ホロウのうなり声とキィンと剣が弾かれる音が続いている。

 視界をうめつくすように生茂おいしげる草木をかき分けて、空気を吸い込み、声を張り上げる。


「ユーリっ! 腹かノドをねらえ!!」


 まず最初にナイトからホロウの弱点を聞いた。

 ユーリもどこから仕入れたかわからないが魔獣などの知識を豊富に持っている。

 しかし、ユーリには実践の経験はない。

 そのため、いま戦うことに集中しているユーリにその知識を引き出して考える余裕はないということだ。

 ならば俺にできることは、ナイトにホロウの弱点を聞くこと。より、無謀な計画をより現実的にさせるために。

 ナイトは俺の質問に、すこし戸惑いながら教えてくれた。


『弱点はありますが、的確にそこを攻めることは実戦経験の少ないユーリ様には難しいでしょう』

『それでもいい』


 どうせ、うまくいかなければ最悪な終わりしか待っていない。

 それでもいちばちかかけるしかないのだ。


『いいえ。それはあまりにも危険です』

『それでも』


 焦っていた。重ねるように言葉を重ねる俺をナイトが静かにたしなめた。


『セイ様、このままではユーリ様の行動が無意味になってしまいます。たぶん、それはセイ様は望んでいないことですよね』


 ナイトは騎士然らしく戦いに慣れた冷静な顔に変わっていた。


『そうだ、けど……』


 歯痒い。いまの俺には考えて補助することしかできない。もどかしくて悔しくて、地面に自分の拳を叩きつける。


『ただ、弱点にもなる急所が獣にはあります』

『え?』

『腹か、ノドです』


 ホロウの弱点は、どの獣にも共通する点でもあった。

 必ずしも絶対的な弱点ではないけれど、盲点だった場所だ。

 そして、経験が浅い人間でも狙うことができる小さくはないまと


「はぁ!? このっ状況じゃっだっつーの!」


 ユーリは樹木をうまく活用しながら、くるりと身をひるがえす。一進一退を繰り返す攻防を続けていた。

 そんな状況にもかかわらず、ユーリ語を発する余裕はあるようだ。


「頼んだぞっ」

「ちょっ! まじか!! うわぁっ」


 遠くで樹木のなぎ倒される音を聞きながら、じりじりと後ろに下がる。

 俺は今から探しものをしなければいけない。


「はっ」


 戦い慣れていないユーリの隙を狙ったように攻撃をしかけてきたホロウの爪をナイトの剣がいなした。


「すげぇ!」

「ユーリ様っ!! 上です」

「ぎゃっ」


 邪気によって硬化こうかしてしまった毛皮を闇雲な攻撃で貫くことはできない。

 そして体格、力とすべてにおいて向上してしまっているホロウ。

 なんの変哲もない装備である俺たちが勝つためには、弱点を狙える状況にする必要がある。

 二人がホロウの注意を引き付けている間に、俺は早急に見つけ出さなければならない。

 戦えない俺だからこそ、やり遂げなければならない。

 後ろ髪を引かれながらも、俺は森の奥に向かって走った。


「はっはっ…」


 息が苦しい。顔や手にちりちりとした痛みが走る。

 肌に当たる葉や枝を気にしている時間はない。いまはただ森の奥深く、茂みの中へと突き進むのみ。

 背中から聞こえてくる音に、もう二人の声は入ってこない。聞こえるのは地面が揺れる振動とホロウの唸り声のみ。


 状況の見えない戦い。

 不安にならないわけじゃない。

 ただ、この音が鳴り響く限り二人の生存を確信できる。


 俺は二人と違って物理攻撃はもちろん、戦闘能力もない。そんな俺がいても足手まといにしかならない。唯一とも言える周りより少しひいでている魔術だって、二人の後方支援ができるほどの魔力も技術もない。

