第36話 暗闘
あれからイレーンと会うことはなかった。変わらず遠巻きからイレーンの警護を続けていると、全く予想もしていないところから会いたくなかった奴が接触してきた。
「案内助かる、ヘンリク」
「いえいえ。俺はここで失礼します」
ヘンリクが頭を下げて去っていき、俺とカルツァグ・アルトゥールの二人が残された。俺が折ったアルトゥールの右腕は、まだ添え木ごと包帯が巻かれている。
「久しいな、レヴェンテ」
「お、おう……腕大丈夫?」
「時期に治る。それより殿下のご命令だ。今日の夜、時間はあるか?」
腕の骨折の件は気にしていない、のか? ちょっとほっとする。骨を折ろうとしたつもりはなかったけど、完全にこっちから吹っかけた喧嘩だから会った瞬間殴り飛ばされたって文句は言えなかった。
「良いけど何の用?」
「魔族と戦う。準備しておけ」
まあ、いるよな。あいつ一体なわけがない。魔族を倒すのはフェイェールの一族である俺の役目だ。アンドレアの命令をアルトゥールが持ってくるのは分からないけど、丁度いい機会だ。二つ返事で承諾した。
日が暮れるのを待ってから、俺はルカーチェと連絡を取ってちょっとした頼みごとをした。それから学院にある衛兵の詰所前でアルトゥールと合流する。アルトゥールは戦闘準備万端、動きやすさ重視の鎧を着込み、剣を帯びていた。
「ん? 俺が戦うんだろ?」
「いや、戦うのは私だ。魔族が私の手に負えない時だけ手を貸してほしい。魔族とどれほど戦えるか調べるように。それが殿下のご命令だ」
そういうことか。流石は王女アンドレア、先の事を良く考えている。怪我人を戦わせるのはどうかと思うけど、この国でも五本の指に入る実力を持つというアルトゥールに力を試させるのは重要なことだ。
「分かった。なら行こう」
俺たちは二人で学院を出た。行く先は治安の悪い街の外周部の一画だ。俺が魔術で宙に火を灯し、人っ子一人いない街中を進んでいく。
「最近、良からぬ人間が増えていてな」
その原因は多分俺だ、なんてわざわざ言わない。素知らぬ顔で話を聞く。
「警戒していたところに得体の知れない者の目撃情報がいくつも届いた。全て噂の域を出ていないが、街ではお伽噺だった筈の魔族の存在が周知の事実のように受け止められ、夜になるこんな風に静まり返る」
風が鳴り、砂を踏みしめる音が響く。俺も基本的には学院の中で過ごしていたから外の事を知らなかったけど、魔族の影響がここまで出ていたとは思わなかった。
ジャーンドル。かつての仲間の姿が頭に浮かんだ瞬間、強引に頭から振り払った。
「何故今になって魔族がこの街に現れたのか、それについて私は詮索する立場にない。ただ、お前の口から魔族とはどのような相手なのか聞きたい」
「日の沈む地の向こう側にいる生物の総称だ。人みたいな奴から虫みたいな奴もいる。だから人より強靭で魔術も使える奴がいれば、大したことのない奴まで様々だ」
「会ってからのお楽しみというわけか」
片腕が使えないというのに、アルトゥールはえらく落ち着いている。俺と戦って負けた後で、まさか自信過剰というわけでもないだろう。
「その腕で戦えるのか?」
「片腕を背中に隠して魔術を使うという戦い方は、兵卒になってから覚えたものだ。元々は口笛を使っていた」
口笛──詠唱や歌の一種だ。意味の籠った歌詞がないからその分効率は悪いけど、音しかないから敵に情報が伝わりづらく、対人戦でも威力を発揮する。一族の中にも口笛で魔術を発動させる奴は何人かいた。
「昔は散々怒鳴られて、昇進してからは部下の手前使えなかったが、本来は口笛の方が得意でな。それでも負けるなら私が弱かっただけの話だ」
片腕で剣を振るうこと自体は以前と変わらないから、そこまで心配する必要はないか。
しばらく歩いていると、男が近づいてきた。魔族を監視していた一人らしい。そいつに案内されて町の外れにある暗渠の入り口に到着した。
「確認できたのは一体だけですが、他にもいるかもしれません」
「分かった。お前たちは待機しろ。もしもの時は交戦せず逃げるように。良いな?」
「はい。お気をつけて」
そんな会話を尻目に、俺は一足先に暗渠に入った。
臭いは砂埃がないからか地上よりも良かった。水量も多くないし、生活用水や排水施設として使われているわけでもなさそうだ。精々が大雨の時に役立つぐらいか。通路があるわけでもないし、見た目はただの小川だ。単純に街を作る上で邪魔だから蓋をした、そんな感じだろうか。
「俺が先に行くよ。それと他にもこんな水路があるのか?」
