3・異変


 ざわりと毛を逆撫さかなでるような不快感が走った。


「ん……?」


 唐突とうとつに、現実へ引き戻される。

 ぼぅっと視界に映る部屋は真っ暗だった。しんと静まり返っている。窓から射す月明かりから、夜が深い時間であることをなんとなく理解する。


 一度寝ると、なかなか起きない人間なのに。


 やけに目が冴えていた。寝起きは悪い方ではないが、変な胸騒ぎして落ち着かない。

 そのまま寝直そうという気分にもなれず、台所に水でも飲みに行こうと起き上がろうとした瞬間。


「ウガァァァーー」


 突然、聞いたことのない獣の咆哮ほうこうが響いた。

 地面が波紋はもんえがくようにぐらぐらと何度も大きく揺れる。そのあとすぐに樹々がぎ倒されるような音が聞こえた気がした。世界が揺れるような振動に耐えているうちに、いつの間にか揺れも、音も、途切れていた。


「なにが……起きた?」


 いまさっき聞こえた獣の咆哮は夢だったのではないかと思うほど、部屋は静まりかえっている。

 数刻前に自分の身に起きたことが受け入れがたく、まるで夢を見ているような非現実感。

 それでも心臓はきしむぐらいドクドクと胸を強く打って、その考えを否定している。


「どうした!?」

「みんな、大丈夫かっ」


 外から叫ぶような声が聞こえはじめた。

 そこで、いま起きていることは夢ではなく現実であるとじわじわと理解しはじめる。風で揺れる静かな葉音を奏でる夜に起きた異常な状況に町の人々が外に集まり出したのだ。ざわめきが大きくなっていく。


「・・・」


 どれくらい経ったのか、感覚が狂う。

 手からじわりと汗がにじみ出ている。

 落ち着けと脳内で指令を出しているけれど、なかなか身体は言うことを聞かない。何度か深く呼吸を繰り返しているうちに霧が晴れるように情報が整理される。


 リマジハは地方のさらに奥にある町のため、働き手を言われる若者の数が限られている。

 そして俺は治療術師だ。

 震えそうになる足に力を込めて立ち上がる。マントを羽織り、外に出て緊迫した声が行き交う方へ向かった。


「セイ!」


 町の中心に位置する広場に住人たちが集まっていた。多くはない若者の中でも中心人物的なティムは目が合うと手を上げ、俺を呼んだ。


「大丈夫か」

「あぁ」


 お互いの状態を確認し合い、無事を確認できると、そこから周囲へ目線を動かす。

 それぞれ不安そうな顔をしているが、怪我人がいる様子はない。

 知らない内に気を張っていたのか、ほっと身体からちからが抜けた。


「みんな無事でよかった。一体、なにが起きたんだ?」

「それがまだ……」

「とりあえず、いまは人数確認をしながら状況を確認している。いまのところ、怪我人はいない」

「そうか」


 それからティムの指示をもとに、町の周囲を確認する者と広場で待機している者に分かれた。

 俺は広場で待機することになった。大怪我というほどではないが、避難する際に転んだりしてしまった人を治療しながら周囲を警戒する。

 不安そうに言葉を交わす人々の声があるものの、町はしんと静まりかえったままだった。

 それでも俺の心は安心できず、落ち着くことがなかった。町全体を揺るがす獣の咆哮があったにも関わらず、まったく被害がないのは不自然すぎる。


「セイっ! あなた、サヴィーを見かけなかった!?」


 考えこんでいた俺を現実に引き戻した孤児院の院長マザーだった。俺の服を掴んだ、その指はひどく震えていた。


「サヴィー……いないんですか?」


 マザーの青ざめた表情に引きずられるように、ノドがかわいた。うまく声が出ない。言葉にすると、じわじわとその意味の怖さが胸の中に広がっていく。

 俺の答えにマザーは一瞬、目を大きくし、顔をこわばらせた。


「え、えぇ。獣の声が聞こえてすぐに院の子を集めた時には……いなくて……もしかしたら思ったけど……広場ここでも見当たらないし……あなたのところにもいない、なんて……な、何かあったら…わたくしは…」


