会議室に移動した。室内は当然ながら暖房が効いていた。体の芯まで冷え切っていた福松はつい出てきてしまった欠伸を必死に噛み殺す。そして上着を脱いで席に着くと、いよいよ面接が始まった。


 とは言え勝手に厳格なものを想像してきた福松にとっては、びっくりするほど簡素なものであった。具体的な役者としての経験を聞かれたりする他は、そこら辺のアルバイトの面接と大して変わらない。質疑応答は十分もかからないうちに終わってしまった。すると最後に伊佐美は一枚の紙を福松に差し出してきた。それには三行程度のセリフが印刷されている。もしかしなくても実際の発生やセリフ回しを見る試験だという事は安易に予想が付いた。


「では最後にこのセリフを読んでいるところをビデオで撮らせてください」

「わかりました」


 福松は目に見えて気合いの入った返事をした。やっぱり経歴だけではなく実際の芝居を見てもらって合否を判断してもらいたいと思っていたからだ。何度か小声で音読し、立ち上がって準備をした。すると、まるで出鼻を挫くかのようなタイミングで会議室の戸がノックされた。


「誰だろう? ちょっと待ってくださいね」

「あ…はい」


 伊佐美は面談を一時中断すると、会議室の戸を開けた。廊下には四人の男女の姿があった。その内の一人はさっき福松に挨拶をしてきた赤い着物の女の子だ。そしてその他に福松よりも若干年上に見える黒髪の綺麗な女性とそれとは対照的に白髪の老婆、最後に五十手前くらいの険しい顔をした男性が立っていた。全員が和服やら浴衣を着ていて、それが見事に風貌にマッチしている。あまりに似合い過ぎているので、きっと全員がこの撮影所の時代劇に関わっている役者であることは間違いないと福松は思った。


「ドリさん。どうしたんですか?」

「ちょっと邪魔するよ」


 伊佐美にドリさんと呼ばれた先頭にいた険しい顔の男がぶっきらぼうにそう言うと、全員がぞろぞろと中に入ってきた。


「時代劇塾の志望者だろ? ちょっと気になる事があるから見学させてくれ」

「はあ…わかりました」


 伊佐美は困惑し、気の抜けた返事をする。しかしそれ以上に困惑しているのは福松の方だ。一体この人たちは誰なんだろうか。


 その疑問が顔に出ていたのか、伊佐美は福松に向かってその男の事を紹介した。


「こちらの方は美鳥さんと言って、ウチの俳優部の役者さんです。普段こういう事はないんですけど、逆に俳優部の方に見てもらえるチャンスと思って…ね?」


 俳優部。耳慣れない言葉だったが、この撮影所に属している役者という事は昔で言うところの大部屋役者という事だろうか。主役級の役者が個室を貰えるとは逆に、所謂エキストラのような役回りの役者達は大部屋にまとめて押し込まれて支度をする。なのでそういった一端の役者の事を業界用語で『大部屋』と呼んだりするのだ。


 今となっては芸能事務所に所属する俳優が大多数を占めているが、一昔前はこうして撮影所や映画会社と直接契約を交わして出演する役者も多かったと聞く。


 いずれにしても第一線で活躍している現役の映画俳優に演技を見てもらえるという事には変わりはない。福松は溌剌と「よろしくお願いします」と言った。


 紙に書いてあるのはセリフのみでト書きなどは一切なかった。こういう場合、セリフから背景を想像して気持ちを乗せるしかない。けれどもワークショップやオーディションではよくあることなので、別段気にはならなかった。


 シチュエーションは江戸の居酒屋。薄給に喘ぐ町民がお上に対して愚痴を溢すというものだった。場面もセリフも特に違和感を感じはしない。問題なく演技ができそうなことに福松は安心した。


 伊佐美に準備ができた事を伝える。するとカチンコの代わりに、パンっと手を鳴らす音が一つ響いた。


『ったく。やってらんないよな。いくら稼いだところで、こう品物の値が上がっちまったら貧乏になるに決まってらあ。お上は下の者に悪い事だけは急ぎやがるんだからな…おい親父。もう一本つけてくれ』


 大学の時に落語研究会に顔を出して江戸前の口調を練習した甲斐があった。個人的にはほろ酔いで愚痴を溢す演技も入れられたのでかなりのいい芝居ができたと思う。


 しかし反応は無味乾燥なもので拍子抜けを食らった気分だった。


「はい。ありがとうございます。では面談の内容と合わせて話し合いをして合否を連絡しますね」

「…よろしくお願いします」


 伊佐美はいそいそと片づけを始める。福松も特に質問などはなかったので帰り支度を始めた。帰りのバスは明日の夕方だ。もう面談は終わったから後は精々京都観光を楽しむつもりだった。


 けれども、ドリさんが机の上の履歴書を見て福松に声を掛けてきた。


「えっと…福松くんだっけ?」

「あ、はい」

「この後急ぐのか? もう少し付き合ってもらいたいんだけど」

「私は大丈夫ですが…」

「わかった。じゃあ伊佐美ちゃん、ちょっとここ貸しておいて」

「分かりました」

「終わったら一度、顔を出させるから」


 伊佐美は荷物を持つと先に会議室を出て行った。後には福松と独特の雰囲気を放つ四人とが残される。福松はどうしていいかわからず、出方を伺うしかなかった。そんな福松を放っておいてドリさんは赤い着物の女の子に話しかけた。


「で、民ちゃん。ホントか? 気のせいじゃねえのか」

「ホントだよ。ちゃんと目を見て挨拶してくれたもん」


 挨拶、というのはさっきの守衛室の隣での出来事の事だろう。まさか俳優部の人員を使って面談の前から人となりを観察していたとでも言いだすのか。福松は京都についてから何か変な事をしていなかったかどうか一気に不安になってきた。


 民ちゃんと呼ばれた女の子はぷいっと福松に目を向けた。そして初めて笑顔を見せる。


「ね、お兄ちゃん。私のこと見えてるもんね?」


 何だか妙な聞き方だ。ちゃんと挨拶したもんね、と聞くなら話は分かるけど。福松は違和感を覚えつつも、子供はこういうものなのかも知れないと結論付けて返事をした。


「うん。さっきの自販機の前で会ったよね」


 福松の視線は自然と下に向いていたせいで、他の三人が驚いて顔を見合わせた事に気が付いていない。そうしているとドリさんを押しのけて白髪の老婆と黒髪の美女とが前へ飛び出してくる。


「ならワシは?」

「私も見えてる?」

「え…あぁ、はい。初めまして」


 何のことかさっぱりな福松は狼狽する以外にできることがない。そんな彼とは反対に俳優部の面々は嬉々として話を盛り上げていた。


「もう合格じゃないかい?」

「しかも役者志望だろ? 合格どころか大合格って奴だよ」


 ドリさんは不敵に笑って福松の肩を叩いた。


「時間があるって言ったな。ちょっと俺達のケショウ部屋に寄ってきなよ、話したい事がある」

「はあ」


 なし崩し的にどんどん話が進んでいく。福松は一体何がどうなっているのかまるで分らなかった。しかし撮影所の中、それも俳優部の拠点となっている部屋を見学させてくれるという事だけは話の流れで理解していた。

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