第41話 動乱

 倉庫での戦いそのものは大したことなかった。


 ジャーンドルは止めろとは言っても殺せとは言わなかった。元々弱い魔族だけを集めた足止めだったのかもしれない。戦いを終えて倉庫から出ると、街のあちこちから火の手が上がっていた。悲鳴、奇声、野太い嬌声、色々な声がそこここで響いている。


 俺は付近で一番高い建物の屋上に上り、状況を俯瞰する。


 動いているのは全員人間だ。魔族の姿がまったく見当たらない。


 道は混雑し、人々を着の身着のまま蠢いている。さらに建物から人が溢れ出し、往来の動きがどんどん滞っていく。大通りは隙間なく埋め尽くされて押し合いへし合い、退けだの怪我人が出ただの誰も彼もが喚き散らし、混乱が混乱を呼んでいる。


 初めて見た魔族の存在が、ここまで街を恐慌させたのか。


「若、何があったんですか?」


 ルカーチェが屋根上を移動してやってきた。こいつがこの街にいる日だったのが幸いだ。まだ子供とは言え、ルカーチェはこの場にいる人間の中ではジャーンドルに次ぐ実力の持ち主だ。


「ジャーンドルだ。あいつがついに立ち上がった」


「戦うんですか?」


「……ああ」


 ジャーンドルと戦うのはもう避けられない。あいつは一線を越えてしまった。国家転覆を企み、実行に移した大罪人は見逃せない。これ以上仲間に罪を重ねさせない為にも、俺がジャーンドルを止めるしかない。


「勝てますか?」


 ルカーチェの問いに、俺は首を振って応えた。


 俺にジャーンドルを止める力はない。それが問題だった。


 俺が知るジャーンドルの実力は脱走前で止まっているけど、当時ですら一族でも最上位の力を持っていた。それから数年が経ち、歳は三十前後で全盛期と言っていい年齢だ。ジャーンドルの性格を思えば脱走以降もちゃんと訓練に励んでいただろう。今まで俺が戦ってきた中でも一番の強敵のはずだ。


 対して俺は、イレーンの魔力暴走を抑える為に実力を発揮できないでいる。ジャーンドルとの実力差は大人と赤ん坊だ。勝つ可能性は万に一つもない。全力を発揮すれば勝てるだろうけど、その為にはイレーンの魔力暴走の制御を諦める必要がある。


 そしてそれは、イレーンの死を意味している。


「決断の時です、若」


 俺の心を見透かしたように、ルカーチェが言った。


 分かっている。町中を大量の蟻が這い回っているような惨状にあっても、イレーンの莫大な魔力の動きは手に取るように分かる。


 イレーンは今、俺たちの近くにいる。多分、俺を追って学院を抜け出してきたんだろう。当然近くにイレーンを知る者はなく、騒動のどさくさに紛れてイレーンを殺すのは簡単だ。


 やがてイレーンの姿が見えた。人通りを避けて路地を縫うように走っている。


 その先に、小さな魔族がいた。目、鼻、耳、口がやたらとデカい猫型の魔族だ。さらにその向こうには子供が座りこんで動けないでいる。イレーンが短剣を掲げ、勢いよく振り下ろした。


 光。雷の残像が空中に残り、硬直した魔族が倒れこむ。イレーンは子供に走り寄って助け起こすと、街の外を指差し子供の背中を押した。


 その背後に、二人組の男が現れた。


 いかにもガラの悪そうな連中だ。にたにたと笑い、手に持った刃物を見せびらかす。イレーンは逃げ道を確保するように二人組に立ち向かい、子供はつんのめりながらも逃げていく。


 好機だった。イレーンは俺に気付いていない。ここでイレーンを殺せば、あとは全力を取り戻してジャーンドルを止めるだけだ。魔族も余力で殲滅できる。単純明快、難しいことなんて一つもない。