 最初は冷静に状況を説明しようとしていたであろうマザーだったけれど、後半になるにつれ、声が小さくなり、ほの暗い底に落ちてしまったような悲壮感を漂わせはじめた。


「マザー、落ち着いて。サヴィーはしっかりしているからきっと大丈夫ですよ」


 引きずられてはダメだ。

 震えての止まらないマザーに安心させるように極力明るい声で言葉をかける。


「そうね、あの子に限って…」


 そうだ。サヴィーは規則を破るような人間ではない。


 ユーリといるとどうしても気心を分かっている者同士なので、時々、幼く見えてしまうこともサヴィー。

 しかし、ここ数年、孤児院の中では年長者になり、お姉さんとして頼られていた。


「そうですよ」


 マザーは自分自身に言い聞かせるように小さく頷いた。そして俺自身も。


 それでも、不穏な未来が頭を過ぎる。


 大丈夫。そんなことが起きるはずはない。

 サヴィーは自分勝手に規則を破るような人間じゃない……破るとしても、なにかしら理由があるはずだ。


 そう考えた瞬間、ある考えが頭を過ぎる。まさか……。


 家屋の奥にあった暗い空が白みはじめた同時に、町の周囲を確認した人員が帰ってきた。


「大変だ。カシュリの森がえぐられたように木々がなぎ倒されていた」

「残されていた足跡は見たこともない大きさで……大型かもしれない……」


 口々に状況共有するが、どれも不安を増すものばかりだった。


「大型魔獣、なのか……?」

「まさかっ!? このあたりに魔獣、しかも大型だって!?」

「そうだ。いままで出現したとしても小型だっただろう!?」


 貴族の休養地としても選ばれるリマジハは『平和ボケしている』なんて言われるぐらい魔獣の存在とは無縁だった。自然豊かで、魔獣が出現するとしても小型。中型でさえ出現することはまれの稀で、長生きしているじっちゃんばっちゃんさえ実物を見た者は片手にも満たないほどだ。

 そんな環境の中で暮らしている俺たちに、動揺が起きるのは当然のことだった。


「なんで……」


 ポツリと落とされた声のぬしはユーリだった。

 どんな状況であっても謎の自信で顔を出すユーリにしては珍しく、すこし離れたところで暗くうつろな表情を浮かべている。

 それは前例のない大型魔獣への出現に対する恐怖とはまた違う、怯えに似たなにかを恐れているように見えた。


「ユーリ? なんでそんな離れたところにいーー…」

「おいっ! これ、見ろよ!!」


 ユーリに声をかけようとした時、転がるように慌てて駆け込んできた男が持つポーチには見覚えがあった。


 サヴィーにあげた採取ポーチだった。


 治療院の手伝いをはじめた時、とりあえず俺の使い古した採集ポーチを渡した。熱心に手伝いを続けてくれるサヴィー。

 だから「新しいポーチを買おう」と提案した。

 地方の小さな町で、働き口が少ないとは言え、決して給金も良いとは言えない仕事。

 それでもサヴィーはなまけず、真面目に手伝ってくれた。その気持ちが嬉しかった。だから気持ちの恩返しのような提案。それにサヴィーも色味のある可愛い方が喜んでくれると思った。

 なのにサヴィーは「ただの手伝いなのに新しいポーチは使えない」そう言って、かたくなに断り続け、ほころびが出来れば、裁縫で直しながら大切に使ってくれていた。


「これは……どこに、あった?」


 震えそうになる声にちからを込めた。

 しかし、みな目をらした。

 多くない町の人口だ。これが誰のものか、なんてみんな気付いている。


「カシュリの……森」


 はじかれたように俺の足はカシュリの森へに向かっていた。

 しかし、それ以上、足を動かすことはできなかった。


「セイ。馬鹿な真似はするな」


 ティムが俺の腕を掴み、引き止めた。


「そうだ。悔しいが…俺たちにはどうすることもできない」


 周囲にいた町のみんなも、ティムに呼応するように俺の引き止める。その表情は悲痛な表情をしていた。


 言われなくてもわかっている。

 戦闘訓練も受けたこともない自警団がリマジハ唯一の戦闘集団にもなる。名だけの素人集団。一度も経験したことがない大型魔獣と戦えるはずもないことは一目瞭然の現実。なすべもなく、目の前に突きつけれた現実に打ちひしがれるしかない。

