リリエール領

1・領主不在


 室内は領主館の来賓室らいひんしつという名にたがわぬ豪華な装飾がほどこされている。

 そして、その部屋の主人が鎮座ちんざすべきところにいるのは線の細い小柄こがらな青年。すずやかな印象を与える顔立ち。するりと通った鼻筋はなすじ。印象的なややつり上がった瞳は猫の目ようだ。

 しかし青年は、そのととのった顔を大きくゆがめた。


「そのけがらわしい目で姉様ねえさまを見たと思うと、虫唾むしずが走る」


 不快感を隠さず発せられた言葉。

 しんと静まり返る部屋。


 その場にいる者たちはきっと視線をどこに行けばよいのか分からず彷徨さまよわせていることだろう。俺もその1人である。


 ーーどうして、こうなってしまったのか。


 俺は視界の奥にある窓から見える、清々すがすがしいほど青々あおあおとした空に視線を向けることにした。



「ここがリリエール領の街か」


 視界には次から次へと人が流れこんで来る。

 見慣れない装飾を身に付けている人物や飛び交う聞き慣れない言葉。 


 領主がいる街なだけあると思ってしまう。リマジハとは違い、人の賑わいから町並みまでかなり違って見える。

 たぶん、旅商人と思われる大きな荷物を背負った人が行き交っているからだろう。


 リマジハは商人なんて月に1回来れば多いほうで、町で手に入らない物は週一ある乗り合い馬車を利用してしまう方が早いぐらいだった。

 それに貴族の休養地としては隠れた人気があるものの、商売をするには不向きだ。日用品は必要であるが、娯楽品でもある珍しく高価な物なんて王都にいればいくらでも手に入る。

