第42話 余波
俺の本当の任務が脱走したジャーンドルの始末ということ、そのジャーンドルが魔族を引き連れて学院を襲おうとしていること。それらを道すがら包み隠さずイレーンに伝えた。
「あなたも大変ね」
帰ってきたのはあっさりとしたものだった。
最初は人通りを避けて狭い路地を行き、時には人だかりをかき分けていたのが、学院が近づけば近づくほどみるみる人通りが減って進みやすくなる。明らかに街の住人は学院から、そこに集まる魔族から逃げていた。
「他に言うことないのかよ」
「ないわよ。私が成すべきことは変わらないんだから」
イレーンはじっと学院を睨めつける。住宅の頭越しに見える城壁の上部に変化はない。煙やらの異変も確認できないけど、まだ無事ってことはないだろう。
学院の正面にある門が見えてきた。
扉が開け放たれていた。辺りに人っ子一人いないのに、避難してくる人を向かい入れるようとしているのか門が解放されている。その前の水堀に掛かった橋には僅かな数の矢が突き刺さり、しかし一つの死体もない。
「……俺の前に出るなよ」
言って、俺は足を速めた。
地面がところどころ血に濡れている。小規模な戦闘の跡だ。ルカーチェの報告によれば、この国に入ってきた魔族は精々が数十だという。数が少ないから撃退も難しくなかったのか。
違う。門の向こうに、横たわる門扉があった。鉄で補強された木の扉の中央は大きくへこんでいる。まるで突進して力任せに扉を吹き飛ばしたような光景だ。城壁の上にも衛兵の姿はなく、戦闘の跡を残して門前は静まり返っていた。
既に魔族に侵攻された後だ。転がった門扉の向こうに学院の校舎が見える。
ようやく人影が現れた。主な戦場になったであろう庭園では生徒や衛兵が何人も歩き回っている。その足元には二十人か、三十人か、生徒の死体が散乱している。躰の一部が千切れていたり、腹や首から血を流していたり、丸焦げになったり、どれこれも圧倒的な力に蹂躙された死体だ。魔族の死骸もあるにはあるけど十体いるかどうか。
「勝ったの?」
「小休止ってとこだな」
城壁を破られた後、戦線を後退して校舎群を城壁に見立てて戦い、なんとかかんとか撃退した。そんなところだろう。今は生きている奴らを探して救助活動を行い、武器を持った衛兵が魔族の死骸を刺して生き残りがいないか確認している段階だ。
「レヴェンテか」
アルトゥールの声が聞こえた。武器を持って練り歩いている集団からアルトゥールが走り寄ってくる。
「今まで外にいたんだな。そちらの様子はどうだ?」
「狙いは学院だ。外も被害は出てるだろうけど今はいい。それよりこっちは何があった?」
「魔族が攻めてきた。百人以上死んだだろう」
自分の責任のように、アルトゥールは歯噛みした。着込んだ鎧のあちこちに真新しい傷が刻まれ、右腕に巻いた包帯には血や泥が混ざり合ってこびりつていた。
「いきなり城門が破られた。応戦はしたが逃げ遅れた生徒も多く、たった二十にも満たない魔族に大勢が殺されてしまった。我々衛兵と講師陣、有志の生徒でなんとか倒せはしたが、一体強力な魔族がまだ生きているはずだ」
状況は理解できた。攻めてきた魔族は二十以下で、一体はまだ生きている。
「また攻めてくるぞ」
「分かってはいるが、既に限界が近い」
そう言うアルトゥールの呼吸も少し乱れていた。体力的に疲れているんじゃない。この国の人間にとって初めての魔族との集団戦だ。実力以上に精神が追いつかないだろう。
「伝えたいことがある。王女はどこだ?」
「中央の職員棟に行け。殿下もお前を気にしていらした」
俺とイレーンは防衛施設として機能している校舎群を抜け、中央広場に向かった。
泣き声に満ちていた。平時は生徒が憩いの場所にしている広場に大勢の怪我人が寝かされ、ひっきりなしに人が走り回っている。それなのにすすり泣きが聞こえてくるほど一帯は静まり返っていた。俺たちはそこを突っ切り、学院の中心にある職員棟に入る。
