第40話 脅迫

 学院に戻ってくると、城壁の上でイレーンが待っていた。


 ジャーンドルを殺すには、その前にイレーンを殺す必要がある。でも肝心のジャーンドルを殺す決心がついてないのにイレーンを殺しても意味がない。俺は内心を悟られないよう平常心を装ってイレーンに正対した。


「これが私の部屋に」


 手紙を渡される。そういえばイレーンと話すのは俺の過去を話した時以来か。随分と久しぶりに話したな。そんなどうでもいいことを考えながら中身を改める。


 アールパード・イレーンの秘密を暴露されたくなければ指定の場所に来い。


 イグナーツの忠告が過った。アールパードはイレーン本来の家名──王族であることを現す名だ。証拠はないけど、ザヒール派の連中がこの手紙を書いたんだろう。


「どう思う?」


「ザヒール派の仕業だな。まだ懲りてないらしい。俺が行って片付けてくる」


「……気を付けてね」


「ん? ああ」


 俺は城壁を飛び下りてもう一度学院を出た。


 懲りないザヒール派に対する苛立ちは、思った以上になかった。呆れているわけじゃない。ジャーンドルの問題を後回しにできて安心しているだけだ。あれだけ腹を立てていたザヒール派のバカな行動にすらなんとも思わなくなっている辺り、自分で自分が情けなくなる。


 いや、考えるのは後にしよう。俺は手紙に書かれた地図に従い、街の外周部に向かった。


 水路に面した倉庫が目的の場所だった。他にも倉庫はあるけど、ここだけ孤立したような印象がある。船の往来はそれなりにあるのに、この倉庫周辺に人通りが全くないのもそう感じさせる理由だろう。


 搬入口とは別にある従業員用の扉から中に入った。


 採光窓から入る陽光に、腰掛ける男女が照らされている。二人とも俯いていて顔は分からない。倉庫内には古びた家具がいくつも山を作り、倉庫というよりゴミ置き場のようになっている。二人が座っているのも横倒しになった棚だった。


「脅迫して何がしたい」


 言いながら俺は二人に歩み寄る。湿り気のある木材の臭いの奥に、本能を刺激する濃厚なものがあった。


 血だ。


 嗅ぎ慣れたまろやかな鉄の臭いだ。気付く。ゴミ山の陰にいくつも死体が転がっている。小汚い恰好の奴もいれば高そうな服を着た奴から十人以上はいる。特に良い恰好をした奴らはかなり若そうだ。多分、俺とそう変わらない歳だ。ザヒール派の生徒かもしれない。血溜まりはまだ新しく、生きているように鮮やかな色をしていた。


「何が目的だ」


 男女に反応はなかった。俺が近づいているのに二人とも微動だにしない。違和感を覚えた。俺は魔術を使って岩の腕を作り、二人を軽く押してみた。


 人形のように倒れた。二人の首筋には見事な切り傷が一本、血もとうに止まり出血の跡も綺麗に拭かれているけど、確かに死んでいる。それに二人の顔に覚えがあった。


 ビハール・ギゼラとビハール・ガスパルの兄弟だ。


 ガスパルの顔や両手足はボロボロで腫れも残っている。俺が付けた傷だから覚えている。間違いなくビハール兄弟だ。イレーンを脅そうとして手下と一緒に待っていたけど、誰かに殺されたのか。


「出てこいよ、いるのは分かってる」


 何故俺が死体に気付かなかったのか。それは生きている魔力の反応がいくつもあったからだ。でもここには死体があるのみで、通常死体から魔力の反応はしない。つまり死体とは別に、大勢が息を潜めている。


 音が聞こえた。


 息を荒げた獣の呼吸、抑えたような笑い声、何かが這い回り、物が擦れ合う。魔力が一斉に動き回る。数は二十、三十を超え、水が溢れたようにそいつらは姿を現した。


 魔族。


 視線が俺に集中し、何体かの魔族が死体にかじりつく。毟り、丸飲み、啄み、食べ方はそれぞれに貪り食っていた。残りの連中はそいつらを見下したように見るなり無視を決め込みなり、冷静に俺に視線を注いでいる。


「お久しぶりです、若」


 ジャーンドルが、魔族の群れの奥から歩み出てきた。身に纏った外套の袖は地面に着きそうなほど長く、先端は刺繍や宝石で彩られている。ジャーンドルが得意とする戦闘舞踊の衣装だ。


 戦う気なのか。


「命令無視をする魔族たちを追ってきてみれば、まさか若がいるとは」

 ジャーンドルは死体を食らう魔族を流し見る。

「まあ丁度いいかもれしません。全ての準備が整いました。後は若のご命令だけです」


 外套の奥から、ジャーンドルがじっと見つめてくる。それを受け止める心は、今の俺にはなかった。逸らすように魔族たちに視線を向ける。


「……なんで魔族と手を組んだ? 俺たちが何百年間魔族と戦ってきたと思ってる?」


 ジャーンドルは緩やかに首を振った。


「勘違いしてはいけません。我らフェイェールの役目は国を守ること。魔族と戦うのは手段に過ぎません。今回は国を守る為に魔族と手を結んだ、それだけです」


 かっ、と頭が熱くなった。


「そのせいで何人死んだ! 仲間だけじゃない。その家族まで死んだんだぞ!」


「その悪習を断つため、俺、いや、俺たちは立ち上がりました。そしてその頂点に立つのは若、あなたです」


 嫌になる。


 ジャーンドルにも、その仲間にも、裏切り者を殺せという一族にも、全てに嫌気が差す。そんなものに俺を巻き込むな。俺は全員が平穏に暮らせていればそれだけでいい。変革なんていらない。争いだって俺一人で終わらせる。それでいいだろ。


「この腐った国を滅ぼし、若が新たな国の王になるのです」


「……無理だ」


「このままでは我らフェイェールはいつか滅亡します。若が生きている間は問題ないでしょう。ですがその後は? この国の人間は我らの尽力に目を向けずのうのうと暮らし、ただ腐敗していくのみ。既に魔族と戦う力を失ったこの国の助力は期待できず、助力する気もないでしょう。もはや残る手はただ一つ、王家の血を引く我らが王座を取り戻し、この国を作り直すのです」


「……駄目だ」


「どうしてもですか?」


 ジャーンドルの意見も分からなくはない。俺だってこの国には何も期待していない。


 でも、全面戦争を起こして何になる。この国に反旗を翻せば最初に一族が割れ、仲間たちが大勢死ぬ。それを乗り越えても国と争い、また被害が出る。


 そんなことさせるかよ。


 俺は仲間を死なせない。たった一人の死さえも許さない。


「フェイェール・レヴェンテとして命令する」

 俺は、外套の奥で光るジャーンドルの瞳を捉えた。

「手を引け。このまま大人しくするならそれで良し。一族には死んだと報告する。分かるな? ここが退き返せる最後の一線だ」


 ジャーンドルの瞳の光が潤んだように見えた。


「もう超えましたよ、その一線は。残念です」

 ジャーンドルがゆらりと袖を泳がせる。

「若が座らないのであれば、俺が玉座に座りましょう」


 爆発音がした。


 遠い。採光窓の向こうに火柱が見える。風に乗って悲鳴が運ばれてくる。


「お前たち、若を止めろ」


 ジャーンドルが魔族の群れに消えていく。反応の早い数体の魔族が迫ってきた。俺は岩の腕を作ってそれらを撃退し、声を張り上げる。


「まだ間に合うぞ!」


「まずはこの国の未来である学院の生徒を殺します。止めたければ追ってきてください」


 ジャーンドルのその声は、魔族の咆哮に掻き消された。

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