 だから俺は、俺がいまできることをやるしかない。

 こんなに全速力で走ることは今までなかった。だからか、すごく息苦しくて、目頭が熱くなる。視界がぼやけてくる。

 一人になった途端に、冷静な自分と不安な自分とが交互に顔を出す。


「くそっ」


 嘆いている暇だって、後悔している暇だってない。

 俺が信じなくて、誰が二人を信じるんだ。

 冷静になって劣勢な状況だとわかって不安になるなら、最善を導き出して好転させろ。


「あっ…」


 ぐちゅりと音を立て、足元が滑る。そのまま体は傾き、顔から地面に転がった。

 顔に触れたねばりつくような泥に、自分が目的地に辿り着いたことを理解する。

 視界が泥にまみれながらも起き上がり、這いつくばるようにして周囲を探す。

 ここに生息しているはずのモノを。


「いてっ」


 ちくりと指先に走った痛み。

 痛みの元を視線で追えば、小さなトゲを全身にまとう柔らかいコブ山に当たる。


「あった……ヒトデサボバナ」


 腰に差していた薬草採取用ナイフを取り出して、コブ山を割り裂くように突き刺す。

 そうして出てきたのは、手のひらサイズの丸い実。花のもとになるつぼみだ。

 ヒトデサボバナはトゲのある見た目に反して、ヒトデと言われる星形の華やか花を咲かす植物。ただし、その華やかさとは引き換えにヒトデサボバナには難点があった。


「よし……」


 ヒトデサボバナの蕾を手にした俺は、一直線に二人がホロウと戦う場所を目指して走る。

 草木をかき分け、茂みを踏み越える。

 俺ができることは・・・


「うがぁっ」

「ユーリ様っ!」


 ホロウが前足を振りかぶりユーリの体を吹き飛ばした。木の幹に叩きつけられ苦しげにうめく。ユーリはそのままちからなく体を幹にぐにゃりと預けて動かない。

 ナイトはユーリに近づこうしたが、すぐさまホロウの牙が襲いかかり身動きがとれなくなっている。

 迷っている時間はない。


風の吐息エアブレス


 小さな風を起こし、宙に円を描く。そうして作り上げた空気だけの球体。その中に手を突っ込み、ヒトデサボバナの蕾をぐしゃりと握り潰す。球体の中で砕けた実と葉液が混ざる。

 よし、思ったよりうまく成形せいけいすることができた。


「くっそ……やっぱ中ボスは強いぜ」


 意識がはっきりしてきたのか、頭を左右に振りながら剣を支えに立ち上がるユーリ。

 ナイトはまだホロウと戦っている。


「ユーリ! ナイト! 頭を低くしろ!!」


 こういう賭けごとみたいな一発勝負は俺には向いてないんだけど、やるしかない。


暴れる風エアブレイク


 いまの俺ができる最大限の魔力を込める。その分、勢いはあるけれど操作不能。だが、目的を果たすには十分な威力を発揮してくれるはずだ。

 ホロウに投げつけた暴れる風エアブレイクは鋭い風を巻き起こした。ホロウの注意はナイトから俺へと変わる。

 最初の攻撃同様に不意打ちをくらったホロウは唸り声を上げている。そして次の瞬間には毛を逆立て、空気を震わせた。


「ウガァァァーー」


 やっぱり2度目は効かないか。

 ホロウは俺の魔術を打ち消した。怒りに満ちた眼光が俺を突き刺す。


「来るなら、来いっ」


 足が震えているが、ここで逃げるわけにはいかない。

 地をえぐるようにったホロウが真っ直ぐ、俺に向かってくる。恐怖でまぶたが勝手に閉じようとする。


『目を閉じないでください。相手を見ないと、攻撃することも、かわすこともできません』


 弱点を聞いた時、俺の作戦を聞いたナイトが「どうしても戦うというならば」と言われた言葉。

 ぐっと目元にちからを込める。そのまま真っ直ぐに向かってくるホロウを見返し、左足で地面をけり、大きく右手を振りかぶる。


「当たれぇぇ!!」


 至近距離にせまるホロウの顔に向かって、ヒトデサボバナを混ぜた風の球体を投げつける。

 大きく口を開いたホロウの中へ球体は転がって、パチリと割れた。その瞬間に広がる濃厚な腐敗臭ふはいしゅうが広がった。


「グギャアアアァァ」


 ホロウの痛みにうめく声が響きわたった。


 ヒトデサボバナの難点。

 それは。綺麗な花を咲かす代わりに、腐敗臭を放つ。花を咲かす前の蕾は、その凝縮された蜜のかたまりである。


「はぁ、はぁ……」


 図体がデカくてまとが大きくて助かった。

 すべてに置いて能力が上がった獣。力も視覚も聴覚、そして嗅覚も例外じゃない。

 獣の多くは嗅覚で獲物を捕獲したり、場所を把握したり、多くの役割を担っている。その嗅覚を狂わせられたら、どんな獣だって、ただじゃすまない。


「ぐえぇ。くっせ!」

「ゴホッ……」

「ユーリ! ナイト! いまだ!!」


 ホロウから溢れたヒトデサボバナの臭気にむせている2人。

 でも、この絶好の機会を逃すわけにはいかない。

 いま、ホロウは平衡感覚がおぼつかなくなってすきだらけになっている。硬化状態も解けている。これなら剣の刃が弾かれることはない。


「ホロウのノドを……狙えっ!!」

「はいっ」

「わかった!!」


 ナイトとユーリが交差するようにホロウのノドに刃が走らせた。

 あれほどまでに圧倒的だったホロウのノドは、あっけなく裂かれた。そこからどろりとうみのような紫黒しこく色の液体があふれ、こぼれ落ちる。


「くぅぅん……」


 数秒前まで凶暴な姿とは裏腹に、とても悲しげな声でホロウは鳴き崩れた。

 倒れたホロウのカラダからは黒いきりのような影が抜けていく。


「邪気、か…?」


 俺たちの体力は限界だった。

 地面にへたりこんだ俺たちは、黒い霧が上空へ漂い、どこかへ流れていくのを追いかけることもできず、ただ見上げることしかできなかった。


「オレたち……勝ったんだよな?」

「あぁ……」


 いつの間にか邪気と思われる黒い霧は消えていた。

 呆然としているとキラキラと瞬く、木洩れ日が落ちてきた。

 やっと陽が昇ったのか。そう理解するには時間は掛からなかった。


 長い長い夜だった。


「お二人とも、帰りましょう」


 俺たちの目の前に残っていたのは小さくなったホロウの亡骸なきがらだけ。


「おう!」

「そうだな……」


 戦いには勝ったけど、胸の奥のどこかに吹き溜まりができたようで呼吸がしにくくて苦しかった。

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