第七話 バルハ=ゼッタと云う男

 物心付いた時には家族は居なかった。

 物心付いた時には一人で生きる術を身に着けていた。


 オレを赤ん坊から物心付くまで育てた人間の顔は覚えていない。

 覚えているのはそいつが男だと言うこと、そしてオレに最低限の生きるための知識を与えてくれたと言うことだけ。


 オレは一人で、家もなく仕事もなく、この田舎を歩き回って生きて来た。収入源はつまらない悪事の積み重ね。オレの今までの罪の断罪と考えれば、この一年間の牢屋生活は当然だったと言える。

 自分の人生が不幸だと思ったことはない。人生の良し悪しが分からなかったから。幸福な人生、不幸な人生、そのテンプレートを知らなかった。


 ひたすら退屈を潰す日々。

 退屈は嫌いだった。

 11か月前、あの女の子を領主の息子から救ったのだって、別に正義感から生み出された行為ではない。


 ただあの時、彼女を助ければなにか面白いことになるかと思った。ただ、それだけだ。

 牢屋に入る時も内心ワクワクしていた。なにかが変わると思っていたから。

 クソみたいな人間だな。


 環境が悪い。

 生まれ持った性能が悪い。

 そんな言い訳は許されない。


 この世界は呆れるほどに自由だ。

 そして自分を不自由にしてるのは、その呆れるほどの自由さなのだ。

 人間、歩もうとすればどんな道だって歩ける。分かれ道が多すぎるのだ。幾多の道が目の前に広がっている時、人はなにを思うか。


 めんどくさい、だ。

 

 どの道が安全かわからない。どの道が楽しいかわからない。

 だから人は楽な道を選ぶ。足跡の付いた道を選ぶ。親の足跡、恩師の足跡、友の足跡、全く知らない誰かの足跡――


 そうして誰かが開拓した楽な道に足を踏み入れ、無自覚な内に誘導される。気づいた時には道は一本道になっていて、引き返すにも今まで来た道が長すぎて怠くなる。


 オレは一本道に入るのが嫌で、ずっと道を選ばず無数の可能性の前で足を止めていた。


 なぁ爺さん。

 オレはそろそろ覚悟を決めるさ。

 アンタの足跡が付いた道から、オレだけの道へ足を踏み入れる覚悟を。


 爺さん。

 アンタはこの短い期間にオレに多くを教えてくれた。

 だから、アンタにはどうしても言わなくちゃいけない言葉がある。面と向かって言うのは恥ずかしいけどな。


 

---



 オレが付き添いの看守と牢屋に戻ったと同時に、爺さんは筆を置いていた。

 看守はオレを牢屋に入れ、カギをかけると去っていった。オレは爺さんの背中に声を掛ける。


「調子はどうだい?」

「――悪くない」


 爺さんは視線を横に、壁にもたれ掛かっているオレに目線を合わせる。


「長かったな……」


 その言葉はオレに向けたモノでは無かった。


「79年という年月は長かった。

 夢を追い、故郷を離れ、師に出会い。

 封印術師となって冒険の日々へその身を投じた」


 きっと、いま爺さんの脳内では走馬灯のように思い出が駆け抜けているのだろう。

 外の世界の事をオレに教えてくれた時と違う。


 喜びも、悲しみも、正の感情も負の感情も思い出しながら彼は語る。


「全てを分かち合える友と出会い、愛する女性とも出会った。

 多くの出会いがあった。多くの別れがあった……それら全てを乗り越え、私は今、ここに居る」

「未練は無いのか?」

「あるさ。だがそれ以上に満足している。

 私の人生に点を付けるなら、100点満点中80点ってところだろうな」


 それでも、100点ではない。

 そりゃそうだ。最期に牢屋に入るような人間の人生が100点のはずがない。


 足りなかった20点は限りなく大きい。

 

