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「……サ、サヴィー」
気を抜いていたところにきた衝撃は強かった。
自然と、視界の端にある小さな頭に手が伸びる。そうして動揺しているであろう人物を落ち着かせるように、乱れた赤髪を
「どうした?」
俺に突っ込んできたのサヴィーは、ユーリと同じく孤児院育ち。俺たちより2つ年下の妹のような存在だ。年齢の割に小柄なことを本人は気にしていて、その代わりというのもなんだが、治癒術が使えるので我が家の治療院でお手伝いをしてもらっている。
「セイ……
胸下に顔をつけたまま
「まぁ……。俺も今の今、知ったからな」
視線は思わず遠くの空へ飛ぶ。
とりあえずサヴィーの頭を
「ふっふっふっ! このユーリ様が
大きく腰をそるように胸を張るユーリ。
そんなユーリを見たサヴィーは唇をわなわなと震わせた。
「なっなんですって!? ユーリ、またアンタなのっ!? いい加減にしなさいよっ! セイを巻き込まないでよっ!」
ダンッと地面と強く踏んでサヴィーはユーリに勢いよく近付く。
勢いがあっても、小柄なサヴィーは子犬のようで可愛い
「はぁ? また、ってなんだよっ! 巻き込むとか意味不明だ! 大体、セイがオレと旅に出るのは生まれる前から決まってたんですぅ!」
「意味不明ですって!? それこそ、こっちの
「はぁぁ? 意味不明なのはお前がバカだからだ! セイや他のみんなだって、聞いてくれて理解してたわぁ!」
「きぃー! わたしがバカですってぇぇぇ!」
ーーと、水と油のように、ユーリとサヴィーは仲があまり良くない。
同じ孤児院育ちで、お互いの良いところも悪いところも知っている仲だからこそなのだろうが、年齢も近いこともあって、お互いに遠慮がないのだ。
こうした性格的には水と油だが、ユーリがサヴィーの怒りという炎に対して油を注ぐがごとく
どうしたものかと、目下で繰り広げられているじゃれ合いを眺めていると、ナイトがかなり控えめに声をかけてきた。
「あ、あの……」
「うん?」
「その……お二人は仲がお悪いようにお見受けするのですが……このままでよろしいのでしょうか?」
俺にとっては、いつもの風景だが王都からきたナイトには刺激が強かったようだ。二人の遠慮のない大きな声が上がる度にびくびくと体を揺らしている。
「あぁ。この二人はいつものことなんだ」
あまり重くならないように軽い口調で伝えてみたものの、ナイトはピシッと石のように固まり、ぎこちなく俺の言葉を繰り返した。
「い、いつも……?」
うん。ナイトは本当に近衛騎士なのだろうか?
貴族と言えば、権力争いなので目には見えない争いがあると風の噂で耳にする。でも、ナイトの様子を見ると、それらは俺たち庶民が生み出した空想話で、実際の王都では「おほほ」「うふふ」と和やかな雰囲気なのだろうか。いかんせん、この町から出たことがないので分からない。
こう考えると、俺もユーリのことを”世間知らず”なんて言えないな。
「そんなに旅に行きたいなら、一人で行きなさいよっ!」
とは言え、今日のじゃれ合いは白熱し過ぎている。たしかに、そろそろ止めた方がいいかもしれない。
さて、どうしよう。
「だーかーらー。それじゃ、ダメなんだって言ってるんだろ! お前は世界の平和を俺だけに責任を負わせるのか!? このっ人でなしめっ!」
息をのんだ音がよく聞こえた。
「ひ、人でなし、ですってぇ!?」
急速に勢いを失ったサヴィーの声は弱々しく、震えはじめた。
これは良くない流れだ。
「そうだろっ! 自分だけ安全なところにいて世界が平和になるの待ってるなんて、人でなしじゃないかっ」
「そ、そんなことは…わ、わたし以外の人だって…」
「良い子ちゃんぶってもムダだ! 結局みんな…」
考えるまでもなく、俺は近くにあった薪枝を取る。大きく振りかぶって、釜戸を叩くと、ゴィィンと
一気にこちらを振り返る二つの視線と、目を
すまん、ナイト。
「二人とも、やり過ぎだ」
まずは、この二人だ。
「だ、だってぇ……」
「俺はっ! 悪くないっ」
いまにも泣き出しそうなサヴィーに、ふてくされているユーリ。
「どっちも悪いし、どっちも悪くない」
ケンカはケンカ両成敗だし、正直、言い過ぎたのは良くないと思うが、サヴィーは俺を思ってのことだし、ユーリだって、なんやかんや言って「勇者になれ」なんて使命は重いはずだ。
「うー……」
「でもっ」
「でも、も、
言葉を区切って、ふーっと息を吐く。
サヴィーの目線に合わせるように
「サヴィーだって分かってるだろ? これは王令だ。たまたまユーリの言葉が当たってただけだ」
瞳が
「たまたま、じゃない」
サヴィーに引きずらたのか、すっかり気落ちしたユーリは小さく反論する。
「そうだな」
想像力が豊か過ぎるユーリの言葉は周囲を混乱させることがある。
それは必ずしも善ではなく、純粋ゆえに時として人を傷つけてしまう。
「でも、前にも言ったけど、お前の言葉は誤解させてしまうこともあるし、混乱だってさせてしまうぐらい影響力があるんだ。
理解できないからと言ってそれを
相手が理解できないこともあると、ユーリも理解しようとしなくちゃいけない。前々から言ってるだろ?」
「くっ……。そうだ、な!
