第38話 不穏
数日間の平和が訪れた。
様々な感情の入り混じった視線に晒され、しかし誰も話しかけてこない。表向きは何も変わらないけど、学院の騒動には片が付いた。残るのはジャーンドルの問題だけだ。
でも、俺はしばらく出ていなかった分の授業に出席するだけの日々を送っていた。ドーラの一件もイレーンには伝えていない。ジャーンドルのこともイレーンのことも、結局先送りにしていた。
「やあ、この間は世話になったね」
聞き覚えのある声が近くで喋っている。妙に自分の呼吸がはっきり聞こえる。教室が静まり返っていることに気付き、俺は辺りに視線を巡らせた。
全員が俺を見ていた。いや、近くにいるもう一人と俺に注目している。
セゲド・イグナーツ。眉間に皺を寄せながらも笑みを浮かべている。大道芸人並みに器用な表情だ。
「……よく俺に話しかけられるな」
俺がザヒール派相手に暴れて以来、俺に話しかけてきた奴なんて元々顔見知りだった三人だけだった。それ以外の奴らは俺を気にしてはいても近づこうとすらしなかった。
「下民どもの考えていることなんて、僕には分からないな」イグナーツは辺りを見回して鼻で笑った。「それよりこの前はしてやられたよ。まさかこの僕を利用するなんてね」
アルトゥールの警告を思い出す。
「俺を探してるんだってな。仕返しか?」
「僕を薄汚い間抜けどもと一緒にしないでくれ」
言葉とは裏腹に、俺の背後で数人の魔力が動いている。イグナーツの合図があれば一斉に襲ってくるんだろう。俺は振り返らずに後ろを指差した。
「取り込み中なんだ、後にしてくれ」
目的がなんであれ、こいつらに構っている余裕はない。イレーンを殺し、ジャーンドルを止める。俺のすべきことはただそれだけだ。
「そう言うなよ」
イグナーツが片手を上げる。瞬間、背後の連中が弾かれたように反応した。ある者は魔術を使い、ある者は徒手空拳で挑んでくる。
制圧は一瞬だった。
所詮は実践経験皆無の子供、魔術を使うまでもない。怪我させないよう最後の一人を投げ飛ばすと、椅子に座ったまま観戦していたイグナーツが肩を竦めた。
「むしろ感謝してほしいね。君を探していたのは伝えたいことがあるからだ」
ならこいつらはなんだ。起き上がろうとしているセゲド派の連中を、俺は無言で見やった。
「タダで教えるのは癪だからね。代わりに一戦稽古に付き合ってもらった」
イグナーツは机に片肘を着き、倒された連中が下がるのを見届けてから俺に視線を合わせる。
「ザヒールのバカ兄弟が何やら嗅ぎまわっている」
まだ諦めていなかったのか。魔力暴走の騒ぎを思い出す。砂煙の向こうに見えたザヒール・ギゼラの目付きは、確かに怒りと気力に満ち溢れていた。
「君の主人──オロシュハーザ・イレーンについて調べているようだ。先代の親衛隊長である父君の周辺にもザヒール家の手の者が目撃されている。いや、正確に言えばバカ兄弟が実家に無断で動いているようだ」
嫌な感じだ。また、学院で騒ぎが起こるのか。
少しほっとした。
そして、そう感じている自分に笑いそうになる。
これでまた、ジャーンドルについて考えずに済む。状況は好転していないのに、どこか余裕が生まれたような気がしてくる。あまりにもバカバカしかった。それでも、バカバカしいの一言で全てを済まそうとしている自分がいる。
「気を付けるといい」
そう言ってイグナーツが派閥を引き連れて去っていく。教室には俺一人が残され、喧噪が戻ってきた。
「……ザヒールか」
どのみち対処は必要だ。もう一度、見せしめにでもするか。
ふと、視界に何かが映った。紙切れだ。不規則なようでいて規則的に舞い踊り、窓から入ってきて俺の足元に着陸する。
ルカーチェの魔術だ。
定期連絡以外で話したいことがある時、この連絡手段を取るように決めてあった。定期連絡で足りない報告、つまり緊急の用件だ。
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