 だけど、ここリリエール領では旅商人がいるだけでなく、様々な種類の商店もある。街から出ずとも物品が揃うのは便利な環境だし、貴族から平民まで過ごしやすいのだろう。


「おぉ〜! N P Cエヌピーシーが動いている!! しゃべってる!!」


 街を観察していると、ユーリはあちこちに落ち着きなく顔を動かして、感動を全身で表している。

 ユーリ語が混じっていて全てを理解できてはいないけれど、大きな街に感動してしまいることは理解できた。


「あっあの、ユーリ様。まずは領主か……」

「うっわ! すげぇじゃん! ショップがあるんだけど! アイテムが買えるぜ!!」

「ふぁ!? 駆け回らないでっあぁ!」


 強く興味を引くなにかを見つけたらしいユーリは突然駆け出す。

 ナイトは叫びに近い声を上げて、いまだにユーリの行動に振り回されている。

 リマジハを出てから数週間。

 いくら寝食を共にして旅をしていると言いつつも、予想を越えるユーリの行動にそう簡単、慣れるものではない。

 特にユーリは本当に想像豊か過ぎるのだから。


「ユーリ。落ち着け。まずは領主館だ」


 野兎のうさぎのようにぴょんぴょんと落ち着きなく動き回るユーリの首根っこを捕まえる。


「え?」

「え、じゃない。ナイトが説明してくれただろ」


 王から各地の領主に勇者が訪れる通達を出してもらっていると、ナイトから教えてもらった。

 しかし、徒歩移動でかつ旅は不測の事態も想定できる。

 そのため「訪問した際は迎え入れてください」ということのみで、何月何日などの明確な日時を伝えられていないらしい。


 当然と言えば、当然ではあるが。


 つまり、領主側にしてみれば、俺たちは”絶対権力の王”から頼まれた”面倒な賓客ひんきゃく”ということになる。

 いくら世界を救うためとはいえ、こころよく受け入れてくれるところばかりではない。

 だから、領地に着いたら、まず領主館へ挨拶に行く。

 ある意味、礼儀で建前。

 大人って本当に大変だよな。理解はできなくはないけど。


「あー! 領主のところに行って話を聞かなくちゃイベントストーリーが進まなかったんだっけ? うっかりうっかり〜」


 自分の頭にコツンと拳を当てたユーリは、こてんと首をかしげた。

 ユーリが以前むかし、「この可愛いポーズはテヘって言う、間違えちゃった、許してね!の意味なんだぞ」と言っていた。

 でも可愛いと感じたこともないし、許してもらう態度ではないような気がしてならないのは俺だけではないはず。


「・・・挨拶するときは、おとなしくしててくれよ。話がこじれるから」

「ほーい」


 領主への挨拶の重要性をあまり感じていないのはもちろん、話を聞いているんだが聞いてないんだが分からない気の抜けたユーリの返事には少々、不安は残る。いや、不安しかない。

 でも、さすがのユーリでも領主と言う立場の人に会えば、さすがに緊張もするだろうし、口数も減るはずだ。うん、たぶん、大丈夫だろう。


「で、では……リリエールの領主館へ向かいましょうか」


 そうして困惑した表情のナイトに先導されて到着した領主館。

 街の中心から少し離れたところにある小高い丘に領主館は建っていた。

 領主館は緑の垣根で囲まれている。一歩、足を踏み入れれば、白い花びらで咲き開くリリィが視界をいっぱいに広がっていた。


「すごい」


 思わず感嘆かんたんの声が出てしまう。

 一般的、平民が観賞用に花を楽しむと言うのは難しい。平民が関わるとすれば売るのが前提だったり、庭園とは名ばかりで、小さくせまい範囲の花壇かだんに近いものが多かった。


「リリィはリリエール領の花でもあるんですよ」


 ナイトがそっとリリエール領の情報を足してくれた。 


「なるほど。そうだったんですね」

「えぇ。それでも本当に見事みごとです。管理がとてもよく行き届いています」


 感心したようにうなずくナイト。

 王都、しかも王城で最高品質であろう庭を見ているナイトがそう言うのであれば、管理が行き届いているのだろう。まるで白い絨毯じゅうたんのように咲き誇っていて、美しいと思った。


「やっぱり、リリィってユリの花だったんだなー。ゲーム画面じゃよく分からなかったけど」


 物珍しそうにふらふらと陽の光を浴びて宝石のごとく白く輝くリリィに引き寄せられそうになっているユーリの腕をあわててつかむ。


「こら、ユーリ。挨拶が終わるまで離れるなよ」

「はっ! つい、うっかり。すまんすまん」


 テヘペロと言いながら、唇についたご飯を食べるように舌を出すユーリ。

 テヘに属する一応、謝罪の言葉らしいが、いまだに信じられないユーリ語のひとつだ。


「・・・とりあえず、ユーリのことは俺にまかせてくれ」


 不安が全開に出ているナイトに声をかける。

 絶対、ここは失敗できないことは重々理解しているつもりだ。


「は、はい。では、ご挨拶をしましょうか」


 ぎこちなく笑ったナイトは扉に取り付けられた叩き金を手に取り、ドンドンと音を立てる。

 数刻も立たず、出てきた使用人から、衝撃的な言葉が返ってきた。


「申し訳ございません。只今、領主様は不在でして……」


 いつ来るかも分からない勇者のために、領主はずっと館にいるのは難しいのはわかっていた。

 しかし、これは困った状況である。

 王は絶対的存在だ。王の名の下に行動している俺たちを非難するのは、王を非難することにもなる。絶対、ありえない。

 だからと言って、王令と言う最強の免罪符をもって領主に挨拶もなしに領地を動き回ることは、王と領主の関係にヒビを入れる可能性がある。反乱のキッカケにならないとは言えない。

