第3話

「どうしてこんなにも、世界はつまらないのだろう」

 

 帰り道は長い。帰る足取りは、行く足取りより多少軽い、と言おうとして諦めた。休みへの渇望と日中の疲労を背負っているから、結局は同じくらいで。

そんなことをつい考えてしまうのは僕が悪いからだろう。


「つまらないのはあなたの見方でしょう」

 あんまりにもストレートで、小気味いい。

「それはそうなんだけれどね」


「認めるの?」


「認めないとどうしようもないよ」


「それがつまらなさの原因なのかもね」


「意地を張らないことが?」


「大事なものが何もないみたいな顔が、でしょう」


「大事なものはあったよ、あっただけで、今はもうない」


「悲壮な顔ね。死への安全で簡単なアクセスでもあったら、今にでも死んでしまいそう」


「そのために仕事をしているのかもしれないしね」


 条件魔法使いなら、そうやって死ぬことも不可能じゃない、らしい。

 【━】の死体を見る、を条件に【━】に関わる記憶を消去する、なんて条件を書き加えれば、この都市の人間の誰にだって、気づかれないままに死ぬことができる、と聞く。


 死んだ後の諸問題を、簡単に解決できるのなら、それもきっと悪くない。

 そうできないのは、アクセス権限の話で。

 僕は、この都市の条件魔法をすべていじれるほどの権限はおろか、本当にちょっとしたところのセンサーの権限程度しか持っていない。

 そのセンサーの条件魔法をかけなおして歩き回るだけの職務を与えられているだけなのだ。

 

 だから、僕がこの職から死を得るのはきっと簡単ではない。


 なればこそ、夕日を幻覚たるゆうひに仕立て上げたのは、いったい誰なのか?


「だれかが欲しくて、夕日を魅せるセンサーを作ったんでしょうね」


「きっと、それがないほうがよかった人だっている」


「なんだってそうよ、あって万人が喜ぶものなんてないでしょう、それが生命だって」


「……」


 そういわれると、まあ、困る。

 僕だって、生命があって間違いなく良かったと言い切れるほど幸せな人生を送ったわけではないけれど。


 それでも、命を捨てた彼女の前で、そうだね、とうなずけるだけの力も持ち合わせていなくて、ただ歩みを続けた。


「未来は、もっと明るいといいんだけどね」


「そう?」


「もっと命が祝福されるといい、そうすれば君が命を失わなくて済んだかもしれない。」


「……それには何とも答えられないわ」


「生きていることのコストが、きっと高すぎるんだ。

ただただ生きていくために、必要なことはなにもないくらいでちょうどいいんだよ、きっとね」


「働きたくないって言ってるみたい、働いてきた帰り道なのにね」


「だからだよ、働いてきたから、働きたくないと心底思っているんだ」


「そう」


「そうだよ。そうだとも。そうだったら、君は生きていなかった?」


「それには答えられないと言っているでしょう」


「じゃあ、ほかの視点にしよう……」


 少し考えて、言葉をつなげる。「生命に責任を持つには、何が必要だろう」


「……どうしたの、急に。らしくないわ。それに、あまり視点は変わっていないわ」


「もっと絞れば、子供の責任について、かな」


「私が、ずっと子供のままに見える?」


「どちらかというと、多分僕の方が子供のままなんだとおもうよ」


 ゆうひが、勝手に大人びて、勝手に人ですらなくなってしまっただけで。

 時が勝手に過ぎ去ってしまっただけで。


「ずいぶん急な展開ね」


「急じゃないさ、ずっと考えてたんだ。そして、多分答えは、「どうして僕を生んだの」に対する答えを持つことなんじゃないかと思う。」


「子供が生まれることに、理由も原因もないでしょう。」


「もしかしたらそうかもしれない。でも、知識が備わるとそうでもない。

 どんな条件で子供が生まれて、その条件を何ゆえに満たそうと思ったのか……

 生まれてきた子供が、幸せになれるとおもったのか?