あー! お前、たまに俺より年上っぽいことって言うか、主人公っぽいこと言うなよー」
ユーリは苦虫を潰したような表情をした後、主人公とか、急に御伽噺を引っ張り出し、よくわからないことを言い出した。とりあえず、理解してくれたならばそれでよし。
「言いがかりみたいに責めて……ごめん」
「俺も言い過ぎた……」
二人はもごもごと口を籠らせながらも謝罪を口にしていた。
でも、これで一件落着である。
「セイ様……!」
そして、ナイト。そんなに瞳を輝かすな。これは慣れだ、慣れ。そんなに
「……さてと」
湿ってしまった空気をかき消すように、パンパンと手を叩き、そっと言葉を
「
ふわりと、小さな風の精霊たちが心地よい風を生み出す。
まぶたを閉じ、深い深呼吸をすると若々しい草花の香りが流れ込み、空気が入れ替わった。
「すぅ……」
空気が
良い感じに気分転換ができた、とまぶたを開けると、ナイトの驚いた瞳とぶつかる。
「ど、どうした?」
「えぇええ
なんだそのことか。王都と地方ではやはり生活水準が違うようだ。
そのことを説明しようと口を開いた瞬間。
「詠唱? あぁ、あれか?
ユーリ。お前は少し黙っててくれ。話がややこしくなる。
「わざめ? せーじ?」
ほら見たことか、ナイトが
「ごほん。ナイト。この地域には、精霊に力を借りて行う生活魔術があるんだ」
この驚かれ方は初めてではない。
余計な言葉を発し用としているユーリの口元をしっかり押さえる。
「王都的には
俺が説明している間、諦めずもがもがと口を動かすユーリに呆れつつも、ナイトの反応に、俺は以前、街を通りかかった商人を思い出した。
「古魔術を……それが使える人がまだいるなんて……」
「王都ではわからないが、この地域では、魔術が使える人はこれぐらい使えるのが普通だ」
「な、なんですってぇ!?」
すでに大きく開いていた瞳がさらに大きくなって、顔から落ちそうだ。
「と言っても、そもそも魔術が使える奴が早々少ないし、精霊の相性が合う合わないとか色々あるから説明は難しいが、所詮は生活魔術程度だぞ」
「ですがっ……」
純粋なナイトは俺に過大な評価をしているようなので、訂正する。
「俺の使える魔術なんて、さっき使った”そよ風”程度だし、ましてや魔獣を追い払えるような魔術なんて使えないぞ。あまり期待はしないでくれよ? どっちかって言うと、ナイトの剣術が正直、現在の最高戦力だと思う」
しっかり説明すれば、ナイトはハッとしたような表情をして、深々と頭を下げた。
「い、いえ。こちらこそ驚いてしまい失礼しました。確かに古魔術が残っていると聞いたことはありましたが、その、目にすることがはじめてで……勉強不足でお恥ずかしいです」
ナイトは貴族だから、にじみ出る堅苦しい雰囲気にどうもむず
「いや、こっちこそ。なんか色々と騒がせているのはこちらの方だ。気にしないでくれ」
俺は肩をすくめて、おどけてみせる。
ユーリと一緒にいるから、比較して俺はかなりの常識人に見られがちだし、この町の中であればそうだと思う。
だが、町の外では違うことは、いま証明された。
「そんなわけで、俺も常識ぶってはいるがこの町だけのことしか知らないんだ。だから、旅に出れば知らないことの方が多いと思うから、常識や作法とか、
「そ、それは、もちろんです!」
「あはは。そんなに堅苦しくなくて良いぞ。俺らしかいないし、これから長い旅になるんだから」
ユーリほどではないが、軽く肩を小突くと、ナイトは一瞬、驚いた顔をしたが恥ずかしそうに「そうですね」と返事をしてくれた。
今まで手のかかる弟という
「良いぞ、良いぞ。もっとやれ。これで女子人気が上がるぞ。ぐふふっ」
口元を押さえていたはずなのに、ユーリは俺の意識がそれた瞬間を逃さず、解放された口からはまたもや意味のわからない言葉と気持ち悪い笑いをこぼしている。
「……ユーリ。心の声が漏れてる。やるなら、もっと静かにしてくれ」