遅れてアルトゥールがやってきた。既に剣を抜き、軽く振って具合を確かめている。
「元々ここには学院だけしかなかった。それが少しずつ人が集まりヴァレンツァという街ができた。その性質上、街作りは街の人間が勝手に行い、学院の衛兵でしかない我々では全容を把握できていない。他にここと同じような水路があるのは間違いないだろうが、それがいくつあるのか、この水路と繋がっているのか、はっきりとしたことは分からない」
「ならついでに調べるか?」
「それはそれで街の住人と揉め事になる。用が済めばすぐに帰りたい」
面倒なことで。俺は魔術で作った灯で先の方まで照らし、あえて俺たちの存在を誇示するよう進んだ。
当たり前のように人が生活している痕跡が見つかった。なんなら寝ている浮浪者もいた。案の定、ただの暗渠なら一本道だろうにいくつも横道が見つかり、地上に続く出口もそこここに備えられていた。
「見つけた」
怪しい魔力を探知した。魔力だけじゃ人間か魔族かなんて区別はできないけど、そいつは明らかに俺たちを警戒していた。他の奴は俺たちを気にしないか隠れたままだけど、そいつは付かず離れずの距離を保ったままだ。俺は小声でアルトゥールに話しかける。
「俺がここに追い込むから、明かりを付けずに待っててくれ」
「気を付けろよ、一年坊」
俺は横道を通り、そいつの後ろに回り込むよう移動する。昼間と違って大勢が寝入っているから雑音が少なく、動いている奴の魔力探知が簡単だ。上手くそいつの行動を制御して、アルトゥールのところまで誘導する。
今だ。俺はアルトゥールの周囲に淡い明かりを灯した。
魔族の姿が見える。馬よりやや小さいぐらいの四足獣だ。太い四肢に鋭い爪は普通の肉食獣のものだけど、巨大な角には刺だらけの蔓が巻きついたような不自然な隆起があった。
「そいつは──」
「──戦って確かめる!」
言って、アルトゥールは魔族に突進した。暗渠に口笛が響く。それに応えるように魔族も嘶いた。歪な角の生えた頭を振り回し、何度も円を描く。
俺は知っている。火炎放射だ。それもただの炎じゃない。粘り気のある可燃性の液体も同時に飛ばしている。直撃すれば炎が躰にへばりつき、まず命は助からない。
暗渠が煌々と照らされ、光に慣れた俺ですら眩しさに目を細める。場違いに楽しそうな口笛は止まることなく、アルトゥールは剣の先端を小川に浸した。
曲調が落ち着いた。アルトゥールの剣先に纏わりつくように、川が浮き上がる。水の盾だ。音を立てて一帯に蒸気が充満する。俺の明かりに照らされて二体の影が揺れ動く。魔族が再度頭を振る。アルトゥールの激しい口笛が鳴り響く。
影が、魔族に向かって勢い良く伸びた。鈍い音が鳴り、魔族の影と交差する。
口笛が止まった。俺は魔術で蒸気を吹き飛ばし、戦いの結末を目撃する。四足獣の魔族が、暗渠の壁から生えた岩の突起に串刺しにされている。アルトゥールの魔術の威力は十分、一撃で魔族を仕留めていた。
「実力は本物だな」
俺と戦った時は、やっぱり手を抜いていた。この感じならフェイェールの一族の戦闘部隊に入ってもそれなりに戦えるだろう。
「いや、戦った場所が良かった」
アルトゥールは暗渠の壁に刺さった剣を抜いた。
「平地ならかなり苦戦しただろう。私もまだまだだ」
そんなに強い魔族じゃない、と釘を差す必要はなさそうだ。強さで言えばイレーンとドーラが攫われた時に出た魔族とそう変わらない。使える魔術だって火炎放射だけだから、分かってしまえば対処も簡単だ。
「死体はどうする?」
「持ち帰るように仰せつかっている。危険はあるか?」
「ただの生き物だ。毒もない」
「部下に運ばせよう。今日はこれで終わりだ。協力感謝する。礼と言っては何だが一つ忠告だ。セゲド派がお前を探し回っているらしい。気を付けるといい」
「セゲド派がね……」
ザヒール派を嵌めた時に利用したのが理由だろうか。でも今はそんなことに時間を使っている暇はない。
「まあ、それじゃ」
俺は急いで暗渠を出た。魔族退治は無事終わり、そして、学院でも動きがあった。
俺が仕掛けた罠に、暗殺犯がまんまと掛かった。今まで暗殺を邪魔していた俺が、イレーンの傍どころか学院から離れるんだ。こんな絶好機を見逃す筈が無い。でも、今夜は俺の代わりにルカーチェがイレーンを守っている。
暗殺は失敗に終わり、寝静まった学院に一つの魔力が浮き上がる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます