5・最初の試練

 ーーまだ陽は上がらないのか。

 薄暗い森の中では夜目よめがきく魔獣が有利だ。


「はっはっ……」

「大丈夫です。慌てず深く呼吸をすれば徐々に落ち着いてきます」


 目的であった彼女ーーサヴィーさんは予想通り、ホロウの巣穴にいた。

 目の前で起きた恐怖に震え、涙を流していた。

 セイ様のお話しから予想した場所にホロウの巣穴はあった。人命優先。運良く巣穴にはホロウはおらず、下手に魔獣を追い倒すよりも、彼女を町に帰すことを優先することにした。

 そうしてサヴィーさんを連れ、巣穴を出て森の外へ向かうまでは問題なかった。

 どこからともなく現れたホロウに見つかってしまうまでは。一切の気配がなかったホロウは突然、私たちの目の前に現れた。恐怖に震えるサヴィーさんを連れ、なんとか逃げ切った。

 しかし、安心はできない。狼をとするホロウの嗅覚は鋭い。長くは持たないだろう。

 そして、彼女自身も。今まで感じたこともない恐怖に筋肉は縮小し、ホロウから離れたいまも、呼吸さえうまく整えることができていない。


「あっ、あの……わたしの、ことはもう……」


 息を切らしたまま弱々しく吐き出された言葉は絶望に染まっている。それでも、染まりきらず残されたわずかな優しさが垣間見ることができた。

 セイ様も、ユーリ様も、この町の人たちは本当に良い人たちばかりだと思わざるを得ない。


「いいえ」

「でもっ……」


 すっかり血の気が引いてしまったサヴィーさんの手を取る。

 息が切れるほど動いていたにも関わらず、とても冷たくなっていた。


「必ず、サヴィーさんを連れて帰ると約束しました。だから諦めないでください」

「はぃ…」


 安心させるように微笑むと、彼女はくしゃりと顔をゆがめ、手を握り返した。

 気力はまだ残っている。彼女はまだ走れる。

 戦いでの気持ちこころは重要である。実力差があっても勝てると思えば、実力以上の力が発揮することができる。逆もしかりで、戦いにおける局面に大きく作用する。

 しかし、彼女の気持ちを立て直したものの一般人の、付け焼き刃。長くは持たない。

 現状は思わしくない。人を守りながらホロウから逃げ切る。

 これが集団任務であれば可能性はあったが、単独ひとりでは不可能に限りなく近い。


『あなたはお人好し過ぎて心配だわ。だって損な役回りばかりもらってくるのだもの』

 

 姉の言葉が頭をぎる。

 それでも私にはサヴィーさんをひとり残して自分だけ帰る選択肢はなかった。彼らの約束をしたと言うこともあるけれど、根底にある騎士としての矜恃きょうじを捨てることができない。