「オレがオレの人生に点を付けるなら、20点ってとこかな。

 つい、こないだまでは0点だった」


 いつの間にか、オレの声は震えていた。

 が迫っている感覚が、爺さんの背中から伝わっていた。


「アンタがくれた20点だ。

 アンタが、オレに夢をくれた」


 たった半年足らず。

 だが、その時間がオレにくれた物は大きい。


「だから、爺さんがやり残した20点分の未練――

 オレがなんとかするよ」


 爺さんは困ったような顔で、口元を笑わせた。


「頼めるか。シール」

「ああ」


 爺さんは背筋を伸ばし、首をコキコキと鳴らした。

 そしてわざとらしい声で、


「うーむ。

 肩が凝った……」


 まったく、下手な芝居を打つものだ。


「肩、叩いてやろうか?」


 オレは爺さんの元へ駆け寄り、爺さんの肩を叩く。

 交互に、なるべく力を弱めて。


「シール。

 君に一つプレゼントがある」

「プレゼント?」

「そうだ」


 オレは周囲を見渡すが、プレゼントになりそうな物はなにもなかった。


「外の世界で、ファミリーネームが無ければ色々と不備もあるだろう」

「そりゃあ……そうだろうな」

「だから君に名を贈ろう。

 実はな、バルハ=ゼッタという名は襲名なんだ。

 代々封印術師の本流に与えられる」


 え? ってことはバルハ=ゼッタの名をオレに――


「だが君は半人前だ。

 ゆえに、半分だけ名を渡す」

「はいはい、そんなことだろうと思いましたよ」

「ははは!

 いじけるな。たった半年で半人前になれたのだからな。

――誇っていい」


 爺さんは瞼を落とし、オレのフルネームを呼ぶ。


「シール。明日からシール=ゼッタと名乗ることを許可する」


「シール、ゼッタ……」


 たった三文字、たった三文字の名を貰っただけ。

 金にならない、たかが三文字。


 なのに――


 まずいな。

 自分でも引くほどに、喜んでいる。


――認められた。


 真の意味で認められた気がした。


 オレはギュッと表情筋を引き締めた。

 名を貰ったことに喜んでいると思われるのは何となく癪だったからだ。


「あぁ、良かった。

 最後の最後で、この名を……引き継ぐことができた」


 かつん。と、拳に返ってくる力が途端に弱くなった。


「爺さん……」


 終わりが迫っている。

 肩たたきを通して、それが伝わってくる。


「シール」

「……なんだよ」


 爺さんは満足そうに笑った。

 そして、瞼を落とし、他愛ない話をするように言葉を口にする。



「肩たたき、上手くなったな」



 なにかが、切れる音がした。


「だろぉ?

 オレ、誰かの肩を叩いたことなんてなかったから、練習したんだ。

 夜中にこっそりと、自分で自分の肩を叩いてな……」

「―――」


「爺さん。

 寝るにはまだ早いぜ。消灯時間まであと三時間もある」

「――――」


「そうだ爺さん。

 新しい封印術の活用方法を思いついたんだ。後で見てくれよ」

「――――」


「なぁ、爺さん。

 聞いてんのか?」

「――――」


 肩に置いた拳に、返ってくる力はない。


「師匠……」


 誰も居ない部屋で、オレは声を絞り出す。


「ありがとな」


 釈放まで残り一か月。

 桜が散りゆく春の終わりに、バルハ=ゼッタはこの世を去った。





---バルハ=ゼッタ視点---





 私は封印術師だ。

 これまで数々の巨悪を封じてきた。特に不死者や再生者、真っ当な手段では倒せぬ者達を封じてきた。


 そんな私を魔人や人魔は恐れ、“天に仇為す者達ナチュラルエネミーズ”と呼んでいた。

 きっと、これは奴らの策略だったのだろう。


 ある日、研究所に訪れると見知らぬ死体が並んでいた。

 ほとんどが騎士団の関係者、中には騎士団長の妻も居た。


 同時に来訪する整った足音。私はすぐに直感した。嵌められた、と。

 騎士団長率いる小隊が私と死体を見て、激昂した。


――私は呪いによる死刑を言い渡された。


 呪殺は苦しみを伴う。

 意味合いとしては火あぶりに近いだろう。できるだけ苦しみを与え、殺す刑罰だ。


 私は呪いを刻まれた。

 そのまま帝都の牢に放り込まれると思ったが、友人であるパールの計らいで田舎の牢に移送された。


『私は貴方を信じています』


 妻は濡れ衣だと、最後まで叫んでいた。


『許さない。おじいちゃんのこと、絶対許さないからっ……!』


 孫娘は泣きながら、私に恨みつらみを叫んで去っていった。

 