 そんな時、予想外な声が聞こえた。


「あの、すみません……そこに血痕けっこんはありましたか?」


 小さく手をあげたナイトが俺たちに問いかけてきていた。

 でも、その内容はあまりにも無神経な質問。どこにもぶつけられなかった感情の糸が切れた一人がナイトの胸ぐらを掴みかかる。


「おぃ! 余所者よそものが! 王都の騎士だかなんだか知らねぇが、物を知らない田舎者だと馬鹿にしてんのかっ」

「いえっ……そ、そうではなく、て……」


 穏やかな田舎暮らしで争いごとは無縁だった俺たちにとって、目の前に起きている光景をどうするべきなのかわからなかった。

 緊迫した空気。救いの見えない状況。誰もが限界だった。

 でも、俺にとっては落ち着きを取り戻すキッカケになった。


「みんな、落ち着くんだ。ナイトがこんな発言をするには何か理由があるはずだ」


 気づけば、締め上げて苦しげな声を出すナイトと男のあいだに割り込むようにして止めていた。


「セイ、さま


 争いごとが不得意であるはずのナイトがこんな状況で発言するのはおかしい。

 出会って間もないけれど、ナイトは純粋で、任務に真摯で忠実な、誠実な人物であることを俺は知っている。


「そうだろう? ナイト」


 ナイトは俺と視線が合うと、こくりと頷いてからくちを開いた。


「はい。私は同じ鳴き方をする魔獣を知っています。名はホロウ。狼をとする中型魔獣です」

「馬鹿な。中型魔獣が地に穴を開け、あれだけの樹々をなぎ倒したっていうのかっ」

「なにも知らないと思ってっ」


 納得できない人がいるのは当然だ。中型魔獣の大きさは、牛ぐらいと聞いている。

 周りが指摘している通り、広範囲にわたる影響を与えるほどの脅威になるはずがない。

 かと言って、この状況でナイトが嘘をつくはずがない。

 ナイトは周囲の反応に迷いを見せたものの、意を決したように閉ざしていた唇を動かしはじめた。


「実は……数ヶ月前より王都周辺では異常な力をもつ中型魔獣変異型による被害が報告されていました」

「なっ」

「そんな!?」

「もちろん我々、騎士団で対処して事なきを得てきましたが……ついに大型魔獣による被害が出始め……神託を……勇者を任命することに……申し訳ありません!」


 ナイトは深々と頭を下げた。


「ここ、セキトウ地方はそのような異常報告もなく、この情報は皆様に不安や混乱を与えかねないと判断し内密にしておりました」


 その場にいた町人は言葉を失った。

 まさか、本当にユーリが語っていた空想ものがたりが現実に起きるなんて理解していたようで、みんな分かっていなかった。


「……ナイトが謝る必要はなんてない。それにナイト個人の判断じゃないんだろう?」

「ですが……」

「それより今は、目の前のことだ。話し合うのはそれからでも遅くない。そう思ったから俺たちに聞いたんだろ?」


 いまはこの状況を判断することができるナイトの知識が必要だ。


「……はい。変異型は凶暴化しますが、本来の性質はそのままです。血痕がないのであれば、巣へ持ち帰られているはず。この時期は繁殖期になり、子に与えるにされた可能性が高いと考えます」

「つまり、まだ生きている可能性がある」

「はい。無傷ではないでしょうが、現場の状況から考えると致命傷は負ってはいないかと…」


 どこか安心したような安堵の空気が流れると同時に、だれが助けにいくのか。言葉にしなくても、だれも及び腰に探り合いをしている。

 それは俺自身も。勝手に腕が震えている。言い知れぬ恐怖が体全体を覆う。


「中型魔獣のホロウであれば、私ひとりで討伐とうばつすることができます。どなたか森の入り口まで案内してもらえないでしょうか?」


 しかし、ナイトは違った。

 繊細で弱々しい表情は一変して、その瞳には揺るがない強さが込められている。付き合いもわずかしかない小さな町の少女のために。もしかしたら自分は騎士だという信念があるのかもしれない。


「俺が案内する。それに治療できる奴がいた方がいいだろう?」

「ありがとうございます……」

「礼を言うのはこっちだろ。それにまだ終わってない」


 俺たちはカシュリの森に向かった。

 ナイトがいくらなんでも強いとしても、大型魔獣同等の強さをもつ中型魔獣に勝てるのか。信じていないわけじゃないが、ナイトなら責任から出た言葉だとしてもおかしくない。

 もしかしたら俺たちを安心させるために言ったのかもしれないと、察することはできた。ならば、一緒に行動する自分自身の危険性におのずと答えが出る。


 ーー怖くないわけじゃない。

 ただ、目の前で起きたことを、気付いたことを知らないふりをすることができなかった。それだけだ。

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