「サヴィーさん。振り返らずに走ってください」

「えっ……きゃー!!」


 驚きの声を上げるサヴィーさんの身体を強く押す。


 ギンッと鈍い音と同時に重い衝撃が全身を走った。

 視界いっぱいに迫る、大きな牙。

 考える間もなく手にかけた剣の刃が大きな牙とギリギリとせめぎ合う音を立てている。制するのが精一杯だった。一瞬でも気を抜けば、この均衡は崩れるだろう。

 目の端に座り込んでいる彼女が入る。


「早くっ! 走ってください!!」


 私の言葉にサヴィーさんはハッとしたように走り出した。

 通常の中型魔獣であれば押し返すことができるのに、びくとも動かない。

 想定外の邪気の影響。王都から遠く離れたこんなところまで広がっているなんて。

 全く予想も対策も準備もしていなかったことが今更ながら後悔の波が押し寄せる。

 そんな弱った私の気持ちを突いたかのように、一層、重くなる牙。己の意思に反して、ずるずると後ろに下がっていく身体。


 圧倒的な力の差だ。

 ここで私は終わってしまうのだろうか。どうか、彼女が逃げ切れますように。


 そう願わずにはいられなかった。





 人影に迫る大きな影を視界にとらえた。 


暴れる風エアブレイク


 ビュンビュンと空気を切る音が鳴り、木々の上部を中心に切り落とす。

 荒れ狂う風に樹木が混ざり、ホロウを上から矢のように襲う。

 ホロウの意識は目の前の人間から暴れ回る風と降り注ぐ樹木に変わった。


「ナイト! 逃げるぞっ」


 呆然としているナイトの手を引き、魔獣ホロウから離れる。

 夜闇で隠されていたナイトの服は近くで見るとボロボロに汚れ傷ついていた。額には血が滲ませている。


「セイ様……」


 咄嗟とっさに発動させた魔術・暴れる風エアブレイクはひと通り暴れてくれた、もう消えてしまった。

 やっぱり継続的な操作が難しい。

 いままで人を傷つけてしまうほどの威力があるため使わないようにしていた。

 いまさらだが、もう少し使いこなせるようにしとけばよかったと思わずにはいられない。


「なぜ、ここに……」


 ナイトは夢を見ているようかのような呆然と俺を見る。


「説明はあとだ、それに」


 ホロウの意識は再びを人間おれたちに向けられた。

 薄暗い森の影の中に紛れていると言うのに、もう捕らえられている。その威圧感に足がすくみそうになる。でも、止まったりしない。なぜならーー


「俺だけじゃない。ユーリもいる」

「うりゃぁぁ!!」


 空を飛ぶようにユーリが雄叫びをあげる。

 その着地点にいるのはホロウ。ユーリが振り下ろした剣は、ホロウの頭に向けられている。

 攻撃が当たったと思った瞬間、ガキンと鉱物に弾かれたような音がした。


「うえっ!? まじかよ!!」


 さすが、変異型魔獣と言えばいいのだろうか。

 ユーリ自身は弱いと嘆いていたものの、ユーリは強い。ただの獣であれば斬りこめたはずなのに。

 中型魔獣だという、いま目の前にいるホロウは、大木のような大きさがある。町で話していた大型魔獣という見立ては、ある意味合っていた。中型から大型へ体格も変わり、体全体から溢れる禍々まがまがしい魔力。

 これが邪気による影響なのか。

 攻撃を弾かれたユーリは近くにある樹木の枝を利用して、すかさず距離をとった。目線を外さないようホロウと向き合いながら距離を測っている。

 ユーリの発言すべてに根拠がないわけじゃない。

 こんな田舎町には不釣り合いな知識と戦闘能力がユーリにはあるのだ。それらをユーリ自身も俺も説明できないだけ。


「セイ様、ユーリ様を連れてお逃げください。ここは私が……」

「無理。傷だらけの状態でなにを言っているんだ」

「しかし」

「サヴィーにはさっき会えた。助けてくれてありがとう」


 ナイトにそう伝えると、ナイトは困ったような表情から、ほっと安堵の息がこぼした。


「いいえ……お役に立ててよかったです」

「それから町に戻ってもらって、町のみんなに避難壕ひなんぼうへ逃げるように伝えてもらうようにしたから。もう大丈夫だ」


 ここに向かう途中、泣きながら走るサヴィーと会うことができたのは神の采配さいはいか。

 なんにせよ、サヴィーをなだめるよりも使命でんごんを持たせた。

 それはサヴィーの足を止めないため。サヴィーもまた良い人間で、罪悪感にむしばまれてしまわないようにしたかった。


「ですが……」

「そこまで」


 誰も彼もが災厄であった。その中に残る、わずかな希望をつなげていくしかない。

 ナイトはこうして俺たちがこの場にいることを、巻き込んでしまったと思っているらしい。

 俺は懺悔ざんげのように迷い言いつのるナイトの言葉を止めた。


「逃げ切れたらおんの字だと思ってたけど、そうもいかないってわかった」


 こうしている間にもユーリはホロウから攻撃の受けていた。なんとか交わしているものの隙がなく、一方的に攻められているような形勢状態に見える。そしてぶつかり合う激しい音。ホロウの剣を弾く異常な強さが伝わってくる。

 このまま逃げ切ったところで、追いかけてきたホロウに町を襲われてしまえば大きな被害を引き起こすことになるだろう。

 今はユーリが注意を引き付けているものの、このギリギリの均衡状態がいつまで続くかわからない。

 そう、均衡状態なのだ。


「地形を理解していて才能ちからがあるユーリと、わずかながら魔術が使える俺。そして、魔獣知識と経験があるナイト」


 頭に浮かんだ言葉を口に出して整理する。

 そして手に魔力をこめると、ほんのりと光り出す。

 治癒術。酷なことだと頭のどこかで理解しながらも、ほどこす先はナイト。時間もないし完璧な治癒はできないが、動きに支障をきたす大きな傷を中心に応急処置を行う。

 これしかないのだ。


「3人が力を合わせればこのホロウをどうにかできる。だから力を貸してくれナイト」


 根拠なんてない。

 だけど、俺の無謀とも言える提案にナイトは「もちろんです」と力強くこたえてくれた。

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