 二人組が動いた。


 馬鹿丸出しで一直線に突っ込んでいく。あれじゃイレーンの魔術であっさり迎撃される。遮蔽もないから避けるのも防ぐのも不可能だ。両者の距離が瞬く間に詰まっていく。


 イレーンは、一向に魔術を使う気配を見せない。


「……バカが」


 俺が魔術を使っていた。岩の腕を作り出し、そのまま二人組を拘束する。イレーンが驚いたように辺りを見回すのを見て、俺は一歩下がって隠れた。


「なんで助けたんですか?」


 俺が聞きたかった。


 イレーンは子供を守る為なら魔術を使えるのに、自分の為となると途端に魔術を使わなくなる。あれなら俺が何もしなくてもイレーンは殺されていた。なのに、俺は助けてしまった。


「若にとって、一番大事なことはなんですか?」


 ルカーチェが聞いてくる。そんなものは決まっている。


 仲間だ。


 俺は仲間を守れればそれでいい。他がどうなろうが知ったことじゃない。仲間が笑い、食べ、寝て、何にも怯えない生活を送れるようにする。その為に戦ってきた。


 でも、仲間ってなんだ。


 俺の言う仲間はフェイェールの一族だ。もっと言うなら共に魔族と戦ってきた戦士たちだ。仲間を守ろうと戦っている戦士たちを、俺は守ろうと戦ってきた。そこに血の繋がりなんて関係ないし、戦ってない一族の人間なんて守る対象としては正直二の次だった。


 その点、イレーンはどうだ。


 自分でも制御できない魔力量を持ち、それゆえに多くの人を殺してきた。魔術を嫌いになって当然だ。使いたくないどころか見たくもないだろう。それなのに、人を助けるためなら躊躇なく嫌っている魔術を行使する。そんなイレーンを一言で表すなら、良い奴だ。


 同じじゃないのか。


 一族の戦士たちは、戦えない奴らの分まで戦っていた。イレーンは人の為なら嫌っている魔術を躊躇なく使える奴だ。似たようなものじゃないか。俺はそんな良い奴らが傷つかないように、苦労しないように戦ってきたんじゃないのか。


 俺は圧倒的な力を持っている。他の奴らには到底できないことでも俺ならできる。だからこそ俺は良い奴らを守ってきた、守ってこられた。


 それなのに、イレーンを殺すのか。


「俺は……バカかよ」


 それに気付いた瞬間、笑みがこぼれた。


 俺は強い。


 誰よりも強い。誰に臆することなく胸を張ってそう言えるほどの才能を持って生まれ、小さい頃から魔族相手に戦って大量の血を流してきた。


 その俺に、諦めなんて言葉はあるのか。


 答えなんて単純だ。俺は強い。だから守ろう。俺には力があるんだから、何かを捨てる必要はない。イレーンだろうがなんだろうが全てを守れる力が、俺にはある。


「ルカーチェ、学院の外の魔族は任せた。人間は無視して良いから魔族だけを倒せ」


 俺の眼を覗き込むように、ルカーチェが顔を近づけてきた。


「いいんですね?」


 こいつが俺のことを心配してくれていたのは分かっている。でも、もう大丈夫だ。俺はルカーチェの肩に手を置いた。


「任せたからな」


 俺は屋上から飛び降りた。俺を探して今にも走り出そうとしているイレーンに声をかける。


「迷子か?」


「そんなわけないでしょ」

 軽い溜息を吐き、イレーンが俺に向き直る。

「脅迫状は私宛てだったから追ってきたの。それとさっきはありがとう」


 やっぱり俺を探してきたか。ザヒール兄弟の死を話すとなると、ジャーンドルのことも伝えないといけない。今までは黙っていたけど王族のイレーンなら話してもいいだろう。


「ザヒール兄弟は殺された。敵の狙いは学院だ、戻るぞ」


「殺された?」

 イレーンが声を洩らす。

「というか敵ってなに?」


「途中で話す。とにかく行くぞ」

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