 どうしようもなかった。身の潔白を訴えたが全て弾かれた。

 恐らくだが、騎士団上層部に魔人が居る。魔人は人魔と違い、その容姿は人とそう違いはない。人社会に紛れ込むことは不可能じゃない。

 そのことはアドルフォスとパールに伝えたが、どちらも立場上、手を出すのは難しいだろう。


 負けた。

 はじめて魔物に敗北した。


 魔人や人魔の中でも数万という人間・魔物を喰らった別格の力を誇る者達、“魔帝まてい”。

 私は幾多の“魔帝”を撃退してきた。真っ向勝負では負ける気はしなかった。

 

 彼らは気づいたのだ。人を殺すには、人を使えば良いと。

 私はもうじき死ぬ。寿命は近かったから、死ぬことに関しては覚悟を決めていた。

 心残りは私が今まで封じてきた“魔帝”たちがどうなるかだ。彼らが復活すれば“界核ワールドコア”は乱れ、生態系に影響を及ぼすだろう。植物や魔物のような知の無い存在は特に影響を受けるはずだ。


 必要だ。私の跡を継ぐ者が……。


 封印術師になる資格のある者。

 才能だけで言えば一人居る。

 ニーアム。

 黄色の魔力を持ち、突出した青魔を誇る。器用な魔力操作を要する封印術師に彼女はピッタリだ。


 だが、彼女の内には闇を感じる。

 昔、魔人に身を墜とした我が弟と同様の闇が……。


 封印術がもし魔帝の手に落ちれば、この世は終わる。

 そういう観点から彼女にだけは封印術を渡せない。


 ならば、しかし、どうすれば。

 誰に、この力を預ければいい。


 私はどんな人間を弟子にしたいのだ?

 わからない。


 いっそ、死んだ後の世界は知らぬと思えればいいのに。

 だが残念なことに、私はこの世界が大好きなのだ。


 頼む。誰か、誰かいないか?

 私の力を受け継ぐにふさわしい者は居ないのか?


『こっちだ。早く来い』


 私は、連れられた田舎の牢で、運命を知った。

 その少年は全身から脱力感が伝わる物腰をしていた。

 漆黒の前髪の隙間から見える瞳。その瞳は飢えていた、展開に飢えている目をしていた。


――真っ白。


 黒髪の少年から私が受けた印象はこうだった。

 そして驚くことに、少年には名が無かった。


 私の右眼は対象の魔力の質・量を見る。

 私の左眼は対象の真名を見る。


 いつも相手の名を映し出す私の左眼は、少年の名を見れなかった。

 

