第37話 襲撃犯
校舎の屋上から手を振ってくるルカーチェを横目に、俺は暗殺犯の潜む校舎に足を踏み入れた。魔力から察するに教室で息を潜めているらしい。失敗するはずのない暗殺が失敗してどんな気持ちでいるのか、そもそも誰が犯人なのか。ようやくご対面の時間だ。
教室に入ると、俺は魔術で小さな明かりを灯した。机に座る行儀の悪い奴が一人、背中越しで分からないけど髪は長いし躰は小さい。女か。
「イレーンを狙う理由はなんだ?」
俺が言うと、そいつの躰から微かに力が抜けた。そして、机から降りて振り返る。
ドーラだった。
「レヴェンテさん? どうしたんですか?」
ドーラは本当に訳が分からないという顔をしていた。大した猫被りだ。今までイレーンに近づこうとしていたのも全て暗殺の為なのか。
「話す気がないならそれでいい。暴れるなら殺すだけだ」
暗殺犯がドーラだという驚きはない。予想していたわけでなく興味がないだけだ。元よりドーラは赤の他人、死のうが生きようが俺には関係ない。
ドーラは唇の端を噛み、素顔を表した。鋭く暗い眼で俺の一挙手一投足を探り、さりげなく両手を背中に隠していつでも魔術を使えるように準備する。随分と手慣れた動きだ。
「……大人しくします。だから話を聞いてください。私と取引をしませんか?」
取引する理由はないけど、ドーラの背後関係を探る必要はある。暗殺犯がドーラ一人とも言い切れないし、ドーラが実行犯というだけで協力者がいる可能性も十分にある。
「内容は?」
「私があの女を」
一瞬、表情が油断だ。
「……イレーンを殺すのを黙認してほしいんです。それさえ見逃してくれればなんでもします」
「断る」
交渉の余地すらなかった。たかだか小娘一人に何ができる。
「聞いてください」
ドーラが決意と仄暗い感情の籠った目で俺を見据えた。
「私の父はあの女の魔力暴走に巻き込まれて死にました……唯一の家族だった父を殺されたんです!」
復讐か。ドーラの父親はおそらく、俺が来る前にイレーンの魔力暴走を抑えていた上級魔術師の一人だろう。イレーンのことも父親から聞かされていたか。
「俺には関係ない」
「本当にそうですか?」
ドーラが意味ありげに微笑んだ。
「あの女が死んで、レヴェンテさんは何か困るんですか?」
図星を突かれた。
確かに俺は、イレーンが死んでも困らない。
一族への恩赦云々は期待していないし、そもそも俺自身は求めてもいない。それよりずっと頭を占めているのは、ジャーンドルの存在だ。
街に現れた魔族たちが、ジャーンドルと無関係なわけがない。ジャーンドルは何かをしようとしている。どんな形であれ対決の時は近いだろう。そうなれば今の俺じゃジャーンドルを止められない。
俺が全力を発揮する為には、イレーンが自分の魔力を制御できるようになるか、俺がイレーンの魔力制御をやめるか、そのどちらかしかない。ただ、前者は圧倒的に時間が足りない。ジャーンドルを止める手立てはもはや一つ、イレーンを切り捨てるしかなくなっている。
すなわち、イレーンの死だ。
魔力暴走の果てに自滅して死ぬのか、大事になる前に監視役が殺すのか、俺が殺すのか。口にしてはいないけど、イレーンの死は避けられないところに来ている。あとはもう、それがいつ起こるかの話だ。
贖罪もあってイレーンを守ろうとしていたけど、現実的に考えると無意味な行動だ。むしろ俺の立場からすると、イレーンには死んでもらった方が都合が良かった。
でも、本当にそれでいいのか。理屈では分かっているのに、心のどこかで否定しようとしている俺がいる。
「あの女は危険の塊です」
ドーラが一歩踏み出してきた。
「王女だから生かされているだけで、平民なら大昔に殺されているような危険人物です。いつ暴走が起こって学院の人を殺すか分かりません。国の為を思うなら今ここで、あの女を殺すべきなんです」
ドーラの言っていることに、何一つ間違いはない。間違っているのはイレーンを生かし、あまつさえ学院に通わせた国王だ。最後通告なのかもしれないけど、それすらもするべきじゃなかった。
「お願いします」
ドーラが深々と頭を下げる。
「私にあの女を殺させてください。たった一人しかいなかった優しい父を殺した、憎い女を殺させてください」
果たして、ドーラを止める理由が俺にあるのか。
「……まだ駄目だ」
自分でも良く分からない言葉が漏れた。
「まだその時じゃない」
「まだ? ならいつなんですか!?」
ドーラから魔力を感じた。俺は無意識に躰を動かして魔術を発動させ、ドーラは岩で包み込んだ。手足を固定し口を塞ぐ。これでドーラは何もできなくなった。
「……イレーンだって自分を責めてる。誰よりもな」
ドーラが睨んでくる。無意味だと分かっているだろうにもがいて岩から抜け出そうとする。やがて涙を零し、声を洩らし、抵抗を諦めた。
見ていられなかった。俺はドーラから目を逸らし、教室の入り口を見やる。いくつかの魔力が近づいていた。急いではいるけど走ってまではいない。
「ああ、間に合ったみたいね」
アンドレアと従者たちが入ってきた。拘束されたドーラを見つつ、俺に歩み寄ってくる。
「まずは魔族討伐の件、お疲れ様でした。教室の明かりを見てまさかと思って来たのだけど、この子がイレーンの命を狙っていたの?」
「魔力暴走で父親を亡くしたらしい」
アンドレアが嘆息する。
「……そうだったの。この子はわたしに預からせて貰えない? わたしの方で他に仲間がいないか、どこからイレーンの情報が漏れたのかを調べておくから」
「任せるよ」
俺は一つずつ魔術を解き、ドーラを新たに拘束するのを手伝った。魔術を使えないよう猿轡して腕を縛り、最後に俺はドーラの耳元で囁こうとした。
でも、何も言えなかった。
イレーンは俺が殺す。そう言おうとした。俺自身に対しても宣言しようとした。
でも、なぜか声が出なかった。
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