 とは言え、そうのんびりとしている時間はない。聖地ネリヤカナへの条件が分からないため、多くの時間と調査が必要なのだから。


 ナイトも困り顔だが、王令のことを聞いていたであろう使用人もどう対応すればいいのか困っているは明白だった。

 とりあえず、王令で通達されていたのは使用人にも共有されていたのは不幸中の幸いか。約束のない来訪者なんて、ただの礼儀知らずになりかねない。


「それで領主様のお戻りはいつでしょうか?」


 ここは一度帰って、出直すのが最善だろう。日取りによっては今後について見直す必要が出てくる。

 そう思って使用人に問いかけた時だった。


「勇者様御一行ごいっこうがいらっしゃっている? なぜ、わたくしに伝えて下さらないの?」


 鈴ののような若い女性の声が聞こえた。

 目の前に立つ使用人の奥に視界を飛ばすと、見るからに上品なドレスを身にまとった薄桃色の髪をした女性が執事と思われる中年の男性と話していた。それから俺と目が合うと、女性は素早くでも優雅な足取りで近づいてきた。

 さきほどまで俺たちの対応をしていた使用人に下がるように伝えると、入れ替わるようにして立ち、ドレスの両方のすそをつまみ、うやうやしく挨拶をした。


「使用人が失礼いたしました。わたくしはリリエール領主の嫡女ちゃくじょ・ロゼッタと申します。本日は父が不在のため、恐れ入りますがわたくしが代わりを務めさせていただきたく存じます」


 上流階級の挨拶を間近で見るのははじめてだった。

 想像以上のその優美さに圧倒される。

 ただ、そんな風に驚いていたのは俺だけで、ナイトは近衛騎士として上流の上流、王族と関わりがあって慣れているようだった。

 ユーリはわかっていないようにも感じてしまうほど物怖ものおじしていない。むしろ珍しそうに通された領主館の装飾を見回している。

 ロゼッタ様はその気品のある動きで、来賓室へと俺たちを案内した。


「王令の件は伺っておりましたが……」


 あらためてナイトが俺たちの事情を説明すると、コトリとカップを置いたロゼッタ様は小さく息を吐いた。

 なにか不安ごとがあるのか表情に変化は見えないが、こぼれた息はとても重いものに聞こえた。


「引き継がれている伝承を教えていただけないでしょうか?」


 ナイトがそう尋ねると、ロゼッタ様は視線を落とした。

 それだけでなく肌の血色も悪く、体調は万全でないように見える。


「申し訳ありません。現領主は父ですが、娘であるわたくしたちはまだ引き継いではおりません」


 引き継いでいない?

 見た目や落ち着きから考えれば年齢は成年だろうし、こうして領主の代わりを務めることができるのだから、次期領主としての教育もされているはず。

 なのに、なぜ?

 その疑問は慌ただしい物音と共にけた。


「姉上っ! なぜ、部屋から出たのですか」


 乱雑に開かれた扉は大きな音を立てた。反射的に音がした方を見れば、ロゼッタ様より顔立ちは幼くみえる濃い桃色の髪をした青年。少年のような高さの残っていたが、その声にはしっかりと怒りが含まれている。

 その青年の奥からは制止するような慌てた使用人の声も聞こえきた。

 どう言う状況なのか、分からずに言葉を失っていると、ロゼッタ様の困ったような声が耳に届く。


「ピティナ。でも、これは王令で……」

「姉上のような軟弱なんじゃくな人間には領主代理はつとまりませんよ。わかったら、部屋にお戻りください」


 鋭すぎる言葉。自分に対して言われていないと分かっていても、冷ややかで心臓をぎりりと締め付けられる。


「ピティナ……ごめんなさい」


 青年の言葉にロゼッタ様は身を縮こませて謝罪を口にすると、使用人に囲まれ支えられるように部屋を出ていった。

 パタンと扉が閉まり騒然となっていた来賓室はしんと静まり返った。

 そしてロゼッタ様が座っていた場所に、どさりと荒々しく鎮座したピティナ様は言い放つ。


「そのけがらわしい目で姉様ねえさまを見たと思うと虫唾むしずが走る」


 さっきのロゼッタ様の態度と今の言葉は真逆だ。

 姉を守る弟というにはすこしいびつでいろいろと面倒な予感しかしない。

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