 幸せになれない命を、生み出すことをよしとしたのか?

 どれだけのサポートがあれば、補助があれば、生まれる命が間違いなく幸福だとよべるのか? それにはお金が必要なのか、愛情が必要なのか、はたまた、なにか別種の時間とか、感情とか、そういうものが必要なのか。」


「難しい話で、それから、私には関係のない話ね」


「そうかもね、でも、僕にとってはずっとずっと大事な話なんだよ」


「そう、ならいいわ。聞く以外にすることもないもの。聞いてあげる」


「ありがとう」


 それで、と僕はまた口を開く。


「自分自身が幸せになれもせずに、次の命が幸せになれるだろうと、送り出すのはなんとなく、不誠実な気がするんだ。だから、まず、自分が幸せでなくちゃならない。

なら、次に、どうしたら自分がしあわせになれるのか?だ」


「別に、子供がいる必要がないでしょう」


「それもそうなんだけどね、何となく寂しくないかい、命として、何も残せなかったな、という瞬間がやって来るのが」


「私は、もう、なにも残せないもの、」


 その声はどこか憂いを含んでいるようでもあって、つちふまずのような場所を踏みしめてしまったのだと、いまさらながらに痛感した。


「でも、何も残せないのはきっと僕もそうだよ。きっとこの寂しさを、抱えて生きていかないといけない」


 そういうしかなかった。あきらめのように。


「僕は生きているけれど、生きているだけでしかない。

たとえば、子をなすこともないだろうし、死ぬときに、自分が何をしてきたかをなんとなく思い出して、何もしてなかったな、といって死んでいくんだと思うんだ」


「仕事、しているじゃない」


「したくてしてるわけでもないし、したいからこの仕事になったわけでもない」


 この仕事をするのはだれでもよかったんだよ、と口で言わなくても伝わっただろう。


「だから、まあ、なんだ、生きていないから残せないんじゃなくて、何かを残せる人間のほうがきっと少ないという話なのかもな」


「ふしぎ、なぐさめたいの?」

 あなたが傷つけたのに?とさえ聞こえたけれど、言われていないものに反応してはいけない。

 

「さすがに、泣きそうな人の前で愚痴だけを言っているわけにもいかないでしょう」


「ふふふ、へんね」


「よく言われる。言われ飽きたし、変わっていることはちょっとだけ楽でもあるからね」


「普通じゃないと自他ともに認めることが?」


「うん。あの人はふつうじゃないんだな。普通じゃないからまあ、そういうものだろう、みたいな同意がね、取り交わされれば、まあ、息がしやすくはあるよ」


「どうして、貴方はそんなにも生きたくないの?」


「生きていくコストが高いんだよ、たぶんね」


「コストをもっと減らしたら、貴方は楽に生きられる?」


「多分ね、でも、もう難しいかも。

 夢がないわけじゃなかったんだ。

 愛した人と、穏やかに日常を過ごすというのは、きっと素敵なことだったんだと思うんだよ

 ただ、それを取り切れるだけの熱量というか、コストだね。コストを支払えるだけの能力がなかった。」


「?」


「飼えもしない動物を拾ってきてはいけないだろうってだけの話だよ。なにかに寄りかかって生きていくものを見つめるなら、それを支え続ける気概がいるという話」


「ふしぎね、人は自分の足でたつでしょう?」


「寄りかかって立つ楽さを、幸せと呼びたがるんだよ

 それにいつだって自分の足で立てるわけじゃない」


「そう、あなたがそれを認められるようで、よかったわ」


 そういうなり、ゆうひは口を閉ざした。


 ゆうひが何を考えているのか、僕はまったくわからない。


 だれが、なぜ、「ゆうひ」をのこしたのだろう。

 これだけが、考え続けなくてはならない問いだった。


「ねえ、きぃは、どうして生まれたの?」


 考えは、見ず知らずの少年の横やりで雲散霧消した。


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