第48話 犯人

 ジャーンドルと魔族が起こした反乱は鎮圧された。甚大な被害が出た学院も復興と同時に授業は再開し、心配して駆けつけてきた貴族たちが戦乱の跡を横目に騒ぎを起こしている。


 事件は終わったようでいて、何も終わっていない。


 俺はイレーンと共に、その場所を訪ねた。ある校舎の最上階の廊下の突き当りにある空き教室。入り口には二人の男が門番のように立ち、入室を許されたその先には従者を従えて優雅にコーヒーを飲む王女──アンドレアが座っている。


「イレーンを殺そうとしてたのはお前だな」


 俺が言うと、アンドレアは表情を変えずにコーヒーを飲み続け、ゆらりとカップを置いた。


「そうよ」


 何の躊躇いもなく認めたか。魔族との戦いで出来たであろう新しい傷を顔に付けた従者が、俺たちの分のコーヒーを用意する。


「それよりモノル・ドーラはどこに匿ったの?」


「ザヒール家の兄弟のように殺すつもりですか?」


 イレーンが率直に切り込んでもアンドレアに一切の動揺はない。それどころか俺たちに視線で座るように促してきた。当然、俺たちにゆっくり椅子に座るつもりはない。


「知りすぎた子は殺すしかないでしょう」 


 至って平然と言い切った。今までのほんわかした雰囲気は同じなのに、イレーン以上の冷たさを感じる。


「唆したのは自分だろ?」


「そうね。でも、最後に牙を剥いたのは彼女たちよ。モノル・ドーラは復讐を果たせないどころか、レヴェンテから助けてもう一度機会をあげたのに何故か復讐をやめ、ザヒール家の兄弟はイレーンをイジメて学院から追い出すこともできず、それどころかつまらない自尊心を守ろうと魔力暴走を盾に、仮にも王族であるイレーンを脅そうとした。殺されても仕方ないと思わない?」


 派閥争いの過程で起こったイレーンに対するイジメも、元を正せばアンドレアの仕業だったのか。


「なんで力技に頼る。王女ならもう少しいいやり方があるだろ?」


「ないから困ったのよ」

 アンドレアは深々と溜息をつく。

「イレーンを学院に通わせる判断は、お父様の明らかな失策だった。イレーンの魔力暴走が公になればどうなるか、今さら説明するまでもないわね? だからイレーンを排除しようとしたの」


 そこで、アンドレアは唇を湿らせるようにコーヒーを口にする。


「イレーンのことは嫌いじゃないのよ? むしろ好ましく思ってる」


 少し前まで疑っていなかった言葉が、途端に嘘臭く感じる。アンドレア自身の態度や表情、口調は何も変わっていないのに、唐突に得体の知れない生物に見えてきた。


「自分の立場を分かって日陰で暮らすのも、人目がないのに臣下の立場で私と話すのも、もはや尊敬に値するわ。それだけに、娘可愛さで誤った判断を下したお父様を恨んだ。魔力暴走という厄災がなければ、私たちはどれほど素晴らしい姉妹関係を築けたか、今でも夢に見るの。だからこそ、殺すだけではなく学院から追い出すという道も用意した。流石のお父様もイレーンが泣きつけば王宮に呼び戻すでしょうし」


 俺はちらりとイレーンを横目で見る。こっちもこっちで平然としているのは姉妹らしい。考え方も多分、似たような感じだ。


「でも、イレーンの処遇についてはまた後日にしましょう。それよりモノル・ドーラはどこに匿ったの? イレーンの魔力暴走を知る者は生かしておけないわ」


「お前たちの手の届かない場所」


 俺のその言葉だけで、アンドレアの眉がぴくっと反応した。


「日の沈む地ね。なるほど……分かったわ。それならレヴェンテ、あなたに命じます。今ここでイレーンを殺しなさい」


 とんでもない奴だな、王女アンドレアは。ここで俺を抱き込みにくるとは思わなかった。


「ドーラは匿ってる。そう言った筈だけど?」


「一族の立場が分かっていて? フェイェールの一族の望みは恩赦だそうね。さて、大罪人ジャーンドルを出したあなたたち一族に、恩赦が下賜されると思う?」


「口利きするから殺せと」


 作ったのか心からなのか分からない笑顔を、アンドレアはうっすら浮かべる。


「理解が早くて助かるわ」


「断るね。第一、王女にそんな権限ないだろ」


「そうかしら。従う人間がいればなんでも手に入るのよ……なんでもね」


 背筋に寒いものが走った。


 邪魔になれば父親である国王ですら排除する。そう言外に匂わせているつもりか。


 俺たちはアンドレアを侮っていた。分かっていたのにもう一度痛感する。これが妹すらも殺そうとした王女アンドレアの覚悟なのか。イレーンですら声を洩らして驚いていた。


「……でもそれだけ俺たちの力が必要だってことだろ? 今後の魔族との戦いを考えると」


「そうよ。でも肝心なところを分かっていないのね」


 アンドレレアは首を振り、立ち上がった。机に手を滑らせながら俺に近づき、目の前で止まる。


「私は魔族の恐ろしさをこの目で見た。百にも満たない魔族相手に学院は半壊し、この国では到底魔族に太刀打ちできない現実を実感した。だからこそ、フェイェールの一族への恩赦を確約できる。でも、お父様はどう?」