それとなく注意するが、まったく聞いていない。
「いや、でもサブクエストで発生するサブヒロインイベントでサヴィーとセイの王道ストーリーも女子人気あったしなぁ」
・・・妄想がはじまると長いんだよな。
こう言う時は、ほっとくのが一番である。
「考え事もほどほどにして、陽が落ちる前に家ん中に入れよ」
耳に届いているかわからないが、軽く声をかけて、旅の準備に戻る。
サヴィーやナイトにも声をかけて、自宅兼の治療院へと足を向けると、そわそわとどこか落ち着かないサヴィーが声をかけてきた。
「セッ、セイ!」
「ん? どうした?」
「あ、あのね。わたし、その、セイが無事に帰ってくるように毎日、お祈りするわ! ずっと、ずっと、セイのこと、待っているからっ」
ユーリに対して憎まれ口を叩いてしまうような元気なサヴィーだが、一転、お礼を言われたりすると恥ずかしがるような年頃な女の子である。なかなか素直に言葉にしにくいらしく、俺を心配する言葉さえも頬を赤く染めてしまうほどだ。
「ふっ。ありがとう。そう言ってもらえると俺も頑張れるよ」
いつものように頭を撫でると、恥ずかしいのか、ますます頬を赤くした。
「せ、セイ! あ、あの勘違いしないでね! べ、別にわたしは…」
「分かってるよ。ユーリのことも、みんなのことも心配してくれてるんだよな?」
「まっ、まぁ。そうなんだけど、でも、一番は……」
目線をそらして、口をもごもごと動かすサヴィー。
こんな風に素直になれないところはユーリに似ている。
「サヴィーは本当に優しいよ。お嫁さんにしたいと言うみんなの気持ちがよくわかる」
「ふへぇ!?」
「俺も、いてくれたら嬉しいしね」
そう褒め称えると、口をパクパクと動かした後に「わたしっ帰る!」と駆け足で去ってしまった。
たぶん、褒め言葉に照れてしまったのであろう行動が可愛らしい。くすくすと声を漏らして笑っていると、やけに落ち着きを取り戻したナイトが「無意識、なんですよね?」と言ってきた。
「え? 何がだ??」
「いえ。すごいですね、セイ様は……」
そして、なぜか遠い目をされてしまった。
それから「王都に伝聞を伝えなければいけないのでわたしはここで失礼します」と、今まで見たこともないような洗練された動きで礼を取り、宿泊場所へと戻っていった。
そしてユーリはと言うと……
「なぁ、なぁ。準備できたか?」
妄想もひと段落したらしく、またしても、俺の周りにうろついては進捗状況を聞いてくる。まるで遠足前の子供のようだ。
「あぁ。治療院の引き継ぎ書も残したし、あとは旅に出るための道具を選定するだけだ。心配しなくてもちゃんと旅に出るから、お前も孤児院へ戻って、チビどもの相手でもしてやれよ?」
ユーリとチビどもとは、何か通ずるものがあるらしい。俺から見ても、とても人気があると分かる。
「うーん」
「手伝わないなら、ほら帰った帰った」
軽く背を押しながら、部屋から追い出す。
ユーリは「もう急かさなくても大丈夫だ」と確信を得たようで抵抗なく足を進め、最後に「寝坊するなよ!」と言って、帰っていた。
「それはお前の方だろが……まったく」
届くはずもなく、届けるつもりもない反論。だが、胸には温かな気持ちが湧き上がって、笑ってしまう。その心地よい気持ちのまま、手を止めずに続けた準備は、旅先でも使えそうな器具をいくつか選定してカバンに入れて終わった。
「ふわぁー」
あくびをひとつこぼす頃には陽は落ち、空に星が瞬きはじめている。
俺はいつも通り、夕食を食べ風呂に入り、そして気楽に寝れる最後のベットに横になる。
怒涛と言える一日を過ごした俺の身体は思っていたより疲れていたようで、あっという間に深い眠りに落ちた。
次に目を覚ました時、俺を待っていたのは暖かな陽射し・・・ではなく、
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