『少年、名はなんと言う?』

『……シール』


 赤・青・緑・黄。そして――金色。

 彼の中には私も知らぬ魔力が存在した。


 魔力色には上位種が存在する。

 赤の上位種、紅蓮ぐれんの魔力。

 緑の上位種、深碧しんぺきの魔力。


 私が知っているのはこの二種類だけだった。

 彼の持つ金色の魔力、これは黄色の魔力の上位種だとすぐにわかった。


 だがこの金色の魔力、普通の手段では取り出すことができないだろう。

 どんな力を持っているか、私にもわからない。わからぬ内は手を出さない方が良いと、私は判断する。


『封印術師って、なにをするんだ?』

『興味があるのかね?』

『アリアリだね』


 少年の好奇心を少し刺激したら、彼は乗って来た。

 真っ白なノートを彷彿させる、好奇心の塊の少年。


 私が求めていた人材は、そんな人間だったようだ。

 少年は赤・青・緑の主源三色に関しては中の上ぐらいの潜在魔力量だった。少し赤が突出している。

 努力すればどんな分野にも手を出せるが、どの分野においても一流には一歩及ばない。そんなステータスだ。


 いずれは万能型になるだろうが、当分は赤い魔力を伸ばす方向で育てた方が良い。赤の魔力は攻防共に優れている、緑の魔力は今の段階で手を出すと混乱するだろうから後回し。


 そして黄色の魔力と金色の魔力、この二つに関しては桁が違った。


 魔術訓練を受けていない者にしては多すぎる。全盛期の私には及ばないが、衰えた今の私と同等ぐらいの黄魔を持っている。

 魔力の総量で見れば大抵の者は上回れるだろう。


 魔力操作のセンスについては主源三色は並ぐらいだろう。

 一週間でそれなりの赤魔操作を披露した。私は魔術を学んで一日でほぼ完ぺきに操作できていたから、私に比べればはるかに劣る。しかし、私は天才だったから基準としてはわかりづらい。


 他の魔術師と比べてどうかはわからない。私は1から魔術を教えたことが無いから、比較対象が私しかいないのだ。

 

 次に黄魔の操作。

 これに関しては間違いなく天才だった。


 基礎封印術でも習得に最低三年はかかると言うのに、彼は三か月で習得した。

 

『暇つぶしだよ』


 私がなぜ封印術を学ぶのか聞いたら、彼はそう答えた。

 私に封印術を学ぼうと過去に多くの人間が私の元を訪れた。同じ質問を彼らにぶつけると、“世界のため”、“強くなるため”、“誰かを守るため”。


 耳触りの良い言葉だ。

 しかし、私の心には響かなかった。


 私が封印術を学んだ理由、私が封印術を学んだのはなぜだったか。


 暇つぶしだ。


 私が師匠に弟子入りしたのは暇つぶしだった。辺境の村で退屈を飼いならしていた私は、たまたま村に訪れたあの人を追って弟子入りしたのだ。

 封印術は相手の自由を奪い、恒久的に暇を与える悪魔の業。

 退屈への恐怖を、暇への恐怖を、知っている者が扱ってこそ力を発揮する。


 人間は無自覚に支配される生き物である。

 自分で自分を支配できる人間はそう居ない。


 なぁシールよ。

 私たちは誰かを支配したいのではない、そうだろう。

 私たちが支配したいのは己の人生。そうだろう……。


『オレがオレの人生に点を付けるなら、20点ってとこかな。

 つい、こないだまでは0点だった』


『アンタがくれた20点だ。

 アンタが、オレに夢をくれた』


『だから、爺さんがやり残した20点分の未練――

 オレがなんとかするよ』


 私の人生に起承転結があるのなら、ここが“結”だろう。

 だが、私の人生が完結してもこの世界の物語は続いて行く。


 シール、君の人生を“起”こすことが、私の最後の使命だ。

 あぁ、悔いはない。


 私の人生は最後の最後で満点になった。

 だから、礼として――君にこの名を送ろう。


『シール。明日からシール=ゼッタと名乗ることを許可する』

『シール、ゼッタ……』


 私の左眼に、シール=ゼッタの名が浮かんだ。

 真名は生まれた時に与えられるモノ。両親の居ない彼は真名を得る機会を失っていたのだろう。

 

 だがこの時、シールが私の与えた名を認めた瞬間に、真名は成った。

 お師匠様。貴方の名を、半分だけですが受け継ぐことができました。




『肩たたき、上手くなったな』




 シール、君のおかげだ。君が教えてくれた。

 私は最後の最後まで、暇な人生ではなかった。

 退屈な人生では無かった。


 シール、最後に君にこの言葉を送りたい。

 面と向かって言うのは恥ずかしいがな……。



『ありがとう』



 妻の名が、息子の名が、孫娘の名が、魂から消えていく。

 これが魂の浄化というやつか。


 怖いな……暗闇が落ちてくる。


 不思議と、涙は出ない。

 バルハ=ゼッタは確かにその命を全うした。


 さようなら世界。

 また会う日まで。

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