 アンドレアの言いたいことは分かる。


 国王がどれだけ魔族の脅威を理解しているかは不明だ。俺が元々恩赦を期待していないのだって、数百年間魔族と戦ってきた功績を無視されてきたからだ。その点、アンドレアは早くからアルトゥールに魔族と戦わせたりと対策を怠らなかった。王族の中で最も魔族の脅威を理解しているのは間違いなくアンドレアだ。


 ただ、アンドレアは根本的に勘違いをしている。


「分かってないのはそっちだよ。イレーンは殺さない。そして、お前たちは恩赦を出さざるを得ない。なんでか分かるか? 俺たちがお前らより強いからだよ」


 俺が初めて王城に出向いた時、偉そうにしてきた上級魔術師にこう返した。


 だからなんだよ。殺すのか? 無理だろ。


 その言葉が、俺たちとこの国の関係の全てを現している。


 流刑に処された当時ならいざ知らず、堕落したこの国と魔族と戦い続けたフェイェールの一族では、もはや勝負にならないほど力の差ができている。玉座だって取ろうと思えば簡単だ。それはしなかったのはひとえに、フェイェールの忠誠心の賜物だ。少し前の俺ならその忠誠心に習って鉾も納めただろう。でも、今は違う。


 ジャーンドルは死んだ。


 一族を思って死んだ。俺は一族の歴史や忠誠なんかより、一族の命を守りたい。その結果、この国に剣を向けることになろうとも、俺は一向に構わない。


「お姉さま」


 イレーンが、アンドレアの呼び方を変えた。俺は脇に退き、イレーンとアンドレアを正面から見合わせる。


「本当に私を殺していいの?」


「どういう心変わりかしら、イレーン」


 横から見ると、母親が違うからそっくりというほどじゃないけど、姉妹というには十分すぎるほど二人は似ている。それも最初はイレーンが姉でアンドレイアが妹のように見えていたのが今や逆だ。アンドレアは幼い顔立ちの割に涼しげな雰囲気を漂わせ、イレーンの方が何故か穏やかな雰囲気を醸している。


「確かに今の私は魔力暴走という危険を孕んでいる。でもそれは、フェイェールの一族に唯一対抗できる力を持っているという証。その私を、本当に殺していいの?」


「あなたが十六年間制御できなかったから、こうなっているのではなくて?」


「制御できるようにする。それにレヴェンテが抑えてくれる」


「あなたはどんな立場からそれを言っているの?」


「アールパード・イレーンとして」


 アンドレアが押し黙る。これは交渉じゃない。俺にとってはただの宣言で、イレーンにとってはお願いだ。ふと目に入ったカップの黒い水面から湯気が上っている。従者の生徒は顔の他にも手首に傷を負っていた。


「……何故失敗したのかしらね」


 ふと、アンドレアが呟いた。


「自分の手を汚すべきだったな。自分で殺そうとしてれば、イレーンを確実に殺せる機会は何度でもあった。なのにしなかった。ついでに言うと魔族とも戦わなかった。結構魔術使えるのにな」


 他の奴らと違って、アンドレアは綺麗すぎた。怪我をしている従者とは違い、アンドレアは無傷どころか毛先のほつれすらない。魔族が攻めてきたときもずっと奥にいたんだろう。


「王女よ」


「そもそもが魔力の多い一族だろ。だから当時の王弟の流れを組む俺たちも魔力が多い。それで弱い、戦えませんってのは考えづらいな」


 魔力の多さはそのまま魔術の試行回数に繋がる。ちゃんと努力していれば、魔力の多さとは即ち魔術の上手さだ。俺の感覚だとアンドレアの魔力量はこの国でも屈指だろう。フェイェールの一族と比べても遜色はない。必然的に、アンドレアはこの国でも最上位の魔術師だ。


「ま、そのお蔭で妹を殺さずに済んだんだ。いいじゃねーか、それで」


 そもそも、アンドレアはイレーンを本気で殺すつもりはなかったと思う。


 本当にイレーンを殺したいなら、殺しの素人であるドーラに頼らず、それこそ上級魔術師を始めとした専門家にイレーンを殺させれば良かった。どう考えてもそっちの方が確実だ。


 それなのに、アンドレアはドーラを使った。勿論イレーンが死んでも構わないと思っていたのは間違いないだろうけど、アンドレアの目的はあくまでも、イレーンをザヒール兄弟にイジメさせて学院から追い出すことにあった。ドーラの存在はあくまでも、イレーンが王城に帰りたいと泣き言を上げやすくする為の脅しでしかない。


「これから仲良くしていけよ、今からでも遅くないからさ」


 アンドレアは呆気にとられたよう顔をした。それからふっと表情が和らぐ。


「……そう思う?」


「お互いが望めば」


 アンドレアはイレーンを見つめる。イレーンもアンドレアを見つめ返す。しばらく何もなかった。似ているよう似ていない姉妹はどちらも黙り込み、ただじっと相手の瞳をのぞき込む。


「猶予をあげましょう」


 やがて、アンドレアが言った。


「期限は私が許す限り。それまでに自分の魔力を制御できるようになりなさい、イレーン」


 一瞬だけイレーンが表情を緩ませ、しかし引き締めてアンドレアに歩み寄る。


「ありがとうございます、お姉さま」


 これで一件落着か。アンドレアが子供っぽい笑みを浮かべ、俺とイレーンに椅子に座れと手ぶりで差し示す。


「二人とも、一杯ぐらい付き合っていきなさい」

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