中も同じように奇妙に静かだった。人も出払い、アンドレアの従者の男が一人廊下にいるだけだ。その男は俺に気付くと、背後の扉を叩いて中に声をかけた。
間もなく、学院長が部屋から出てきた。俺を一睨みして口を開き、しかし無言で去っていく。その襟足の先に付いた血は魔族のものだろう。綺麗に落としてはいるけど、靴の踵部分にも砂交じりの血が残っていた。
「入って、二人とも」
アンドレアが呼んでいる。俺たちは入室して、一人円卓に座るアンドレアに正対した。流石は王女様だ。どこにも争った形跡はなく、皺一つない制服を着こなしている。
円卓に近寄ると、学院の地図が広がっていた。改めてみると学院は完全な要塞だ。この職員棟を中心にして校舎群が建てられ、校舎を壁にして敵の侵攻を限定させる道を作り、様々な場所から攻撃できるような仕掛けがわんさかある。
「魔族が攻めてきた。これについて、レヴェンテの意見を聞かせて」
隠すつもりはない。俺はイレーンに話したのと同じように、ジャーンドルについて話した。アンドレアは意外にもイレーン以上に静かに聞き入れ、話が終わると椅子に座り直した。
「恩赦の件はないものと思いなさい」
「元から期待してねーよ」
「さらなる罰も下されるでしょう」
いきなりそんな話か。無駄話をしている余裕があるとは思わなかった。
「でも、全ては戦いが終わってから。戦況は聞いた?」
ほっとする。下らない詰問が始まるのかと思った。俺が聞いたと答えようとすると、アンドレが手で制した。
「いえ、聞かなくても分かるでしょう。最悪よ。イレーンの監視役である上級魔術師たちが学院にいたお蔭でなんとか撃退できたけど、多くの方々が亡くなった。特に一体、私たちではどうしようもないほど強力な魔族がいたわ」
アルトゥールが言っていた奴か。多分、城門を破壊したのもそいつだろう。
「どんな奴だ」
「報告によれば、全身が鉄でできた魔族だとか。城門を破壊した後数十人をあっという間に殺害し、気が付けばいなくなっていた。力は尋常でないほど強く、こちらの攻撃も一切通らない。カルツァグ・アルトゥールですら手も足も出なかったそうよ」
全身鉄でできた魔族か。遭遇した数は多くないけど覚えている。
「鉄はそいつの魔術だ。本体はジジイの猿みたいな魔族で、魔術で金属を操って鎧のように纏ってる。倒すのはその鎧を貫通するぐらいの強力な魔術を使うしかない」
この国の人間にとっては相性最悪の魔族だろう。人間の力では鉄を貫けない以上、魔術を使うしかないのに肝心の使える魔術の威力が弱すぎる。手も足も出ずに蹂躙されて終わりだ。
「あなたなら倒せる?」
「こいつの魔術があればな」
俺はイレーンを指差す。元々戦う気だっただろうイレーンは動じず、アンドレアだけが眉間に皺を寄せた。
「……駄目よ」
反対する理由は分かる。イレーンが魔術を使えば、それだけ魔力暴走のことが世間に知られる危険性が高まる。それに単純に妹を危険に晒したくはないだろう。
「俺が魔術を使えば、それこそ確実に暴走だ。それよりはいいだろ」
「殿下」
煮え切らないアンドレアの態度を見て、イレーンが声を上げた。
「私に戦わせてください。今、その魔族を倒せる力を持っているのは私だけです」
どのみち、イレーンが戦う以外に道はない。それはアンドレアも分かっているだろうに、中々決断は下らなかった。でも、結局は時間の問題だ。アンドレアだって馬鹿じゃない。
「……分かったわ。レヴェンテ、イレーンのことを頼みましたよ」
切り替えるとアンドレアも早かった。不安や心配なんてものは綺麗さっぱり消え、俺たちに指示を出す。
「他の魔族は衛兵以下で対処するから、二人は例の魔族とだけ戦って。夕暮れには王都から救援が到着すると思うから、それまでは耐えてちょうだい」
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